第2話

 やってしまった。後戻りできない階段を猛ダッシュで突っ走ってしまった。

 見慣れない部屋を見渡すと、掛け時計が現在の時刻を教えてくれた。今日は土曜日。本来なら、この時間帯になるとランニングするのが日課である。しかし、この空間には自前のランニングウェアがない。ベッドの横に放り投げられている衣服と、鞄以外の私物がない空間にいるのだ。それと、横には裸体の丹原さんがいる。掛け布団の隙間から、首元から骨盤まで伸びている金属部分を見ると、昨夜の出来事が鮮明に蘇ってくる。始終、金属を抱いているのか丹原さんを抱いているのか分からなくなるくらいトランス状態だった。

「でも変な気分。私の横に人間が寝ているなんて」

 生まれてから今まで、人間とあんなに触れ合ったことはなかった。いつもは冷たくて硬いものと触れ合っていたため、熱くて柔らかいものには驚いてばかりだった。

 なかなか起きない丹原さんの背中を抱きしめる。やはり、金属特有の硬さと冷たい感触のほうが堪らない。上機嫌な私は、露わになっている金属部分にキスをした。

「ん」

 目を覚ました丹原さんは、腕を伸ばしたあとに背を反らした。そうすると、腰あたりの金属接合部分が軋んだ。金属疲労音というか、金属と金属が軋む音も好きだ。思わずもう一度金属部分にキスをした。

「こっちは?」

 丹原さんが体を回転させ、向かい合うような体勢になった。金属部分が視界から消え、私は残念そうな顔をする。丹原さんもその反応が面白くなかったのか、拗ねたように頭を胸元に押し付けた。そんな彼女に構わず、腕を背中に回して金属部分をなぞったり撫でたりした。

「大学四年生の頃、交通事故に遭ったんです」

 金属を撫でていた指を止めた。

「無点灯。さらに飲酒運転の車に轢かれました」

 丹原さんの頭は私の胸元に埋めているため、どのような表情をしているのかは分からなかった。しかし、彼女の淡々とした口調を聞く限り、憎しみでも悲壮感に浸っているようには感じない。

「簡潔に言いますと、交通事故で下半身不随になった私は、加害者からとある研究者を紹介されまして、背骨型の人工骨を埋め込まれたってことです」

「待って。関節や骨の補助として人工骨が使われるっていうのは聞いたことがあるけど」

「公になっているのはそうですね」

 私は大体のことを察した。口封じのために、おいしい話を提示したのだろう。彼女もそれを知ったうえで実験台になった。一生歩けない生活を強いられるよりは良いことかもしれない。そもそも、交通事故を起こさなければ、彼女はサイボーグにならなかったのだが。

 色々思うことがあるのに、それを言葉にすることができなかった。行き場のないこの感情を持て余すように、私の指は彼女の冷たい部分を再びなぞり始めた。

「気に入りましたか?」

「うん。これはチタンかな」

「大正解。チタンでできていますよ」

 居酒屋にいた時は、首の根本の部分にあるパーツしか見えなかったから気づかなかった。憎らしいことに、鈍く白銀にぎらついていた首元のパーツの下は、腰にかけて艶めかしい焼き色のグラデーションを施されていたのだ。

「丹原さんが察した通り、私は金属が性的に好きなの。人間には興奮しないわ」

 これが最大の秘密。高校生の頃から隠し続け、家族や親友、赤の他人にも明かさなかった。

 もし、世間が金属は部品であり装飾品というのであれば、私の場合、身に着けている人間が部品であり装飾品である。

 私が好きなのは、丹原さんの背筋に張り付いている金属部分のみであって、丹原さんという人間ではないのだ。昨晩、散々抱いた私が言っても説得力に欠けるが。

「私は、先輩のことが好きです」

 こんな私を好いてくれるのは、とても喜ばしいことである。聖母並みの寛容さを持っていると讃えてもいい。しかし、私は彼女の好意に応える自信がなかった。

「チタン製人工骨と丹原さん。両方を愛してくれる人が、そのうち見つかるわよ」

 精巧に作られた背骨型のチタン製人工骨を拝むことができなくなると思うと、後ろ髪をひかれる。遠い未来では公に流通するようになっているかもしれないが、それまで私が生きている保証はない。今、こうして背骨型のチタン製人工骨に出会えたのは奇跡だと言っても過言ではない。

