第10話 不公平な時間
「それで、君がどうしても来たかったのがここか?」
『ドキ☆ドキ♡あなたにみんな、首っだけ♪』とポップなデザインで描かれた看板を前に、流石に先輩も驚きを隠せないようだ。
「あれれ~、どうしました? もしかして怖いんですか? 先輩ともあろうお方が?」
「……このスケールの大きさには、少なからず恐れているかもしれないな」
私たちは今、日本有数のお化け屋敷に来ている。文字通り、
「ホラー好きのお金持ちが廃屋を買い取って改造したらしいですよ」
「なるほど。酔狂な人もいるもんだ」
眼前にそびえ立つ屋敷は蔦まみれで窓ガラスはところどころが割られており、この上なくいかにもな雰囲気が溢れ出ている。当然ながら窓は内側から封鎖されていて、中の様子を窺うことはできない。
「それにしても、休日のわりに人が少ないな」
「場所が場所ですし、オープンも結構前ですからね。今となっては物好きさんしか来ないんでしょう」
「ふむ。ちなみになんだけれど、君ってホラー好きだったっけ?」
「ふぇ⁉ も、もちろんですよ~。何言っちゃってるんですか先輩は!」
本当はちょっぴり苦手だ。けれどお化け屋敷といえば、普段冷静な人が取り乱す定番スポット! 特にここは怖すぎて倒れる人が出るほどの恐怖が味わえるらしい。いかに先輩であれ、きっと怖くて……その、わたしにしがみついちゃったりすること間違いなし!
ふふん、完璧な計画だ。それにわたしは今日の為にホラー映画を見て耐性をつけてきた! あんまり怖くないと評判のものを選んだけど、結構怖かったんだよな~。
「さ、受付を済ませて入りましょう。あ、どれだけ怖くてもリタイアしないで下さいよ?」
「ああ、望むところだ」
――数十分後。
「もうやだぁぁぁぁぁぁ! わたし帰るうぅぅぅぅ!」
「リタイアは無しだぞ?」
「先輩の鬼! 悪魔! 鬼畜!」
ほんと無理無理無理無理! 何これ、何なのこのお化け屋敷⁉ どうして何もなかった場所に生首が出てくるの⁉ しかも動くし!
――ガタッ。
「ひっ⁉」
「何の音だ?」
「ちょっと先輩! 懐中電灯向けちゃ駄目です! 奴らの罠にまんまと引っ掛かるなんて馬鹿ですか⁉」
「……来る時は『演出は全部見ないといけませんからね』とか言ってなかったっけ?」
「誰ですか、そんなふざけたことを抜かす輩はッ⁉ わたしが成敗してやります!」
「確かに、成敗されているような状態ではあるな」
「ちょっと何を言っているのか……って、だから光を向けないで――」
そして目に飛び込んでくる、さっきまではなかったはずの、血の手形が、無数に……
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
思わず先輩にしがみついていた腕に、さらに力が加わる。
「ほら言ったじゃないですかぁ! 馬鹿ですね? 馬鹿なんですね⁉ もしくは運営の手先ですか⁉」
「……ふっ」
「どうしてこんな状況で笑えるんですかぁぁぁぁぁぁ!」
「いや、かわいいなと思って」
「ふぇあっ⁉ そ、そんな言葉で誤魔化そうとしたって、そうは問屋が卸しませんからね⁉ せめてあと十回は言わないとダメなんですからっ!」
「お、あそこにも何か――」
「やーめーてー!」
怖がる私を引きずりながら、先輩はRPGよろしく屋敷内をくまなく探索する。体感的には館内を数往復はしたんじゃないかってくらいの長い時間が過ぎた。
これが相対性理論というのもだろうか。アインシュタイン、許すまじ。
「ほら、もうすぐ出口だぞ」
「……あ」
進行方向に現れた、真っ暗な空間を切り裂く強烈な光。
「ほら、一刻も早く出ましょう! はやくはやく!」
「ちょっと待てって」
そう言って一人で小走りに進む私の手を掴んで止める先輩に振り返ると、
「……え?」
そこには、血まみれの誰かが――
* * * * * *
「……ここは」
「気が付いたか?」
「あれ、せんぱい?」
わたしを覗き込む先輩の顔が視界一杯に広がった。赤く染まり始めた大空を背景に。つまり……膝枕?
「ご、ごめんなさい!」
「急に起き上がろうとするな。まだ顔が青白いから大人しくしていろ」
上半身を持ち上げようとした私を膝の上に押し戻し、そのまま頭を撫でられる。
気持ちいいような、むず痒いような、なんとも言い難い感覚。
「やっぱり怖いの苦手だったんだな」
「……はい」
「それなのに、どうしてここに連れてきたんだ?」
「それは――」
建前としては、先輩を怖がらせたくて。
本音としては、先輩と一緒に居たくて。
「……練習……そう、練習です! 苦手なことをそのままには出来ないので、克服のために来ました!」
「そうか、それは立派な心掛けだな」
「ふふん、惚れ直しましたか?」
「ああ、君となら今すぐにでも付き合っていい」
「ふぇ⁉ な、なに言っちゃってるんですか⁉」
「お化け屋敷に、だけどな」
「なあっ⁉ 先輩の鬼! 悪魔! 鬼畜!」
顔が熱い。きっと血色は戻っている。それでも、その事実にはお互い触れないまま軽口を叩き合う。
けれど永遠に続けばいいのにと思う時間は、いつもあっという間に過ぎてしまって。
――やっぱり相対性理論なんて大嫌いだ。
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