終章

ハローワールド

 管理塔はそのすべてが破壊されたわけではなかった。


 動かなくなったミシェルを抱えてエレベーターに乗り、僕とリノは飛行機のある場所へと向かった。


 リノは一言、「こういう時は、言いたいことを言えばいいんだよ」と僕に教えてくれたから、僕はエレベーターに乗っている時も、飛行機を前にしたときも、ずっと動かなくなったミシェルを抱えたまま、「さようなら、さようなら、ありがとう」と、繰り返して、その言葉が酷く物寂しく感じられて、余計に目の奥が熱く、耐えられないほどに熱く、その熱はしばらくの間続いた。


 それでも立ち止まってはいられなくて、リノはこう言うのだ。「これからどうする?」と。


 リノは、この場所での目的は果たせたから、また新しい景色を求めて旅に出るのだという。でも、その前に出来ることなら、飛行機に乗って空からの景色を見たいと言った。


「無理はしなくていいよ?」


 とリノは言う。


 これからどうする。それは、もう決めていた。


「僕も、一緒に行く」


 空を飛んで、別の場所へと向かう。


 でも、もう少しだけ待ってほしい。


「わかった」


 それから、一日泣き続けた。


 それから、二日をかけてミシェルの残した日記を読み直した。


 それから、一日をかけてこれまで読んできた絵本を読み直した。


 それから、三日をかけて飛行機の最後の故障個所を直した。


 皮肉にも、飛行機の最後の故障個所は、ミシェルの体内にあった部品で直すことが出来た。


 その間、リノは次の旅の準備をし、僕はといえば、何度だって頭の中でミシェルのことを思い返していた。


 でも、それももう終わりだ。


 さようならと、僕は別れの言葉を口にしなければならない。


 リノが「大丈夫だよ」と言う。不思議なもので、彼女が大丈夫だと言えば、本当に何もかもがうまく行くような気がしてきてしまう。


「これが、本当に空を飛ぶんだね」と、リノは笑った。その笑い声が、僕の背中を押すようだった。


『準備完了。位置情報の獲得、失敗。目的地までの最短経路での自動飛行は不可能ですが、自動飛行自体は可能です』


 目的地。


 そんな場所、僕は知らない。


 目的地なんてない。


 けれど、いつかまた、この場所に戻って来るのだと、リノにも言っていない、僕の秘かな願いを抱き、一度だけ振り返る。


「いいよ。とにかく、飛んでほしいんだ」

『受諾。飛行を開始します』


 まだ暗い外の世界を目指し、僕らはゆっくりと進み始める。


 ふわりと、体が投げ出されるように地上を離れた。


「凄い、本当に飛んでる!」と、後ろからリノの声が聞こえる。


 真下には白い雪。真上には黒い雲。


 白い雪から遠ざかって、黒い雲を超えていく。


 超えたその先。


 光が僕らを包み込む。


 ほら、やっぱり外の世界はあったんじゃあないかと、僕は心の中で呟いた。


 世界はこんなにも美しい。


 あれが朝日だ。


 そして、あれが星々。


 暗闇と、その中で煌めく星々が、澄み切った青と朝日によって塗り替えられていく。


 こんなにも美しくて、壮大な移ろいが、毎日繰り返しているのが世界なのだ。


 その世界の当たり前を、僕はようやくこの目で見ることが出来ている。


 でも、今この光景を目の当たりにして胸の内に抱いているこの感情は、きっと一度きりのもので、もう二度とやってはこないのだろう。


 日記を書こうと、そう思った。忘れないよう、繰り返し思い出せるよう、ミシェルのように。


 そして、最初の一ページ目はやはりこう始まるのだ。



 ――ハローワールド――

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ハローワールド 青空奏佑 @kanau_aozora

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