第13話 Alice in New World

 これは、一人の少女のお話。不憫な不憫な、|廃被り(シンデレラ)のお話。


 両親が医者であるシンデレラは裕福に暮らしていた。欲しい|玩具(おもちゃ)も、美味しいご飯も、家族からの愛も、シンデレラは幸せを何一つ欠かす事無く与えられていた。


 ……けれど、その幸せも長くは続かなかった。


 両親は医者である多忙さから、徐々にすれ違うようになり、ついには離婚をしてしまった。


 まぁ、此処までならばよくある話。現代社会ではごくありふれた離婚話。


 シンデレラは優しく、賢い少女だったから、父親の負担にならないように家事をするようになった。炊事、洗濯、掃除……広い家の中を小さな身体で動き回り、シンデレラは父親のために頑張った。


 最初は下手だった家事も、今ではすっかりと慣れたものだった。


 父と娘、二人だけの生活にも慣れた頃、父の再婚が決まった。シンデレラは新しい家族が不安だったけれど、父の幸せのためならと不安を押し殺して再婚に賛成した。


 けれど、それが間違いだった。


 父が再婚した相手には娘が二人居た。どちらも年上で、一度に二人も姉が出来た事には戸惑ったけれど、仲良くなれたら嬉しいとシンデレラは思った。


 どこから狂ったのだろう。どこから間違えたのだろう。


 最初は上手くいっていたと思う。


 両親は仲睦まじく、一家は少しぎこちないながらも和やかではあったはずだ。


 細かい年月は憶えていないけれど、そう、恐らくは、シンデレラが中学に入学した頃から、徐々におかしくなっていったはずだ。


 家族の仲は段々と悪くなり、シンデレラの扱いもどんどん悪くなっていった。最初は無視だったり、お小言だったり、そんな程度。そんな程度でも、一緒の空間を共有する家族に


されれば辛くない訳が無いのだけれど、まだ我慢できた。また皆で仲良く食卓を囲みたいなと、淡い夢を見るくらいには。


 けれど、それももう叶わない。あの日、あの夜から、修復不可能なくらいに全てが瓦解してしまったのだから。


 ある日の事。夜に目が覚めたシンデレラは水を飲みに台所へ降りた。


「うっ……うぅっ……」


 台所から、誰かの泣き声が。心配になって覗いてみれば、そこには|蹲(うずくま)って泣く義母の姿が。


「だ、大丈夫ですか?」


 泣いている義母の姿を見たのは初めてであり、戸惑いを隠せないままシンデレラは義母に駆け寄った。


 義母は声をかけたのがシンデレラだと知ると、鬼の形相でシンデレラを睨む。


「あんたが……」


「え……?」


「あんたなんか居るから……!!」


 義母はシンデレラを掴み、頬を思い切り叩く。


 体格の小さいシンデレラはそれだけで身体ごと倒されてしまう。


 運が悪かった、としか言いようが無いだろう。倒れた先が棚であり、義母が自分を落ち着かせるために|珈琲(コーヒー)を飲もうとしていて、電気ケトルでお湯を沸かしていたは良いものの、蓋がちゃんとしまっていなかった。


