第15話 Aschenputtel

 光に包まれた笑良に驚愕する一同。しかし、その中でチェシャ猫だけは驚かない。


 笑良だって腐っても御伽の守護者ワンダーだ。きっかけさえあれば、覚醒する事は分かっていた。


 光が晴れ、覚醒した笑良が姿を現す。


「……こ、れは……」


 金の髪に金のドレス。更には金の靴を履いた、全身金尽くしの恰好。しかし、笑良の着る金には下品さが無く、アクセントに加えられた白が上品さを醸し出していている。


「まぁ、君も御伽の守護者ワンダーだからね」


 当然の事のようにチェシャ猫は言う。


「そんな……笑良…………」


 ドレスに身を包んだ笑良を見て、中野は茫然自失となる。


 いや、御伽の守護者ワンダーとして覚醒したからだけでは無い。笑良が中野ではなく、有栖の手を取った。その事にショックを隠せないでいるのだ。


「なんで……そんな奴の手を……」


「中野くん……」


「なんで僕じゃ無いんだ!! 僕は君を愛してる!! 君を一番近くで見てきた!! 君をずっと支えてきた君を助けようと努力したそんなぽっと出の女に負けないくらいに僕は君を見てきたなのにどうして僕じゃ無いんだ!!」


 荒れ狂うように声を荒げる中野。目は血走り、瞳には確かな怒りを宿している。


 笑良は中野から目を逸らす。


 後ろめたい。中野が、笑良のためを思ってくれていたのは分かっている。傍に居てくれたことも、慰めてくれたことも、少しの愚痴を聞いてくれたことも、分かっているのだ。


 だからこそ、中野の手を取らなかった事が後ろめたい。


 けれど、それでも、笑良は有栖を信じてみたいと思った。有栖の言葉に、強く惹かれてしまった。


 笑良は有栖を見る。血だらけで、ぼろぼろになりながらも、有栖は自分の元に来てくれた。慰めてくれた。助けてくれた。心配してくれた。励ましてくれた。一緒に幸せを探そうと言ってくれた。


 笑良は有栖から視線を外し、中野を見る。


「私は……この人達を恨んで、います……それは、紛れもない事実です……」


 家族からの仕打ちを到底許す事は出来ない。特に、父親からの性的虐待は、笑良の心に深い傷として刻まれている。


「誰かに救って欲しいって思ってました。誰か助けてって、ずっと思ってました」


 痛くて苦しい時、いつも心からそう思っていた。


「こんな人達大嫌い。全員死んでしまえば良いって思ったりもしました。殺したい、憎いって……今でも、心の中にその感情は残ってます……」


「なら殺そう!! 今からでも遅くない!! こいつらを全員殺して、僕と一緒に幸せになろう!!」


 中野の言葉に、笑良は首を振る。


「駄目です……御伽くんの言った通りなんです。殺してしまえば……私は日常に戻れない。例え戻れたとしても、私の罪は消えない。私が家族を殺したという事実は変わらない。私は…………私は、ただ普通に生きたい。特別なんて要らない。友達と遊んだり、家族と笑いあったり、ただ平凡に人生を歩んで、皆が当たり前のように感じる事の出来る幸せを私も感じたいだけなんです」


 それは、笑良から失われてしまったもの。笑良から奪われてしまったもの。


「私が生きていたいのは、当たり前に笑っていられる毎日です。殺してしまったら……私の笑顔は偽物になってしまいます……」


 復讐を本懐として、日常を捨てるのであれば、殺したとしても笑っていられるだろう。それが本懐、それが本望。そのために生きて、そのために動いていたのだから。


 けれど、笑良は違う。殺したいと思う程憎くはあるけれど、笑良はまだ日常に未練がある。当たり前の幸せを望んでいる。


 家族を殺した後、その当たり前の幸せを自分が享受できるとは、到底思えない。


「特別な毎日を、私は望みません。私が欲しいのは、当たり前の幸せなんです。……だから、特別だけをくれる中野くんの手は取れません。ごめんなさい……」


「……っ、……!!」


 悔しそうに、怒りを堪えるように、中野は歯を食いしばる。


「ふっ……ざけるな……。当たり前の幸せ……? 偽物の笑顔……? 違う、違う違う違う!!」


 癇癪を起したように、中野は頭を掻きむしる。


「そんなもの笑良には必要無い!! 僕が笑良の隣に居て、笑良をずっと幸せにする!! その毎日が特別じゃないはずが無いんだ!! 美味しいご飯も、綺麗な服も、美しいアクセサリーも、この世界が完成すれば全部全部手に入る!! 毎日楽しく過ごせるんだ!! 笑良が苦しむ事のない、幸せな世界になるんだ!! だってそうじゃなきゃおかしいじゃないか!! 笑良が苦しんできた分、こいつら全員苦しんで、その分笑良が幸せにならなきゃ、おかしいだろ!? 僕間違ってるか!? なぁ!?」


