第17話 Alice in New World

 物語の終わりがハッピーエンドとは限らない。


 泡になる人魚姫しかり、月に帰ってしまうかぐや姫しかり。


 後味が悪い終わり方と言うのも、納得のいかない終わり方と言うのも往々にしてある。


 そして、それは現実ではごく当たり前に存在する。今回の事も、ハッピーエンドとは言えないだろう。





 シンデレラ城から脱出した後、城は見事に崩壊した。ぎりぎり、本当にぎりぎりの脱出となった一行は肝を冷やしながらも、互いに互いの無事を喜んだ。


 城を護っていた騎士はその時点で消滅。元々、あの騎士は中野の能力だ。能力者である中野を失えば、消えるのは当たり前だろう。


 しかし、物語化の浸食が進んだ城の周辺は元に戻る事が無く、外観は完全にクラシックな見た目になってしまった。


 それも味があっていいかもしれないとは思うけれど、暮らす方はたまったものではないだろう。


 周囲の変化を気にしながらも、有栖達は学校へと帰還する。


 帰って早々、有栖は両親にとても怒られた。それはもう有栖が涙目になるくらい怒られた。


 勝手にいなくなった事もそうだけれど、ぼろぼろの恰好が両親を心配させる原因になった。


 何せ、額から血を流した痕があり、両手の拳からも血が出ている。こんなに怪我をした子供の姿を見て心配しない親はそうそういないだろう。


 ちなみに、司は今回ばかりは有栖の擁護をしなかった。流石の司も、今回の事は思うところがあるらしく、むしろ両親と一緒に口を出してくる始末だ。


「ごめんなさぁい……」


 結果、しょぼーんと肩を落とした有栖が出来上がる。


 そんな有栖を、後ろから笑良が控えめに抱きしめる。


「あ、あの、あまり、怒らないであげてください……。あ、有栖は、わたしのために着いてきてくれただけなので……」


 おずおずと、若干怯えた調子で言う笑良。


 まだ、他人に物を言う事に怯えがちだけれど、以前よりは幾分かはっきりと物を言うようになった。火傷痕のある顔の左側も、髪を分ける事で見えるようにしている。


 自信の表れなのか、逃げないという意思なのかは分からないけれど、良い傾向だとは思う。まぁ、そのままで良いとも思わないけれど。


「笑良ちゃん、って言ったよね?」


「あ、はい……」


 有栖を擁護した笑良に、美夜が声をかける。


 笑良はびくりと怯えながらも、こくりと頷く。


 そんな笑良に美夜はにこりと優しく微笑んで言う。


「化粧、まったくしてないでしょ? 教えてあげるからしてみない?」


「え?」


 美夜の提案に、笑良は思わずと言った声をこぼす。


「さ、行きましょ行きましょ」


 立ち上がり、笑良の手を取る美夜。


「え、で、でも……」


「いーからいーから。女の子なんだから、可愛く自分を飾らないと!」


 言って、強引に笑良を立ち上がらせると、三日月を伴ってどこかへ向かう。


「お姉ちゃん、服も可愛いの着せてみよう? スタイル良いから絶対似合うと思うんだ」


「そうね。家から数着は持ってこられたから、それ着てみましょうか」


「え、え?」


 自分の意見が関与せず、あれよあれよという間に、方針が決まってしまい戸惑う笑良。


 結局、笑良は戸惑いを隠せないまま二人に連れ去られた。


 南無三と有栖は両手を合わせる。二人は時たまああやって有栖を|玩具(おもちゃ)にする事がある。その苦労を知っているがために、有栖は笑良の検討を祈った。


「あれで、あの子達も気を遣ってるんだよ」


 合掌をしている有栖に、真人は優しい声音で言う。


「詳しくは聞いてないけど、あの子、とても辛いめにあって来たんだろう? 火傷痕も元々は隠していたそうじゃないか」


「うん」


「自分を隠さないって言うのは大事だけど、あの子も女の子なんだ。周りからは綺麗に思われたいものだろう? 美夜も三日月も、自分達でそう考えての行動だ。まぁ、可愛い子を着飾りたいっていう思いもあるんだろうけどね」


