第二十八話「な!?」

 陽もすっかり高くなり気温が上がり始めた頃。

 モリオは養豚場の脇でひたすらにヘナの調合を行っていた。場主は調合されたヘナの入った器を運ぶ。


「これで豚が取られなくなるってのは本当なんだろうな? 嘘だったらもういっぺん縛り上げてラーンに窃盗犯で連行してやるからな!」

「保証は出来ませんがきっと上手くいくはずです」


 買い出しに行っていたミルが戻ってくる。


「モリオさん、言われていた植物はこれだけしかありませんでした」


 植物の入ったカゴをどさりと置く。

 ミルはモリオにヘナの材料となる植物の買い出しに行っていた。モリオが事前に作成していたヘナの量では足りないからだ。


「これだけですか」

「結構回ったんですけどカゴ一つ分しか……」


「残りの豚はヘナを薄めて使いましょう。色味が薄くなりますがしないよりはマシでしょう」

「はい。ところで、この植物をどうやって粉状にするのですか?」


「普段は自然乾燥させてからすり潰してますが、時間が無いので風魔法でカラカラに乾燥させます。ミルさんはあっちで塗るのを手伝って下さい」

「わかりました」


 モリオ達は総出で豚の染色を行っていった。


 陽が傾いて影も大きく伸び始めた頃。

 この養豚場の豚150頭の染色を終えた。モリオが一人で染めた50頭は色味が濃いが、残りの100頭はヘナを薄めた為色味が薄い。


 朝からひたすらに水魔法を使い続けたキュリは大の字で地面に倒れている。

 ダンやローレル達もぐったりと腰を下ろしている。顔や腕はヘナで汚れている。手に至ってはヘナによって真っ黒く染まっていた。


「モリオっちー。手が真っ黒なんだが」

「すいません。言うのを忘れてました。まあ、一週間もすれば取れます。色移りとかもしないので安心して下さい」


 せっせと後片付けをするモリオ。

 その様子をぐったりと目で覆うダンとローレル。


「いや。そういうことじゃなくてさ。――あー、疲れて喋るのもめんどくさ」

「同感だ」


「魔物退治の方が数倍楽な気がするぜ」

「ビヨウシというのはこんなにも神経を使うのだな。豚相手にこれだ。人相手だと気が持たんな」


「いや。原因はモリオっちだ。ただ塗ればいいだけなはずなのに、横からハケの持ち方がどうのこうの。塗布量がどうのこうのってこまけーんだよ」

「ま、言えてるな」

「あの、聞こえてますよ」


 その時村人の男が大声を上げて走ってきた。


「魔物が来たぞー! 皆隠れろー!」


 その男は村中に知らせるようにして叫んでいる。


「おいお前らも隠れろ! 今まで人を襲うようなことはなかったが念のためだ!」


 ローレルは急いでキュリを乱暴に担いだ。


「ふんぎゅ!」

「魔物が来たらしい! とりあえず小屋に隠れるぞ!」


 外にいた村人たちは一斉に家へ戻っていく。すぐに静寂が訪れて、聞こえてくるのは豚達の鼻音だけ。

