読書文字数とWeb小説の「文法」。
2023年05月09日
どうも、あじさいです。
去る4月28日、カクヨムの運営が「月に100万文字以上読む読者は40%以上!カクヨムユーザーの読書活動を調査!」という記事を発表しました。
https://kakuyomu.jp/info/entry/reading_data
皆さんはいかがご覧になりましたか。
調査によると、2023年3月にログインして活動したカクヨムユーザーの内、自分で作品を書いて発表している「作者」(以下、書き手)はわずか6%で、残り94%は作品を投稿していない「読者」(以下、読み専)なのだそうです。
1人当たりの1ヶ月の平均読書量を見ると、書き手は約56万文字、読み専は約153万文字。
そして、見出しにもなっているように、読者(→読み専)の40%以上は、月に100万文字以上読んでいるとのことです。
これ、信じていいと思います?
筆者は正直、鵜呑みにしてはいけないと思っています。
まず注意すべきは、書き手と読み専の比率が取り上げられている2023年3月というタイミングが、KACと重なっていることです。
特に今年は7周年ということで、カクヨム運営が大々的に宣伝して毎日の継続的な投稿を促したり、1月の読書文字数で宝くじのようなことをやったりしていました。
この月に読者や読書文字数が多かったとしても、一時的な現象である可能性を否定できません。
また、カクヨムの読書文字数はどうやら、ページを開けばその1ページ分の文字数でカウントされてしまうらしい、ということにも注意すべきでしょう。
ページの途中でブラウザバックしたり、一度中断した後ページの途中から読み直したり、タイミングをずらして同じページを読み直したりした場合も、新しいページを上から下まで読んだときと同じように文字数が加算されます。
あまり言わない方が良いことかもしれませんが、筆者自身、何となく読み始めたものの1ページ目を読み終える前にリタイアすることがたまにあります。
文章に罪が無くても、ページを開いた後にこちらのコンディションが悪いことに気付くこともあります。
また、筆者のような「なんちゃって校閲者」の場合は、文章チェックや添削を練るときや、数時間かけて書いた応援コメントを差し上げるときに、以前読んだページを改めて開くことにもなります。
カクヨムがカウントしてくれている筆者の1ヶ月の読書量は、いつも不自然に多めなのです。
とはいえ、そういう疑問点に留意するにしても、一般的なカクヨムユーザーが筆者よりはるかに多くの文字数を読んでいることは間違いないようです。
筆者がカクヨムを始めたのは2020年1月末なので、計算しやすさのために2020年2月から始めたものとして1ヶ月あたりの読書量の平均を出すと、約19万4000文字。
先ほど言ったように、これは余分な文字数が入った数字なので、実際には9万~14万字(文庫本換算で1冊前後)といったところでしょう。
書き手の平均56万文字、読み専の平均153万文字のどちらをとっても、筆者では歯が立ちません。
怠惰で不勉強な筆者には、自分がカクヨムで今の5倍以上の読書をこなすビジョンなど見えませんが、実際にそういうデータがあるのですから、ひとまずそれが可能だと考えることにしましょう。
ランキングやコンテストの受賞作には問題含みなタイトルが多いですが、とはいえカクヨムには面白い作品が多いですし、余暇の時間をフルに活用すれば、それくらい読めるものなのかもしれません。
とはいえ、筆者も見習って読書量をバンバン増やしていきたいかと言われると、正直、微妙なところです。
長編『ようこそ、ナーロッパ劇団へ』を書いたときに思ったことですが、「小説家になろう」やカクヨムの代名詞と言えるテンプレ系Web小説(その多くがゲーム的な異世界モノ)には、独自の「文法」(お約束や楽しみ方)があるもので、門外漢の状態からそれを学ぼうとすると結構苦労します。
分かりやすいところで言うと、テンプレ系は児童文学やライトノベルというより、TVゲームや二次創作(同人誌)の「文法」に近いです。
児童文学やライトノベルの場合、読者は主人公を客観的に見た上で感情移入したり批判を加えたりしつつ、物語の全体像を理解していくものです。
一方、TVゲームの場合、プレイヤーが主人公を動かすわけですから、もし主人公を取り巻く世界がご都合主義だとしても、あるいは主人公の言動が(常識的には)不自然だったり野暮だったりしても、プレイヤーという特権的な存在が非現実を「遊ぶ」、「楽しむ」プロセスの一環として許せてしまうことが多いようです。
