第14話 Alice in New World

 声を荒げる有栖に、中野はすっと冷えた目を向ける。


「さっきから、君は何様のつもりなんだい? 何も知らなかった今さっき知った笑良との時間も短い笑良の現状を知りもしない君に、いったい僕の何を責められる?」


「さっきも言っただろうが。本当に助けたいなら、新田さんにあんなことがあったなんて大ぴらに見せないんだよ! お前、新田さんが何で泣いてんのか分かってねぇのか?」


 誰も知らなかった。笑良と充以外は知り得なかったことを知られてしまった。家族に、有栖に。


「オレだって女の子の気持ちなんて全然分かんねぇよ! でもな! あれが新田さんにとって知られたくない事の一つだって事くらいは分かるんだよ!!」


「……おと、ぎ……くん……」


 笑良は涙を流しながら有栖を見る。けれど、その手にはいまだにしっかりと剣が握られている。


 まだ、安心はできない。


 なんでオレは此処にいる? なんでこんなところにいる? 出ろ! こんなところから出ろよ!


「こ、の……っ!!」


 有栖は鉄格子に手をかけ、思い切り引っ張る。


「オレは知らないよ!! 新田さんと会ったのもつい最近だ!! 新田さんが苦しんできた時間だけ、オレは幸せだった!! 家族に恵まれて、友達に恵まれて……こんなオレと仲良くしてくれる人達がいた!!」


 有栖だって何も悩みを抱えてこなかった訳じゃない。人と容姿が違うから、それなりに苦労もしてきた。


 自分の悩みがどれだけ辛いかなんて他人と比較出来やしない。自分が辛いのだから、辛いのだ。


 そして、笑良だって辛かったはずだ。誰も助けてくれない。誰も味方がいない。信じていた父親でさえ自分を害する。


 辛くないはずない。死にたいと、楽になりたいと思った日もあるかもしれない。


「新田さん!! そんな事しても、新田さんは幸せにはなれない!! オレが断言する!! 家族を殺したら、新田さんは絶対に苦しむ!!」


「もういい黙れ!! 笑良!! こんな奴の言う事を信じるな!! 君は僕を信じていれば良い!!」


「お前こそ黙れ!! 殺してハッピーエンドになんてなるかよ!! それで幸せになれる奴は日常を捨てた奴だけだ!! でも、新田さんは違うだろ!? まだ捨ててない!! 新田さん!! 家族を殺しちゃったら、新田さんは日常を捨てる事になる!!」


「日常なんてもう必要無い!! この物語が完成すれば、笑良は幸せになれる!! 笑良!! 君の思う幸せは全部僕が用意する!! 君はそのままでいい!!」


「良い訳あるか!! 卑屈なまま、自分に自信の無いまま幸せを与えられて、それで新田さんが幸せになれる訳無いだろ!!」


「お前に何が分かる!! 笑良には僕が幸せを与える!! 僕が笑良を幸せにする!! 誰よりも、他の誰よりも僕が一番それを望んできたんだ!! ずっとずっとずっと!! 僕は笑良を幸せにすることだけを――」


「ならなんでもっと早く動かなかったんだよ!! こんなことになるまで、なんで動かなかったんだよ!!」


「家庭の問題は酷くデリケートだ!! 力の無い僕が手を出して笑良の状況を悪化させたら!? もし|虐(いじ)めが過激になったら!? 力の無かった僕に出来る事なんて何も――」


「言い訳すんな!! 何も出来ない言い訳ばかり並べて自分を守ってるだけじゃねぇか!! 本当に好きならな一緒に家出の一つでもしてみろってんだよ!!」


「そんな軽率な事出来るわけが無いだろ!!」


「出来んだよ!! オレはやったからな!!」


 懐かしい記憶。有栖が司を連れて家出した時のことを思い出す。


 感傷にはひたらない。そんな暇はない。


「自分が出来ない言い訳なんて幾らでも並べられんだよ!!」


 できない事を考えるよりも、出来る事を少しでも考えた方が良いに決まっている。だって、少なくてもそれは誰かにしてあげられる事なのだから。


「だから、こんなものぉ……っ!!」


 鉄格子があるからなんだ。あるなら、邪魔するなら、壊せば良いだけだ。だって、|御伽の守護者(ワンダー)なのだろう? 確かに、シンデレラの原典は二人の義姉は酷い目に合う。けれど、それは|シンデレラの(・・・・・・)物語の話しだ。|新田笑良の(・・・・・)物語なら、笑良の好きなようにして良い。


