第二十七話「擬態」
夜が明けて清々しい風が流れる。鳥たちの囀りと朝露の香り。
各々が目を覚まして朝の身支度を始めた。
ミルは川へ向かって顔を洗い終えた。手にはモリオからもらったとぎ汁の入った小瓶。
疑いの表情で蓋を開けて少量手に取り顔へなじませる。
「本当に効果があるのかしら?」
背後から眠気眼のキュリがよたよたと現れた。
「ミルもそれやってるですか?」
「キュリちゃんおはよう。昨日頂いたので試しているところです」
キュリの手にはタオルととぎ汁の入った小瓶。
「モリオは意味不明なことをよく言います。でも嘘は付かないです。この汁を付けてから肌がツヤツヤでパンパンになります」
ミルはキュリの肌をまじまじと見る。
きめ細やかな肌。ハリとツヤ。モチモチとしていそうな頬。
ミルは思わずキュリの頬を指でつつく。
「ぷにぷにでとても状態がよさそうですね。ずっと触っていたい」
半眼のキュリはされるがままに頬を預ける。
「続けて損はないです。まあ、私はまだ若いのでミルには若さで勝ってますけどね」
「…………」
ミルは意地悪に頬をつねる。
「いだいです」
「その減らず口もつねって差し上げましょうか?」
二人が火花を飛ばし合っているとローレルが肩にタオルを掛けて来た。
「お前ら仲いいよな」
「「良くないです!」」
「うん。そうだな。……ところでモリオっちは?」
「モリオさん? 見ていませんけど、ダンさんと薪集めに出ているのでしょうか?」
「いや、ダンはさっき一人で薪集めに行った。てっきりこっちにいると思ったんだが。ま、いいか」
三人は洗顔を終えて馬車に戻る。
すでにダンが薪集めを終えて焚火で湯を沸かしている。朝食の準備である。三人の顔を見て首を傾げる。
「モリオは?」
「川にはいなかったぜ」
キュリとミルも首を傾げる。
その時、村の方から一人の男性が慌てて走ってきた。バクウェルだ。
ダンの所まで来ると膝に手をついて呼吸を整える。
「どうしたんだそんなに慌てて」
「お前の仲間に黒い帽子をかぶった奴がいたよな? ひょろっとした背の高い」
「ああ、モリオか。それがどうした?」
「なんだか訳の分からねえ事をしてるんだよ! 勝手に養豚場に入って豚に何かやってたんだ。豚泥棒だと思った主がとっ捕まえて縛り上げたところだ。ただ、どっかで見た顔だなって思ってよ」
ミルが一歩出て口を開く。
「モリオさんは盗みなんてしません! 何かの間違いです!」
「でもな嬢ちゃん、夜中から養豚場に忍び込んでたのは確かなんだ」
「そんな……」
ダンは昨日のモリオとの会話を思い出して苦い顔をした。
「ったく。迷惑を掛けたな。モリオは豚を盗んだわけではないだろう?」
「ああ。ただな……とりあえず来い、見たらわかる」
ダンたちはバクウェルの後を付いて養豚場へ向かった。そして、脇にある小屋に案内された。
用具入れとして使用されている小さな小屋。餌などが積まれ、真ん中に手と口を縛られたモリオがあぐらをかいている。横に養豚場主の男。
ダンはモリオを一瞥してから頭を下げた。
「申し訳ない。こいつは仲間の一人だ。連れていくから放してやってくれないか?」
場主は腕組んで鼻から息を漏らす。
「放してやってもいいが、まずうちの商品を綺麗にしてからだ。そこに水汲み用のバケツがある、川から汲んできて洗ってくれ」
話が見えないダンは問う。
「綺麗にって何をだ?」
「商品! 豚だよ。こいつは何か茶色い泥みたいなやつを豚に塗りたくってたんだ。ざっと数えて五十頭はやられた。よくもまあ一晩で五十頭も汚したもんだ」
モリオはもごもごと口を動かして暴れ始める。
「おい暴れんな!」
「待て、なにか言いたそうだ。こいつは訳もなく豚を汚したりしないはずだ」
「うるせぇ! こっちはただでさえ魔物に持っていかれたりして頭にきてるんだ! いくらバクウェルの知り合いでも綺麗にするまでは解放しない! わかったら早く綺麗にしてこい!」