「そうですね。実は今、そのような人とお付き合いしています」

「現在進行形なんだ。なんだか冷や汗が噴き出てきちゃった」

 背骨型のチタン製人工骨にお別れを言うのが口惜しくて悶々としている場合ではなかった。私がメタルフィリアであること。さらに、恋人がいる人に手を出してしまったこと。弱みを握られたってレベルではない。

「あ、大丈夫ですよ。相手は恋人一歩手前と言うか、保留中の仲なので。いつでも別れることができます」

「いや、いやいやいや」

 物理的に身を引いた私と丹原さんの間に、人がひとりすっぽりと収まる空間が誕生した。

「私のこれを見た時、彼はお宝を見つけた少年のような目で見る人でした」

 良いじゃないか。

 それは、受け入れている態度ではないのだろうか。

「でも、先輩は違います」

「…違う?」

 私も爛々とした目で見ていたはず。丹原さんには違う姿に映っていたのだろうか。

「先輩はもっとこう、失礼かもしれませんが、ねっとりとした目で見るんです」

 罪悪感が押し寄せる。後輩がドン引きするような目で見てしまっていたのか。自分自身が思っていた以上の失態を指摘された時ほど、穴があったら入りたくなる。

「まるで、獲物を見つけた野獣のように鋭く、粘度のある目でした」

 おしい。

 硬くて粘度のある目だったら、大好きなチタンと一緒だったのに。

「それが、好きになった理由です」

「え」

 人ひとり空いていた空間がなくなってしまった。





 一時間前に冷房が停止した部屋は、時が進むにつれて蒸し暑くなっていた。二人はなんの合図もなしに、放り投げられていた服を着てベッドから離れた。鐡井先輩はベランダの窓を開け、私はコップに冷水を注ぐ。

「風があるから、今日は涼しいほうね」

 いつものパリっとしたシャツを着こなす鐡井先輩も良いが、ワイシャツを着崩している鐡井先輩も良い。キンキンに冷えた水と輪切りされたライムが入っているガラスピッチャーが、所有者である私以上に似合っている。

 私がパンに卵とレタス、ベーコンを挟んでいる間、鐡井先輩は私の周りをうろうろしていた。「手伝おうか?」という顔をしていたが、「客人はそこらへんでごろごろしてて」と手で追い払う。しかし、鐡井先輩は私の隙をついて、コーンスープに入れるクルトンをつまみ食いした。

「これ、そのままでもおいしいよね」

 茶化す鐡井先輩に思わず動揺し、手元が狂いそうになった。

「こんな風に、誰かを茶化してみたかった」

 人にご飯を作ってもらうのは、家族や飲食店以外にしてもらったことないから、と付け加える。

 この人は本当に、人間とこんな風に付き合ったことがなかったのだろう。行動のひとつひとつが新鮮なのだろう。鐡井先輩の言動からひしひしと伝わってくる。

 

 二人は面と向かって朝食を頬張っていた。時折、土曜の昼に流れるバラエティー番組に目を配りながら。

「私がメタルフィリアじゃなかったら、好きにならなかったってこと?」

 突然、鐡井先輩は話を掘り返してきた。

 もしかして、今理解したのだろうか。

 目の前に映っているのは、大学時代の先輩でもなく、会社の上司でもない鐡井七緒である。もし、私の人工骨を激しく求める鐡井七緒がいなければ、きっと恋愛感情は生まれなかっただろう。

「そういうことになりますね」

「……変なの」

「変って…このサンドイッチにふりかかっている胡椒みたいなもんですよ」

 お皿に乗ったサンドイッチを指さす。

「人によっては、この胡椒によって味の良し悪しが決まります。胡椒が合わなかった人にとっては減点。合う人にとっては加点。そういうことです」

「じゃあ」

 私の顔をじっと見つめる。

「丹原さんは、メタルフィリアな私だけじゃなくて、普段の私も受け入れているってこと?」

 そういうことになるだろう。

 おっとりしているだけの鐡井先輩だったら好きにはなっていなかった。

 金属狂いなだけの鐡井先輩だったら好きにはなっていなかった。

 相違する二面性を併せ持つ鐡井先輩に惹かれてしまったのだから。

「そうですけど?」

 素直に返事をした私に、鐡井先輩は目を丸くした。朝食をとったおかげで頭が回るようになったのか、何やら考え込んでしまった。

 空になったお皿を台所に持っていくと、鐡井先輩は率先して台所に立ってはスポンジを片手に待機した。

 どうやら一緒に食器を洗いたいらしい。

 私の住んでいる家は1Kである。狭い台所に二人して立つと逆に効率が悪いのではないだろうか、と思いながら、洗い終わった食器を受け取り、布巾で拭いて食器乾燥棚に並べた。

 ご飯も食べたし、これといった予定もないからそのまま帰るのだろうか。

 まるで女子会帰りのテンションで、何事もなかったかのように。

「もう1回抱いてみてもいい?」

 もう1回抱いてみてもいい?

