第16話 Alice in New World

 |輝ける乙女の黄金の時間(シンデレラタイム)によって強化された身体で、有栖はヴォーパルの剣を振る。


 有栖の小柄な体躯から放たれるとは思えない強力な一撃に、騎士達は次々と、まるで冗談か何かのように吹き飛ばされる。


「……あり得ない……あり得ないあり得ない!」


 中野が突き進む有栖を睨みつけながら頭を掻きむしる。


「笑良、なんで君が能力を使う? それも、なんで有栖なんかに……! 僕が君の王子様で、君が僕の|灰被り(シンデレラ)のはずだろう!? その力を使うのは僕に対してだろう!?」


 中野の悲鳴にも似た叫びを聞きながら、有栖は騎士達を蹴散らして突き進む。


 |出鱈目(でたらめ)な剣。出鱈目な振り方。全てが素人のそれで、とても格好良くは無い。


 けれど、有栖は懸命に身体を動かす。


「違う! 笑良が何をしたいか、笑良が何をするかを、オレ達は選べない。だって、それは笑良の意思で決めなくちゃいけない事だから!」


「笑良一人じゃ何も出来ないから僕が手を差し伸べたんじゃないか!! 僕が間違えてるか!? 笑良を助けたいと思って手を差し伸べ、笑良のためにいらない奴らを排除しようとする僕が、間違ってるというのか!?」


 中野の怒りに呼応するように、騎士達が増えていく。


「お前のその思いは間違えて無い。けど、それは|お前の選択(・・・・・)だろ!? それは、笑良の選択じゃない!!」


 壮大な音楽が|広間(ホール)に広がる。


 これは、この音楽は、彼女の踊りは、彼女が選んだことだ。


 強迫観念に駆られて家族を捜しに出た時とは違う。誰かに従うために生きている時とは違う。


 そんな過去と決別するための|一歩(ステップ)を、笑良は今も踏み続けている。


「見ろよ、今の笑良を! 誰のためとか、何のためとか関係無い!! 笑良は、今!! 自分の意思で戦ってるんだぞ!? 目を瞑るな!! 今お前の間に居る笑良は、お前が望んだ幸せを手に入れようとしてる笑良なんだぞ!!」


「でもその先に僕はいないだろ!? ――ッ!!」


 言って、中野は驚いたように息を呑む。


 |咄嗟(とっさ)に出た言葉。咄嗟に、出てきてしまった言葉。


 それは紛れもない中野の願望だった。


 口を手で覆う。けれど、出てしまった言葉は引っ込められない。


 中野が彼女の王子様でいようとしたのは、彼女を救いたいと思ったのは…………中野が、笑良の事を心底から愛していたからだ。


 見ていれば分かる。彼が笑良を好いている事くらい。


 けれど、彼は自覚をしていなかった。彼は笑良の王子様になろうとしてはいたけれど、彼の恋人にはなろうとはしていなかった。


 王子様は幸せを与える。けれど、笑良にとって幸せを|育(はぐく)む相手は恋人なのだ。


「そ、んな……僕は……」


 笑良に見ていて欲しいと思った。笑良に傍に居て欲しいと思った。笑良に笑っていて欲しいと思った。


 その視線を、笑顔を、声を、全てを、自分に向けていて欲しいと思った。


 そうだ。そうだ。それはまさしく恋だ。愛なのだ。


「……っ」


 恋を自覚した中野は笑良を見る。


 しかし、笑良は中野の視線を気にする事も無く、必死に踊り続ける。いや、気にする以前の問題だ。能力を行使するのに必死過ぎて、気付いていない。


 これが恋ならば、これが愛ならば……ああ、なら、なおさら負ける訳にはいかない。


「|アリス(・・・)を殺せ、|王の守護騎士(ロイヤルガード)!!」


 中野が叫べば、中野の背後の空間が割れる。


 割れた空間から、中野を優に超える程巨大な騎士甲冑が現れる。


「アリス!! 僕のこれは愛だ!! 恋だ!! 僕は、笑良を一人の女性として愛している!! だからこそ、僕は彼女の幸せを願う!!」


 |王の守護騎士(ロイヤルガード)が中野の前に立つ。


「彼女の幸せのために、僕は君を殺す!! 君に勝って、僕の愛を証明する!!」


 中野の言葉に、有栖は奥歯を噛みしめる。


「そこまで……そこまで分かってるならもう良いだろ!! それが分かったなら、何処でだってお前と笑良はやっていけるだろ!? 此処じゃ無きゃいけない理由なんて、もう無いだろ!?」


