第5話 初陣

 制服姿に戻り公園を後にした佐京さきょう達は、ブランに案内され町を走る。息を切らしながら辿り着いたのは、和風洋風混ざる住宅の片隅にある寂れたとある一軒家。シンプルな門扉や壁には鬱蒼うっそうとした植物が生い茂っており、登校の途中で前を通ることはあっても、それ以上近づこうとは思わない場所だった。


「このあたり、だね」


 ブランが高い声を響かせて小さく手を振ると、佐京達を取り囲む風景が妙なものへと変化した。何も無いところに浮かび上がる切れ目、その先には、佐京さきょうがつい昨日目にした妙な空間とよく似た場所が広がっていた。周りに続いて足を踏み入れると、床にデタラメな線が引いてあるため、足場がやたら不安定に思えた。ぐにゃぐにゃと曲がって見える建物も相俟って佐京さきょうは思わず眉をひそめた。目がチカチカしてしまいそうである。


「変な場所……それに、目が疲れそう」

佐京さきょう、平気か?」

「あー、うん、平気。しっかし、なんでここってこんな変な風景なわけ? さっきは一面真っ白だったのに……」

「えっとそれは……だな……」


 こちらを気にかける恒良つねながを心配させまいと言葉を返して、景色に言及する。

 佐京さきょうの脳裏にあるのは、先程訓練―といえるほどなにもできなかったが――の際に立っていた空間である。あそこはどこを見渡しても真っ白だったのに、ここは風景が異様で不気味すぎる。この差はなんだと戸惑いながら言葉を投げかけると、彼は返答に詰まってしまったが、近くにいた由衛ゆえが恐る恐る口を開いた。


「あ、あの、さっきはブランさんが自主的に張った結界ですけど、今回は外にできた魔獣の拠点に入ってるので……さっきのとは、また、違ってて……」

「あ、あぁ、そうなんだ。なるほど、ここはもう敵の縄張りなのか。……なんとなくわかりました。ありがとうございます」

「い、いえ、こちらこそすみません、勝手に話に入ってしまって…………」


 おどおどした様子の由衛ゆえが突然話に入ってきたことには驚いたが、説明を聞いてなるほど、と頷いた。同じ『結界』に見えても何もかもが違うのだと分かれば、この雰囲気の差にも納得が行く。由衛ゆえに拙くも礼を述べれば、彼はどこか慌てた様子ながらも頭を下げた。

 しかし、由衛ゆえの説明を理解した佐京さきょうは、反射的に冷たいものを感じる。何故なら、今、自分は敵地に乗り込んでいて、見たことも無い魔獣と戦おうとしているのだと実感してしまったからだ。

――魔獣、って……どんなんなんだろう……俺、勝てるのかな。

 現状、佐京さきょうには頼れる先輩が4人もいるとはいえ、佐京さきょう自身は初心者だ。しかもこれはソーシャルゲームでもFPSでもない。自分で動くのだ。スマートフォンやコントローラーを操作するのとは訳が違う。そう考えると、心や足取りが重くなる気がした。とはいえ、いつまでも突っ立っている訳にはいかない。とりあえず胸の内で『変身』と呟き、手元に収まったメイスの柄を握りしめた。ひとまず変身だけは自然と出来るようになったらしくそれだけで少しほっとした。

 恒良つねながに気遣われながらも、それぞれ装備を整えた4人と共に魔獣の気配がする方へと向かう。先頭には飛永ひながとブラン、後方には光廣みつひろ。他3人はその間という縦長の形で、白線がうごめく地面の上を進む。


佐京さきょうくん大丈夫? 歩きにくいとか、怖いとか、ない?」

「あ、大丈夫です。ちょっと、模様のせいで歩きにくいけど、割と平気です」

「そう? ならいいけど、佐京さきょうくんこれが初戦なんだから、無理しなくていいからね」

「は、はい……大丈夫、です! ありがとうございます!」


 薙刀を両手で持ちながら、気遣わしげな面持ちで佐京さきょうを覗き込む光廣みつひろに、心配ご無用とばかりに微笑んで進んでいくと、ふと縄張りの壁に蜘蛛の巣が張られているのが見えた。しかもそれは結界内部を進むほどに増えていく。敵地の奥へと侵入しているというのは明らかであり、更に、ここの主が蜘蛛であると主張しているようだった。