 シンデレラがぶつかった衝撃で、棚に置いてあった電気ケトルが倒れた。蓋が外れ、お湯がこぼれる。


「――――――――――っ!?!?」


 熱湯が、顔にかかる。


 熱さで絶叫し、のた打ち回るシンデレラ。


「どうした!?」


 シンデレラの絶叫は三階の父の部屋まで届いていたらしく、慌てて父が降りてきた。


 そこには、呆然とする義母と泣きながら顔を抑えてのた打ち回るシンデレラの姿が。


 父が慌てて応急処置をしたものの、顔の左側、額から頬の半ばにかけて大きな火傷の後が残ってしまった。


 時期は憶えていない。いつだったかなんて分からない。けれど、恐らくここから。この日からだ。明確に、シンデレラの家族が、家庭が、おかしくなっていったのは。


 シンデレラには自室があった。シンデレラにはベッドがあった。服も、タンスも、机も、シンデレラには、ちゃんとあった。


 段々と……そう、段々と、シンデレラからは何かが失われていった。


「お夕飯まだかしら?」


「あ、の……すみません……後、少しです……」


「はぁ……早くしてちょうだい。こっちは仕事終わって疲れてるんだから」


「はい……」


 あの日から、義母の態度はとてもきついものになった。


 義母がきつく当たるものだから、娘たちも当然それに|倣(なら)ってしまった。


「あなた、部屋要らないでしょ?」


「……え……?」


 晩御飯が出来たのでテーブルに並べていたところで、不意に二番目の義姉から言われた言葉の意味が分からず、声を漏らしたから数秒固まってしまう。


 そんなシンデレラに構う事無く、二番目の義姉は続ける。


「だって、あなたの部屋何も無いじゃない? ベッドと机と、あとタンスだけ。それって、部屋持つ必要ある?」


 二番目の義姉が笑みを浮かべて言う。


 シンデレラの部屋は父に負担をかけたくないから、必要最小限に留めた結果だ。小さい頃に欲しいものは一杯貰った。だから、父の負担を減らしたくて、あまり物を請わなかっただけだ。


 部屋が必要無い訳じゃない。だって、それじゃあどこで寝れば……。


「……あの……それだと……私、眠るところが……」


「適当でいいじゃん? 台所とかさ。とにかく、茜さ、服入りきらなくなっちゃったから、衣裳部屋欲しいんだよね」


「そ、それなら、物置が……」


「はぁ? あそこ日が当たらないでしょ? あんなところに茜の服置けっていうの? 信じらんない」


「で、でも……私も、眠るところが……」


「……|〇〇(シンデレラ)」


 シンデレラと義姉との会話に、義母が口を挟む。


「お姉ちゃんの言う通りにしなさい」


 冷たい、感情の見えない声音。


「あ……ぅ……」


 此処には誰も味方がいない。


 理不尽だ。何故、自分が部屋を譲らなくてはいけないのか。部屋の大きさだって、義姉二人や義母の方が広い。それなのに、何故……。


 シンデレラも鬱憤は溜まっていたのだろう。


 シンデレラは涙目になりながらリビングを出て、三階にある父の部屋へと向かった。


「ん、どうした、|〇〇(シンデレラ)」


 ノックもせずに父の部屋に入ったシンデレラを、しかし、父は咎める事無くどうしたのかを尋ねた。


 そんな父に、シンデレラは溜まらず抱き着いて泣きじゃくる。


「あ、茜さんが……! わ、私には、部屋が……いらないって……! お、お義母さんも……部屋、要らないでしょって……!!」


 泣きながら父に訴えるシンデレラ。


 そんなシンデレラを、しかして父は慰める事無く、抱きかかえてからベッドに降ろす。


「……? お父……さん……?」


 いつもは困った顔をしながらも慰めてくれる父。しかし、今日は何も言わない。何も言わず、ただシンデレラを見つめるだけだ。


 父は部屋の鍵を閉めると、シンデレラに覆いかぶさった。


「え……な、なに、お父さん……?」


 困惑した様子のシンデレラに、しかし、父は何も言わない。


 そして――


「やっ……お父さん……止めて……!!」


 ――シンデレラの制止の声も空しく、シンデレラは父に抱かれてしまったのです。


 あの日義母が泣いていた理由。それは、父がまだ母を愛していたから。


 しかし、もうすでに新しい家庭を持ってしまった。母も噂によれば新しい家庭を持っている。よりを戻そうなどとは出来るはずもない。


 そんな父の愛の矛先が向いたのが、シンデレラだった。


 母に似て美しい顔。歳に似合わぬ発育の良い身体。今では子供だからと我慢が出来ました。いいえ、その愛情が劣情だとは気付かなかったのだ。歳を重ね、中学校に入学してからしばらく経ち、シンデレラの身体は他の子とは比べ物にならないくらいに豊満に、女性的に、成長していったのです。


