バレンタイン・カプリチオ
薮坂
1粒目
西暦二六九年。時のローマ帝国皇帝、クラウディウス二世は、ローマ帝国兵士の結婚を禁止していたという。
理由はこうだ。故郷に「守るべき愛する存在」を残して来た兵士たちは、「勇敢に戦って勝つこと」よりも「何とか生き残って帰ること」を優先し、結果、命を賭して果敢に戦う兵士は減り、軍の士気が下がってしまうから、ということらしい。
しかし。その絶大なる権力者に反旗を翻した人物がいる。それが、キリスト教の司祭だった聖ウァレンティヌスだ。
彼は、結婚を禁止され嘆き悲しむ兵士たちのため、皇帝に秘密で結婚式を執り行っていた。
愛こそ全て。愛を禁止するなど、たとえ皇帝にも許されることではないと。兵士たちは喜んだ。結婚には祝福が必要だ。
やがてその噂は、当然皇帝の耳に入る。皇帝はウァレンティヌスに、二度とそのような行いをしないよう厳命した。だがウァレンティヌスは決して、その命に屈しなかった。
ついに皇帝は彼の処刑を命じた。ウァレンティヌスはそれを毅然とした態度で受け入れ、つまりは愛に殉じたのだ。
愛は寛容であり、親切であり、人を妬まない。自分の利益を求めず、恨みを抱かず、不正を喜ばず真理を喜ぶ。
そして全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。愛はいつまでも、絶えることはない。
まさに彼の生き様は「愛」そのものだったと言えよう。自分の命が潰えようと、愛を貫き通したウァレンティヌス司祭。その命日がそう、二月十四日──、つまりはヴァレンタイン・デイなのである。
───────────────
「──つまりだ。この話を聞いて、俺たちが取るべき行動とは」
放課後。教室の隅の方、しかも窓際。妙に明るく日の当たる場所に、日陰者と呼べるヤツらが集まっているのは何かの皮肉だろうか。発言者の
「……話は聞かせてもらったぜ?」
名塩の隣、つまりは教室の窓側にもたれ掛かり、腕を組んでいた
僕はツッコミが面倒になり口を噤むことにした。ちなみに加西の顔は逆光で黒く翳り、一層『そういう雰囲気』を醸し出している。どういう雰囲気なのかは訊かないで欲しい。僕にだってよく分からない。
また面倒くさい事になるんだろうなという僕のどうでもいい考えを余所に、加西はゆっくりと言葉を継いだ。
「つまり、バレンタインは喪に服せと。そういうことだな?」
「明察だ、加西。俺が言いたかった事はまさにそれだ。完璧な回答じゃないか」
「ふん、この程度で褒めて欲しくはねぇな。オレぁまだまだ高みを目指せる。もちろん、お前たちとならな!」
サムズアップでニヤリと笑う加西。ニヒルな笑いでそれを受ける名塩は言う。
「よく言った、加西。我ら三人、生まれし時は違えども──、」
「いや待てって。どうしてそこに僕を入れるんだよ、色々おかしいだろ?」
たまらず突っ込むのはいつも僕の役目だ。残念なことに、これは高校一年生のころから一ミリも変わらないことだった。誰か希望者がいるなら真剣に代わって欲しいのだが、高校二年が終わろうとする二月になっても、僕のレギュラーポジションが危ぶまれたことはない。ただの一度も。ほんと辛い。
「
「いやいや、ここ桃園じゃないから。学園だから。それに桃園の誓いって、三国志かよ。僕は誰ポジなんだ」
「おっと、
「悪いが、
張飛ポジの加西はまたしてもニヤリと笑い、劉備ポジの名塩は不敵に笑う。まさかの
まぁ、残念ながら。このクラスにいる限り、他に友達が居ない僕に他の選択肢はないのだが。
「僕はどう考えても関羽じゃないだろ……、まぁいいけど。それで、バレンタインに喪に服すってどういうことなんだよ。聞いて欲しそうだから聞くよ、聞けばいいんだろ」
「よく言った、三木。バレンタインデイは聖ウァレンティヌス司祭の命日だ。つまり本来なら喪に服さなければならない。いいか、聖人の命日にチョコレートを贈り愛を語らうなど言語道断。つまり我らが、正しいバレンタインデイの過ごし方を世に示さなければならない、と言うことだ」
「そうだぜ、三木。詰まるところ、血のバレンタインの再来。オペレーション・ブラッディバレンタイン──、
「加西、それ格好いいな。オペレーション名はそれに決まりだ」
意味もなくハイタッチをする二人。高校二年にもなって、こいつら完全にアホである。
「なんで喪に服すのに血みどろの展開になるんだよ? それにブラッディ・バレンタインって言いたいんなら、BVだからな。バレンタインはVから始まるんだ」
「なんだと……? まるで響きがDVみたいじゃねぇか!」
僕はたっぷりと溜息を吐いて、目の前のアホ二人に言ってやる。
「まぁ何でもいいけどさ。とにかく周りの人に迷惑掛けるのだけはやめろよ。ただでさえこの境遇なんだ。これ以上、女子を敵に回すのは良くない。クラスの八割を敵に回して、穏やかな学園生活を送れるわけないだろ」
そうなのである。僕たちのクラスは、いわゆる女クラ。この学園は共学には違いないのだが、高校二年から選択できる普通科理系クラス(ほぼ男子のみ)のお陰で、局所的に女子が八割を超えるクラスが誕生する。それが女クラ。それが僕たちのクラス。ちなみに男子は僕ら三人を含めて七人である。
理系以外の各クラスに、男子を均等に配分すればとも思うのだが、これはこの学園の伝統みたいなものらしい。
「二人が何を企んでるか知らないけどさ。僕たちはいつもどおり、息を潜めて生きるべきなんだよ。空気のように。それが僕らのモットーだろ? それに穏やかに過ごしていれば、義理チョコのひとつくらいは貰えるかも知れない。ここは女クラなんだからさ」
「甘ぇ! 甘ぇんだよ三木ィ! まるで小洒落たパティスリーのチョコレートみてぇに、お前は中身までまるっきり甘ぇな! さすがケーキ屋の跡取り! お前はヤツらの恐ろしさを知らねぇんだ!」
何故か涙目になりながら、加西が即座に訴える。どうでも良いけど何故涙目なんだ。怖い。
「この一年、オレたちがどれだけ不遇の扱いを受けてきたか、忘れたとは言わせねぇ。一番の思い出を語ってやれ、名塩!」
「あれはそう、梅雨が明けて蝉時雨が始まりを見せた七月、初夏の出来事だった……」
【続く】
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