 笑良の物語は決して御伽噺なんかじゃない。でも、それでも守りたい。友達として、友達を守りたい。


「壊れろぉぉぉぉぉ…………っ!!」


 ありったけの力を込める。


 打ち付けた頭が痛い。蹴られた身体が痛い。でも、それはやらない事の言い訳にはならない。


 みっともなく鉄格子を壊そうとしている有栖を見て、中野は冷めた目を向ける。


 あんな大口を叩いていても、所詮はただの少女。あの牢にいる限り、何も出来やしない。


「はっ……馬鹿が。そんな簡単に鉄格子が壊れるわけが無いだろ。笑良、あんな奴放っておいて、こいつらを殺そう」


「で、も……」


「大丈夫。こいつらを殺せば笑良は幸せになれるよ。僕だって笑良をちゃんと幸せにする。だから、安心して」


 先程とは打って変わって、優しい笑みを浮かべる中野。


「……」


 笑良は家族を見る。


 死んでほしいと思った事は……残念ながら、ある。もう嫌いにもなっているし、不幸になってくれればいいとも思ってしまっている。家族に対しては黒い感情しかない……はずだ。


 この手で終わらせる。この手で、自分に起きた不幸を全て終わらせる事が出来る。


 殺せば。この人達を、殺せば……。


「新田さん、駄目だ!! こんのぉ……っ!! 壊れろっ!! 壊れろって!!」


 がんがんと鉄格子を殴りつける有栖。


 容赦なく殴りつけているために、拳からは血が出てきている。


「みっともないよアリス。君はそこで黙って見てろ。さぁ、笑良。断罪を」


「私……は……」


 笑良は剣をゆっくりと振り上げる。


「――っ!! 駄目だ、新田さん!! このっ!! 壊れろっ!! 壊れろって!!」


 殴り、蹴り、体当たりをするけれど、鉄格子はびくともしない。


 アリス・・・なら。不思議の国のアリスなら。なにか、なにか……!!


「……はっ、そうだ! 小さく、小さくなれ!」


 不思議の国のアリスではアリスは小さくなったり大きくなったりする。


 自分が不思議の国のアリスの御伽の守護者ワンダーならば、同じ事が出来てもおかしくは無いだろう。


「小さく、小さく、小さく……!!」


「アリス、それでは意味が無いよ」


「――っ!? チェシャ猫!?」


 唐突に頭に重みを感じる。視線を上に向ければ、灰と黒の縞々模様の猫――チェシャ猫が乗っていた。


 有栖の驚愕を余所に、チェシャ猫は続ける。


「アリス。君はもう知ってるはずだよ。君の力が何なのかを。さぁ、心に問いかけてごらん。心はきっと返してくれるよ」


「オレの力……」


 有栖はチェシャ猫に言われるがまま、落ち着いて、目を瞑る。


 そうすれば、チェシャ猫の言う通り、自分に出来る事が何故だか分かった。


「性別という大きなファクターが邪魔をしていてね。アリスは他の御伽の守護者ワンダーよりも能力の覚醒が遅れてしまったみたいだね。でももう大丈夫。行ってらっしゃい、アリス」


