2粒目


「青空、陽射し、入道雲。全てが本格的な夏の到来を思わせる、心躍る熱い季節の始まり」


「いやいやそんなポエム的回想いらないから」


「丁度、体育の授業が終わった後の事だ」


「無視かよ。もう良いよ聞くよ」


 何事もなかったように。何故か若干のドヤ顔で名塩なじおは続ける。


「あの頃の体育は、男子は柔道、女子はダンスだったろう。俺は根が真面目だからな、当然授業にはいつも全力だ。そして夏だ。つまり、授業後の俺は大量の汗をかいていたんだ」


 名塩の汗腺はきっと常人の数倍あるのだろう。冬でも熱めの食事を摂ると、尋常ではない汗をかく名塩。体質だから、こればかりはどうしようもない。


「それでだ。当然ウチの学園にシャワーなんぞ気の利いたものはない。だから俺はタオルで汗を拭きつつ、制服に着替えて教室に入ったんだ。すると」


「すると?」


「クラスで一番人気の淡路あわじ嬢が、俺の汗を見て言ったんだ。『どうしたの名塩くん、汗すごいよ』と、笑いながらな。彼女はおもむろにバッグに手を伸ばすと、制汗スプレーを取り出し俺に向けた。彼女が『手を上げろ』と言ったのと、俺にそれを噴霧したのはほぼ同時だった。そして彼女は笑ったんだ。『どう? これで少しは涼しくなったかな?』と──」


「くぅー! お前の苦しみ、痛いほど良くわかるぜ、名塩ォ! どんな気持ちだったか、言ってみろ!」


「──撃ち抜かれた。俺のハートを完全に。残ったものはただひとつ。透き通るように甘酸っぱい、フレッシュグレープフルーツの香りだけ……」


「恋に落ちる瞬間かよ! 聞きたくないよそんなの! それにそれ制汗剤の香りだからな!」


 僕は思わず突っ込むが、名塩は深い回想のまま、恍惚の表情でこちらに戻ってこない。完全にイッてしまっている顔であり、そしてやはりアホである。

 どこかに意識が飛んでしまった名塩の代わりに、話を進めたのは加西かさい。頼んでない。


「恐ろしいだろ、三木みきィ? あいつら女子は、平然とナチュラルにオレたちのハートを蹂躙するんだ。防御あたわずとは、まさにこの事だぜ」


「いやいや。それって普通に淡路あわじさんが素敵な人って話なんじゃ……」


「違う! いいかよく聞けッ! 淡路はなぁ、彼氏持ちなんだよ! 二組にサッカー部のエースの白川しらかわっているだろ? あのクソイケメン野郎だよ。あいつが彼氏なんだよ!」


「あぁ、それって有名な話だよな。本人たちは否定してるらしいけど、美男美女カップルって言うか、まぁ納得だよ」


「そんな彼氏がいるのによォ! 名塩にコナ掛けるようなマネしやがって……許せねぇ!」


 何故加西が義憤に燃えているのか。僕には理解できない。いや待て、もしかして加西にも、同じような経験があるのだろうか。あるのだろうな。

 仕方ない、ここは聞いてやろう。なによりこの会話を早く切り上げたい。


「名塩のことはわかったよ。まぁなんて言うか事故だな、それは。それで? 加西は誰にどんなことされたのさ。ついでだから聞くよ。聞いて欲しそうだし」


「よく言ってくれた、三木! これは聞くも涙、語るも涙のエピソードだ。あれは、木々が深く色を染めだした十一月、深まりし秋の出来事だった……」


「だからそのポエム回想いる?」


「まぁ聞けよ。オレは寒さに耐性がある。小学生の頃は、冬でも半ソデ半パンで街を駆け回っていたものさ」


 あぁ、居たなぁそう言うヤツ。加西の小学生時代については毛ほども興味はないが、ここはまぁ頷いておこう。その方が早そうだ。


「この学園は、知っての通り衣替えがねぇ。推奨時期はあるが、その裁量は個人に任されている。合服の白セーラーが可愛いからって、冬でも着てる女子がいるくらいにな」


「あぁ、確かに居るね。最初は不思議に思ったけど、今ではもう見慣れたかな」


「もちろんオレも、白セーラーの魅力については充分にわかってるつもりだ。なんつーんだ、透明感って言うのか? それが抜群だよな。それに白セーラーに映える少し控えめの黄色いスカーフがまたイイんだ。まるで初夏を思わせる向日葵みたいな。もちろん冬服の紺セーラーも捨てがたい。でも本題はそこじゃねぇ」


