少女が100人死ぬと、ヒーローが病む

朝霧

私だけのヒーローだったらこうはならなかった

 ヒーローが最終決戦から帰って来た時、彼に救われたはずの少女100人はすでに死んでいた。

 死因はほぼ自殺、一人だけ事故で一人だけ他殺。

 自殺の原因はヒーローが長期間帰ってこなかったというたったそれだけのことに対する絶望、ヒーローの生存を信じられなかった心の弱いクソ女共は自らの死の原因を一方的にヒーローに押し付けて、おっ死んだ。

 100人もの少女の死を知ったヒーローは、病んで塞ぎ込んで引きこもった。

 一昨日と昨日を除けば二年ぶりに会う私のヒーローの部屋の前に立つ。

 お土産は私んちの近所にあるバナナ屋のバナナチョコマフィン。

 ヒーローは昔からこれが好きだったらしい、多分今も好きだろう。

 部屋をこんこんここんとノックする、返事は返ってこなかった。

 でも、いるのは知っているので『おじゃま』と声をかけてドアを開けた。

 こんもりしているベッドに歩み寄って、一言。

「あそびにきたよ。おみやもあるよ」

「…………」

 ヒーローは毛布から顔だけ出した。

 ひどい顔色だった、青ざめていてやつれていて、目の下がクマで真っ黒。

 あの最終決戦の前は普通にお人好しっぽいイケメンだったのに、今はただの薄幸の美青年だ、どっちにしろ顔がいいのが少しムカつく。

「バナナチョコマフィンをおたべ」

 箱から取り出したバナナチョコマフィンをヒーローの口にぐぐいと押し付ける。

 しかしヒーロー、ヒーローが大好きな私がわざわざあーんイベントを起こしてやっているというのに、首を小さく横に降る。

 そして、相変わらずの無言。

 一昨日から一言も喋りやがらねーのだ、この元無自覚ハーレム男は。

 いっらぁ、とした。

 そもそも忙しいのに今日もわざわざこの私がここに来てやったのは、このバカがずっと何にも食べないという情報をこのバカのおかんから入手したからなのだ。

 だから必死こいて働いて稼いだ雀の涙なバイト代を振り絞ってこんなものを買って来たのである。

「選べ」

 バナナチョコマフィンを一旦引いてそう言うと、彼奴はどこまでも濁った瞳で私を見上げる。

「自力で食うか、口移しで食わされるか。選べ。10秒だけ待ってやる」

 無慈悲にカウントダウンを開始する、彼奴は目を見開いた。

 しかしそのまま硬直したように動かない、カウントダウンをしていなければ貴様は何十年も前の中古のパソコンかとツッコミを入れたかった。

 10から0までカウントが終わった、しかし彼奴は未だにフリーズ中。

 仕方がないので見せつけるように大口を開けて、バナナチョコマフィンにかぶりつく。

 その直前で、我が手の内にあったバナナチョコマフィンが忽然とその姿を消した。

 何事だと目をパチクリさせる、今から口移しさせる予定のバナナチョコマフィンはいずこに?

 どさくさに紛れてエロイベントも起こしてやろうと密かにほくそ笑んでいたというのに、何故消えた。

 ギョロリと視線を動かす、バナナチョコマフィンはすぐに見つかった。

 傷だらけの大きなヒーローの手のひらの中、いつの間にか布団と毛布の間から出て来ていたそれの中に収まっている。

 私は何も言わなかった、どっかの大佐の十倍の時間、30分だけは待ってやろうと思った。

 だけど彼奴は、大きな口で小さく一口だけマフィンを噛みちぎって、咀嚼して、飲み込んだ。

 …………………………………………………………………………ああ。

「……全部食い切れ。あとちゃんとおふくろさんのご飯も食べろ。ずっと心配してるんだからな」

 表情をさほど変えないように苦心しつつそれだけ言い切った。

 それなのにあからさまにこちらがほっとしたのを勘付いたのか、彼奴は何も言わずにマフィンを持っていない方の手でこちらの頭を撫でてきた。

 布団に引きこもっていた手だったからさぞ温かいのだろうと予想していたのに、とても冷たかった。

 何故か視界がゆっくりと滲み出す、彼奴の顔がうまく見えない。

 どこかからすごく引きつった変な女の声が聞こえて来た、おかしいなこの部屋には私と彼奴しかいないのに、不審者かしらん、それとも怪奇現象?