 私の脳内で三回ほど繰り返し再生された。

 鐡井先輩はどこか納得していないような顔をしており、どうやら盛っている様子ではないようだ。いたって真剣だった。

「今からですか?」

 どうやら今すぐ実行したいらしい。次の言葉を待たず、リビングへと繋がるドアを閉めた。部屋の奥にあるベランダの窓が開いているからだろう。どうせなら、ベランダの窓を閉め、そのまま近くにあるベッドまで移動させて欲しかった。

 私の顔に、そっと手を添えられる。観念した私は、さきほど綺麗にしたばかりのキッチンに腰かけ、片手を手に取り少しずつ下へと滑らせて行為を誘発する。全部ステンレスでできたキッチンが冷たくて気持ちいい。

しかし、鐡井先輩は私の腰を引き寄せてキッチンから降ろした。なぜ降ろしたのかと、キッチンを確認したらとあることに気付いた。

 このキッチンはオールステンレスでできている。

「もしかして、金属を避けています?」

 ステンレスキッチンから離れようとすること、服を脱がそうとしないこと、向かい合っていることを考えると、意図的に金属を避けようとしているように感じた。

「……気のせいだと思う」

 床に押し倒してもなお、キスひとつしない鐡井先輩の目が泳いでいた。

「金属にしか興奮しないの知っていますから。無理しないでくださいよ」

「でも」

「でも、じゃありません」

 上体を起こして、叱られた子犬のような様子の鐡井先輩をなだめる。

「先輩が無理して好きになる必要はありません」

 目の前にいる鐡井先輩が可哀想な気がしてきた。こうなることなら、鐡井先輩の秘密を知らないままでいたほうがよかったのかもしれない、と思ってしまう。

 押され気味の鐡井先輩は、心配になるくらい素直な子どものような顔をしながら瞬きをしていた。長い間、ずっと秘密にしていたものがたった一晩で暴かれたのだ。予想外な展開に為す術がなく、お手上げの状態なのだろうか。

「ねぇ、先輩。私たちの関係は、まだ日が浅いですよね?」

「え?……えぇ」

 大学時代から顔見知りだったが、まともに会話をしたことがなかった。それに、社会人になって同じ会社に勤めることになっても、お互い上司と部下としか見ていなかった。

「でも、お互い秘密をさらけ出すと、こんなにも近しい存在になるんです」

 私と鐡井先輩の距離を説明するかのように、彼女の空いていた手を取って指を絡める。

「せっかくなので、もう少しこの関係を続けてみませんか?」

 骨ばった指を撫でると、鐡井先輩はくすぐったそうに目を細めた。

 日が高くなっている時刻だが、リビングとキッチンを隔てているドアを閉めているせいで薄暗い。休日の昼間に、私たちはいったい何をしているのだろうか。

 玄関から、遠くで子供たちの元気な声が微かに聞こえる。子供の声が止むのを見計らい、閉ざされていた口はゆっくりと開き始めた。

「それもそうね」

 ふふ、と控えめな笑い声が漏れる。

「ごめんなさい。私、焦っていたわ」

 そう言って、私の胸元に頭を預けた。鐡井先輩の柔らかい香りが鮮明になった。

 あなたがつけている香水の名前も、好きな食べ物も、今住んでいる場所も知らない。

 大きな秘密を共有しているわりには、お互いのことをあまり知らない。これから、空いた隙間を埋めていくように、好きなものや苦手なものを知っていくのだろうか。

 鐡井先輩は、私というイレギュラーな存在をどう受け止めるのか。そして私は、鐡井先輩が出した答えをどう受け止めるのか。

 熱した鉄を叩けば硬くなり、形を変えていく。

 金属で繋がれた私たちも、赤くなるまで熱くなったり成形し合うのだろう。





「ところで、人間とのデートって、どのようなことをするのかしら」

 ツッコミが追い付かない丹原伊千が、初デートに頭をかかえさせられたのはもう少し先の話である。



end

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