「……それは、そう思う心はオレは間違いじゃ無いと思う」


 中野の言葉に、笑良ではなく有栖が答える。


「笑良が苦しんできた分、笑良には幸せになって欲しい。この人達にはそれ相応の罰を受けてほしい。父親に関しては、笑良が気のすむまでぼこぼこに殴ったって誰も責められやしない。誰が咎めたって、オレは笑良を許すよ。この人達は、罰を受けるべきだ」


 有栖は笑良を見る。それから司、チェシャ猫、三宮、海添、三丈、新島。


「幸せって与えられるものでも、奪うものでもない。時に独り占めして、時に分かち合って、時に譲って……そうやって、皆に広がっていくものだと、オレは思う」


「そんなの綺麗事なんだよ!! 幸せだけの世の中じゃない!! 幸せだけを享受する事なんて出来やしない!!」


「なら、あんたの言う世界は破綻してるよ。毎日特別な幸せを得るために、いったい誰が犠牲になる? どれだけの人の幸せを踏みにじれば良い? 現に、この世界がある事で皆が不安と恐怖の中で生きてる。亡くなってる人も……いると思う……」


 笑良が幸せになるために、誰かがしわ寄せを受ける世界。笑良の幸せのためだけに、誰かが犠牲になる世界。そんな世界は、間違えている。


「人を踏みつけにした幸せを喜べるやつは、真っ当な心なんてしてない。そんなの、ただの薄汚れた快楽を享受する最低な悦楽者だ。でも、笑良はそうじゃない。それは、あんただって分かってるだろ?」


 そうした者を見た中野であれば、分かるはずだ。分からないはずがない。それが許せなくて、こんな事をしているのだから。


「あんたは笑良に同じことをしようとしてるんだよ。与えるだけが愛じゃない。押し付けるのなんてもっての|外(ほか)だ。愛ってのは、お互いが|育(はぐく)むものなんだよ」


「――――――――ッッ!!」


 有栖の言葉に、中野は何も言えずに凄まじい形相で有栖を睨みつける。が、次の瞬間にはその表情の険しさは落ちた。代わりに現れるのは、情を欠落させた冷酷な王の顔。


「なるほど、お前の言いたい事は分かった。そうだ、愛は育むものだ」


 有栖の物言いに納得している様子を示す中野。しかし、納得とは裏腹に中野は一歩も譲る気配を見せない。


「だから、時間を作ろうと思う。笑良が僕を受け入れる時間を。そのためには、やっぱり君達は邪魔だ」


 中野が指を弾いて鳴らす。それだけで、どこからともなく騎士甲冑が現れる。それも一体や二体ではない。数えるのが面倒な程に、どこからともなく現れる。


「くっ、まだこんなに居やがったのか……!!」


「此処は僕の城だ。此処は僕の世界だ。僕の思うように役者を増やす事だって出来る」


 感情の無い瞳が有栖を射抜く。冷え切った裁定者の目。


「此処に笑良と僕以外の主役はいらない。|端役(はやく)にはご退場願おう」


 もう一つ指を弾けば、騎士甲冑は悠然とした足取りで有栖達との距離を詰める。


「どうします!? 流石にこの数じゃ弾が足りませんよ!?」


「撤退だ! 一度撤退して体勢を立て直す!!」


 三宮の言葉に、海添は即座に指示を出す。


 流石に、一個分隊で戦うには戦力差がありすぎる。


 皆が撤退の動きをする中、しかし、有栖はその場に立ち止まって中野を見る。


「有栖!! 逃げるよ!!」


「…………ダメだ」


 司の言葉に、有栖は明確に否と答える。


「そうだね。これだけの兵を出せるのは|猫(ぼく)も想定外だ。時間を置けば形成はどんどん不利になる。今、彼と対峙しているこの瞬間が一番の|好機(チャンス)だよ」


「違う。違うよチェシャ猫」


 有栖の言葉を肯定したチェシャ猫。しかし、チェシャ猫の言葉を有栖は否定する。


 そんな理由じゃない。そんな理由で此処に残る訳じゃない。


「こいつは、もう変わらない。どうあったって変えられない。笑良を幸せにする事しか考えて無い」


 笑良の幸せを考えている。けれど、それ以外は見えていない。そして、折れるつもりも無い。自分の考えが正しいと、笑良にとっての最善であると信じて疑っていない。


 例えそれが、笑良の意思と反するものだとしても。


 こうなってしまって歪んでしまったのか、こうなる前から歪んでいたのか。それは、今日初めて会った有栖には分からない。


 けれど、此処で止めなくてはいけない事は分かる。


 笑良の幸せしか考えていない中野は、他を気にしないだろう。そして、此処で逃げたら手段を選ばないで笑良を奪いに来るだろう。


それで何人犠牲になる? それで何人不幸になる? 


