帰り道は遠回りしたくなる

@smile_cheese

帰り道は遠回りしたくなる

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

少女は姉の側に座っているのがとても退屈になっていました。

おまけに何もすることがないのです。

一、二度、姉の読んでいる本を覗いてみたけれど、その本には、絵もなければ会話もありません。


「絵や会話のない本なんて、なんの役にもたたないじゃないの」と少女は思いました。


すると、退屈している少女の横をピンクの目をした白うさぎが走り去っていったのです。

それだけなら、そんなに珍しいことでもありませんでしたが、そのうさぎは「どうしよう!どうしよう!遅刻しちゃうぞ!」とつぶやいていたのです。

さらに、そのうさぎはチョッキのポケットから懐中時計を取り出して、慌ててどこかへ走り出したのです。


少女はうさぎのことが気になり後を追いかけました。

しかし、夢中になりすぎたあまり足元の大きな穴に気がつかず、そのまま真っ逆さまに落ちていきました。


真っ逆さまに落ちていきました。


落ちていきました。


真っ逆さまに。


真っ逆…



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


七瀬「きゃあっ!!!」


教室中に響き渡る声に驚いた生徒たちの視線が一箇所に集まった。


設楽「七瀬くん。また居眠りですか?」


美術教師の設楽が呆れた様子で七瀬を見ている。


七瀬「すみません…」


田舎のとある高校に通う七瀬は悩んでいた。

このまま近くの大学に進学するか、夢を追いかけて都内の芸術大学を目指すのか。

子供の頃から絵を描くことは好きな七瀬だったが、芸術大学に入ってまで自分が何を描きたいのかの答えが出せずにいた。

進路希望の締め切りが近づくにつれ、余計に迷ってしまい、この頃は十分に睡眠が取れていなかった。


七瀬(絵を描く道には進みたいけど、自信ないな)



~放課後~


友人たちと別れ一人になった七瀬は、家までの最短ルートを通らず遠回りして帰ることにした。

家に帰ると今直面している問題と向き合わなくてはいけなくなる。

少しくらい何も考えずに過ごす時間を作りたかったのだ。


七瀬(へえ、こんなところに喫茶店なんてあったんだ…今度入ってみようかな)


七瀬にとって、いつもと違う帰り道は全くの別世界のように思えた。

まるで、さっき夢に出てきた不思議の国のように。


『私はいつだってアリスの世界に憧れる』


運命には分かれ道がある。

目の前の道を右に進むか、それとも左に進むのか。

七瀬は少し迷いながら左に進むことに決めた。

しかし、しばらく歩いてみたが周りには何もない。

曲がり角を何度も曲がってはみたが、誰ともすれ違うこともなく、家も何軒か建ってはいるが人が住んでいる気配がなかった。

道に迷ってしまったのかもしれない。

七瀬は段々と怖くなり、元の道を引き換えそうとした。

あの分かれ道まで戻れば迷うことはない。

そう思って振り返ったとき、視線の先に映ったものに七瀬は驚いた。

ピンクの目をした白うさぎがこっちを見ていたのだ。

懐中時計はしていなかったが、なぜこんなところにうさぎが?と七瀬は疑問に思った。

すると、うさぎは突然どこかへと走り出した。

七瀬は慌てて追いかける。

うさぎの足は速かったが、七瀬が置いていかれそうになるとピタッとその足を止めて振り返る。

そして、七瀬が追いつくと再び走り出す。

それはまるで、七瀬をどこかに導いているようだった。

しばらく七瀬とうさぎのおいかけっこが続き、七瀬は自分がどこにいるのかを見失っていた。

そうこうしている内にうさぎの足が完全に止まった。


七瀬「ここは…さっきの喫茶店」


七瀬は吸い込まれるかのように喫茶店の扉を開けて中へと入っていった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


??「おかえりなさい」


七瀬「え?」


七瀬の目の前には深々とお辞儀をしているメイド姿の女性がいた。


七瀬(ここは…メイド喫茶?)


