第12話 Alice in New World

 有栖が連れ去れているところを、司は物陰で見ていた。


 もちろん黙って見ていた訳では無い。今、|必死こいて(・・・・・)|暴れている(・・・・・)|最中だ(・・・)。


「――――――――ッ!!」


「うわっ、この子力強っ……ぐ、軍曹! この子、どうにか出来ませんか!?」


「お前ら|五人(・・)でようやっととはな……恐れ入るぜ、最近の若者は」


「言ってる場合ですか!?」


 呑気な感想を述べるのは海添軍曹。この分隊の隊長を務める男だ。


 海添の言う通り、司は自衛官五名に拘束されながら目を血走らせて有栖を見ていた。


 有栖を助け、守るのが司の使命。周りから言われた訳でもなく、有栖に言われた訳でもなく、自分で決めた司の使命。


 その使命を遂行するために騎士を|殺そう(・・・)と向かおうとしているけれど、それを阻まれている状態だ。


「ちょ……っ、マジで……!!」


「どーにかしてください、軍曹……!!」


 他の面々もきつそうな声を上げており、そろそろ静観しているだけではいけないと判断する海添。


 しかし、海添が何か言う前に、一緒に着いてきていた三宮が司の|鳩尾(みぞおち)に拳を叩きこむ。


「――ッ!?」


「落ち着けクソガキ。一人でぎゃーこらぎゃーこら騒いでんじゃねぇ」


「うわぁ……痛そ……」


 三宮は司の顔を片手で掴み、ぐっと無理矢理視線を自分に合わせる。


「良いか? 今助けに行っても勝てる保証はねぇ。お前も見ただろ? あれが屋根から落ちても普通に動いたところを。あいつは正真正銘の|怪物(バケモン)だ。あんな|怪物(バケモン)と戦って、お前丸腰で勝てんのか?」


 三宮が顔を掴んでいるので、必然他の自衛官が塞いでいた口元は露出している。司は、邪魔をする三宮を睨みながら、怒りの籠った顔で答える。


「勝つ。|あの程度(・・・・)なら勝てる」


「強がり言うな馬鹿が。あんなん俺や海添軍曹でも無理だ」


「銃が通ればいけると思うが、流石に素手は厳しいだろうなぁ……」


 しみじみとした声音で海添は言う。


「それに、あいつは容赦なくあのガキを人質に取るぞ? そうしたらお前、動けんのか?」


「――っ。……それは……」


「無理だろ? なんせお前の一番大事なもんだからな」


 目を逸らした司を、三宮は鼻で笑う。


 しかし、内心では司を馬鹿にはしていない。こうなってしまうのは最もでもあるし、共感だってできる。それに、まだ高校生だ。こういった時に自制が出来ないのは当然だ。


 三宮は司から視線を外し、海添を見る。


「海添軍曹、提案があります」


「うむ、なんだ?」


「要救助者二名の救助、および、敵拠点の調査を行いたいと|具申(・・)します」


「ふむ……確かに、朝戸曹長には調査と言われたが……」


「遅かれ早かれ、あそこは調査するべき場所です。それに、要救助者二名は重要参考人です。事件究明のため、失う訳にはいかないかと」


「それは|猫(ぼく)も同意するよ。此処で二人を助けないと、ここら一帯は取り返しがつかなくなるからね」


 どこからともなく、声が聞こえてくる。


 全員が警戒をする中、司の頭の上にその者は現れた。


「チェシャ猫……」


「ああそうさ。久しぶりだね、司。あれ、そうでもないかな?」


「そんな事はどうでも良いよ。君、有栖の護衛じゃ無いのか?」


 怒りの籠った声で、自らの頭上に居るチェシャ猫に言う司。それが完全に八つ当たりである事は分かっているけれど、有栖が校外に出る事を黙っていたチェシャ猫を責める権利が自分にあると思っているので、チェシャ猫に対して強気に出る司。