「そこは母さん譲りだね」


「ふふっ、そうねー」


 娘二人が自分と同じような趣味を持っている事が嬉しいのか、嬉しそうな笑みを浮かべるルイス。


 以前よりも格段に小さくなってしまった有栖の両脇に手を入れ、抱っこの要領で有栖を抱きしめる。


「でも、本当に無事で良かった……」


 笑顔が一転。子供達の前では我慢してたのだろう。堪えきれず、ルイスは涙を流す。


「ごめん……」


 弱々しい声で有栖は謝る。


 自分が馬鹿な事をしたのは分かっている。勝手に外に出て、死ぬかもしれない目にあった。


 両親を、家族を、司を、凄く心配させたと思う。


 それでも、行って良かったとも思う。行ったから、笑良は前を向く事が出来た。行ったから、笑良と仲良くなれた。


 だから、悔いはない。けれど、同時に申し訳なさが顔を見せる。


 心配をかけさせてしまった事。子供だけで勝手な行動をしてしまった事。色々、申し訳ない。


 だから、少し恥ずかしいけれど、今はルイスの好きなようにさせる。


 同級生や、他の人の視線が刺さるけれど、それも仕方のない事だろう。


 有栖はルイスのされるがままになる。


 母親に抱きしめられ、安心してしまったのか、それとも疲れ果てたのか、気付けば有栖は眠ってしまっていた。





 夢を見た。


 知らない景色。知らない子供。


 男の子と女の子の夢。


 靴を失くしてしまった男の子が、優しい女の子から靴を貰う夢。


 とても温かい、心が優しくなる夢。


「これが、ガラスの靴だったのか……」


 起き抜けに、有栖はぽつりとこぼす。


 確証は無い。夢の内容も朧気おぼろげで、男の子の顔も女の子の顔も憶えていない。


 けれど、笑良と中野の物語である事は分かった。


 節々が痛む身体を起こし、周囲を見渡す。


 そこは、少しだけ見覚えのある学校の体育館。見覚えが悪いのは、そこには寝ている人や雑多に物が置いてあるからだ。


 御伽家は全員寝ており、有栖の隣を陣取っている笑良もぐっすりと眠っている。


「え、なんで笑良が?」


「アリスの傍が良いんだって。懐かれてるね、アリス」


「チェシャ、猫…………なにやってんだ?」


「見ての通りさ」


 チェシャ猫の声がする方へ振り向けば、そこには、三日月にぎゅうっと抱きしめられたまま横たわるチェシャ猫の姿があった。


 抱き枕代わりに使われているチェシャ猫は、しかし、嫌そうな顔は一つも見せずにいつも通りのにんまり笑顔を浮かべている。いや、内心はとても嫌がっている可能性はあるけれど。