――ここは……蜘蛛の拠点? だよ、なぁ。

 小さいとはいえそこらじゅうに張り巡らされた蜘蛛の巣に魔獣との距離を実感していると、足元をカサカサと何かが通った。嫌なものを連想させる音につい床を見ると、そこには佐京さきょうの掌くらいの大きさの蜘蛛が鎮座していた。少々扁平気味な胴体部分と、それよりやたら長い八本の足。そして、複数個並んだ丸い瞳がじっと佐京を見上げる。


「ヒッ――」

「あ、魔獣の手下だ。――えいっ」


 普段滅多に見ない大きさの蜘蛛に思わず体を硬直させた佐京さきょうだったが、蜘蛛に気づいた光廣みつひろが、えいっ、という可愛らしい掛け声とともに薙刀を振るう。同時に力強い旋風が巻き起こり、体を引き裂かれた蜘蛛は耳障りな声を発して消え失せた。蜘蛛の鳴き声など聞いたことは無いが、この場合は別なのだろう。

 たった数秒の間に起こった目の前の光景に、暫し呆然とした佐京さきょうは思わず感嘆の声を漏らす。


「すごい……」

「そうかな? へへ、ありがとう」


 柔らかく瞳を細めた光廣みつひろは、警戒を解くように刃先を下げたあと、辺りを見回し口を開く。


「今のは『魔獣の手下』だね。単に『手下』とも呼ぶんだけど、これが出てきたってことは本体の魔獣は近いよ」

「……っ、これ、えっと、倒していいんですか」

「もちろん。言わば敵なんだからどんどん倒して、手下にも慣れて。佐京さきょうくんは初心者なんだから、深く考えずにメイスでどんどん殴っちゃっていいよ」

「あ、はい……」


 優しげな面持ちから発された少し物騒な言葉ににわかに驚きつつ、佐京は足元にやってきた先程とは別の個体の蜘蛛を視界に捉える。またもや少し驚いてしまったが、呼吸を整えメイスを構える。緊張から鼓動はバクバクと激しく脈打ち、掌にも多少の汗を感じたが、害虫退治と同じだと自らに言い聞かせて一思いに振り下ろす。鈍い音を響かせて見事に命中したそれは、蜘蛛の胴体を殴打し、直後、もろくも二つに裂けた蜘蛛は、甲高い悲鳴とともに霧散する。


「っ! ……やった……! やりました!」

「凄いね、おめでと」

「あ、ありがとう、ございます。……これくらいなら、俺にも、できそう……!」


 消失した手下を見て、見事倒したことを確かめた佐京さきょうは、小さな達成感も喜びに身を押し浸す。光廣みつひろも笑顔を見せてぱちぱちと手を叩き佐京さきょうの奮闘を讃えた。


「……っと、それはいいけど、ひーくん達とは距離ができちゃったね」

「あっ、ほんと、ですね。すみません、俺のせいで」

「ううん、大丈夫。ひーくん達とはちゃんとこっちでやり取りしてるから」


 光廣みつひろに褒められくすぐったい気持ちを抱いていた佐京さきょうだったが、彼の言葉で我に返る。確かに周りに目を向ければ周囲にいるのは蜘蛛の形をした手下のみで、飛永ひなが達三人の姿はどこにも見えなくなっていた。そう思うと突然罪悪感に襲われ気持ちがしおれる思いがするが、こちら反応とは裏腹に光廣みつひろは明るい調子である。