「おかしなことを言うね。|猫(ぼく)はただの案内人さ。それ以上でもそれ以下でもないよ」


「ならなんで俺に言わなかった? 俺なら有栖を護れた」


「アリスが君には言うなと言ったんだよ。君にはあまり迷惑をかけたくないと言っていたからね」


 嘘ではない。有栖は自分の勝手に司を付き合わせたくは無かった。自分を探すために危険を冒した司を、これ以上危険な目にあわせたくなかったから。


「まぁ、これ以上は|たられば(・・・・)だね。|猫(ぼく)は三宮の案を押すよ。このまま|御伽の守護者(ワンダー)を失うのは痛手だからね」


「痛手……? そんな言葉だけで済むものか!!」


 頭を振ってチェシャ猫を振り落とす司。


 そのままチェシャ猫を蹴り飛ばそうとしたけれど、脚を掴まれているために蹴り飛ばす事が出来ない。


「乱暴だなぁ」


 チェシャ猫は司から距離を取ると、三宮の頭に乗る。


「乗るな」


「気にする事は無いさ」


 三宮の文句を軽く流し、チェシャ猫は続ける。


「誤解があるようだけれどね、|猫(ぼく)だってアリスを失いたくない。それは|御伽の守護者(ワンダー)だからって訳だけじゃないよ。|猫(ぼく)はアリスが大好きさ。死んでしまったら、|猫(ぼく)は一生泣き続けるだろうね」