 まぁ、嫌なら嫌だって言うだろうと思い、有栖は立ち上がる。


「どこへ行くんだい?」


「ちょっと外の空気吸ってくる」


「そうかい。吸い過ぎないようにね。空気が減っちゃうから」


「オレが吸っても高が知れてるっての」


「空気の高は知れてるよ? だから減っちゃうんだ」


「減っても問題無いの」


 時折出てくるチェシャ猫の|不思議な世界(ワンダーワールド)の話に適当に返しつつ、有栖は体育館の外へと向かう。


 教室棟へ繋がっている扉は常時解放されているので、音を立てないようにそっと教室棟へ移る。


 なるべく足音を立てないように廊下を歩き、校庭へと出る。


 校庭では既に炊き出しの準備をしており、自衛隊は相変わらず哨戒をしていた。


 懐から懐中時計を取り出し時間を確認してみればもうすぐ六時になろうという時間。そろそろ、早い人は起き出す頃だろう。


 有栖は他の人の邪魔にならないように、端っこの方に座る。


 しばらくぼーっとしてると、くしゅんっと可愛らしいくしゃみが一つ出てしまう。


 季節は春とは言え、早朝はまだまだ寒い。毛布の一枚でも持って来れば良かったと後悔していると、背後からぱさりと軽い何かがかけられる。


「まだ寒いでしょ。そんな恰好じゃ風邪ひくよ」


「ありがと、司」


 起きていたのか、起きて来たのか、司が有栖に毛布をかける。


 有栖は毛布で自分をぐるぐる巻きにすると、ぼーっと遠くの方を見る。


「大丈夫かい?」


「ん、何が?」


「体調と、精神面」


「んー……」


 言われ、少し考える。


 体調は良好だ。ところどころ痛むけれど、特に問題は無い。少しすれば治るだろうとお医者様にも言われている。


 ただ、精神面ともなると難しい。


 戦って怖かった。死ぬかと思って怖かった。物語がこんな風に使われているのが許せない。笑良の家族には煮えたぎるほどの怒りを覚えているし、最後まで自分の幸せを押し付けようとした中野には腹が立つ。中野に関しては同情の余地があって、その気持ちも分からなく無いだけに、複雑な気持ちだけれど。


 ともあれ、今の有栖の心情はぐちゃぐちゃだ。


「ケーキとアイスと、おせんべいとらーめん混ぜた感じ」


「良く分かんないけど、ごちゃまぜだって事は分かったよ」


「うんー……」


 頷き、立ち上がる。


「もう、何がなんだかわっかんない。けど、一つだけはっきり分かってる事がある」


 振り返れば、司は有栖を真摯な眼差しで見つめている。だからこそ、有栖も真摯な眼差しで返す。


「|御伽の守護者(ワンダー)になったから分かるんだ。まだ、全然終わってないって。シンデレラの物語は一つに過ぎなくて、他にも、色んな物語が広がってるって」


 ひしひしと、|御伽の守護者(ワンダー)特有の感覚が、他の物語の存在を有栖に知らしめる。


 まだ終わりではない。まだ、物語は終わっていない。


 視線の先は遥か彼方。すぐそこでは無く、此処からでは見えない物語の地。


「オレの大好きな物語がこんな形で広がってるのはやだし、それで誰かが怖い思いをしてるのはもっとやだ」


 御伽噺は怖いものではない。楽しくて、時に切なくて、けれど、心に残るものだ。もちろん、怖い話だってある。ピノキオのラストは悲惨だし、ヘンゼルとグレーテルだって途中の魔女はとても恐ろしい。


 けれど、心に残る。心惹かれる。御伽噺と言うのは、そういうものなのだ。


 それが悪用されている。有栖にとってそれは喜ばしい事ではない。


 出来る事なら、この騒動を終わらせたい。けれど、それは自身の身を危険にさらす事にもなる。


 今回の事は、正直もううんざりだ。


 ただ、それでも。自分が御伽の守護者で、自分に護るための力があると言うのなら、それを止めたいと思う。いや、止めなければいけないのだ。なにせ、物語の世界は時が経つにつれて浸食を進める。