「別に佐京さきょうくんや恒良つねながくんが取り残されてるわけじゃないからいいよ。大丈夫大丈夫。――っと、ひーくん、そっちどう?」


 光廣みつひろが虚空に呼びかけた直後だった。佐京さきょうの頭には全く同じ声色で光廣みつひろの声が響き、そのワンテンポ遅れて飛永ひながの声がこだまする。


『みっちゃん、佐京さきょうくん、そっちはどう? こっちは数百メートル離れたところで手下に囲まれてる。まだ本体は影も形も見えてないよ。なかなか厄介かもしれない』

飛永ひながさん……」

『そっちも? こっちも周りに結構使手下がいるんだよね。さっき、二体ほど僕と佐京さきょうくんで倒したけど、気づいたら何十匹もいる。囲まれちゃったかも』

『そっか。なら、そいつら倒して追いついてきて。僕も由衛ゆえくんと恒良つねながくんとなんとか頑張るから』

『うんわかった。じゃあ、あとでね』

「あ、俺も、頑張ります」

『うん、みっちゃんとなら多分大丈夫だから、頑張って。それじゃ』


 飛永ひながの言葉を最後に、頭の中に響いていた声が途切れる。先程の話から恒良つねながも恐らく無事で、手下相手に奮闘しているのだろう。ならば自分もやるしかない。幸いにも頼れる先輩がいるのだし、手下の蜘蛛はもろいことも理解したのだから、過剰に怯えるよりもゲームのような感覚で奮戦する方がいいだろう。

 佐京さきょうは、よし、と気合いを入れ直してじりじりと距離を詰める蜘蛛の大群へメイスを振り下ろした。


「せいっ! えいっ!」

《ギュイッ》《ピギャッ》《ピピッ》

「これ数多いな。ってかなんでこんな変な声なんだよ」

「手下って結構変な鳴き方するんだよねぇ。さて、僕も頑張らないとね」


 光廣みつひろは、薙刀を構えて複数匹を纏めて薙ぎ払う。軽い動作に見えてその実力強い斬撃はあっという間に蜘蛛を吹き飛ばし、佐京さきょうも天井から襲い来る蜘蛛を、野球のバットで打つかのように振り抜いていく。光廣みつひろも、自らを捕らえようと放出された糸を切り、胴体を貫く。


「はぁ……数が多い! やっぱり一点突破で切り抜けた方がいいね」

「はっ、はい」


 目を尖らせ長く息を吐いた光廣みつひろはそう言い切ると、上段に構えた薙刀を勢いよく振り下ろした。すると、刃先と地面から勢いよく波が発生し、手下の群れをざぁと押し流す。


《ピギャァアッ》《ギュィイイ》

「ごめんね手下くん達」

「すげぇ、いかにも水の魔法っぽい……!」

「でしょ。あ、こういう技は味方にも効いちゃうから気をつけてね。多分これは濡れるだけで済むと思うけど」

「はっはい……」


 わかりやすい魔法攻撃に高揚し目を輝かせた佐京さきょうだったが、静かな警告にはっとして足元を見る。幸い水しぶきはこちらに来ておらず、安堵して距離を置いた。

 それから、困ったような面持ちながらも光廣みつひろは何度も波を起こし、水から逃れた蜘蛛も見事に切り裂いた。佐京さきょうも負けじと必死にメイスの先で押し潰すが、結界の壁から無限に沸きキリがない。肩を上下させながら殴打で地道に撃退し振りほどき走り抜けるが、蜘蛛達はカサカサと音を立てて集い、黒いさざなみのように二人を襲う。


「うわ、これ気持ち悪っ! なんで、なんでこんなに追ってくるんだよ!」

「手下達は魔法使いの魔力を狙って付き纏ってくるんだよね。一体一体に大した攻撃力はないんだけど、人海戦術みたいな感じで無限に出てきて攻めてくるから、鬱陶しいんだよねぇ。……あ、そういや佐京さきょうくん、集合体恐怖症とかそういうのは大丈夫?」