「にんまり顔で言われても説得力が……」


 一人の女性自衛官がぼそりと言うけれど、チェシャ猫は気にした様子も無く続ける。


「それに、シンデレラがお城に行ったのなら、物語は終幕まで秒読みだよ」


「どういう事だ?」


「彼……王はもうすでに|硝子の靴(・・・・)を持ってる。そして、彼女の家までシンデレラを迎えに来た。後は、分かるだろう?」


「……後は、王様と結ばれるだけ……」


「そうだね。けど、|それだけ(・・・・)じゃないんだ」


「……それは、どういう意味だい?」


「説明は道すがらするよ。ともかく、お城へ向かおう。それが無理なら、司だけでも開放してほしいな。司なら、アリス一人くらいなら助けられるだろうから」


 チェシャ猫は淡々と言うけれど、それは暗にお前達が行かなければ笑良は助からないぞと言っているようなものだ。


 海添はチェシャ猫の言葉に少し考えた後、一つ溜息を吐いた。


「やるしかないか……」


「同意を得られて嬉しいよ。それじゃあ、早速向かおうか」


 言って、チェシャ猫は三宮の頭から降りて歩き始める。


「あ、そうだ。司」


「なに?」


 ようやっと拘束を解かれた司に、チェシャ猫は振り返りながら言う。


「使う時は、慎重にね。アリスに当たったら、困るから」


「――っ」


 何も知らない者からしたら、要領の得ない言葉。しかし、司にはきちんと伝わっていた。


 少しの動揺。しかし、即座にそれを抑え込み、司は言う。


「君に心配される程、落ちぶれてない」


「そうかい」


 一つ頷いたチェシャ猫は、振り返る事無く歩き始めた。


「おい星宮、今のどういう意味だ?」


「内緒です」


「言ってる場合か。此処まで来たら隠し事は無しだ。お前、何隠してる?」


 三宮に肩を掴まれる。三宮は、真剣な表情で司を見るけれど、司はすぐに三宮から視線を外して、掴む腕を振り払う。


「虎の子ですよ。誰だって隠してるものでしょう」


 言って、司はチェシャ猫の後を追う。


「その虎の子がなんだっつってんだよ。てか、お前も行くのかよ」


「当り前でしょう? 貴方達に有栖は任せられない」


「いや戻れ。お前民間人だって自覚あんのか?」


「ありますよ。ただ、俺の優先順位は何を置いても有栖が一番ですので」


 言って、すたこらと歩く司とチェシャ猫。


「……どうします、軍曹?」


「まぁ、一人で戻すわけにもいかんだろ。それに、あの猫も言ってただろ。星宮君一人いれば少なくとも御伽君は助かるって」


「信じるんですか、チェシャ猫の言葉を?」


「訳知り顔だしな。それに、俺も猫の言葉が間違えてるとも思ってない」


 訓練した自衛官五人で抑えるのがやっとだなんて、ただ事じゃないだろうがよ……。


 心中でそうごちるも、それを口に出す事はしない。そんな迂闊を晒すほど、海添は頭が回らない訳では無い。


「ひとまず、猫に着いて行くぞ」


「「「「「「「「了解」」」」」」」」


 敬礼の後、分隊はチェシャ猫の後を追った。



 〇 〇 〇



「う、うぅ……っ」


 少し湿ったような硬い床の寝心地の悪さに、有栖は呻き声を上げながら目を覚ます。


「……っ……いったぁ……」


 体中で主張をする痛みに顔をしかめながら、周囲を見渡す。そして、自分が気絶する前の事を思い出す。


 確か、オレは……そうだ。中野に見つかって、捕まって……。


「――っ、新田さん……!!」


 何があったのか思い出し、慌てて立ち上がろうとしたけれど、痛みに身体がよろける。


 その身体を誰かが支える。


「――っ!? 誰……!」


「まだ、動かない方が良い。骨は折れて無いが、随分と手酷く打ち付けられてる。もしかしたら、|罅(ひび)くらいは入っているかもしれないからね」


 有栖の身体を支えたのは、優しそうな顔をした男性だった。


 男性は清潔感のある白衣を着ており、中には麻木色のスクラブを着ていた。


「貴方は……?」


「ああ、安心してほしい。私は医者だ」


「そうじゃ、なくて……」


「ん、ああ。名前かな? 私は|新田(・・)|充(みつる)。君は?」


「オレは、御伽有栖、です……その、ありがとうございます、新田さん」


「良いんだよ。医者として、当然のことをしたまでだからね」


 言って、充は優しく微笑んだ。


 って、ちょっと待て。今この人、新田って言ったか?


 働かない頭で、ようやくその事実に気付いた。


 じっと充の顔を見てみれば、新田家の父親の部屋で見た写真の人物その人であった。


「あなた、彼女は大丈夫なの?」


「ああ、問題無い。痣は派手だけど、恐らく骨までは響いてはいないはずだ。……まぁ、レントゲンを撮って見なくては、断定は出来ないが」


 つんっときつい匂いがした。嗅いだことのある、お香の匂い。


 周囲を見渡してみれば、この場所に居たのは有栖と充だけでは無かった。有栖と充を含め、この場に居るのは五人。有栖にとって、四人とも初対面だけれど、まったく知らないという訳では無かった。


