第12話 事実は小説より好きなり

 ――スマホを弄る手を止めて隣を見ると、先輩の真剣な表情が目に映った。


 今日は図書室の日。いつも通りに『先に帰れ』とメッセージを送ってきたので、いつも通りにここへやって来た。二人きりの空間に、先輩が紙をめくる音だけが響く。食い入るように活字を追う様子に、声を掛けるのは憚られて。


 そんな中、ふと興味が湧いて来た。先輩がこれほどに集中して読んでいる本の内容に。


 ちらり、と首を伸ばして邪魔にならないよう盗み見る――と。


「どうして真顔でエッチな本を読んでいるんですか!」


 バスタオルがはだけた状態の、あられもない姿の女の子が目に飛び込んでくるじゃないですか!

 いやいや、先輩とて男の子。エッチなことに興味があるのは仕方がないでしょう。そうでしょうとも。


 けれども、厳格な人格者たる先輩が公共の場である図書室で、エッチな女の子を舐め回している状況はダメです! 隣にわたしという者がありながら、失礼だと思わないのでしょうか!


「図書館で大声を出すな。非常識だぞ」


「図書館でエロ本を読んでいる先輩に常識を語る資格はありませんよ!」


 あからさまに呆れ顔になる先輩。呆れているのはこっちですからね?


「……ああ、そういうことか。ほら、よく見てみろ」


「ふぁ!? な、なななな、何を考えているんですか! 女の子にエッチな絵を見せつけるなんて、あまりにも性癖が狂っていますよ!?」


「指の隙間からしっかり覗き見しつつ、そう言われても説得力が全くないけれど」


「不可抗力ですッ!」


 だって、先輩が図書室に残って読むということは、当たりの本ということで。つまり本に描かれている少女は、彼の好みであることに疑いの余地がない。


 他でもない、先輩の趣味嗜好を知るチャンスを逃してなるものですか!


「まあいい。そのまま見ていろ」


 パラパラとページをめくり始める先輩。まさか、恥の上塗りならぬ性癖の上書き!? もう露出狂と言っても過言ではありませんよ!?


 なんて考えながらも、先輩のタイプを見逃さないよう強かに見開いていた目に次々と飛び込んできたのは、予想に反して女の子のあんな姿やこんな姿ではなく。


「……本?」


「ご名答。君、ライトノベルって知っているか?」


「……ライトノベル? 小説が光るんですか?」


「そんな訳ないだろう。常識的に考えて」


「流れるように馬鹿にしないで下さい。なんだかわたし、どんどん馬鹿になってきている気がするんですから」


「そうか。悪かったな。金輪際、君を虐げるようなことは言わないようにする」


「え? あ、いや、その……それはそれで張り合いが無くなると言いますか。まさか真に受けられるとは思ってなくてですね……」


「つまり?」


「あーうー……まあ、なんというか……虐められるのも嫌じゃないですし……じゃなくて! 意地悪じゃない先輩なんて先輩らしくないですから!」


 何を口走ったわたし!? 滅茶苦茶恥ずかしいこと言った気がするんですけど!?


「君、良い趣味しているな」


「どうもありがとうございますッ!」


 恥ずかしい。超恥ずかしい。ちょうど手で顔を隠していてよかった。絶対に真っ赤になっているし、こんなの先輩に気づかれたら――


「耳まで赤くなっているぞ。そんなに恥ずかしがることないだろうに。誰しも特殊な嗜好の一つや二つを胸の内に秘めているものだ」


「いつになく丁寧にフォローすると見せかけて、心を抉らないで下さいよぉ! ほんっとうに、性格悪いんだからぁ!」


 あーもう、最悪! ちょっと喜んじゃってる自分がいるのも嫌!


「あたかも僕が一方的に悪だと言うけれど、本質的には君が原因なんだからな?」


「……どうしてですか」


「慌てた様子が可愛すぎるから」


「ふぇあっ!?」


「で、光る小説についてだけれど」


「軽ッ!? もうちょっと余韻に浸らせて下さいよ! やり直しを要求します!」


「前向きに検討しよう」


「それ絶対に実現しない奴じゃないですかぁ!」


 わたしの反抗も何処吹く風といった様相で、先輩は淡々と言ってのける。

 くう~、悔しい。いつかは絶対に鉄仮面を引き剥がして、感情をむき出しにさせてやりたい!


 わたしの心中なんていざ知らず、いやいや知られても困りますけれど、先輩は本を閉じて説明を始める。


「ライトノベルのライトは『軽い』方。端的に言えば手軽に読める小説だ」


「確かに、先輩が普段持っている本より薄いですね」


「ピンキリだけれどな。テンポよく進むから、この本も二時間くらいで読める」


「ほうほう。ちなみに、どんなお話なんです?」


「簡潔に説明するなら、ラブコメの皮を被った人間ドラマだな。興味があるなら、持って帰るか?」


「う~ん、そうですねぇ……」


 本を読むという行為にこれっぽちも触れてこなかったので、少なからず尻込みしてしまう。


 借りてしまうと読まない訳にはいかないだろうし。いやでも、先輩が本を薦めるなんて初めてのことだから、断るのはもったいない気も……


「……ま、無理強いはしない」


 なかなかに決断しない様子を見かねた先輩は、誰にでもは分からない程度に、僅かに視線を落とした。

 ……まったく、そんな風にされたら選択権なんて無いじゃないですか。


 私は先輩の手から小説をひょいっ、と取り上げる。


「献身的でキュートな後輩としましては、先輩の厚意を無下にするわけにはいきません! なので、お借りしますね」


「そうか」


「そうなのですッ!」


 たった一言、ぶっきらぼうに聞こえる言葉でも普段より嬉しそうなニュアンスが感じられて。浮世離れしている先輩でも趣味を共有したいと思うことがあるんだなと、今更ながらに知った一面が新鮮で。


 その相手にわたしを選んでくれたことが、その程度のことが、どうしようもなく嬉しくて。


「すぐに読みますから、感想戦を楽しみにしていてくださいね!」


「ああ、そうするとしよう。けれど、ひとまずは本を返せ。あと少しで読み終わるから」


「い~や~で~す~。もう借りちゃいましたから。結末はわたしが懇切丁寧に教えてあげます!」


「止めてくれ。君の語彙力では寸分も伝わらないのが想像に容易い」


「あ! また馬鹿にしましたね!? ぜっっっっったいに返しませんから!」


「借りパク宣言とはいい度胸だな」


「ふっふっふ、先輩の物はわたしの物です!」


「なるほどな。それはそうと、飲み終えたペットボトルがあるんだが……」


「ナチュラルにゴミを押し付けようとしないで下さいよ!」


 その後、下校時刻を告げる鐘が響き渡るまで、わたしたちは図書室に残っていた。

 結局、先輩が小説のラストを読むことはなかったけれど、ね。

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