第6話 勇者ゆうくんの転職

3月31日。

僕は完全に無職になった。

昨日までは有休消化の身だったので、

一応、会社員と名乗ることができたのだが

もうそれも出来ない。


そして、僕は渋谷に向かっている。

何故かというと、勇者になるための

事前研修があるからだ。


自分で言って、笑けてしまう。

ただ現状、これにすがるしかないことも事実だ。

新手の勇者詐欺かもしれない。

勇者詐欺に新手も何もないのか。


これまで何度も渋谷には訪れたが、

いつもとは景色が違ってみえる。

ナオと渋谷を歩いた記憶が蘇ってきそうなので

自分で蓋をした。


到着した場所は、至って普通の市民ホールみたいなところだった。

とりあえずホールに入り、受付のお姉さんに確認することにした。

「すみません、転職エージェンシーさんはどちらでしょうか?」


「お待ちしておりました。斎藤様ですね。

私がご案内させて頂きますので、こちらへどうぞ。」


期待していたのは、

隠し扉が開いて地下10階行きのエレベーターに乗せられることだったのだが

そんなこともなく、通されたのは普通の会議室だった。


「では、奥の席にお座りになってお待ちください。」


「はい、分かりました。」

拍子抜けしたが始めて面接を受けた時のことを思い出して

少し緊張感もあった。


5分ほど経ったのち、

スーツ姿がよく似合う紳士風な男性と

僕より少し若いと思われる笑顔が素敵な女性が部屋に入ってきた。

社会人5年の癖なのか、2人が入ってきた瞬間、反射的に僕は立ち上がった。

そうすると、2人は僕を見て笑った。


「そんなかしこまらなくて大丈夫ですよ。

席におかけください。」


「ゆうきっち可愛いぃ」


---ゆうきっち?この小娘、馴れ馴れしすぎないか。


「失礼します。」

僕はそんな簡単に気を許してはいけないと思い、

声色を変えずに毅然とした態度を取っていた。


「改めて、はじめまして。

私は転職エージェンシー日本支部代表を務める鏑木です。

そして隣が、斎藤様の担当を務める大石です。」


「はじめまして、ゆうきっち。

私は大石萌香。もえもえって呼んでね。」


「馴れ慣れしすぎませんか。大石さん。

担当と言われましても、私が何をするのか。

そもそも何故ここに呼ばれて、

何故会社を辞めなければならなかったかの説明もされてないので。」


「そうだよね、ごめんね。

そこらへんは鏑木っちから説明があると思うから」


「言葉遣いをしっかりしなさいと何回言ったら分かるのですか。

大石くん。」


「すいませーん。」


「大変失礼いたしました。

この度はこのような強引な形を取ってしまい、

非常に申し訳なく思っております。


しっかりと説明させて頂きますので、

納得していただいた上で今後の活動に励んで頂ければと思います。」


「分かりました。」


「私たち転職エージェンシーは150年前に出来た組織でして、

8カ国、日本、アメリカ、イギリス、ロシア、

中国、フランス、イタリア、ブラジルに支社を構えております。

我々の役割としては、

勇者つまり世界を救う方の選定と育成および

能力の開発を行なっております。


とりあえず、ここまででご質問はありますか?」


「いえ、まだハテナだらけなのでそのまま続けてください。」


「承知いたしました。

我々は秘密組織ですので、基本的に表舞台に立つことはありません。

世界的な有事の際、我々は勇者を選定し能力を与えます。

そして世界を導く勇者のサポートをさせて頂きます。


実は勇者の中には、斎藤様もご存知の方はいらっしゃいます。

ある国の大統領や世界的アスリートやアーティストなど

大企業の社長など名前を見たことがある方は

いらっしゃいますよね?」

そう言って、鏑木は勇者のリストを見せてきた。

確かに驚いた。

僕でも知っているような著名人が多く並んでいた。


「勇者というと、アニメや映画みたいに

剣を装備して魔王と戦ったり、

魔法を使って空を飛んだり、

そういったイメージが強いと思いますが

決してそういうことではありません。


その時代の民衆を導くという点では、アスリートや国のトップもまた勇者なのです。」


「なんとなく、言ってることは分かりました。

なんで僕なんですか。

正直、僕に勇者の適性があるとは全く思えないのですが。」


「我々の選考基準は明かすことは出来ないのですが、

何ヶ月にも渡って、あなたを調査してきて

素晴らしい人格と素質をお持ちであることを確信しました。」


僕はよくわからない相手ではあるが、

褒められて少し嬉しかった。


「いやいや、勇者の素質って。

僕この前、普通すぎてつまらないって言われて

彼女に振られてるんですよ。

そんな勇者ダサくないですか。」


「ゆうきっち、振られたの?

じゃあ今、フリー?

私、立候補しちゃおうかなー。」


「あ、お気持ちだけ受け取っておきます。」


「鏑木っち〜、私振られたんだけど。」


笑いが起き、徐々に会議室の空気が温まってきた感じがする。

この状況をなんとなく受け入れてきているのが

自分でもわかった。


「これより先の詳細の話に関しては、

斎藤様が勇者を引き受けて頂けてからでないとお話が出来ません。

能力や条件などのトップシークレットな情報になるからです。

いかがされますか?

ちなみに一度引き受けたら、そこから断ることはできません。」


「なるほど。

もし、僕が今断ったらどうなるんですか?」


「別の候補者をまた探して調査します。

ただもし断ったとしても、以前のお勤め先に戻ることは出来ません。」


「少しだけ、時間をください。」


「分かりました。では私共は1度部屋を出ますので10分後戻ってきます。」


「はい、お願いします。」


正直、心の中では決まっていた。

僕は勇者を引き受ける。

普通の人生にもう戻ることは出来ないかもしれない。

ただ、話を聞いて少しワクワクした。

こんな自分を評価してくれてる人がいることも嬉しかった。


多分冷静に考えたら、意味がわからないと思う。

ただ決めたのだ。

とりあえず、1回トイレに行こう。


---ガチャ

「斎藤様、ご決断の方を宜しくお願いします。」


「この話、引き受けます。」


「分かりました。ありがとうございます。」


27歳、彼女なしフリーター、勇者になる。

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「一緒に世界を救いたい」と言われましても、僕は勇者ではないのですが。 @ishidayuu

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