第4話

 アスペルラ・タマクルマバソウ・オリエンタリス。それが勇者さんのお名前だそうです。私はメモに目を通しながら、ようやくこの呪文めいたお名前を口にすることが出来ました。それでも指を添わせながらでなければ、一音飛ばしてしまったりもしてしまいました。

 彼のことを紹介する時には、とにもかくにも彼が率先して名乗りたがりました。それに関しては、勝手にして下さいと私は一歩下がって見守ります。勇者さんの自己紹介後、村人たちの反応が「ん?」とか、「はあ?」とかなるのは百発百中でした。

 勇者さんは、自分の名前をたいそうお気に入りのようで、自己流を加えた異国言語ばりに名乗ります。それはネイティブと言えばそうなのかもしれませんが、早口であり、単語の切れ目が分かりにくく、聞き慣れないイントネーション。村人がぽかんとするわけです。

「えっと。アスペルラ、タマクルマバソウ、オリエンタリスさんです」

 手元のメモを音読し、私がカタカナ語で訳してあげました。

 まあ、訳してあげたところでも「えっと……」「アス……なんだっけ?」と、村人たちは困った顔になりました。ですよね、となりました。でも人の紹介をおろそかにするのも可愛そうかなって思って頑張りました。

 それでも村の人達は良い人ばかりだから、この勇者さんに対して「こっちの気候はどうだい?」とか「これ食うかい?」とか交流を図ろうとしてくれます。お客人をおもてなしするのは当然のこと。この村には美味しいご馳走や、可愛い動物たちもいます。せっかくの勇者さんに、色々なものを「試してごらん」と言いました。

 けれども勇者さんの性格には難がありました。たぶん極度の人見知り。

 和気あいあいとした交流が急激にフェードアウトし、皆が断念していくのを見るのは心が辛かったです。

「はぁ」

 私は隠れてため息をつきました。


 こぢんまりとした村なので、案内といってもあっさり終わってしまうものです。村人は十人しかいませんし、主要な建物っていっても六つしかありませんからね。

 全て回り終えた夕暮れ時。最後に宿屋を出てからは、のどかな牧草畑のわき道を、私と勇者さんで横並びになって歩いておりました。私は任務完了を知らせるために。そして勇者さんをお返しするために。私たちは村長の家に向かっています。

「旅人や馬車商人はさっきの宿屋で寝泊まりするんです。イフェイオンさんに許可を申請すれば宿泊費を半額にしてくれるって、ネメシアさんが言ってましたので、もしあれだったら行ってみたらいいと思いますよ」

 旅人さんに嬉しいプチ情報なんかもお伝えして、私はしっかり仕事を全うします。

「えーっと、あの宿はですね。もとはネメシアさん一人で営業されてたんですけど、馬車商人のピーマンさんが一目ぼれでご結婚されて、今は夫婦でやられているんです。宿屋ではピーマンさんがレストランを始められて、娘さんのナズナちゃんもお手伝いしてくれるんですよ?」

 でも勇者さんの反応はナシでして、しんと静まっているのは寂しい気持ちもありますが。

「……あの、ちょっと疲れましたか?」

 尋ねても、勇者さんは無言で歩くのをやめませんでした。

 渡り鳥の羽ばたきも良く聞こえる静寂でした。


 うーん。例えばなんですけどね。「今日は案内ありがとう、すごく助かったよ。たくさん歩かせてしまって悪かったね」とか? そうでなくても「この夕陽は綺麗だなぁ」でも良いんですけど。感謝の言葉や労いを言うなら、今すごく良いタイミングだと思うんですよね。

 今までの旅人案内であれば、半日同行すれば多少の会話は弾んだりするはずなんですけど。……ちらちらと勇者さんを横目で見ながら、そんなことを考えておりました。ロマンチックとは何ぞやと考えながら、完熟の夕陽をバックに無表情な勇者を見ておりました。

 この人の場合は、全くもって会話に発展しません。

「あともう少しで着きますから」

「……」

「あーあ。お風呂に入りたい」

「……」

 牧草畑の向こうの方に、村長の住処が見えてきました。あとは二人とも無言でとぼとぼと歩いて無事に到着です。


 村長というのは村の長であるくせに、ヤツの家は村の外れにあるという事を今日ほど憎らしく思ったことはありません。到着する頃にはすっかり夕が暮れてしまったではありませんか。

 私たちが足を踏み入れる広大な庭には、数々の花や木が生い茂り、よくよく手入れされています。村長は病的に植物が好きで、一日中いじくって遊んでいるのです。陽が出ている時刻なら、こちらのお庭はさぞ綺麗なのでしょうけど、今は夕やみで全く見えませんから、ただただ歩きにくいだけでした。

 そんなことにも、私のイライラは積もらされるのでした。

 奥にある建物は、ツタに蝕まれて苔だるまのように丸みを帯びています。窓の明かりと、煙突の煙と、辺りに漂う美味しそうな香りがありますが、村長が私共に夕食をもてなしてくれる気は絶対無いのだと知っています。

「これは私の肉だ。たかるでない」

 足元のツタを踏まないようにして歩きながら、いつの頃だか言われたセリフを真似て復唱してみました。

「……」

「さあ玄関ですよ」

 私はドアをノックしました。が、反応なし。何度かノックして呼びかけてもダメでした。シカトなのか気付いていないのか、そんなことはさて置いて、何故だか私はこの時点で急にキレたのです。(疲れのせい)


 セキュリティーの緩いこの村では、ドアにカギを掛けるという概念がありません。ですから私は村長の家のドアを難なく押し開けました。パキラやドラセナなどの観葉植物たちが、玄関部分にも所狭しと置かれています。

「さあ勇者さま! どうぞ中をお調べになってください!」

 ドアを開けたままで、中へ入ることを促します。

「薬草でも、メダルでも、コインでも、なんかの根っこでも。好きなだけどうぞ!」

 すると勇者はこくりと頷いて、颯爽と中へ入って行きました。その時の勇者さんの嬉しそうな横顔がちらっと見れたので、私もちょっと嬉しくなりました。

 しかし、心の中では鬼の笑みが隠し切れませぬ。『目には目を、歯には歯を』という言葉を私は知っています。さあさあ、やっておしまい!

 自身に起こった災害を、今度は客観視点でほくそ笑んでおります。

「おお、なんだ、なんだ、帰って来たのならノックを――」

 玄関の騒ぎに気付いた村長がキッチンから出て来たのと入れ違いに、勇者がキッチン内部へと足を進めて行きました。あらら、これは大変なことになってしまいそうな予感。

 ガッシャーン。

 ガシャッ。

 ザ。ザザザザザッ。

 ドンッ。

 パリィーン。地獄絵図の二の舞を、私は音だけで噛み締めます。


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◆勇者さん:始まりの村に訪れた『勇者』です。とても大切な人らしいので、VIPの扱いが必要です。とっても、とっても人見知りだとお見受け。口数が著しく少ないくせに、自分の名前だけは名乗りたがる不思議な人でした。見た目はぜんぜん勇者っぽくはありません。

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