第3話

 ぽかぽか陽気の風に、衣服やシーツがパタパタ揺れております。洗濯から脱水まで全て手作業というのは大変ではありますが、もともと自動洗濯機だと干すのをついつい後回しにして、しまいに忘れてしまう私。こうして手作業での方が、やりがいもあって個人的に合っていました。

 バーベナさんのチーズパーティーは今頃どうなっているのやら。そんなことは頭からすっかり消えてしまって、仕事終わりの私は大空に向かって両手のひらを押し出すのです。真っ赤に流れる血潮が生きている証しを私に教えてくれました。

ううーんと腰も伸ばし、次はさて何をしようかと――

「おわったかね?」

「ぎゃおぅあ!!?」

 自称二十六歳のこの私でも、ぎっくり腰になる可能性が無くはありません。気を付けなくては。特に後ろから不意に声を掛けられた時なんかは、どうにか対応したいものです。

 でも無理でした。腰から崩れ落ちていった私は、四つん這いから殺意の目で声の主を見上げました。言わずとも、にやにやしている村長が私を見下ろしているわけです。


「やあ、娘よ」

「帰ってくださいな」

 私はすぐさま目を逸らしました。「忙しいのです」とも言いました。

「パパに向ってそれは寂しいなぁ。今日は君を祝いに来てあげたのに」

「さっき首かしげてました」

「ん? なんのことかな?」

 これ以上この老人に話しかけるのはやめて、私は後片付けを進めました。けどそんな塩対応に屈するほどこの男は賢くないので、あちら側から話しかけてきました。

「ところで君、ちょっと頼みたいことが出来たのだ」

「……」

「ちょっと、この男に村の案内をしてやってくれないか」

 またか。という気持ちになります。

「なるほど残念です、私ではお役に立てそうにありません」

 私はあからさまにため息をついてやりました。それがつまり、もう関わりたくない。関わらないでくれ。そういう警告なのに村長は無効にしてきます。

「言っておくが、VIPの扱いでたのむぞ」

「だから無理ですって。アレを渡せばいいでしょう」

「渡す?」

「はい? とぼけないで下さい、アレです!」

 私は急激にイライラしました。これまでの経緯と苦労と努力を勢いに任せて説明します。それとなく嫌味もトッピングして分からせてやるんです。


「この村には時々新参者が現れます。そうするとあなたは、いつも決まって私のところに連れて来て「案内してやってくれ」と言いますよね。親切な私は良心で案内してあげるでしょう。見返りは求めたりしません。でもね。旅人は数日後、もしくは一日経たずして姿を消しますから、これいる? 意味なくない? となったわけですよ。結局、報酬も労いの言葉も貰えないボランティアなわけですから、放棄したって良かったんです。……でも私って偉いので、色鉛筆と折り紙を駆使して、素敵な村案内パンフレットを手作りしたんですよ。村人さんも似顔絵付きで紹介。イラストで分かりやすい超完全版(夏バージョンと冬バージョンの二部)です。四十枚くらい作成して村長に差し上げたと思うのですが、それを渡してくださいよ」


「あれれ、おかしいな、さっきまで居たのだが……」

 ちょっと私の話聞いてます? ……まあいいや。不必要に疲れてしまいました私は、この後ゆっくり本でも読んで、のんびり過ごそうと決めました。村長は人探しをしているようでしたし、なかなか見つからないみたいで大変そうでした。でも私には関係がありませんから、今のうちに退場すべく家に戻ろうとしたのです。

 ところがドアを開けて思わず硬直してしまいました。

 どうやら家の中から、ガシャリガシャリと音が鳴っていたのです。人間が持つ本能的なところなんでしょうか、すっごく嫌だと思わせる物音が屋内に蔓延っていました。イノシシか?! 熊か?! まさかドロボーか?! 音は扉の向こう。リビングからのようです。食糧庫にしてあるこの小部屋で、薪用のオノを手に取り構えておきます。

 脅かさないように、慎重に行った方が良いかもしれなかったです。もうすでに、勢いでドアを開けてしまった後でした。

 そうすると、大荒れのリビングの中央で知らない男が。まさにお砂糖のビンを頭上に掲げるところに遭遇しました。止める間もなく男は頭上から地面へビンを叩き落して割ります。音が鳴ってガラスは散り散りになり、中身が山を作って床の上にばらまかれる……。それをどうしたかって、その男が足で蹴散らしたのです。

 地獄絵図でした。


「あ、あの!」

 次の瓶を取られる前に制しました。停止した男と目が合い、しばらく見つめ合ってフリーズしておりました。こんな時はどういう風に声をかけるのが良いんでしょうか。「ごきげんよう。一緒に遊びましょう? それ、カッシャーン。ええい、パリーィン」とか、言えばいいと思いますか?

 目だけ動かして周りを見てみると、大荒れ模様が鮮明に映されます。小麦粉の袋は倒されているし、食器は割られているし、本棚は中身を全部引っ張り出されていて、いやだちょっとクローゼットまで開けられている……。

「ひどい……」

 相手のフリーズが勝手に解かれたらしく、男は別の瓶を頭上で掲げ始めます!