??「あら、ごめんなさい。お客様でしたか。今のはその子に言ったんです」


女性の指し示す方向を見ると、さっきのうさぎが喫茶店に入っていた。


??「ご挨拶が遅れました。私はここで喫茶店をやっている『マナツ』と申します。その子はお店で飼っているうさぎの『マカロン』です」


お腹が空いていたのか、うさぎのマカロンはカウンター横に置いてある専用のお皿に入れられた人参をボリボリと食べ始めた。


マナツ「今日は随分と珍しいお客様がいらっしゃいましたね。10年ぶりくらいかしら」


この喫茶店の設定なのか、何やらおかしなことを言っているマナツに七瀬は困惑した様子だった。


マナツ「何か飲まれます?それとも、お腹が空いているのかしら?」


困惑しながらも、この喫茶店が少し気になり始めた七瀬は席につくことにした。

テーブルに置いてあるメニューを手に取ると、七瀬はあることに気がついた。


七瀬「Hump tea & Dump tea…?」


それは不思議の国のアリスに登場するキャラクターを文字ったものだった。


マナツ「それは紅茶にトーストとゆで卵がセットになったメニューなんです」


七瀬「ゆで卵…だから、ハンプティダンプティか…なるほど」


アリスのお話が大好きな七瀬はそのメニューを注文することにした。

トーストが焼き上がるまでの間、七瀬はお店をぐるりと見渡した。

隅っこには大きな本棚があり、見たことのない本がたくさん並んでいた。

初めて来たお店だったが七瀬の好みと合う雰囲気で、なんだかとても落ち着いた。

しばらくすると先に紅茶が運ばれてきた。


七瀬「…この紅茶、すごく美味しい」


紅茶を一口飲んだところでトーストとゆで卵も運ばれてくる。

ゆで卵の殻には可愛らしい顔と蝶ネクタイの絵が書かれていた。


七瀬「可愛い…来て良かった」


マナツはにこりと微笑むと、カウンターの椅子に腰かけた。


マナツ「ところで、七瀬さん。あなたはどうしてここに来たの?」


七瀬「マナツさん、どうして私の名前を?」


七瀬は一度も名乗ってはいなかった。

名前が分かるような持ち物も持っていない。

どこかで会ったことがあるのだろうか。


マナツ「私はね、魔法使いなのよ」


七瀬「え?それって…」


またしてもおかしなことを言うマナツに七瀬はますます困惑した。


マナツ「ここはね、あなたのように何かに悩んだりしている人たちが時々迷いこんで来るところなの。何かに迷っている人が偶然行き着く分かれ道。その終着点がこの喫茶店」


七瀬「そんな、からかわないでください」


??「からかってなんかいないさ」


声のする方を振り向くと、うさぎのマカロンが人間の言葉を話していた。


マカロン「君は何かに悩んでいて、分かれ道を左に曲がった。そして、僕に出会った。だから、ここに連れてきたんだよ」


夢でも見ているのかとひどく動揺した七瀬だったが、左手の甲をつねった痛みを感じて目の前の光景が現実なのだと理解した。


マナツ「私たちでよければ相談に乗るわよ?」


全てを受け入れた七瀬はマナツたちに悩みを打ち明けることにした。


マナツ「なるほど。未来への選択に迷っているのね。でも、本当にやりたいのは絵を学ぶことなんでしょ?」


七瀬「そうなんですけど、自信がなくて…」


マナツ「じゃあさ、今から絵を描いてみてよ。あなたの絵、私も見てみたい!」


七瀬「え…でも…」


マナツ「いいから、いいから」


七瀬「でも何を描いたらいいのか」


マナツ「うーん、このお店の看板なんてどう?簡単なものでいいの」


七瀬「そんな大事なもの…」


マナツ「いいから、いいから」


マナツの勢いに押されて、七瀬は喫茶店の看板を描くことにした。


七瀬「あの、お店の名前は…」


この喫茶店には元々看板がなかったため、七瀬にはお店の名前が分からなかった。


『Alice』


マナツ「私の大切なお友だちの名前なの」


マナツから絵の道具を受け取った七瀬は無我夢中で看板を描き続けた。


七瀬「出来た!」


マナツ「あら!素敵じゃない!」


七瀬が描き上げた看板には『Alice』の名前と一緒に懐中時計を持ったマカロンの絵が描かれていた。


マナツ「素晴らしいわ!今すぐお店の外に飾るわね」


七瀬は嬉しかった。

今まで誰かのために絵を描いたことはなかった。

絵を学ぶことに必死で、上手く描くことばかりに気を取られていた。

それは他でもなく自分のため。

だから、いくら描き上げても達成感が得られなかった。

七瀬は初めて他人のために絵を描いたのだ。


マナツ「七瀬さん、とっても楽しそうだったわよ。もう答えは出てるんじゃない?」


七瀬(そうか…私は誰かに背中を押してほしかっただけなんだ…)


マナツ「紅茶のおかわりはいかが?」


七瀬「マナツさん、私もう行かないと」


マナツ「あら?もうこんな時間なのね。今日は楽しかったわ」


七瀬「ご馳走さまでした」


マナツ「最後に面白ものを見せてあげる」


そう言うと、マナツは七瀬を喫茶店の窓の方へと案内した。

そして、窓から外を覗くように促した。


七瀬「あれは…何…?」


マナツ「『ドゥ・イ・ヤスヌ』この世界の守り神よ」


それは象よりもクジラよりも大きく、頭のてっぺんには大きな木が生えている生物だった。

七瀬はこの守り神をしっかりと目に焼き付けた。


七瀬「マナツさん、ありがとうございました」


マナツ「どういたしまして」


七瀬「では、私そろそろ」


マナツ「いってらっしゃい」


七瀬「いってきます」


喫茶店を出ると一瞬目の前が眩しい光に包まれた。

七瀬はたまらず目をつぶる。

そして、七瀬が再び目を開けたときには、喫茶店は忽然と姿を消していたのだった。

その場には七瀬が描いた看板だけが取り残されていた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


翌日。


設楽「おや、七瀬くん。今日は真面目に描いているね」


七瀬「すみませんでした。もう大丈夫です」


設楽「よろしく頼むね。ところで、それは一体何の絵なんだい?」


七瀬「これはですね…私の守り神なんです」


設楽「なかなか独創性があって嫌いじゃないよ。うん、むしろ好きだな。名前なんかはあるのかい?」


七瀬「はい。この子の名前は…」


『どいやさん』



完。

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