 モリオ達は小屋に身を潜め、小窓から養豚場の様子を覗う。

 場主は祈るように両手を合わせている。


「頼むー、うちの豚は持っていかないでくれー」


 ミルは場主の肩に手を置いた。


「大丈夫です。モリオさんの作戦は上手くいきます」


 オレンジ色に染まる山の向こうに大きな影が上空を羽ばたくのが見える。

 翼開長が10メートル程もある大きな鳥の魔物。

 白い体毛に赤い鶏冠。羽は光の加減で奇妙に変化し、青や緑が混ざっている。大きな黒い足と垂れさがる二本の尾。


 規格外の大きさを目の当たりにしたモリオは声が出ない。


「モリオっちの読みは合ってたみてーだな。ありゃパド大陸にいるジェバロックだ。まさかこんなところで見るなんてな」


 これを耳にしたダンが慌てて小窓に近づく。

 好奇心からミルも恐る恐るひょっこりと覗く。


「ジェバロックだと!? Aランク級の魔物だぞ!」

「あの大きな鳥はそんなに凄い魔物なんですか?」


「ああ。戦ったことは無いが、昔冒険者仲間から聞いたことがある。こちらから手を出さない限り襲ってはこないが、敵とみなされた場合……」

「みなされた場合、どうなるんですか?」


「空中でおもちゃにされる」

「どういうことですか?」


「ジェバロックは風魔法を巧みに使う。まず上空に風で巻き上げられて身動きが取れないところを刃のような鋭い風魔法でズタズタに引き裂かれる。四肢が離れてもまだ地面には下ろしてもらえない。血飛沫と共にお手玉のように遊ばれる」

「……なんて残酷な」


 大きく鼻息を出すローレル。


「でもなんで渡ってきたんだ? 餌でもなくなったか?」

「それはないだろう。パド大陸は魔物の巣窟だぞ? 餌なんていくらでもあるはずだ」


 ジェバロックは村の上空を大きく旋回し始めた。

 ミルが場主に訊く。


「いつもこんな感じなんですか?」

「いや。こんなにぐるぐる飛んでたことは無い。いつもはガッと来てガッと掴んで持っていっちまう。なんだかいつもと様子が違うな」


 皆固唾を呑んで様子を見る。

 ジェバロックはしばらく旋回し、何もせず山の向こうへ戻っていった。


「おい。いなくなったぞ! 帰ったのか?」

「どうやらそうみたいだな」

「モリオさんの作戦が上手くいった!?」


 緊張の糸が切れたモリオは大きく息を吐いて肩の力を抜いた。


「上手くいったかどうかは分かりませんが、被害は出ませんでしたね。――警戒色が効果的だったとして、なぜ他の養豚場の豚を持っていかなかったのでしょうか?」


 ローレルが口を尖らせながら答える。


「きっとベヒモスキラーの集団力にビビったんだろうな。ベヒモスキラーは集団で襲う性質がある。ここの豚が蜂に見えてたんなら、もうここはベヒモスキラーの縄張り。そう思ったんだろう。ベヒモスキラーの縄張り争いは半端ねーからな。いくらジェバロックでも無理だろう」