「ちょちょちょ、待って待って待って! いったんそれを置いて下さい! お、落ち着いて下さいよ! 目的は何ですか!? 食料ですか!? おおおおお金ですか!? い、いのちをとるなら、あれですよ?! わたしは、あんまりおいしくないですよ?!」

 人生において泥棒に入られた経験ナシ。大きな事件に巻き込まれたこともナシ。つまりこの手のピンチに免疫の無い私は今、いわゆるパニックを起こしていました。なんだか私がギャーギャー言うと、男はとりあえずビンを戻してくれます。そしてまた、私を見つめてフリーズ。

 男の様子は落ち着いています。今にも襲い掛かって来そうなギラギラ感は無く、むしろリラックスしているのではないかなと思います。

 眠そうにあくびをされました。こんな事態で。


 (私だけが)糸が張ったような緊張の中で「よいしょよいしょ」と、村長がやって来ました。勝手に家に上がって来るなんて許せないのですが、今は状況が状況ですので助けを求めましょう。

「……ああ、なんだ。こんなところに居たのか」

「帰宅しただけです。それよりこの人!」

「ハハハ、派手にやっとるようだ」

 愉快そうに笑うではありませんか。老眼では私の悲痛の表情が見えていないみたいです。だって普通こんな状況ではまず、家主である私、女の子である私、娘である私のことを心配してくれるものだと思うんですけど。今まで見た事無いくらいに楽しそうで、私の家をあれこれ見回して物色しています。

「……たすけてください」

「何をだ?」

 期待虚しく。村長は私を押しのけて中に入って行きました。決して安くはない小麦粉を蹴散らして、お気に入りの食器を蹴り飛ばして、大事な本を踏みつけて男の横に着くと、

「勇者くんに村の案内をしてやっておくれ」

 私に向かって言いました。この男のことだと分かるように、彼の肩をポンポンと叩くことで私に示したのでした。

 この次、男が初めて言葉を話しました。

「アスペルラ・タマクルマバソウ・オリエンタリスだ。」

 無駄にいい声でした。

「仲良くやるのだぞ」

「あー、はい……。……ん? えっとー?」

 私は、男の顔と村長の顔を交互に見ました。すごくすごく自然に事が運びそうになっているんですけど頭が追いつきませんで、すみませんが色々整理させてください。

「……村長、さっきのは何の呪文ですか? 今、彼が言ったんですよね?」

「これこれ、失礼なことを言ってはいかんよ」

 失礼と言われて私は押し黙りました。確かに客人に無礼を働いてはいけません。

 ところで一年間のスローライフにて、だいたい月に一人くらいの『旅人』を案内した私ですが、『勇者』が村にやって来るのは初めてのことだったので驚きました。というか、この村にやって来ては消えていくあの旅人たちのことを、イコール勇者なのだと勝手に思って過ごしていたのですが、あの人たちは本当に旅人だったようです?

「何を思い詰めた顔をしている?」

「いや、旅人と勇者って何が違うのかなって」

「それは君、求めるロマンが違うだろう」

 ロマン?

「女には分かるまい」

 それにまたムッとなりました。


 次に私は、村長の言いつけを丁重にお断りさせていただきました。家の中を荒らす害獣に、何を親切に村の案内などせねばならんのですか。そんな事よりも賠償金を出せ! と、詰め寄りました。が、この申し出を受理されることはまあ無くて、何かにつけて私に彼を案内させたがります。

「君、さっき『はい』と言っただろう」

「言ってませんって」

「いいや、言ったぞ? 君は言ったんだ」

「そんなわけありません。だって絶ッ対嫌ですもん」

 そんな言い合いをこの勇者の前で行いました。勇者はちょっとちっちゃくなった感じで俯き、口をはさんだりしませんし、内心すごく傷ついたかもしれません。でも、傷ついているのは私もおんなじですからね。私の大好きなおうちなんて大怪我ですからね。

「てか何者なんですかこの人は。素性くらいは教えていただけないと、一応私だって女なんだから同年代の異性と歩くのは怖いものです」

「君、自分が襲われることを恐れているのかね?」

 ぷふっ、と笑う村長に重度の侮辱を受けさせられました。

 それでまた、やいのやいの言い合うから、勇者はますます小さくなっていきます。話が逸れて逸れて……また勇者の話に戻るまで時間がかかってしまいました。

 だからつまり、それだけ勇者は勇者っぽくないし、彼はすぐに空気になるということです。

「勇者って言いましたけど、旅をしたり戦ったりする、あの勇者さんなんですか?」

 客人の前で失礼な事をずばり言い、私は彼をじろじろ見ます。

「そうだと言っているだろう。見た目通りであろう」

「見た目通りですかぁ……」

 駆け出し感が出まくっている身なりに、猫背で垢抜けないオーラ。色白で細身で影が差しています。(これは私のせいかも)勇者よりも野草売りの方がしっくりくると思いました。

「向いていないのではないですか?」

「君は……」

「あっ、まだ自分の殻を剥けていないのかなってですね」

 村長が私を叱っていて、勇者はますます小さく。もう半透明になっちゃったみたいになります。どうにか、どうにかフォローを入れたつもりだったんですが、逆効果だったかもです。

「彼はこれでも前世は勉強家であるぞ。この手の分野には詳しいのだ」

 言い終わってから「あっ」と村長が口に蓋をしました。その中で『前世』という言葉を私が聞き逃すはずありません。

 珍しく見知らぬ他人と仲良くなれる気がしたので、私は気まぐれに案内してあげようと腰をあげるのでした。

「そこの勇者さん、こちらへどうぞ。で、村長は私の家を元に戻しておいてください。余計なものを触ったり変えたりせず、前の姿のままに戻すだけで良いです。それが終わったら速やかに自分の家に帰ってください」


 勇者を家の外に連れ出してから、「いいですね?」と、最後に釘を刺しておけばオッケーです。村長は実は偉大な人物だったりしちゃうので、何とかしてくれるでしょう。

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