第一幕 霧隠の兄妹
少しずつこちらに近付く人の気配に、耳を
「……来た……」
私はそう呟いて、対象が真下に来たらすぐ動ける様に
「
対象者の周りにいた家臣達が私の存在に気付き、
「
私はその呟きに無言を貫く。相手方はそれを肯定と捉えたらしく、私に向けて一斉に切っ先を向けてきて、斬りかかってくる。
それを
「頼む……!何が望みだ?望みを叶えてやるから見逃してくれ……!」
「……望みは、無い。見逃す訳にもいかない」
この人には、きっと守るべき家族もいて、武士の誇りよりもそれが大切なんだろう。
そうは思っても私は感情の無い、ハッキリとした拒絶の言葉を発した。里に寄せられた依頼で私に与えられた任務だから、ただそれだけだった。この人に家族がいるのも調査段階で知っていた。私にだってたった一人の家族がいる。だから守りたい気持ちは分かる。
それでも、斬りたくない、そんな心を殺して相手の急所を貫いた。刀を引き抜いた瞬間に息絶えた相手はドサリとその場に倒れ、私は刀に付いた血を払って
後ろで震え上がっている人達はそのままに、私は木上に跳び移り、里に帰った。
「
里に戻り、長の部屋の前でそう言ってから
「
私が才蔵の隣に片膝付いて座ったのを見届けて長がそう言う。それを聞いた才蔵が口を開いた。
「城の屋根で相手が一人になるのを待って、言われた通り殺した。騒ぎになる前に、その場を離れた」
先程の私と同じ、感情なんて込められてない平坦な物言い。この人も、私と同様に暗殺任務を行っていた。
その報告を聞いて一つ頷くと、長は無言で報告を促す視線を私に向けた。
「……対象者の周りは家臣達で動きにくかった為、敢えて軽い傷を与え周囲に気付かせ向かって来た者を斬った後、対象者を暗殺致しました。残った家臣が斬りかかってくる前にその場を離れ、里に戻りました」
報告が終わると長は再び頷き、口を開いた。残してきた人達がいるという事に怒られるだろうか、と私は思わず身を固くした。
「ご苦労だったな。流石、里で一番のお前らだ。引き際までしっかりしておる。明日からまた二人で任務だろう、今日はもう休め」
長の口から出てきたのは、労いの言葉だった。この人が言うのは珍しいのに、どうしていきなり労いの言葉なんてかけたんだろう。
私は不思議に思うも、それを態度に出さず才蔵と共に一礼をして部屋を後にする。
部屋を出ると、才蔵が口を開いた。
「紗加が敢えて周りを挑発する様な動きに出るなんて、珍しいんじゃない?」
「……そうしなきゃ、邪魔だった。誤って違う人の急所を突いて当の本人に逃げられる訳にはいかないでしょ」
「ま、そうなんだけど」
そうやって話しながら家に戻り、
着替え直して広間に行くと、ちょうど才蔵が母上と父上に手を合わせているところだった。母上と父上は、任務中に負った怪我が原因で病に
兄妹二人の生活を十年近く続ければ、父上達のいたという面影は薄れていく。形見の忍刀が無ければ、きっと面影なんて残らなかったかもしれない。
そんな事を考えながら、手を合わせている才蔵の背中を見ていると、不意に先程殺した武士の懇願してきた時の姿が重なった。あの人も守るべき家族の為に生き長らえるのに必死に私に言ってきた。私は、里の任務だからとそれを拒否したけど、何が正解だったのか分からなくなる。
「…………紗加」
急に名前を呼ばれて、はっと顔を上げると才蔵が静かにこちらを見ていた。私と同じ
「じっと見られてると、気が散るんだけど」
「…………ごめん、才蔵」
才蔵の一言に、私は力無く返した。過ぎた事なのに、どうしてこんなにあの武士を殺さない方法は無かったのかって考える自分に苦しくなる。大黒柱を失った妻子はどうなるのか、分からない。妻の実家に引き取られるのか、子供を跡を継ぐのか。私には関係ない、そうやって割り切れればいいのに、守るべき家族がいるというだけで同情にも似た気持ちが浮かんでくる。
立ち上がった才蔵が、私の前に歩いて来る。私は一歩も動かない。ただ、自問自答を繰り返しながら
「……何があった?」
普段は
その優しさに
「今回の、任務が暗殺だったんだけど……殺す相手が、家族がいるから、望みを叶えるから見逃して欲しいって懇願してきて……」
「うん、それで?」
「それで……任務は絶対だから、殺さなきゃって分かってるのに、殺さないで済む方法を考えてた……。今も、どうしたら良かったのかなって考えてる……」
「確かに、里の任務は絶対だ。だけど、紗加は相手を殺さずに済ませたかった。そういう事でしょ」
「うん……忍に心は必要無いって分かってるのに、同情しちゃった」
「確かに、忍に心は必要無いって俺達は教えられて来た。でも、紗加が母上から継いだ術は……」
「分かってるの。分かってるんだよ、術で物から
私が母上から継いだ術は陰陽の物が少しだけ混ざってる。それは、母上の家系に陰陽師を
そしてその術はどれを使うにも私の命を削るものばかりで、心を持っている人程強力な術をかけられる。心と言うよりも、意志を強く持っていればいる程相手に強くかけられる、って言ってた。だから母上と父上と約束した。命を削る術は使わないって、里の為に命を投げ出す様な術の使い方はしないって。
「……父上と母上と、約束したから。里の為に術を使って命を削らないって。私達が光を見つけてその光の為に使うのは構わないけど、里の為に寿命を縮めない、って……約束したの……。」
胸の内を吐き出していく最中に、私は才蔵に
「……なら、俺とも約束をしよう」
「……才蔵……?」
「光を……お前が命を削ってまで守りたいと思うものを見つけたら、俺も、協力する。だけど、大きな決意をしたらでいいから俺にも相談して。俺はずっと紗加の味方でいるから、その為に相談は絶対する。……約束できる?」
ずっとずっと私達は幼いままだと思ってた。でも私の気付かないところで才蔵はたった一人の家族であり妹である私を、守ってくれている。私が、たった一人の家族であり兄である才蔵を守っているのと同じ様に。
顔を上げて才蔵の目を見る私の涙を、彼の手が優しく拭っていく。その瞳には
「……約束、する。絶対に相談するから……」
守る為なら、己の手が血濡れる事は構わない、そう思ってた。でもそれは私だけじゃなくて、才蔵も思っている事で、私達はお互いがお互いを守る為に、己の手を血に染めていく。
そうして私達、霧隠の兄妹は日々を過ごして行く。この二日後に、上田に行けと言われるとは知らずに。
忍だった少女が夢見るは。 愛乃桜 @sagirimasana
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