粟田くんの近況

安良巻祐介

 同窓の粟田くんは成人してすぐ地域の指定除疫所へ就職した、些か面白味には欠けるものの生真面目で聡明な一青年であったが、昨今この辺りに流行した乙型の離魂病にやられて、すっかり人が変わってしまった。

 粟田くんは就職以来、呪法管理事務の末端として机に向かっておったのだが、罹患してからは日がな一日、所の結界練習場などを同じ開襟シャツ姿で彷徨し、ああ彼処に目玉が見える、おお此処には犬の頭が見えるといった具合に、ありもせぬ幻を報告しては周囲を煩わす厄介な白昼症となったため、所員への強固な束縛で知られる除疫所もついに匙を投げ、地元医院の般若牢 と押し込んだのである。

 結果、粟田くんのからだは今日に至るまで未だに牢部屋の中で、彼処に手が、此処には蛇が、などと呟きながら粥を食い、人ならざる看護師たちに医療費代わりの生き血を吸われて生きておるような有様だが、奇怪なことに除疫所内の机には未だに彼の名札がかけられ、誰かがその後釜へ収まるでもなく過ごされている。

 どういうことかと調べてみれば、彼の机には彼の使っていたペンと共に、一箇の目玉と両の指先だけが超現実画のごとくぽっかりと浮かび、日々の事務をこなしているらしいのだ。

 そいつには目と手とペンだけあってものを喋ることなどは出来ぬのだが、筆談を器用かつ迅速にこなすので、意思疏通に支障はなく、しかも異様なことに、粟田法一くん本人を名乗るのである。

 それが果たして悪霊妖魔の類いが粟田くんを騙っているものか、本当に粟田くんがなにがしかの超現実的な事象によって魂魄を引き裂かれ、魄は牢へ、魂は机へと縫い付けられる憂き目に逢ったものか、除疫所にならば如何様にも確かめる術はあった筈だが、粟田くんに両親係累なく、天涯孤独の身であるのをよいことに、それを敢えて明らかにせず、その存在を粟田くんとして雇い続けているという。

 実際、彼の仕事ぶりは以前にも増して真面目かつ迅速だそうなので、所としては給与を必要とせぬ事務員一名の永久確保となったわけで、人件費削減の叫ばれる折、敢えて追い出す理由もない。

 また、粟田くんだか悪霊だか未だにわからないその存在自身に、現状の待遇について問うてみると、さらさらさらと筆を動かし、すこぶる性に合っているとの返事。

 結局、人の変わってしまった粟田くんは、今では一日ごと目薬ひとつと睡眠五時間の要求を果たされながら、同じ机に向かって生真面目に、不朽寡黙の仕事を全うし続けているのである。……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

粟田くんの近況 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