 笑良だけの幸せを望んでいる中野は、そんな事も気にしないのだろう。


「この独り善がりで|臆病(・・)な王様は、此処でぶん殴って止める」


 そのための力はもう分かっている。もう、無力じゃない。自分が|アリス(・・・)であると理解できれば、力の使い方も理解できた。


「|不思議な不思議な出来事(ワンダー・ワンダー)」


 有栖が力を発動すれば、有栖の手には一振りの剣が現れる。


 ヴォーパルソード。ヴォーパルの|剣(つるぎ)とも言う。名前の無い主人公がジャバウォックを倒すのに使った剣。


 それが今、有栖の手に握られている。


 一歩、踏み出す。その一歩から、決して有栖の脚の長さでは考えられない程の距離を移動する。跳ぶように、弾かれるように、有栖は走る。


 騎士甲冑が有栖を殺そうと剣を振るう。小柄な有栖はその合間を潜り抜け、ヴォーパルの剣を振るって騎士甲冑を斬り付ける。


 たかが小娘の振るう剣の一振り。しかし、その一振りは重く、強い。


 衝撃に負けたように騎士甲冑は軽々と吹き飛んでいく。


「――ッ!! 僕を護れ!!」


 有栖の猛進に焦りを見せた中野は騎士達のいくらかを自分の護りに使う。


 十数体の騎士達を前に、流石に有栖も脚を止める。


 密度の高い防御の陣形。今までのようにすり抜ける事は出来ない。


 有栖が攻めあぐねていると背後から有栖の頭上を越えて何かが騎士達に向けて投げ込まれる。


 重苦しい音を立てて地面に落ちたそれは、一、二秒の間を置いて爆発する。


「おい御伽! 撤退だって言ってるだろ! さっさと逃げるぞ!!」


 手榴弾を投げた下手人である三宮は、周囲を囲む騎士達を撃ちながら有栖に言う。


「このままじゃ俺達が先に潰される!! 深追いしないでさっさと逃げるぞ!!」


「――っ、でも、それじゃあ!!」


「有栖、三宮さんの言う通りだ。このままじゃ俺達がやられる。有栖だって、能力を把握したばかりだろう? 今突っ込んでいくのは得策じゃない」


 司が、冷静に有栖に言う。


 その間、司は騎士から奪った剣を使って白兵戦を繰り広げている。


 有栖だって、分かっている。手が足りない。戦力が足りない。有栖だって戦い慣れている訳では無い。


 どうあっても、何もかもが足りないのだ。


 有栖は悔し気に歯軋りをする。


 届きそうで届かない。ぶん殴って、こんな馬鹿な事止めさせて、笑良とちゃんと話合わせなければいけないのに。


 この拳は、中野まで届かない。


「だい、じょうぶ……大丈夫、です……」


 不意に肩に手が置かれる。その手の主は笑良だった。


「笑良……?」


 有栖が笑良を見れば、笑良は気丈にも笑みを浮かべる。


「わ、私も、|御伽の守護者(ワンダー)です。だから、御伽くんと一緒に、戦います。それに……」


 笑良の視線は中野に向く。


「向き合わなきゃいけないのは、私、だから……だから、御伽くん……私を、護ってください」


 それは、矛盾した言葉。戦うと言ったのに、護ってくれという。けれど、有栖は何故だかその言葉を正しく理解できた。


 ああ、そうか。それが、笑良の力なんだ。


「分かった。笑良はオレが護るよ」


 有栖が力強い笑顔で頷けば、笑良も薄く微笑みを浮かべて頷く。


 笑良は有栖から数歩下がると、緊張を吐き出すように息を吐く。


「これが、私の戦い方、です……」


 とんとん。笑良は軽快なステップを刻む。


 それは、踊りの始まり。いや、|舞踏会(・・・)の始まりである。


「|輝ける乙女の黄金の時間(シンデレラ・タイム)」


 直後、バイオリンの音色が響き渡る。いや、バイオリンだけではない。チェロ、トランペット、バス、トロンボーン、ピアノにシロフォン。管楽器、弦楽器、打楽器。それら全てが完璧な調和で舞踏会を盛り上げる音楽を奏でる。


 その音楽の最中、笑良は美しく、流麗に、時にたおやかに踊る。


 笑良が踊るたびに、何故だか力が沸き上がる。


 そう、これが笑良の能力。


 聞く者、見る者の力を向上させる、完全に援護型の能力。これが笑良の戦い方だからこそ、有栖に護ってくれと言ったのだ。


「これなら……!!」


 短期決戦なら、行ける。


 有栖は騎士達の隙間から見える中野を見据える。


 さぁ、|最高潮(クライマックス)だ。

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