「行ってきます! 不思議な不思議な出来事ワンダー・ワンダー!!」


 声高々に、魔法の呪文を唱える。


 途端、有栖の身体が小さくなる。


 ぐんぐんと小さくなり、ついにはチェシャ猫よりも小さくなってしまった。


 けれど、それで良い。小さくなれれば、この牢から出る事が出来るのだから。


「――っ!! アリスを殺せ、今すぐに!!」


 中野が焦りながら騎士に指示を出す。


「チェシャ猫、背中に乗せて!!」


「良いとも、お乗り」


 しゃがんだチェシャ猫の上に乗り、キャットライダーが誕生する。


「走って!!」


「しっかり掴まってるんだよ」


 有栖に言われるがまま、チェシャ猫は走り出す。


 素早く、けれど、有栖を落とさないように安定した走りを見せるチェシャ猫。重心がぶれる事が無いため、有栖が振り落とされるような事は無い。


 毛深い猫が走っているから見た目的には面白いけれど、走っている有栖達は至って真剣である。


 騎士甲冑がチェシャ猫に剣を振り下ろすけれど、チェシャ猫はそれをするりと躱す。その程度、猫の反射神経を持ってすれば簡単に躱す事が出来る。


「凄い! 凄い凄い凄い!」


「お気に召したかな、アリス」


「うん!」


 これなら、笑良の元へたどり着く事が出来る。


 けど、笑良の近くには――


「アァリスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウッ!!」


 ――鬼のような形相をした中野がいる。


「僕の、邪魔を……するなぁぁぁぁあああああああああああッ!!」


 剣を抜き、チェシャ猫に迫る中野。


 相手はきちんとしたこの世界の役職を持っている。有栖達御伽の守護者ワンダーのように特殊な能力を持っていてもおかしくは無い。


 どう乗り越えるか。チェシャ猫に乗りながら考えていると、突然広間の端から矢のような素早さで誰か・・が飛び出してくる。


 あっという間に中野に肉薄し、真横から思い切り蹴り飛ばす。


「ぐっ!? お前は!?」


「有栖に近付くな、糞野郎」


「司!!」


 中野を蹴り飛ばしたのは他でもない司だ。司の姿を見て、有栖は思わずほっと胸を撫で下ろしてしまう。


 駄目だ。まだ安堵するな。終わってない。まだ、全然終わってないんだ。


「馬鹿ッ!! 勝手に飛び出すな!!」


 司を追って、三宮や海添達も飛び出してくる。


 陽動作戦は成功し、海添達は無事に城の中に潜入する事が出来たのだ。


 城の構造は案外単純で、直ぐに広間までたどり着く事が出来た。


「要救助者の救出を優先しろ!! 新島と三丈は敵を寄せ付けるな!! 俺と三宮で鎖を壊すぞ!!」


「「「了解!!」」」


 新島と三丈が騎士に発砲し、牽制をする。その間に、三宮と海添で鎖を撃って拘束を解く。


「お、前らぁぁぁぁぁぁああああああああッ!! 僕の城でぇ……好き勝手するなぁぁぁぁぁッ!! 騎士共!! こいつらを一人残らず殺せぇ!!」


 司に蹴られ、遠くへ吹き飛ばされた中野が騎士達に怒鳴り散らす。


 皆が中野や騎士達の気を引いている間に、チェシャ猫は笑良の元へとたどり着く。


不思議な不思議な出来事ワンダー・ワンダー!」


 有栖はチェシャ猫の背中から跳ぶと、不思議な不思議な出来事ワンダー・ワンダーを解除する。


 そして、元の大きさに戻った有栖は、勢いそのままに笑良を抱きしめる。


「……御伽……君……」


 涙を流しながら、笑良は自らを抱きしめる有栖を見る。


「おい、鎖は外れた!! とっととずらかるぞ!!」


「ずらかるって、なんだか賊っぽい言い方ですね!!」


「茶化すな三丈!!」


 充達を拘束する鎖は外れた。後はこの場から逃げて、いったん学校に戻ってから方針を決めれば良いだけだ。


 けれど、有栖は動こうとしない。


「おい御伽!! さっさと逃げるぞ!!」


 三宮が声を荒げるも、有栖は動かない。


 笑良を抱きしめながら、有栖は言う。


「知ってる、新田さん。学校帰りの買い食いって美味しいんだ」


「はぁ!? 今はそんな事どうだって良いだろうが!!」


 突然訳の分からないことを言う有栖に、三宮が額に青筋を浮かべながら声を荒げる。


 しかし、有栖は止めない。ここで止めてはいけない。今、言わなくてはいけないのだ。


「友達と一緒にお昼ご飯を食べて、くだらないことを話すのも楽しい。休みに友達と一緒に出掛けたり、友達の家でゲームしたりするのだって楽しいんだ」


 有栖は顔を上げる。


 潤んだ瞳で、けれど、泣く事無く真摯に笑良を見つめる。


「一人でいるのだって楽しい事はあるよ。ゲームしてるときは楽しいし、マンガ読んでる時も、クーラーの効いた部屋でアイス食べてる時も、小っちゃい事かもしれないけど、オレ、幸せだなって思うんだ」