 シンデレラに抱き着かれた時に、気付いてしまった。あぁ、これは劣情なのだと。


 その劣情のままに、父は愛した妻の面影のあるシンデレラを抱いたのです。


 ベッドで眠れなくなったのは、シンデレラから部屋が失われ、寝床さえも奪われたから。ベッドは最早眠る場所ではなく、父に抱かれる|悍(おぞ)ましい場所だったから。


 台所が心地良く思えるのは、そこが自分の居場所だから。そこだけが、自分の居場所だから。


 相手の目を見られないのは、相手を信用できないから。向けている目が温かいと、縋りたくなってしまうから。縋った結果裏切られたくないから。


 家族を探しに出たのは、家族が心配だったからじゃない。探しに出なかったという事実で責められたくなかったからだ。探しに出れば、きっと許してくれると思ったからだ。


 卑屈、卑屈、卑屈卑屈卑屈卑屈卑屈――


 シンデレラの全ては裏返り、卑屈な心だけが全てとなった。


 家は暖かい場所じゃない。家は、恐ろしく、冷え切った場所だ。


 家族は暖かいものではない。家族は自分を|虐(しいた)げる。自分は家族の奴隷でしかない。


 |新田笑良(シンデレラ)に助けは無い。|新田笑良(シンデレラ)は、誰からも愛されない。



 〇 〇 〇



 誰もが、唖然とした。誰もが、呆然とした。


 そんな中で笑良は無き崩れ、中野は優しい笑みを浮かべている。


「これが、これこそがこの一家の正体だよ、アリス。君が思うような温かい家庭では無い。君が望むような、日の光の当たる家庭ではないんだよ」


「そんな……こんな、事って……」


 嘘、では無いだろう。彼等の静かな反応を見れば分かる。


 それじゃあ、あの部屋にあった|もの(・・)は……全部……。


 夫婦の営みではなく、ただの親が娘に行う性的虐待のために使われていた、という事になる。


 その事実に直面し、絶望をしたような顔をする有栖を見て、中野は酷く嬉しそうに微笑む。


「あ、貴方……これ、本当なの……?」


 美香は充が笑良に手を出した事を知らなかったのだろう。わなわなと震える唇で充に問うも、充は青白い顔をして呆然としているだけだ。


 それが、美香には充分な答えになっていた。


「知らなかったのか、あんた? 自分の夫が、血の繋がった娘とこんなに悍ましい事をしてたって。はっ、やっぱり偽りの家族だね。夫の愛が自分に無いからってホストクラブに通ってるから、こんなことになるんだよ」


 言って、何処から取り出したのか、ホストクラブの名刺をばらばらと地面にばら撒く。


「あんたは……シンプルに屑だよね。年下虐めてさ、部屋も奪ってさ。その上服は自分のお下がり渡してさ。あんな窮屈な服、笑良にはきついだけなのにさ……劣等感持っちゃって、みっともないったらありゃしない」


 笑良と茜では身体的に大きく特徴がある。全体的に笑良の方がスタイルが良く、また、胸も笑良の方が大きい。だから、笑良には自分のお下がりの服を渡すし、お下がりの下着まで渡す。胸のサイズの合わないブラジャーを着させて、窮屈な思いをさせて胸の形を悪くさせようという悪意を持って。


「……あんただけは、何もしなかったよね。でもそれって、助けた事にはならないし、罪に問われない訳でも無いんだよ? 味方でもない、敵でもない。無関心を貫くそんな姿勢も、笑良にとっては十分に暴力だ」


「うっ……ふっ……」


 最初から、映像を見せられた最初の段階から、奈乃香は泣いていた。その涙がさらに溢れ、滂沱の如く流れだす。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 泣きながら謝る奈乃香。


 そんな奈乃香に、中野は心底呆れたように溜息を吐く。


「はぁ……今更泣いて謝ったって遅いって。そんな事してもさ、笑良の心に深く刻まれた傷は、もう元には戻らないんだよ?」


 蹲って泣きじゃくる笑良を慈しむように見る中野。


 中野は四人を放って、笑良の元へと向かう。


「……笑良はこいつらに汚されてしまった。僕は女の子じゃないし、そんな境遇に陥った事も無いけれど、笑良の話を聞いて、笑良の辛そうな顔を見て、笑良がどれだけ傷つけられてきたのかを知ってるよ。特に、父親にね」


 すっと目を細めて充を見る中野。その眼は人ではなく、汚物を見るかのように冷え切っていた。


 しかし、その眼はすぐに優しさを称えて笑良へと向けられる。


「笑良、泣かないで。大丈夫だよ。笑良はもうこんな酷いだけの日々を過ごす必要なんてないんだ」


 笑良の背中をさすり、中野は優しく声をかける。


「笑良。こいつらやアリスじゃ君を幸せには出来ない。けど、僕なら幸せにしてあげられる。君を醜悪な地獄から助けてあげられる。さぁ、笑良、立って」


 笑良の身体を支えて立たせ、その手に剣を持たせる。


「殺そう。この馬鹿どもを」


「……っ」


 涙を流しながら、笑良は四人を見る。


「笑良、大丈夫。僕がいる。僕が笑良を幸せにしてあげる。だから、殺そう」


 笑良が剣を握る手の上から、中野はそっと手を添える。


「美味しい食事も、綺麗な服も、ふかふかなベッドも、全部、全部僕が用意してあげる。僕が、君の王子様になってあげる。だから、安心して? こいつらを殺して、僕達だけの世界を一緒に生きよう」


