第6話

 翌朝です。

 勇者がまた私物を破壊しかねないので、私は勇者よりも先に起きました。というのは寝る前までの目標で、実際はいつも通りの時間しかも夜更かしのせいで三十分もの二度寝もしてしまいました。

 ベッドから飛び起きた私は飛び掛かる勢いでドアを開け、リビングを一瞥。瓶や棚の状態は?! ……ではなくて、勇者の様子は?! と、ソファーには勇者はいません。毛布もありません。

 けど、なんとなくの察しがあり、裏口から庭へ出てみます。そのすぐ傍に、毛布を頭まですっぽりかぶった人がぽつんとおりました。

 西向きか……と思ったはずです。せっかくの新世界なのに朝日が望めないなんて、上手くいかないのな。なんて、この勇者は考えたりするのでしょうか。少なくとも一年前の私はそんなことを考えて、ここらに立っていた記憶があったりします。

「朝食たべますか?」

「ああ」

 かぶせてきました。

 と言っても、朝食は昨日バーベナさんから頂いたケーキ達です。朝食の為に卵やベーコンを焼くのは面倒で。そのまま口に運んで食べられるものがあればそれで良いじゃありませんか。普段であれば手づかみでかぶりつくところを、客人用にちゃんとお皿に乗せて出しただけ偉いものです。

「美味しいですか?」

 勇者はだんまりですが、もりもり食べていました。特に、ハチミツがよく効いたチーズタルトはお気に召したようで、三ピース目に突入しています。

「あの、あなたのことを知りたいんですが」

「……」

「食べながらだと難しいかしら?」

 リスのごとく、もんぐもんぐしている口をぱたりと止めて、勇者は私の顔をじっと見ます。あんまりまじまじ見られると、前世の癖で目を逸らしてしまうではありませんか。せっかく可愛いお顔になったのに、いつまで経っても男を落とせないわけです。


 ごくんと呑み込んだら「あ」と、勇者が声を出します。

「あ?」

 しまった、急かしてしまった。

 気を悪くしてしまったのか、勇者はフォークで大きめの一口を頬張りました。シャイボーイの扱いが分からんとこまねいていると、

「世話になった」

 もぐもぐさせながらに言って、勇者は席を立ちます。そのまま家を出て行くまで、私は驚いたまま、うっかり見守ってしまいました。

 ぱたりと扉が閉じられる音を聞いた後、食べかけのチーズタルトが乗ったお皿と、引かれたまま戻されなかった椅子。フォークにグラスにクロスに、途中放棄された無造作な感じに、だんだんと寂しい気持ちになってしまうではありませんか。

 家を飛び出してとりあえず私は走ることにしました。起きたてはうっすら曇り空だったのが、今はどんよりと厚い雲に覆われています。風もやや強めですぐにでも雨がふりそうです。

「あれ? そんなに急いでどうかした?」

 道端で出会ったのはネメシアさん。宿屋や広場以外の場所で会うのは初めてのことでしたが、ちょうど良かった。彼が広場の方に行った可能性もちょっと考えていたので。

「おはようございます。あの、昨日の……男性と会いませんでしたか?」

 言おうとして、彼の名前を書いたメモを取り出すのもめんどくさかったのでやめました。どうせ誰もあんなもの覚えていませんし。

「男性? いいえ?」

「そうですか……ネメシアさんはどちらに行かれるので?」

 聞くと、ネメシアさんはちょっぴり顔を赤くさせ、その様子がしおらしく見えました。その時突然に、私が持つ女のカンとやらが、これ以上は聞くべきでないと警鐘を鳴らします。

 別れた後に、私は振り返りました。

 いつもと同じエプロンでいつもと同じ髪型の、いつも通りの若奥さんなメネシアさんは、その道を歩いて行きます。あの先には私の家とバーベナさん宅だけがありまして、この時間というのは、手紙を届けてくれるポストマンがやって来る時間でした。

 世の中には知らないことがある。知らない方がよかったことも返ってありますね。私はやっぱり広場に行くのはやめて、村長の家を目指して行くことにします。


 朝はもっぱら庭の世話で忙しいので、私を目撃する村人たちがみんな驚いた顔で、

「どうかした?」

 と、聞くのでした。

 昨日の男を探している。彼を見ましたかと聞くと全員が首を振るので、私はある一つの察しがついています。

 著しくコミュニケーションが苦手である彼は、おそらく人目を避けるようにして進んだのでしょう。タイミングを伺い、時に物陰に隠れ、忍びのごとく進んだに違いありません。なぜなら、転生直後の私がそんな感じでしたから。会話はさることながら目を合わせるのも拒んでいました。

「やあ、君か。わざわざ朝の挨拶をしに来てくれるなんて、パパは嬉しいなぁ」

「ぼやけた事言ってないで、勇者さんはどこです?」

 軒先に出ていた村長を捕まえて問います。

「勇者君なら、もう旅立ったが?」

 まさかと思ったのですが、やっぱりそうでした。

 私は急いで村の出入り口である大門へと走り出します。

「忘れ物かね?!」

「ええ、まあ!」

 そのまま村長を置いてけぼりに私は走りました。それと同時くらいに、ぽつりぽつりと雨が降り出して、小雨を浴びながら走ることになります。

 間に合えば何を伝えようという事はありません。けれど、何故か彼を追い掛けないといけないような気がしているのです。

 笑顔で送り出すのか、それとも泣いて引き留めるのか、今のところ分かりません。私は、村長の娘であるポジションで、重要な役目のために走っているのだと思います。

 大門は村長の家からすぐです。門とは言っても、別に敵がやって来ることも無いので、開閉式の扉などはありません。二本の木柱が立っていて、一人兵士が居るだけです。

「イフェイオンさん!」

 私が声をかけると、その兵士がこちらに気が付きました。

「会いに来てくれたんですね!」

 イフェイオンさんは私のことが好きです。たぶん。とても嬉しそうに、っていうか「嬉しいな~嬉しいな~」と、言ってくださるところ、別の男の話題を出すのはかなり心苦しいのですが仕方がありません。

「あの、勇者さんはここを通って行かれましたか?!」

「え、あ……勇者さん?」

 案の定、ちょっとがっかりした表情をみせました。しかし、さすが兵士さん。きっちりと気持ちを切り替えて状況を説明して下さいます。

「勇者様なら、しばらく前にここを通って行かれましたよ。意気揚々と出発されましたが、なにぶん緊張されていたようなので、あまり会話などは出来ませんで……。勇者様がどうかされたのですか?」

「いえ、それだったらもう、大丈夫です……」

 遅かったのです。

 脱力した私を、抱え込む様にしてイフェイオンさんが支えました。門柱の向こうは森になっていて、紆余曲折の道で奥までは見えません。

「あそこはダメなんです」

「ダメ?」

「あの森は……正規のルートじゃ……無いんですぅ……」

 だんだん閉じられていく瞼によって、視界が完全な真っ暗になりました。それに、体が熱くて息苦しい。ゆらゆらと揺れる間隔があるのは、誰かに運ばれているのだと想像します。

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