第5話
藁籠の中身は、ピクニックシート、ジャム、水筒、ポフロンの皮が二十一枚。
軽いモフ毛の皮なのですが、枚数が重なると当然重たくなります。もうここからジャムを取り出すのは不可能になっていました。密度的にも、気持ち的にも。
「お前、臭いぞ。少し離れて歩け」
「これですよ。これのせいなんですってば!」
モフ毛の手触りは最高なのですが、匂いは最低でした。
勇者のレベルは1から8になり新しい技も覚えました。これまで以上に嬉しそうな勇者から、時々鼻歌をこぼされるのを耳にしました。転生者はドキドキわくわくの大冒険によだれを垂らすと村長が仰ったように、この男もさぞこの旅を楽しんでいるご様子。私は以前の、のんびり畑ワークに戻りたい気持ちでいっぱいです。
「おっ、いたいた!」
勇者が不意にこのように言うのは敵と遭遇したということです。まるでタケノコ見つけたみたいな軽さで言うのが、なんだかなぁって思いますけど、私の方もさすがに慣れてきたので人のことを言えませんでした。
勇者が攻撃を開始する前に急いで現場に向かいますと、なんと可愛らしいテディベアが現れておりました。十五センチほどの身長を枯葉で隠し、隙間から私たちを覗き見ています。表情はテディベアそのものなので、感情が読み取ることは難しいかと。
どこかで見たような覚えがあると思いきや、転生前、高校時代の友人のリュックにキーホルダーとしてついてあったのを思い出します。あれと丸きり同じでした。
「木漏れ日の森:ベアベアモドキ:可愛い見た目に騙されるなよ? ……て、書いてます」
このモンスターレポートは、一定数を倒すと詳細と豆知識が追加されるようになっています。ちなみに、ポフロンの詳細は『本人たちは臆病であり戦う意思は全くない。見つけたら優しく接してあげ、そっと逃がしてあげよう。彼らと和解するのは簡単だ』と追加されました。おそらく『可愛い見た目に騙されるなよ?』の続きも、今後更新されるのでしょう。
とにかく現段階においてこの警告の意味は、見た目よりももっと恐ろしい敵だっていうことです。
「用心して下さいね!」
「用心と言われても」
私たちが見下ろすベアベアモドキ。モドキと名が付くのですから、ベアーでは無いんでしょうが、それにしてもこんなか弱い生物に警戒するなんて出来る人いるんですか。
「おいで~」
思わずかがんで手を出してしまいます。
「お前、阿呆か!」
ベアベアモドキは私のことを警戒しながらも、タオルみたいに枯葉を掴みながらにじり寄ってきました。うるうるのお目目で私のことを見上げています。盛り女のアヒル口的な魅惑の口元が超キュートですぅ。
「ほら、お友達になりたいんですよ」
――……ネ。
その身に触れる前に何か感じ取ります。
「何か聞こえましたよね?」
勇者はぽかんとしています。だとしたら、この子が何か言っているのかもしれません。ベアベアモドキに耳を傾けて注意深く聞いています。すると、かすかに声が届きます。
「……ネ。……ネ。……。……。……シネ」
あっっれ?!
狂気を察知した私が立ち上がったら、ベアベアモドキも同時に豹変いたしました。脳天からぱっくり千切れて割れたと思ったら私が「ひいいい!」中は綿では無くて黒いドロドロした液体が湧き出してきたら私が「ええええ!」グロテスク。あーるじゅうご的な。
テディベアの体積を超える量の真っ黒な液体が溢れ出してきましたら、またたく間に広がって私たちに後ずさりさせます。
「これは逃げないとどういう事になりますか?! 飲み込まれますか?! 闇の世界に取り込まれてしまいますか?! ゆゆゆゆゆゆ勇者しゃん!?」
ドン引きとショックでわなわな状態の私が、勇者を顧みると勇者の様子がおかしくなっています。膝をついて倒れ込んでいるし、黒い液体をすくって口に運ぼうとしています。
「んなっ、何をしているんですか!?」
思わず張り倒してしまいました。そこに倒れた勇者の足を広がる黒い液が飲み込みます。
「やっぱり、闇の世界に取り込まれるんですよ!」
助けたいけど私に出来ることがありません。何か出ろと思って、両手のひらを勇者に向けて念を送りましたがダメです。何か出ろと思って、ベアベアモドキに手のひらを向けて念を送りましたがダメです。魔法使えません。剣無理です。
ともなれば……!