「大丈夫? 酷い怪我をしてるみたいだけど、何があったの?」


 有栖を心配そうに見る匂いのきつい女性。彼女の名前は、|新田(・・)|美香(みか)。


「はぁ……もーやだ。茜お家帰りたい――――!」


「……茜煩い。皆同じ気持ちなんだから、一々言わないで。気が滅入る」


 喚くのは流行を取り入れたファッションをしている女子高生、|新田(・・)|茜(あかね)。


 そんな茜を窘めるのは、おとなしめだけれど、きっちりとオシャレをしている女子大生、|新田(・・)|奈乃香(なのか)。


 知ってる。知っている。有栖は彼等を知っている。


 彼等が誰かを認識すれば、有栖は安堵したように息を吐く。


「はぁ……良かったぁ……見つけたよ、新田さん……」


「ん? 何を見付けたんだい?」


「ああ、いえ。違うんです。オレ、新田さん……笑良さんの友人で」


「――っ。笑良の友人……? 失礼だが、君と笑良では歳が離れているようだが……」


「あ、こう見えてオレ高校一年です」


 元男ですとは、言わない。言ったところでおそらく信じては貰えないだろうから。


「そ、そうか。それは、失礼した」


「いえ」


 申し訳なさそうな顔をする充。美香達も、なんとも不憫な者を見る様な目をする。そんな目を向けないで欲しい……。


「それで、笑良は今どこに?」


「一緒に助けに来たんですが……中野に捕まってしまって……」


 中野と言って分かるだろうかと思ったけれど、四人ともその名を聞いたところで顔をしかめたので、中野の事を知っているのだろう。


「ていうか、本当にあの子が茜たちを助けに来たの?」


「はい。助けに行かなきゃって言ってました。それに、泣いてもいましたし……」


「ふ~ん……」


 信じているのかいないのか、曖昧に頷く茜。


「君は、笑良に着いてきてくれたのかな?」


「はい……後、もう一匹一緒だったんですけど……」


 そう言えば、チェシャ猫がいない事に気付く。猫は神出鬼没だ。きっと誰かに助けを求めに行ったのだろうと勝手に考える。


「今は、はぐれちゃってます」


「そうか……」


「……そう言えば、なんで貴女は私達の事が分かったの? 私達、初対面よね?」


「あ、そうです。これ、お返しします」


 言って、有栖は白兎のリュックの中から三人の学生証と社員証を出す。


「これ、私達の……」


「すみません。皆さんを探すのに、新田さん……笑良さんが、学校の場所とかを知らないって言っていたので、少しだけお部屋にお邪魔しました」


「はぁ!? 茜の部屋に勝手に入った訳!?」


「そんな事どうでも良いでしょ。ごめんなさい、御伽さん。手間を取らせてしまったわね」


 怒る茜と、申し訳なさそうな奈乃香。美香は少し嫌そうな顔をして、充は顔をしかめている。


 おそらく、あの引き出しの中に入っていたモノについて危惧しているのだろうけれど、有栖は見てしまった事をにおわせる事無く、素知らぬ顔をする。


「その、御伽さん」


「なんですか?」


「笑良は……その……無事かしら? どこか、怪我とかは?」


「怪我はしてないと思います。ただ……」


「ただ?」


 ベッドで寝ようとして吐いてしまった。お風呂場で見た、笑良の身体にあった違和感。それを、言うべきか迷う。


 本当なら即座に言わなくてはいけないだろう。しかし、笑良の反応と吐いてしまった時の狂ったような謝罪の言葉。笑良本人に何があったのかを聞くまで、誰に漏らす事もしない方が良いだろう。