 もう何も見えないくらい視界が歪んで大変なことになっている、あと何故か喉が痛い。

 随分と長い間その不可解な怪奇現象が続いた。

 収まった頃には窓の外が橙色になっていた、あんなに明るかったのに。

 怪奇現象が続いている間、彼奴はずっと私の手を握っていた。

 冷たかった手のひらが、いつの間にか暖かくなっている。

 その手の平をさりげなく握りしめつつ、マフィンの残量を確認。

 彼奴め、一口も食べ進めていなかった。

 だけど仕方ないと許してやることにした、怪奇現象が起こっていたんだから仕方ないよね。

「おまえはなにもわるくない」

 口をつくようにそうこぼしていた。

「なにひとつわるくない。わたしはちゃんとまってた、おまえのおふくろさんもおやじさんもいもうとちゃんとおとうとくんもまってた。おまえはかならずかえってくるっていったし、ちゃんとかえってきた。ほらみろなんにもわるくない……!!」

 何故か呂律がうまく回らない。引きつって掠れて、ひっでえ声。

 こんな声でちゃんと届いているんだろうか、ちゃんと彼奴は聞き取ってくれているのだろうか?

「わるいのは、おまえをしんじなかったあいつらだ。かってにぜつぼうしてしんだのはあいつだ。きづけたかもしれないしとめようとおもえばとめられたかもしれないわたしたちはわるかったかもしれないけど、だれがなにをいっても、おまえだけはぜったいに、ぜったいにわるくない」

 ああ、もう本当に酷い声だ、自分でも聞き取りきれないくらい酷い声。

 それでも言うべきことはこれで大体言えたのだと思う。

 1番大事な言葉はもうとっくに伝えているから、それはもう言わなくていいだろう。

 だから黙り込んで、握られた手を見続けた。

 痛々しいくらいボロボロの手だった、私だけでなく、100人の少女だけでなく、多くの人々を助けてきた手だ。

 もういいじゃないかと思った、私以外はただの善意で助けただけのただのお人好しに、これ以上の傷も重荷も背負う必要はない。

 どうして彼奴がこんなに傷付く羽目になったのだろうか、こんなことになるのなら私がヤンデレにでもなって『私以外のヒーローになったら心中してやる!!』とでも言って縋り付けばよかったのだろうか?

 そうすれば、彼奴はこんな傷を背負いこむことはなかったのだろうか、そうすれば彼奴は普通に幸せになれたんじゃないかと思う。

 彼奴はお人好しすぎるのだ、いい奴すぎるのだ、こんなどうしようもない私を下心95パーセントだったとはいえ助けただけでよっぽどだったのに、ただの善意で人を助け続けた究極のお人好し。

 そんなのに対する最終的な仕打ちがこれ・・か? 納得がいかない。

 彼奴は人を救い続けた分だけ幸せになるべきだ、人の涙を止めた分だけ笑っていられるべきなのだ。

 ごちゃごちゃと考え込んでいたら、かすれた小さな呼吸のような『声』が聞こえた気がした。

 顔を勢いよくあげた、彼奴は困ったような酷い笑顔でこちらの顔を見ていた。

 なんだ、喋れるんじゃないか。

 ショックで声が出せなくなったって聞かされてたしホントに一言も喋らなかったから、信じてたのに騙されたぜちくしょう。

 こんなことならぶん殴ってでも喋らせればよかった。

 それはそうと。

「……………………ちがう」

 違う、違う、そうじゃない、お前はもっと上手に笑えたはずなんだ、こんな私なんかよりもずっとうまく、人懐っこい大型犬みたいなくしゃっとした感じの気の抜ける笑い方ができるはずなんだ。

 違う、そういう風に笑ってほしかったんじゃない、こんなのならいっそ大泣きしてくれた方がマシだというか今すぐ泣いてしまえ。

 あとそうじゃない、違う、お前は何を言っている?

 お前が私に向かって口をきいたのは帰ってきてからは初めてだったな、これが開口一番だったよな。

 ならその言葉は不適切だ、私が欲しかったのはそれじゃない、お前が真っ先に言うべき言葉はそれではない。

「ふざけるな。あやまるな。くそくらえ……『ただいま』のがさきだろうがこのばかやろう……!!」

 自分の手をつかんでいる手を引き剥がした後、その甲に思い切り爪を立ててやる。

 こんなことなら昨日爪を切らなければよかった、少し深爪気味にしてしまったせいでほとんどダメージが通ってなさそうだ。

 ああ、またさっきの怪奇現象が復活し始めた、どういうことだこの家は呪われているんだろうか?

 早急にお祓いをしてもらうべきだと思ったところで、今更のように二年前からずっと言って欲しかった言葉を彼奴は呟いた。

 それからなんでか知らんが泣かないでくれとかいう妄言も言われた、泣いてねぇっつーの。

 怪奇現象は、窓の外の空の色が真っ暗になるまで続いた。

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