「いま完全に本題の勢いだったけど」


「それでだ。十一月にしては珍しく、雪が降りそうなくらいに冷える日のことだった。オレはいつもどおり、上着も持ってこずにカッターシャツ姿だったんだけどよ、その姿を見たクラスで一番人気の明石あかしが言うんだよ。『加西くん、寒くない? そのカッコ』ってな」


「はぁ、それで?」


「それで。オレは明石に、上着を持って来てない事を告げたんだ。すると明石はおもむろにバッグに手を伸ばし、中からジャージを取り出した。それをオレに投げて言うんだ。『それ、小さいけど着ときなよ。見てるこっちが寒いからさ』って、笑いながらな。でもよ、そう言った明石は、件の白セーラーの合服に薄手のカーディガン姿だったんだ。きっと自分も寒いのに、だぜ? オレぁ思ったね。コイツ、なんて優しいヤツなんだって──」


「くぅー! わかるぞ加西ィ! どんな気持ちになったのか言ってみるんだ!」


 いつの間にかこちらに戻って来ていた名塩が混ぜっ返す。いやもうホント黙ってろよ、お前ら。


「──包まれたよ。オレの冷たいハートがな。そして融けてなくなっちまった。そこに残ったのは、胸をくすぐるフローラルアロマの香りだけ……」


「だからそれ柔軟剤の香りな!」


 ここまで来ると突っ込みもぞんざいになる。それにクラスで一番人気が二人いるってどう言うことだ。それ単に自分のイチ推しってだけなんじゃないのか。あぁもう色々面倒くさい。

 続きは聞かなくてもわかる。明石さんにも彼氏がいるとか、そんなところだろう。


「ここまで語ればもうわかるだろう、三木。明石あかし嬢にも彼氏がいる。バスケ部のエースかつウチのクラスのエース、市川いちかわだ。ヤツが明石嬢の彼氏であるとは、もっぱらの噂。つまり明石嬢も弄んだんだ。いたいけな加西の心をな!」


「あぁそうだ……。オレぁ弄ばれたんだよ。本人たちは否定してるけど間違いねぇ。こないだ見たんだ、二人が仲良く一緒に帰ってるところをよォ!」


 結論。この二人はチョロすぎる。出身中学は男子校なのかと思うほど、女の子に対する免疫がない。彼女らにとっては普通のこと、もしかしたら野良犬に対する簡単な施しレベルでも、この二人にとっては格別で特別なイベントだったのだろう。


 なんていうか、自分が可哀想になってきた。こんな二人と、つるんでいるというその事実にだ。

 僕が人知れずショックを受け流していると、なおも涙目の加西が続けた。だから頼んでない。


「つーわけで、話は冒頭に戻る。オペレーション2Bトゥービー。今からその作戦概要を説明するぜ」


「だから間違ってるって。言うならBVだ。それになんで喪に服すのにブラッディ血まみれなんだよ、前提おかしいだろ?」


「非業の死を遂げた人物の鎮魂には、それより多くの血が必要だと歴史が証明している」


「してないからな」


「ましてバレンタイン司祭は聖人。ゆえに、さらに多くの血で贖わなければならない」


「絶対望んでないからな、バレンタインさんは!」


「まぁ聞けよ、三木。何も本当に血を流す訳じゃねぇ」


「マジで流血沙汰なら即通報だよ、当たり前だろ」


 もちろん比喩なのはわかってる。しかし「血を流す」というのはどう考えてもマイナスイメージで、これが誰かに迷惑を掛けるのはわかり切っていた。問題はどんな迷惑を誰に掛けるのか、だが──。


「安心しろ、三木。オペレーション・ブラッディバレンタインは、バレンタインの根絶を目指すものじゃない。むしろ逆だ。俺たちもこの祭りに参戦する。それが主眼だ」


「あのな、名塩。知らないだろうから教えてあげるけど、女の子が好きな男にチョコレートを贈る、それがこのお祭りなんだ。言わば僕ら男は誘われる側。名塩、誰かにチョコを貰えるアテなんてあるのか?」


 ふん。名塩はキザったらしく鼻を鳴らす。メガネのフレームを指でくいと持ち上げ、そして自信たっぷりに答える。


「アテなどない。決まっているだろう」


 キッパリとしたセリフ。まるで何かを誇るかのよう。ある意味男らしいが、誇るところを完全に間違っている。僕は呆れて首を振った。


「それじゃあ祭りには参加できないだろ、どう考えても!」


「いいや出来るぜ。発想の逆転ってヤツだ」


「加西も何言ってんだ。寝言なら死んでからにしてくれ」


「──贈る側になればいい。チョコレートをな」


「は? いやだから何言って、」


強敵ともチョコって知ってるか、三木ィ?」



【続く】


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