「……いえ、なんでもありません」


「そう……」


 少しだけ奈乃香の表情が緩んだ気がした。


 けれど、本当に少しだけだ。直ぐに、緊張に引き結ばれた顔になる。


 簡単な状況の説明が終わったところで、がしゃんと金属がぶつかるような音が鳴った。その直後――


「な、なに!?」


「きゃぁ!? なになになに!?」


「お、落ち着きなさい! こういう時こそ冷静に!」


「――っ」


 突然、牢屋が上へ引っ張られる。エレベーターよりも乱暴だ。


 暫くの上昇の後、眩い光が鉄格子の向こうから差し込む。


「――っ。……御伽君……それに……」


 聞きなれた声が聞こえてきた。


 光の入る方。そちらに視線を向ければ、そこには一人の少女と、一人の少年が立っていた。


「お目覚めかな、アリス。それと……汚らわしき新田家諸君」


 少年――中野は充達を汚物でも見るかのような目で見る。その隣で、笑良はどうしていいのか分からないのか、おろおろとしている。


「笑良!!」


 奈乃香は鉄格子に張り付き、笑良を見る。


「……ねえ、さん……」


「……良かった……」


 おろおろとしてはいるけれど、怪我がなさそうな笑良を見て、安堵の息を漏らす奈乃香。


「白々しいなぁ、義姉一。まぁいいよ。こっから本性を暴いてやるから。おい、出せ」


「御意」


 命令された騎士甲冑が動き、牢に近付く。そして、牢の鍵を開けると、牢の中に入ってくる。


「な、なにすんのよ!!」


「離しなさい……!! この……!!」


 騎士は充達を掴んで牢の外へと引っ張り出す。


「おい、止めろ!!」


 有栖は乱暴をする騎士達に掴みかかるけれど、騎士の圧倒的な膂力で簡単に吹き飛ばされてしまう。


「……っ……御伽君……っ」


 笑良が心配そうな顔をすれば、中野は一瞬苛立たしそうに眉を顰める。


「アリスは牢の中に入れておいて」


「御意」


 頷いた騎士は有栖を蹴り飛ばして牢の隅へと押しやる。


「ぐっ……げほっごほっ……!!」


 お腹を蹴られて、思わず有栖は咳き込む。


 その間に、充達は外へと連れ出され、笑良達の後ろに準備されていた拘束具で手足を拘束される。


 鎖は地面に固定されていて、簡単に逃げる事は出来そうにもない。それに、鎖だけでも相当太い。


 拘束された四人を見て、中野は満足げに笑う。


「うん、良い出来だ。それじゃあ笑良、始めようか」


「……始めるって……何を……?」


 恐る恐る笑良が尋ねれば、中野は満面の笑みで答える。


「何って、断罪だよ」


「……断……罪……?」


「うん。あぁ、こう言い換えた方が良いかな? |処刑(・・)だよ。この極悪人共を殺すんだ」


 そう言った中野に、近くに居た騎士が剣を渡す。


 中野は、受け取った剣を笑良に差し出す。


「はい、笑良」


「え……」


「君がやるんだ」


「……………………え?」


「だから、君がやるんだよ、笑良」


 にこりと、満面の笑みを浮かべる中野。


 困惑する笑良の腕に、ずしりと重い鉄の凶器がのしかかった。


「殺そう、笑良。この馬鹿どもを」


屈託のない笑顔で言う中野に、笑良は戸惑いを隠せないでいた。


 だってそうだろう? 急に家族を殺そうだなんて。事態が変わってしまってはいるけれど、そんなことを言ってしまえるだなんて、正気の沙汰ではない。


「……だ、駄目……だよ……」


 力無さげに首を横に振る笑良。


「駄目じゃないよ、笑良。此処で殺しちゃおう」


 満面の笑みを浮かべる中野。


 その笑みを見て、笑良だけではなく充達は顔を青褪める。中野は笑ってはいるけれど、その言葉は本気そのものだ。本当に成し遂げるつもりの笑みだ。決して、冗談の類の笑みではない。


 それが分かるから、全員が青褪める。


「ふっ……ざけんなっ……!!」


 牢の方から、有栖が声を荒げる。


 痛む身体を起こして、鉄格子にしがみついて中野を睨む。


「誰が……家族を殺したいって思うんだよ……!! 誰が喜んで自分の家族殺すんだよ!! 笑良はな、家族が心配で一人で探しに行こうとしてたんだぞ!? そんな新田さんに、お前はよくそんなことを言えるな!!」


 声を荒げる有栖を、中野は冷めた目で見る。


「……君は、何も知らないのによくもまぁべらべらと。君はあれかい? 家族は皆仲良しだと思ってるくちかい?」


「……それは……そうじゃない事もあるのは、分かってる。けど、新田さんは――」


「家族のために一人で健気に安全地帯から出る決意をした? って、言いたいのかい? ははっ、だから何も知らないっていうんだよ、君は」


 心底馬鹿にしたように笑う。


「君は笑良の何を知ってるって言うんだい? ええ? 笑良の口から友達が出来たとは聞いてないからね。君と笑良の関係は短くて数日、長くて一週間ってところだろう? その程度で、いったい笑良の何を知ってるって言うんだい?」


「……っ」


 何を知っているかと言われれば、有栖は多くは知らない。


 ベッドで寝られなくて、臆病なところもあって、台所で寝ようとしてて……。


 上げれば出てくる。けれど、それはどれも笑良の核心ではない。目で見た、笑良の表側でしかない。


「君は笑良の事を何も知らない。笑良の抱える問題も、この家族が持つ闇も、この家族が持つ罪も、何も知らない!! そんな君が笑良の事を知った風に語るなんておこがましいと思わないかい?」


「……確かに、何も知らない。新田さんがどんな人なのか、オレは知らない。口調が丁寧で、物腰が低くて、目を合わせるのが苦手って事くらいしか、オレは知らないよ。でも!」


 きっと気丈に有栖は中野を睨みつける。


「家族を殺す事が正しい事だとは、オレは思わない! それを新田さんが望んでいる事だとしても、オレはそんなことを新田さんにはさせたくない!!」


「……御伽君……」


「……君は、綺麗事しか知らないのかい? もしくは|汚い部分(・・・・)を見たくないのかい? それとも、受け入れたくないのかい? 君の友人が複雑な家庭環境であるという事を」