 泣きながら、笑良は一歩前に踏み出す。


「ちょ、待って止めて!! こ、殺すなんて冗談でしょう!?」


「そ、そうよ! 茜、ちょっと意地悪しただけじゃん!! それだけで殺すの!?」


「お前達にとってはそれだけかもしれないけどね、笑良にとってはそれだけじゃないんだよ。それこそ、殺したいほど恨まれてたっておかしくは無いんだから」


 一歩、また一歩と、笑良は家族に歩み寄る。


 そして、剣が届くその位置にまで来たところで歩みを止める。


「え、笑良……じょ、冗談よね……? ね?」


「冗談な訳無いだろ? さぁ笑良。殺しちゃおう。それで物語は完成する。僕と笑良の新しい世界が完成するんだ」


「止めて……お願い……!」


「笑良が今までそう言っても、お前達は止めなかっただろう? だから、笑良のこの行為を止める権利はお前達には無い」


「ご、ごめんなさい!! もうしない!! もう意地悪しないし部屋も返すし茜の服もあげるから!!」


「い、意地悪した事は謝るわ! 火傷させちゃったことも!! そ、そうよ! 整形手術をして、綺麗に戻しましょう? 費用は全部私が出すわ!! だから、だから――」


「だからもう遅いんだってば!! さぁ笑良!! こいつら全員殺して、|物語の結末(ハッピーエンド)を――」


 騒ぐ彼等の言葉を遮るように、鈍い音が響き渡る。


 がぁんっと、鉄格子を鳴らしたのは他でもない有栖だった。


 額を打ち付けたのだろう。綺麗なおでこからは血が流れ、顔を伝って顎から滴り落ちる。


「……何? 気でも狂ったの?」


 冷めた目で有栖を見る中野。最高の瞬間を止められ、不機嫌そうな顔をしている。


 そんな中野を有栖は睨みつける。


「……へらへらへらへらしやがって。ふざけんなっ!!」


 有栖が声を荒げる。


 その瞳には純粋な怒りが宿り、その怒りの矛先は今は中野に向けられていた。


「お前が新田さんの王子様? そんな訳無いだろ!! お前みたいな自己満王子なんざ願い下げなんだよ!!」


「自己満? 僕が?」


「事実だろうが!!」


「はぁ……怒りの矛先を僕に向けるのは止めてくれるかな? 恨まれるべきはこの一家であって、僕じゃないだろう?」


「もちろん、新田さんの家族にも怒ってるよオレは! でもな、今一番怒ってんのはお前だよ!!」


 確かに腹が立った。笑良を|虐(しいた)げ、あろうことか性的虐待をしていたこの家族には、腸が煮えくり返るほどに腹が立っていた。


 自分が直情的だとは分かっていたけれど、此処まで腹を立てたのは久しぶりだった。


 けど、今一番許せないのは、間違いなく中野だった。


「……なんで僕? 僕は笑良の味方だよ?」


「そんなわけあるか!!」


「……少なくとも、笑良とは君より付き合いが長い。君よりもずっと笑良と接してきた。そんな僕が笑良の味方じゃないだって? 本当に不愉快だよ、アリス」


「不愉快はこっちの台詞だ!! 味方だってんなら、今すぐそのへらへら気持ちの悪い笑みを消しやがれ!!」


「……これは、笑良を安心させようと――」


「嘘つくんじゃねぇ!! お前は自分に酔ってるだけだろ!! 新田さんの王子様ってポジションに立ってる自分に!! 本当に新田さんが大事ならな、本人にあんな映像見せねぇんだよボケ!!」


 今一度、有栖は中野を睨みつける。


「お前はただ自分に酔ってるだけの糞野郎だ!! 王子様面して新田さんの隣に立ってんじゃねぇ!! 役不足だっつうんだよバーカ!!」

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