「いや、駄目だ!! 彼女には幸せに浸ってもらう!! めくるめく日々を愛し、明日を喜べる世界で彼女は生きるんだ!!」


 めくるめく日々を愛し、明日を喜ぶ。それは、笑良が求めているもの。けれど、その尺度が笑良と中野とでは違う。そして、中野のそれには犠牲が付いて回る。


 平行線だ。分かっていた事だけれど、この件に関して有栖と中野は相いれない。


 やはり、ぶん殴ってでも止めないといけない。


 有栖は強化された脚力で高く飛び上がる。


「|不思議な不思議な出来事(ワンダーワンダー)!!」


 振り上げた剣が巨大化する。


 天井を突き破り、破壊しながら、有栖は巨大化したヴォーパルの剣を振るう。


「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 |王の守護騎士(ロイヤルガード)は有栖の剣をその盾で受け止めるけれど、その質量と威力を止める事は叶わない。


 盾は割れ、鎧は砕け、|王の守護騎士(ロイヤルガード)は一撃で崩れ落ちる。


「――ッ!?」


 巨大な剣が、中野に迫る。


 迫る|巨刃(きょじん)を前に、中野は走馬灯の如く思い出した。


 笑良と初めて会った時の事を。その、大切な思い出を。



 〇 〇 〇



 小学生の頃、中野はそれほど活発な少年では無かった。


 どちらかと言えば内気な方で、外よりは中で遊ぶ方が好きな子だった。


 けれど、特にいじめられていたという記憶は無い。コミュニケーションが苦手と言う訳でも無いし、友人とは積極的にお喋りをする方だった。


 日々も、順風満帆だったと言えよう。


 そんなとある日、中野は靴の片方を失くしてしまう。きっかけは、もう憶えていない。けれど、いじめられたとか、そういう理由ではない事は憶えている。何せ、困っただけで、嫌な思いはしていなかったから。


 うろうろと靴を探しているととある少女に出会った。


「どうしたの?」


 優しく、可愛らしく小首を傾げて尋ねてくる少女。


 友人とはよく喋るけれど、その他の者に対してはあまり口が上手く無く、特に女子ともなれば少しどぎまぎしてしまう中野は、彼女に言葉を返すのに少しばかり苦心した。


「……く、靴、片方失くしちゃって……」


「靴?」


 少女は中野の足元を見る。


「ほんとだ」


 頷きながら、少女は自分の靴を片方脱いで、中野に渡した。


「はい、あげる」


「え?」


「これ使って! 昨日雨降ったから、今日はお古履いてきたの! だから、これ使って!」


 言いながら、少女は中野の足に自分の靴を履かせる。


 戸惑いながらも、少女の言う通りに靴を履く。少しだけ大きくて、頼りなかったのを憶えている。


「じゃあね! ばいばい!」


 言って、少女は手を振って走って行った。


「あっ……」


 お礼を言う間も無かった。


 少女から貰った靴は、お古というにはあまりにも綺麗だった。それがおろしたてではなくとも、買ってからそこまで履いていない靴だという事は中野にも理解が出来た。


 これが、彼の|ガラスの靴(・・・・・)。シンデレラからの優しさ贈り物だった。



 〇 〇 〇



「ぐっ……っ……」


 痛みに顔をしかめながら身を起こす。


「動くな。妙な真似したら即座に撃つ」


 身を起こしかけた中野に向けられる銃口。


 それだけで、自分の身に何があったのかを察する。


 負けたのだ。あれだけ|啖呵(たんか)を切っておいて、無様にも負けてしまったのだ。


 見やれば、周囲に有栖達の姿もある。


 笑良は有栖の背後に立って中野の事を心配そうに見ている。


「……負けたか……」


 ふっと身体から力が抜ける。


 分かる。騎士達を動かすだけの力ももう残っていない。|王の守護騎士(ロイヤルガード)で全てを出し切ってしまった。


「ああ、あんたの負けだ」


 中野の言葉に、有栖は容赦なく返す。


「けど、さっきも言ったけど、あんたの気持ちが間違えてるって訳じゃ無いと、オレは思う」


 人を愛する気持ちは間違えてない。誰かに幸せになって欲しいと思う気持ちも、間違えてはいない。


 けれど、中野は間違えていた。その気持ちは独り善がりではいけないのだ。


「中野、くん……」


 笑良が有栖の背から一歩出て中野を見る。


「その……ごめんなさい。……私が、貴方を振り回して、しまった……」


 申し訳なさそうに、笑良は言う。


 無自覚だった。彼の気持ちにも気付かず、笑良はずっと彼と接してきた。こんな自分が好かれているだなんて、微塵も思っていなかった。


 自分の境遇、環境、問題、それらが、中野を振り回した。


 謝る笑良に、中野は優しく笑う。


「笑良が謝る事じゃない。これは、僕がやりたくてやった事だ。それに、好きな人のために何かしたいって思うのは当たり前の事だろう? ……まぁ、どうやら何かをするのに、僕は遅すぎたみたいだけどね……」