「受け入れたとして、知ったとして、だから何だ? 新田さんはオレの友達だ。それが変わる事は無い」


 強い、強い光をともした瞳。嗚呼、嫌いだ。その瞳がとても|癇(かん)に障る。僕が一番嫌いなタイプの人間だ。


 中野の心に澱みが広がる。


「……はぁ……僕は君みたいな綺麗事を並べるだけの口だけの人間が、心底嫌いだ。並べるだけ並べて、何かあればその言葉を何事も無かったかのように仕舞う。そんな都合の良い人間が、僕は大っ嫌いだ。……だから」


 中野はぱちんと指を鳴らす。


 それだけで広大な広間に白地のスクリーンが現れる。そして、全身を黒衣で包んだ黒子が古めかしい射影機を持ってきて、セットをする。


「君には知ってもらおう。笑良がどんな人生を送って来たのか。笑良がどんな苦しみと、|辱(はずかし)めを受けたのかを」


「――っ!! な、中野、くん……! いや……いや……!」


 中野が何をしようとしているのかが分かったのだろう。笑良は中野に縋っていやいやと首を振る。


 そんな笑良に中野は常の笑みを向ける。


「笑良。これは必要な事なんだ。君の全てを受け入れてくれる者が一体誰であるかを知らしめるためにね」


「駄目……駄目……」


 泣きながら、笑良は首を横に振る。


「大丈夫だよ、笑良。誰がどれだけ君を見放そうとも、僕だけは見放さないから。アリス、特等席で良く見る事だ」


「いったい、何を……」


「これから見せるのは、笑良の今日までの人生の記録だ。これを見ても、君はまだ笑良を愛せるかい?」


 言って、中野は黒子に視線を向ける。


 黒子は一つ頷いて、射影機のハンドルを回す。


 射影機から投射された映像が、真白なスクリーンに映し出された。



 〇 〇 〇



「はてさて、どうやって中に入ったものかね……」


 有栖達を助ける事を決めた海添分隊は、慎重に慎重を重ねて城の近場まで来ていた。


 城の付近に来る事は出来たけれど、中に入るのに苦心していた。それというのも、やはり城であるために警備は万全。正面の門には甲冑を着こんだ騎士が外側に二人、内側に二人の計四人。


 それ以外にも周囲や内側を騎士が巡回しており、とても容易に入り込むことは出来そうになかった。


「軍曹、戻りました」


「ああ。裏はどうだった?」


「駄目ですね。死角がまるでない。必ずどこかに目があって、人が居る状態です」


「巡回ルートも、人がすれ違うタイミングも全部同じタイミングですね。まるで機械みたいです」


 城の裏手を確認しに行った自衛官――|東郷(とうごう)兵長と|七々原(ななはら)二等兵の報告を聞いて、海添は溜息を吐く。


 表の警備は厳重。裏ならもしやとも思ったけれど、これも厳重。


 現状、安全に中に入る手段は無い。快く迎え入れてくれるなりすれば安全に入れるのだろうけれど、この警戒態勢だ。快く迎え入れてくれる訳が無い。


「丁度十人。別れたら五・五か……よし、うだうだ考えてる時間は無いな。東郷、七々原、|鴨田(かもだ)、|茂上(もがみ)、|峰崎(みねざき)は陽動を頼む。俺、三宮、|新島(にいじま)、|三丈(さんじょう)、それと星宮君と猫は陽動に合わせて中に侵入する。陽動は派手に、だが、無理はするな。先程も見たが、あの鎧どもの身体能力は異常だ。無理せず、注意を惹き付けるだけで良い」


「「「「「了解」」」」」


「よし、それじゃあ早速行動開始だ。一四:○○に合わせて開始する」


「「「「「「「「了解」」」」」」」」


 綺麗な動作で敬礼をする三宮達を見て、チェシャ猫は司を見る。


「君もやった方が良いんじゃないかい? 了解って」


「俺は自衛官じゃない。……それよりも、有栖は無事なのか?」


「無事だよ。とは言っても、その存在が確認できるだけで、怪我してるかどうかは分からないけどね」


 チェシャ猫は存在を知覚は出来るけれど、細かい状況までは分からない。


 チェシャ猫の報告を聞いて焦っているのか、いつものような冷静さが今の司には無い。酷く苛立ったような顔をしている。


「……待ってて、有栖……」


 此処で焦っても意味は無い。それは分かっている。


 司は有栖の無事を祈りつつ、突入の時を待つ。

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