「だから、さっきから何の話をしてるんだお前は!?」


「笑良ぁぁぁぁッ!! そんな奴の話を聞くな!! 耳を傾けるなぁぁぁぁぁああああああッ!!」


 困惑する三宮と、喚いて有栖の言葉を遮ろうとする中野。


 剣を振り上げ、迫る中野に司は制服の内側、脇に下げているホルスター・・・・からを引き抜く。


「煩いんだよ。有栖の邪魔をするな」


 流れるように射撃の構えへ。そして、躊躇う事無く発砲。


「――ぎゃっ!?」


 乾いた発砲音とともに弾丸が撃ちだされる。


 撃ちだされた弾丸は狙いたがわず、中野の持っていた剣を弾いた。


「おまっ、星宮!! お前なんで銃なんて持ってんだ!?」


「道中、亡くなった警察官から拝借しました」


 淡々と答える司に、三宮も海添も怒れば良いのか呆れれば良いのか分からないような顔をしている。


「後で没収だからな!!」


「ええ、どうぞ。有栖!」


 適当に返事をした後、司は有栖に声をかける。


 有栖はちらりと司を見る。


 司は、有栖の方を見もせずに、ただ確固たる意志を持って言う。


「有栖の好きなようにして。その間、俺が誰も近付けさせないから」


 背中を向けているから、司の表情は見えない。けれど、有栖には分かる。こう言った司は、やり通す。自分の言葉を貫き通す。幼馴染だから、分かる。


「ありがと……」


「お礼は後で」


 お小言もお叱りも後で、とは、今は言わない。さすがに、空気は読む。


 有栖は一つ頷いて、笑良に視線を戻す。


「新田さん。楽しい事も、幸せな事も、オレいっぱい知ってるんだ。大きい幸せも小さい幸せも、いっぱい知ってる。友達と共感できる幸せも、出来ない幸せも知ってる。でも、これは多分、オレの幸せだから、新田さんに合うのかどうかオレには分からない。だから――」


 有栖は必死に笑みを浮かべる。泣かないように、目に力を込めて。


「――こんなところで終わらせないで、帰ろう。新田さんが幸せが分からないって言うなら、オレが一緒に新田さんの幸せを探すよ。こんなところで、終わっていいわけ無いんだよ。だって、今まで辛かった分、新田さんは幸せになって良いはずなんだから」


 屈託無く、純粋な言葉で有栖は言う。


 有栖は笑良から離れる。


 そして、笑みを浮かべたまま笑良に手を差し出す。


「新田さん……ううん、笑良・・。此処は絶対に笑良の終わりじゃない。笑良がシンデレラなら此処で話が終わっちゃう。でも、笑良は笑良だ。シンデレラなんかじゃない。此処が終わりなんかじゃない。いつだって、どこでだって、物語を始める事が出来るんだよ。だから、此処から、笑良の物語を始めようよ。オレと……オレ達で……新しい物語を始めようよ!!」


「笑良、聞くな!! 笑良は此処で、僕と幸せになるのが一番なんだ!! 僕と居れば、君は辛い思いをしないで済む!! 僕なら、君を幸せに出来る!!」


「私、は……私は……」


 戸惑ったように、笑良は視線を泳がせる。


 心に正直になれない。なったら、裏切られるかもしれない。有栖の言葉に保証なんて無い。幸せになれないかもしれない。これ以上の不幸が訪れるかもしれない。


「笑良!! そいつの手を取るな!! そいつは悪魔だ!! 君を|唆(そそのか)して、君が落ちていく様を嘲笑うのが目的なんだ!! だからそんな奴の手は取るな!!」


 中野が必死に声をかける。


 もういっそ撃ち抜いてやろうかと司は思ったけれど、有栖が何も言わないのなら、司が何かをする必要は無い。有栖を信じて、自分の言ったことを遂行するだけだ。


 誰もが、笑良の言葉を待つ。


 有栖は笑みを浮かべたまま、笑良に問いかける。


「笑良。笑良は、何をしたい?」


「……私は…………」


「オレはとりあえず、これが終わったらお風呂入りたい!! 見てよ!! 体中汚れちゃってる!!」


 たははと笑いながら有栖は言う。


 見やれば汚れだけではない。額や手から血が流れている。今も、痛むのか手がぷるぷると震えている。


 それでも、気丈に笑みを見せる有栖。


「笑良。そんなちっちゃな事で良い。今、笑良は何がしたい?」


 有栖の優しい声に、自分の心に罅が入った事に気付いた。


「………………わ、たし……は……」


 黒く、淀んだ殻が覆う心に、少しずつ、亀裂が走る。


「わ、たしは……!!」


「うん、笑良は?」


 止まっていたはずの涙がまた流れる。


 それは悲しみに暮れた涙ではなく、何かを切望し、踏み出そうとする涙。


「私は……御伽くんと、お友達になりたい、です……!!」


「うん」


「買い食いだってしたいです! お泊り会だって、勉強会だって、カラオケにだって行ってみたいです!」


「うん」


「休み時間にお喋りしたいです、一緒に登下校だってしてみたいです、恋バナだっていつかしてみたいです!!」


「うん……っ」


「私は!!」


 それは、彼女が一番切望するもの。彼女が失って、彼女が奪われたもの。


 それを、彼女はもう一度求める。


「私は!! もっと普通に生きたい・・・・・・・!!」


 笑良の心からの言葉を聞いて、有栖は満面の笑みを浮かべて嬉しそうに頷く。


「うん!」


 そして今一度、笑良に向けて手を差し伸べる。


「おいで、笑良!! 一緒に幸せを見付けよう!!」


「…………はいっ!」


「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 中野の制止の声が響き渡る。


 笑良は|微笑みを(・・・・)浮かべて有栖の手を掴んだ。


 直後、笑良を光が包み込んだ。

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