 悔やむように言いながら、中野は有栖を見る。


「アリス。君の言う通りだ。僕は、彼女を助けるためにもう少し早く動くべきだった。こんな事になる前に、糞親父をぶん殴ってでも止めるべきだったんだ……」


 彼女を救う方法は少ない。けれど、何かできたはずなのだ。


「家出も……そうだね、悪く無い……。あぁ……本当、なんでこんな風になるまで動けなかったんだろう……」


 事が終わってしまえば、中野の心中には後悔しかない。


 薄っすらと、分かってはいた。これが最後のチャンス。これを逃せば、自分は笑良を幸せに出来ないと、分かってはいたのだ。


 けれど、終わってしまえば色々と思い浮かぶでは無いか。あの時こうしていれば、ああしていれば、少しだけかもしれないけれど、笑良の未来は変わったかもしれない。


「……ふふっ、それも、たらればか……。チェシャ猫」


「なんだい?」


「済まない。終わらせてくれるかい? 君くらいにしか、頼めない」


「良いのかい、なんて聞かないよ」


「ああ」


 チェシャ猫は中野から視線を逸らすと、広間に一つあった玉座に向かう。


「チェシャ猫?」


 誰もがチェシャ猫の動向を窺う。


 二人にしか分からない会話に、その他の者は完全に置き去りにされてしまっているのだから。


 そんな中、有栖はチェシャ猫の元へと向かう。


「何するの?」


「言っただろう、アリス。この世界は終わらせなくちゃいけないんだよ」


 チェシャ猫が玉座をちょんっと突く。


 そうすれば、玉座は崩壊し、中から片方しかない靴が出てきた。


「これが、彼の|ガラスの靴(・・・・・)だよ」


「これが……?」


 どこからどう見ても、ガラスの靴ではない。ただの、何処にでも売ってそうな子供靴だ。


 出てきた子供靴を、チェシャ猫はおもむろに丸のみにした。


「え、ちょっと!?」


「――ッ!? なんだ!?」


 有栖が驚いているのも束の間、背後に居る皆から息を呑むような声が聞こえてくる。


 有栖が慌てて振り返れば、そこには全身が淡く光っている中野の姿が。


「なっ、チェシャ猫、どういう事!? あれ、何が起きてるの!?」


「この世界を構成する核が壊れたからね。この世界の住人になってしまった彼は消滅するのさ」


「そんなっ……!!」


「中野くん!!」


 笑良が中野の傍に膝をつく。


 光の粒子になって消えて行く中野を前にどうすれば良いのか分からないのか、おろおろと困惑している。


 今にも消えかけているというのに、中野の表情は明るい。知っていたのだ。こうなる事を。


「――っ! 今度は何!?」


 突然、城が揺れ始める。


「この城もこの世界の一部だからね。核が無くなったら崩壊もするさ」


「それを早く言え猫!! おい、今度こそ撤退だ!! 瓦礫の下敷きになっちまうぞ!!」


 広間から地面に伸びる大きな階段へ向けて、皆が走り出す。


 その中で、笑良は中野を運び出そうとする。


「中野くん、早く、逃げなきゃ……!」


「笑良。僕はもう良い。僕はどうせ消える。僕に構ってたら、笑良まで逃げ遅れちゃうよ」


「でも……置いてはいけません!!」


 苦心しながら、笑良は中野を抱えようとする。けれど、力を使い切った笑良では中野を持ち上げる事は出来ない。


「……」


 あぁ、優しいな、笑良は……。あの頃と、何も変わらない……。


「笑良……」


 有栖は立ち止まり、二人を振り返る。


 そして、中野を一緒に連れて行こうと歩き出そうとした時、中野が有栖を見る。


「……」


「……」


 視線だけで、中野は意思を伝える。


 有栖はこくりと頷くと、笑良へ駆け寄る。


「お、御伽くん! ちょっと、手伝ってください! 中野くんも一緒に――」


「ううん、駄目だよ、笑良」


「御伽くん……?」


 有栖はそっと笑良の手を引く。


「それじゃあ間に合わない。オレももう能力出せないし、笑良だって同じでしょ? 中野も、一人じゃ走れない」


「でも……でも……!!」


 有栖は笑良の手を引いて走り出す。笑良はたたらを踏みながらも、中野を連れて行こうと必死に腕を掴む。


 けれど、それを中野は無理矢理引き剥がす。


「中野くん!!」


 笑良は手を伸ばすけれど、崩れ落ちた天井が笑良と中野の間に落ちる。


「……ありがとう、アリス。最後だけ、君に感謝しよう……」


 中野はその場に寝転がり、有栖が空けた天井の穴から空を眺める。


「ばいばい、笑良……お幸せに」

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