「そうだと祈ります」


 帽子を被り直すモリオは背後から抱き着かれる。


「疑って悪かった! お前のおかげで豚が取られなくてすんだ! ありがとう!」


 肉厚な場主の熱い抱擁。モリオの細い体がくの字に曲がる。


「いだだだだ――まだ、安心するのは、早いですよ。いだだだ」


 場主はモリオを解放する。


「どういうことだ?」

「今回たまたま大丈夫だっただけかもしれませんし。念のため、残りの養豚場の人にも伝えて同じように縞模様にするのが良いと思います」


「確かに。全部がそのおっかねー蜂に見えたらいいってことだな!」

「はい。ヘナの作成に必要な植物と作成方法を教えますので、皆さんで共有して下さい」


「ありがてぇ。でもよ……報酬はだせねぇ。グエ村は裕福な村じゃない。細々と豚を育てて生活してる」

「報酬はいりません」


「なんだって!? 村を救ってくれて金はいらねーってどういうことだ!?」

「いいんです。でも一つお願いを聞いていただけませんか?」


 モリオはいつもの悪い顔になる。


「いいぞ! なんでも言ってくれ!」

「では。僕の欲求を満たして下さい! もう我慢できません!」


「な!?」


 と驚きの声を上げたのはミルだった。

 ダンは一歩下がって壁にぶつかる。ローレルは小さく口笛を吹いてにやける。キュリは寝ている。


 場主は覚悟を決めたように顔を赤らめた。


「村のためだ。仕方ねぇ。……畜生ぉ、初めてが男ってのはあれだが、村のためだ。そう、仕方ねぇことだ」


 モリオは首を傾げた。


「何の話をしていますか?」

「金はいらねぇ、だったら体で払えってことだろ? 覚悟は決めた! さっさとやってくれ!」


「いや」

「確かにここじゃ落ち着かねぇな、俺の家に行こう!」


 場主はモリオを軽く担ぎ小屋を出ていった。

 モリオの「え、なんですか!? え、ちょっと!?」という声を残してパタリと小屋の扉が閉まった。


 目をに開いたまま固まるミル。

 ローレルは優しくミルの肩にポンと手を乗せた。


「通りで落とせないわけだ。男色か。残念だったなミル」

「あわわわわわわわ」


 ダンがゴホンと咳ばらいをする。


「俺……この依頼断ろうかな。怖くなってきた」

「なに言ってんだよ。断るのはナシだ! 結構楽しい旅になりそうだしな! シッシッシ」


 不敵に笑うローレル。


「と。冗談はここまでにしてモリオっちを助けに行こうぜ! このままだとマジでヤバそうだ!」

「でででででですよね! お、おお男同士でなんて」

「冒険者には結構多いぞ」


「ダン、まじめな顔で言ってんじゃねー!」


 こうして無事グエ村の魔物事件は解決された。

 様子見のためモリオ達は二日程滞在したが、ジェバロックが豚を持っていくことはなかった。

 場主の誤解もローレルの必死な説得によって解消され、モリオは無事。新しい世界を開拓することにはならなかった。


 モリオの欲求は『美容欲』であり。カットなどの施術から離れすぎた際に起こる。

 解消のためにはカットなどを行う必要がある。そのため、報酬の代わりとして、村人のカットをしたかったのだ。


 村人達は初めて美容師の技術を受けて感銘を受けた。

 軽くなった頭。量を梳いたことによる乾きの速さ。見た目の変化。

 見たこともない髪を脱色する魔法。心地よい洗髪。


 そして村を出る日の朝。

 場主とバクウェルが見送りに来ていた。


「これを持っていってくれ」


 バクウェルは干し肉の入った大きな樽を一つ馬車に積み込んだ。


「気をつけてな! 向こうで美容師成功させろよ!」

「ありがとうございます!」


 モリオは固い握手を交わす。


「それじゃ出すぞ!」


 ダンの声でバクウェルと場主が馬車から一歩離れた。

 馬の鳴き声と共にゆっくりと走り出す馬車。


 バクウェルと場主はモリオ達の乗った馬車が見えなくなるまで見送り続けた。


「行っちまったな。最初は豚泥棒かと思っていたが」

「ああ」


「それにしても凄かったな。手がぼんやり光ったかと思ったら髪が金色だ!」

「ああ」


「それにあの鋏。見たことがない形だった。すげー切れ味だし、カットされてるときの音が心地よかったぜ」

「ああ」


「俺ぁよ、ちょっと考えたんだ」

「何をだ?」


「あいつは美容師ってのをこの世界で広めたいんだろう?」

「そう言っていたな」


「だったらよ、もっとカッコいい名前があるんじゃねぇーかって思ってよ」

「別に美容師ってもカッコいいと思うが?」


「いや、ダメだね。あいつは光と鋏を操る魔法使いだ。光鋏こうきょうの魔術師ってのはどうだ?」

「うーん。確かに冒険者の通り名っぽくて響きはいいかもな」


「だろ! 美容師って聞いても、何も知らないやつらは分からない。でも光鋏の魔術師なら名前からなんとなく連想できる」

「無理やりだけどな」


「世話になった恩人だ。俺はこの名を広げる努力をするぜ。お前も店に来た奴に吹き込んでおけよ!」

「ああ、覚えていたらな。――そういえばお前のその髪型、なんて言ってたっけ?」


「世紀末モヒカンだ! 金髪にしたし、なんだか強くなった気分だ!」

「まあ、似合っているな」


 金髪の世紀末モヒカンの店主とロン毛を昭和のアイドルヘアーにされた・・・二人は暗くなるまで語っていた。

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光鋏の魔術師 ななほしとろろ @nanahoshitororo

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