ローレルがダンの腕を引く。
「このおっちゃんは相当きてるぜ、とりあえず豚を洗ってから話をしよう」
「しかたない」
ダンは後頭部を掻きながらバケツを手に取る。
ローレルはミルとキュリを連れて先に養豚場に向かった。
モリオはもごもごと口を動かす。
「豚はきれいに洗う。モリオの口だけでも自由にしてやってくれないか?」
場主は舌打ちをしてから乱暴にモリオの口に巻かれている布をはぎ取る。
「僕は村を救うためにやった! 豚を汚していたわけじゃない!」
ダンは毛ブラシを探しながら訊く。
「どういうことだ?」
「考えがあるんだ!」
先に養豚場に来たローレルとミル、キュリ。
この養豚場にいる豚の三分の一が泥のような物で汚されている。
「よし! キュリの水魔法でささっと終わらせようぜ!」
「豚さんにシャワーすればいいんですね!」
「私は豚を連れてきます」
ミルは慣れた様子で一匹の豚を誘導してキュリの前へ連れてきて豚の首元を押さえた。
「キュリちゃん!」
「いきますよー!」
キュリは両手を豚の方に向けて水魔法を放つ。シャンプー用のシャワー魔法。
高水圧によって豚に付着している汚れは簡単に剥がれ落ちていく。
そして全ての汚れを落とし終わる。
「あれ?」
「この豚さん……」
「なんだなんだ!?」
心地よい水圧で気持ちよさそうにしていた豚の表情を他所に三人は目を見開いていた。
「黄色と黒? 豚ってこんな体毛だったか?」
「シマシマの豚さんになったです!」
「モリオさんが付けた泥ってもしかして」
汚れの落とされた豚の体毛は黄色と黒の縞々模様。汚されていない他の豚は薄ピンク。
「違う豚の汚れも落としてみましょう!」
三人は二匹目三匹目と汚れを落としていった。そして現れる縞模様。
三人の背後から遅れてやってきたダンが声を掛ける。隣には解放されたモリオの姿。
「なるほど」
「良かった、ちゃんと染まったみたいですね」
「おいモリオっち! これはどういうことだ!」
「警告色です。この世界でもミュラー型擬態が通用するのではないかと思いまして」
「はあ? もっと分かりやすく言え!」
「では、この染められた豚は何に見えますか? この黒と黄色の縞模様が何かに似ていませんか?」
「このシマシマは……ベヒモスキラー?」
「そうです。昨日ローレルさんから聞いた話でピンときまして。大きさも似ているはずです」
「確かにこんくらいの大きさだけど、なんで同じ色にしたんだ?」
「はい。ベヒモスキラーは狂暴性と猛毒を持っているため魔物すら近寄らないと言っていましたね。鳥の魔物は上空からこの豚が何に見えるでしょうか?」
「ベヒモスキラーに見える」
「はい。僕はヘナを使って染色し、ベヒモスキラーに擬態させたんです」
「でもよ、クレイドラ大陸にはベヒモスキラーがいないぜ? いくら魔物でもバレちまうんじゃねーか?」
「それは鳥の魔物がクレイドラ大陸で育った場合ですよね? ローレルさんはこの大陸に大きな鳥の魔物はいないから渡ってきたのではないか、と言っていました」
「確かに言った」
「もしパド大陸から渡ってきた魔物なら?」
「ベヒモスキラーを知っている」
「はい。賭けの部分もありますが恐らくこれで豚は持っていかれなくなると思います」
縞々になった豚を撫でているミルが訊く。
「これがミュラー型擬態なんですか?」
「えーっと、厳密にはベイツ型擬態です。危険な生物の擬態をすることですね」
「ミュラー型擬態は?」
「ベイツ型擬態のモデルとなる生物たちが同じような姿をしているのがミュラー型擬態です。この世界でも、毒を持った蜂たちが皆同じような見た目をしているはずです」
「なんだかややこしいですね」
「はい。ただ問題はそこではなく、この縞模様が鳥の魔物に通用するかどうかです。成功すれば豚が持っていかれなくなる」
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