「べっ、別に、恐怖症は……ない、ですけど、だとしても、気持ち悪すぎます!」

「だよねぇ。というか大丈夫? 疲れてきた?」

「いっ、いえ、だっ、大丈夫、です……!」


 全力で腕と足を動かし、ぜぇぜぇと息を切らし声を荒らげて言葉を返す佐京さきょうに、光廣みつひろは眉を下げて苦い笑みを浮かべた。


 何度も光廣みつひろの水魔法で群れを押し流し走ること数分。飛永ひながから聞いていた数百メートルよりも遥かに長く感じられる距離を移動した頃、漸く見えたオレンジや緑、黄色の人影に、佐京さきょうは思わず顔をほころばせた。その影に気づいた光廣みつひろも大きく手を振り呼びかける。


「おーい、ひーくん!」

「みっちゃん! 佐京さきょうくん! よかった、なんとかいたんだね」

「うんうん。もう、数が多くて大変だったよ〜。僕もちょっと疲れたし、佐京さきょうくんなんて息切れしまくってるし」

「あぁ、ホントだ。大丈夫?」

佐京さきょう、大丈夫か?」

「あ、あぁっ……はぁ、だい、大丈夫……デス……てか、恒良つねなが達も、無事で、よかった……」


 無事合流し、明るい調子で会話する飛永ひなが光廣みつひろの一方で、へろへろになりながら辿り着いた佐京さきょうは膝に手を置いて荒く呼吸を繰り返す。

 不安げな面持ちで声をかけてきた恒良つねなが――彼も多少息を乱しているようだ――になんとか言葉を返し、心配そうに見守る由衛ゆえにも目線を向け下手くそな笑みを見せると、彼はほっと安堵したように顔を緩めた。

 

「っはぁ、これ、変身したら、身体強化されてんじゃ、なかったのかよ……」

「シンタイキョウカはされてるよ? でもタイリョクは基本そのままだよ」

「マジ、かぁ……」

「だからその、俺は最近放課後に走りに行ったりしてるんだ。佐京もどうだ?」

「……やるわ……こんな程度で、はぁ、へばってたら戦うとか無理なんだよなぁ……」


 ブランの言葉に愕然し恒良つねながと今後の約束を取り付け、飛永ひなが達と分かれてからの経緯を聞く。数分とはいえ立ち話をするならば、とドーム状の防御壁を張って口を開く。どうやら別行動になってから飛永ひなが達も随分と苦労したらしい。大量の蜘蛛の群れに襲われかなりの距離を移動し、その結果、当初言っていた数百メートルから大幅に距離が伸び、佐京さきょう恒良つねながのスタミナが大きく削られる羽目になった。


「――と、まぁ、そんな感じ。恒良つねながくんはちょっと疲れたみたいだけど、魔力は普通に残ってるはず。俺と由衛ゆえくんもそこは全く問題ないよ」

「こっちもかな。僕、結構波出したけどまだ余裕あるし、普通に魔獣叩きにいけると思う」


 光廣みつひろの報告を聞いた飛永ひながは、一瞬考えた後ぴんと指を立ててこのまま魔獣の元へ向かうことに決めた。その魔獣は、飛永ひながが目を向けた先の扉――とは言い難い薄気味悪くボコボコとうごめく膜の奥――にいるという。

 見た瞬間寒気すら感じるようなそのものに思わず佐京さきょうの身がすくんだ。


「サスガにあんなトビラはびっくりするでしょ? ダイジョウブ?」

「えっ、まぁ、気持ち悪いしびっくりはするけど、通るしかないんですよね? なら、行きますよ。平気です……」

――正直ゾワゾワするけど、ここで逃げる訳には行かないもんなぁ……。

 胸の内で少し弱音を吐いたが、なんとか平静を装ってブランに返すと、相手はへぇ、と目を細め、飛永ひながは指を弾いて防御壁を解除すると次の行動を促した。


「じゃあ早く行こうか。恒良つねながくんと佐京さきょうくんはとりあえず魔獣の周りにいる手下の退治に専念して。本体は俺たち三人でやるから」

「はい!」

「わかり、ました」


 飛永の指示に力強く返事をした恒良と対照的に、弱々しく返した佐京は、自分に気合いを入れ直すようにぺちぺちと頬を叩いて、魔獣本体の退治へ赴いた。

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モノクロウィザーズ 不知火白夜 @bykyks25

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