 物語の根源を消すしか、この物語化を止める事は出来ない。


 それを出来るのが|御伽の守護者(ワンダー)だけなのなら……|御伽の守護者(ワンダー)にその力があるのなら……。


「司、オレ、戦うよ」


 毅然とした態度、嘘偽りの無い視線で、司を射抜く。


「じゃ無いと、お前も母さん達も護れない。オレ、皆が死んじゃうの、やだから」


「俺だって、有栖が死んじゃうのは嫌だよ。だから、俺も一緒に戦うよ」


 戦うと言った有栖に、司はノータイムで答えを返す。


 気負った様子も無く、怯えた様子も無く、さもそれが当たり前だと言わんばかりの態度。


 それが司にとっての当たり前だ。それが、司にとっての至上だ。


「……言うと思ったけど、まさか本当に言うとは……」


「有栖より俺の方が戦えるでしょ? 銃の使い方も教えて貰ってるし、格闘術だって得意中の得意だよ。そんな俺が戦わないって選択肢、あると思う?」


「子供なんだから護られてろよ」


「それは有栖も同じでしょ。子供なんだから俺に護られてればいいの」


 言って、小さくなった有栖の頭をぽんぽんと撫でる。


「いーっだ! 今のオレなら司よりも強いもんねー!」


 司の手を払いのけて、べろべろばーとおちょくるようにして有栖は言う。


「ははっ、あの程度で俺に勝てるつもりでいるなんて、有栖はめでたいなぁ」


「勝てるし! 特殊能力万歳だし!」


「はいはい。そうだね」


 騒ぐ有栖に、司は苦笑を浮かべて折れる。


 機嫌を損ねたくないのもあるけれど、こういうやり取りでは有栖はよくむきになる。あまり騒いでまだ起きていない人を起こすのも申し訳ない。


 司が折れたところで、いったん体育館に戻ろうと提案しようとしたところで、二人に近付く影が。


 司がさりげなく有栖を庇うように立って、その者の応対をする。


「あれ、どうしました? もう出発の時間ですよね?」


「えぇ……」


 司の問いに気まずそうに頷いたのは、笑良の姉の一人、奈乃香だ。


「その、彼女に、少しだけお話があって」


 その視線は、司では無く司の後ろからひょっこりと顔を覗かせている有栖に向けられる。


「オレ?」


「ええ」


 頷き、奈乃香は頭を下げた。


「私が言える立場では無いけれど、笑良の事、よろしくお願いします」


 涙声で、奈乃香は有栖に言う。


「えっと……」


 正直な話、有栖は話しについていけていない。司は訳知り顔だけれど、有栖はまったくわからない。


 けれど、笑良の事をお願いしますと言われれば、有栖の答えは一つしかない。


「分かりました。笑良と仲良くします」


 笑みを浮かべて、有栖は言う。


 おそらく、有栖の思っている事と、奈乃香の思っている事は違う。けれど、奈乃香にとってはその答えだけで充分だった。


 奈乃香は一度頭を上げた後、しっかりと有栖の顔を見てから、もう一度深々と頭を下げる。


 そして、きびすを返して校門の方で待つ家族の元へと向かう。


 去り行く奈乃香を見ながら、司は言う。


「彼女達、此処から出て行くみたいだよ」


「え、どうして?」


「此処ら辺は安全になって来たからね。移動にそんなに神経を使わなくなったって言うのが一つと、あんな事があったばかりだ。正直、新田さんの心情を考慮すると、いったん離してお互い落ち着ける方が正解だろうって判断したみたい。本人の希望もあったみたいだけどね」


「そっか……」


 家族が離れ離れになる事を良しとする。それは、家族皆仲が良い有栖には分からない感覚だ。


 けれど、最後の頭を下げる奈乃香の姿を思い浮かべれば、悪い事ではないのかもしれないとも思う。


「なぁ、司」


「なんだい?」


「物語ってハッピーエンドばかりじゃないけしさ、ハッピーエンドじゃないのは、ちょっと嫌だなって思うけど……」


 奈乃香の後姿を見送っていた有栖は視線を司に移す。そして、にっかりと嬉しそうな笑みを浮かべる。


 家族が避難場所を変えるのは、周りの意見もあると思うけれど、本人の意向もあっての事。笑良が家族を突き放したという事。それは、本当の意味で良い事では無いと、有栖は思う。


 けれど、笑良は今まで嫌だと言えなかった事を、今言えるようになったのだ。


 此処から家族と仲良くなるのか、仲たがいをするかは笑良の自由だ。笑良の進む道を、有栖は応援もするし手助けもする。


 まぁ、要するにだ。


「笑良が一歩前に進めたのなら、これも悪く無いかなって思うよ」


 有栖の笑みを見て、司も笑みを浮かべる。


「そうだね」





 こうして、新田笑良シンデレラの物語は幕を閉じた。


 けれど、これで終わりではない。物語はまだまだ続く。悲劇は、まだ終わらない。

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Alice in New World 槻白倫 @tukisiro

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