加えて、TVゲームでも二次創作でも、全体的な筋書きの因果関係や整合性よりも、その時々の場面が持つインパクトやエンタメ性が重視されます。
小説としては全く不要であったり、キャラクターの人間性に反していたりしても、ゲームや二次創作というパラレルワールド的文法の世界では、プレイヤーや読者が楽しめる限りにおいて許容されるということです。
あえて大胆な区別をするなら、テンプレ系作品を批判する人はそれを流れのある「物語」で捉えようとするのに対し、テンプレ系が好きな人はそれを瞬発的な「刺激」として見ているのです。
だから、主人公がデフォルトで他の人間を見下していることが気にならないし、努力や覚悟をすっ飛ばしてド派手に敵を倒すシーンだけで楽しくなれるし、女性キャラの人間性や因果関係を無視したエロ要素だけで興奮できるし、段取りをこなすような緊張感のない筋書きでも、中身のない事件が思いつきのように続く筋書きでも、満足して良作認定できるわけです。
――他にもっと的確な分析が可能かもしれませんが、今の筆者としては、おそらくはそういうことなのだろうと思っています。
もちろん、独自の「文法」があるのは、テンプレ系Web小説だけではありません。
大衆文学には大衆文学の、純文学には純文学の「文法」があって、SFやホラーなどのジャンルにも固有の「文法」があるものです。
テンプレ系Web小説に限らず、特定の「文法」が体に染み込んでいる人が、他のカテゴリーの作品に触れたとき不可解さや物足りなさ、退屈さなどを感じるのは、よくある話です。
話を戻しますと、余暇の時間をフル活用してカクヨムの読書量を増やすことは、(テンプレ系に限らないにしても)Web小説の「文法」を体に染み込ませることと同義なわけですが、それは筆者が望んでいる読書生活のあり方なのだろうか、とちょっと思います。
小説投稿サイトやWeb小説の「文法」に肩までどっぷり浸かるのが、必ずしも得策とは限らないのではないか、ということです。
たしかに、Web小説は手軽で安上がりなエンターテインメントであり、それだけ日常的に、気軽に手を伸ばせるものです。
しかし、他のあらゆる文芸と同様に、数さえこなせば良いというものではありません。
狭い範囲の「文法」しか知らないのでは、表現の幅(あるいは技術、選択肢、手札)や感受性も狭まってしまう恐れがあります。
それに、以前のエッセイで述べたように、異世界モノを1000作読んだところで、『はてしない物語』のような古典的名作を1作読んだときの充実感は超えられませんし、そういう名作を知らなければ、ある種の小説は書けないものです。
作品をネットにアップするからと言ってWeb小説の「文法」に徹しなければならないわけではありませんし、Web小説に精通することが魅力的なWeb小説を書く最善の方法とも限りません。
小説投稿サイトで評価されがちな作品が必ずしも「良い作品」とは限らない以上、結局はユーザーそれぞれがどんな読書体験、どんな創作活動に喜びを見出していくかという、基本的な話に帰着すると思います。
とにもかくにも筆者が言いたいのは、カクヨムでの読書量が全てではない、ということです。
カクヨムでの読書や創作活動に熱意をもって取り組むことも楽しいですが、時にはWeb小説以外の作品や、読書以外の活動に目を向け、自分のペースで読書体験を積み重ねていくことが、日々を充実させる上で重要だと思います。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
異世界転生、チート無双、ハーレム、やれやれ、追放・ざまぁ、悪役令嬢、婚約破棄など、Web小説のテンプレには事欠きませんが、話の畳み方のパターンは、まだ確立されていないようです。
もちろん、筆者も未完結の長編を抱えている状態なので、物語を継続的に書き続けること、きちんと完結させることの難しさは分かっているつもりです。
ですが、それだけに、だらだら続いているだけに思えて挫折したテンプレ系作品のあれこれが、もしきちんと円満に完結したとしたら――大団円のためにそれ以前の全てが必要だったと明らかになったとしたら――、そのときは最初から最後まで、じっくり読んでみたい気がします。
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