第5話 勇者ゆうくんの災難

「失礼します。第5営業部所属の斉藤です。」


「どうぞ。」

流石に大手商社の取締役だけあって、

声の凄みが他の社員とは違った。


「斉藤くん。君には3月末を以って正式にうちを退職してもらうことになった。」


言葉が出なかった。

その数秒間で、喉がカラカラに乾いて、

喋ろうとすると咳き込んだ。

ただ正式にという言葉が引っかかった。


「どういった理由で私は退職になるのでしょうか?」

か細い声で詰まりながら、言葉を発した。


「君の元に転職の通知が来ていなかったかい。

私たちも正確な理由は、教えられていないんだ。


ただ社長から私は君の退職を伝えて欲しい。ということと

転職の通知に関する確認をしておいて欲しいと頼まれただけだ。


私以下、君の上司たちには退職の旨は伝えられている。

この決定は覆らないそうだ。


あと、このことは外部に漏らしてはいけないとのことだから

今ここで、秘密保持契約にサインをしてもらわなくてはならない。」


---なんだこれは。

頭が上手く回らずに、状況の整理ができない。


「ちょ、ちょっと待ってください。

私が3月末でこの会社を退職するということが

私の意思とは関係なく、決定されたということですよね。」


「君の意思が介在しているかどうかは私は知らない。」


「確かに、家には転職の通知が来ていました。

ただ企業からのダイレクトメールだと思っていたので

全く気にしていなかったのですが。

あれは、広告ではなく事実だと。そういうことですか?」


「だそうだ。私は中身を見ていないし、知らない。」


このいかにもゴルフ焼けしましたみたいな色黒白髪おじさんは

何も知らないのか。


「1回、社長に会わせてもらうことは出来ますか?」


「今週、社長は海外に出張されていて、会社にはいないんだよ。」


「そうですか。一旦分かりました。」

彼女に振られて、職を失うダブルパンチ。

これは僕に死ねと言ってるのか。

神様、教えて欲しい。


「秘密保持契約を結ばないと拒否したらどうなるんですか?」


「君に拒否する選択肢はない。

唐突にこんなことを言われて、驚くのは無理はないと思う。

ただ、私にはどうすることもできないんだ。」


こうなると、とてつもない力が何か働いているとしか思えない。

僕は会社が大きな損害を被るような失態を犯していないし、

コンプライアンス違反をした覚えもない。

ただの不当解雇じゃないか。


「とりあえず、荷物をまとめなさい。

3月末までの残りの2週間は有給消化という形で

給与も保証する。

今後の人生についてじっくり考える時間も必要だろう。」


「はい、分かりました。」

ものの5分程度のやり取りで、

僕の社会人生活5年間は消え去ってしまった。


抵抗することを考えたが、

どうしようもない感が自分を包み込み、

気づけば、秘密保持契約にサインしていた。


「すんなり、受け入れてくれてありがとう。

今後の君の人生の活躍を心から願ってるよ。」


このおじさん、一発殴ってやろうかな。

そう考えたが、おじさんの方が強そうなので手が出なかった。


自分のデスクに戻ると、まだ朝が早いからか上司以外誰もいなかった。


「おう、斉藤。」


「おはようございます。課長」


「おれも詳しい話は一切聞いてない。

何もしてやれなくて、ごめんな。

この数年の頑張りはおれが1番知ってるから。

どこに行ってもお前は活躍できるよ。

何かあったら、いつでも相談しろよ。」


「お心遣い、ありがとうございます。

ただ仕事の相談は出来ないみたいです。」


「そうか。別に仕事の話だけじゃないだろ。

明日からは俺たちは上司部下の関係じゃなくなるんだからな。

ただ、彼女にはちゃんと報告するのか?」


「それがですね。

昨日、彼女に振られたんですよ。

僕の人生めちゃくちゃじゃないですか?

笑うしかないですよ。」


課長も目を見開いて、言葉を失っていた。

「お前、死ぬなよ。」


「いやなフラグ立てないでください。

死にませんよ。

ある種、死ななくても

リセットされちゃったので勝手に。

自分なりに改めて人生を見つめ直してみますよ。」


「そうだな。

今までご苦労様。」


課長の優しさに目頭が熱くなった。

この数日間、僕の身に起こったことを

自分なりに消化しようと頑張って来たが、

そんなキャパシティを僕は持ち合わせてなかった。


「こちらこそ、今までありがとうございました。」


僕は5年勤めた会社を去った。


そこから2日間はただひたすら、

家に引きこもっていた。

昼まで寝て、起きてコンビニ弁当を食べて

テレビを見る。

最初は悪くないなこの生活も。と思っていたが

それは現実から逃げいただけで、

夜布団に入るととてつもない不安に襲われた。


無職生活3日目に、ようやく立ち上がることを決めた。

Lv.0の無職がLv.1にランクアップした。


とりあえず、僕は転職通知を確認することにした。

改めて読み直しても、ふざけた文章だ。


転職通知によると、

僕は4月1日から勇者になるらしい。

そして、3月31日に渋谷で勇者になるための事前研修があると。

なんだよ、勇者の事前研修って。


これ以上の情報がないから、

何回読み直しても、何も分からなかった。


「この事前研修に行ってみるしかないのか。」

こんなよく分からないものを

真に受けている自分に驚いているが、

すでに自分の人生が

よく分からない状況だったからか

麻痺し始めていた。



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