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「シネ……シネ……シネ?」
ドロドロの進行が止まりました。お話が出来そうなので私は顔を上げます。無意識のうちに『奥義:土下座』をしておりました。今がラストチャンスかもしれません。
「どうか私たちを見逃してくれませんか?!」
「……シネ?」
「私たち戦うのは苦手なんです。ここは平和解決を図りませんか?」
「……シネ」
この液体から声が出てるのでしょうか。分からないですけど何とか会話っぽい感じになっています。聞き取れる言語としては「死ね」って伝えられているわけですが、これがあるモンスターで言う「ピカ」的な鳴き声だったらいいな。なんて思いながら、私は向き合って冷静に話をしようと心掛けました。
「と、とりあえず、黒い液体を体に納めませんか?」
「……」
「あ、いや。その方がお互いに同じ目線でお話出来るかなって思って。はははは」
場を和ませるのもコミュニケーションには大切です。
「……アタシネ? 悩ミ、聞イテ欲シイ」
「えっ? ああ、い、良いですよ? もちろん! もちろん聞きますよ!?」
私が了解すると、ベアベアモドキは黒い液体を再びテディベアの方に戻していきました。
思ってたのと違います。違い過ぎます。
「アタシネ、彼ニ浮気サレタ。アタシナンテ、可愛クナイシネ、オ洒落ジャナイシネ、スッピン見セラレナイシネ、性格悪イシネ、ナヨナヨシチャウシネ――」
やっぱり思ってたのと全然違っていました。私ったら信じられないことに、ベアベアモドキさんの深刻な身の上話を聞いているみたいです。
「ソレデネ」
「ええ、ええ」
「ワタシネ」
「うんうん」
突っ伏している勇者そっちのけで、私はベアベアモドキさんの前に座り込んで、彼女の事情と悩みを親身に聞きました。
ベアベアモドキさんは、四年付き合っている彼と同棲しているらしいのです。けれども最近彼の帰りが遅くなり、彼の態度も冷たく感じるのだとか。それを彼に打ち明けたら「でも俺たち付き合っているだけで、結婚してるわけじゃないんだから関係ないじゃん」と言われたそうです。ベアベアモドキさんは彼と結婚するのを望んでいた。嘘でもいいから「浮気なんてしていない」と言って欲しかった。もう二人は終わりなのかなと感じていたのです。そんな時に発覚した子供の存在。誰にも打ち明けることが出来ずに一人で抱えていたそうです。親にも彼にも相談できない。でも誰か、話を聞いて欲しかった。答えでも共感でも何でもいいから、誰かを頼りたかった……。
「モウ、ドウスレバ、良イカ……」
「大丈夫ですよ。きっとベアベアモドキさんは自分に――」
私の目の前で光の筋が見えたかと思うと、傍に颯爽と立つ勇者の背中が現れました。
ベアベアモドキさんの破れた脳天から足元までを刃で切り裂かれるところを。勇者が私にグッドサインと決め顔を送ったところを。テディベアが真っ二つに分かれて地面に倒れるところを……全てがスローモーションに見えたのです。
「ふっ。油断したな」
「……」
勝利しました。
気化しているのか個体化しているのか、黒い液体が沸々ボコボコしているのは大変危険に見えます。正気の私なら絶対に触ったりはしません。
私は、その裂かれたテディベアを藁籠に乗せました。液体は掬える限りを手で掬って、藁籠の中に入れました。(主にポフロンの皮に吸い込まれました)
藁籠の中身は、ピクニックシート、ジャム、水筒、ポフロンの皮が二十一枚。それと、ベアベアモドキの皮が一枚。
「……もうすぐ到着です」
「ああ! 行くぞ」
森はこの後すぐに抜けることになり、その先は原っぱになっていました。タブレットによると、町の門までは傍の道から一本で通じています。
「……ちゃんと道を歩きましょうね」
浮遊するみたいに、私は傍の石の道を目指します。
「お前はもっと楽しそうにしろ。旅が陰気臭くなる」
「……」
私たちは町を目指して行きました。めでたしめでたし、続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます