第一幕 霧隠の兄妹

 木上きじょうに息を殺して身を潜め、下を対象者が通るのを待ち受ける。辺りは既に闇に染まり、夜目よめかないと周囲の気配を探りながら歩かなければならない。

 少しずつこちらに近付く人の気配に、耳をませば落ち葉をめる音やガチャガチャという装備の音が大きくなる。

「……来た……」

 私はそう呟いて、対象が真下に来たらすぐ動ける様に忍刀しのびがたなを構える。音を立てない様に注意しながらじっと下を見つめ、対象者を視界の端でとらえた瞬間、勢い良く枝を蹴り、相手に斬りかかる。

何奴なにやつ?!」

 対象者の周りにいた家臣達が私の存在に気付き、松明たいまつを向けてくる者もいれば武器を構える者もいる。松明のあかりに照らされた私の姿を見て、家臣達がサッと顔色を変え、その中の一人がポツリと呟いた。

狐面きつねめんの…………女…………」

 私はその呟きに無言を貫く。相手方はそれを肯定と捉えたらしく、私に向けて一斉に切っ先を向けてきて、斬りかかってくる。

 それを退いてかわし、次々と背後から斬り倒して行く。家臣を半分程斬られた武士は、震えながら私に懇願こんがんする。

「頼む……!何が望みだ?望みを叶えてやるから見逃してくれ……!」

「……望みは、無い。見逃す訳にもいかない」

 この人には、きっと守るべき家族もいて、武士の誇りよりもそれが大切なんだろう。

 そうは思っても私は感情の無い、ハッキリとした拒絶の言葉を発した。里に寄せられた依頼で私に与えられた任務だから、ただそれだけだった。この人に家族がいるのも調査段階で知っていた。私にだってたった一人の家族がいる。だから守りたい気持ちは分かる。

 それでも、斬りたくない、そんな心を殺して相手の急所を貫いた。刀を引き抜いた瞬間に息絶えた相手はドサリとその場に倒れ、私は刀に付いた血を払ってさやに収める。

 後ろで震え上がっている人達はそのままに、私は木上に跳び移り、里に帰った。


里長さとおさ、失礼します。任務の御報告ごほうこくに上がりました」

 里に戻り、長の部屋の前でそう言ってからふすまを開ける。部屋の中にはちょうど別の任務から戻ってきたらしい兄の姿もある。片膝かたひざ付いて座っているところを見ると、これから報告するという時に私が来て中断した、という辺りだろう。

紗加さやかか。ちょうど良い、このまま才蔵さいぞうと共に報告を。先に才蔵から頼む」

 私が才蔵の隣に片膝付いて座ったのを見届けて長がそう言う。それを聞いた才蔵が口を開いた。

「城の屋根で相手が一人になるのを待って、言われた通り殺した。騒ぎになる前に、その場を離れた」

 先程の私と同じ、感情なんて込められてない平坦な物言い。この人も、私と同様に暗殺任務を行っていた。

 その報告を聞いて一つ頷くと、長は無言で報告を促す視線を私に向けた。

「……対象者の周りは家臣達で動きにくかった為、敢えて軽い傷を与え周囲に気付かせ向かって来た者を斬った後、対象者を暗殺致しました。残った家臣が斬りかかってくる前にその場を離れ、里に戻りました」

 報告が終わると長は再び頷き、口を開いた。残してきた人達がいるという事に怒られるだろうか、と私は思わず身を固くした。

「ご苦労だったな。流石、里で一番のお前らだ。引き際までしっかりしておる。明日からまた二人で任務だろう、今日はもう休め」

 長の口から出てきたのは、労いの言葉だった。この人が言うのは珍しいのに、どうしていきなり労いの言葉なんてかけたんだろう。

 私は不思議に思うも、それを態度に出さず才蔵と共に一礼をして部屋を後にする。

 部屋を出ると、才蔵が口を開いた。

「紗加が敢えて周りを挑発する様な動きに出るなんて、珍しいんじゃない?」

「……そうしなきゃ、邪魔だった。誤って違う人の急所を突いて当の本人に逃げられる訳にはいかないでしょ」

「ま、そうなんだけど」

 そうやって話しながら家に戻り、忍装束しのびしょうぞくに付いた血を井戸水で流す。その間も私は、胸の中に残る申し訳ない気持ちを消す事なんて出来なかった。

 着替え直して広間に行くと、ちょうど才蔵が母上と父上に手を合わせているところだった。母上と父上は、任務中に負った怪我が原因で病にかかり、そのまま命を落とした。だから家族四人で住んでいたこの家に今住んでいるのは、私と才蔵の二人。父上達がいた頃はこんなに広くも静かにも感じなかったのに、二人が命を落としてからはこんなに広くてこんなに静かだったっけ、と思っていた。

 兄妹二人の生活を十年近く続ければ、父上達のいたという面影は薄れていく。形見の忍刀が無ければ、きっと面影なんて残らなかったかもしれない。

 そんな事を考えながら、手を合わせている才蔵の背中を見ていると、不意に先程殺した武士の懇願してきた時の姿が重なった。あの人も守るべき家族の為に生き長らえるのに必死に私に言ってきた。私は、里の任務だからとそれを拒否したけど、何が正解だったのか分からなくなる。

「…………紗加」

 急に名前を呼ばれて、はっと顔を上げると才蔵が静かにこちらを見ていた。私と同じ浅葱色あさぎいろの瞳には、心配そうな色が滲んでいる。

「じっと見られてると、気が散るんだけど」

「…………ごめん、才蔵」

 才蔵の一言に、私は力無く返した。過ぎた事なのに、どうしてこんなにあの武士を殺さない方法は無かったのかって考える自分に苦しくなる。大黒柱を失った妻子はどうなるのか、分からない。妻の実家に引き取られるのか、子供を跡を継ぐのか。私には関係ない、そうやって割り切れればいいのに、守るべき家族がいるというだけで同情にも似た気持ちが浮かんでくる。

 立ち上がった才蔵が、私の前に歩いて来る。私は一歩も動かない。ただ、自問自答を繰り返しながらうつむく事しか出来ない。

「……何があった?」

 普段は飄々ひょうひょうとしていて冷めた態度なのに、私が思い悩んだり苦しんでいる時は温かく優しい声で私が話しやすい様に聞いてくれる。

 その優しさにいざなわれて、私は口を開いた。

「今回の、任務が暗殺だったんだけど……殺す相手が、家族がいるから、望みを叶えるから見逃して欲しいって懇願してきて……」

「うん、それで?」

「それで……任務は絶対だから、殺さなきゃって分かってるのに、殺さないで済む方法を考えてた……。今も、どうしたら良かったのかなって考えてる……」

「確かに、里の任務は絶対だ。だけど、紗加は相手を殺さずに済ませたかった。そういう事でしょ」

「うん……忍に心は必要無いって分かってるのに、同情しちゃった」

「確かに、忍に心は必要無いって俺達は教えられて来た。でも、紗加が母上から継いだ術は……」

「分かってるの。分かってるんだよ、術で物から焼死体しょうしたいを作る事だって可能だった。それをして生かしたところでいずれまた伊賀に狙われて殺される。その時私は任務をこなせなかったって事で里を追われる。生きる為には、こうするしか無かったんだって、頭では理解してるのに……」

 私が母上から継いだ術は陰陽の物が少しだけ混ざってる。それは、母上の家系に陰陽師を生業なりわいとしていた人がいたから。母上の血を濃く引いた私がその術を継いだ。才蔵も使う事はできるけど、私の方が向いてるからと言って滅多に使わない。

 そしてその術はどれを使うにも私の命を削るものばかりで、心を持っている人程強力な術をかけられる。心と言うよりも、意志を強く持っていればいる程相手に強くかけられる、って言ってた。だから母上と父上と約束した。命を削る術は使わないって、里の為に命を投げ出す様な術の使い方はしないって。

「……父上と母上と、約束したから。里の為に術を使って命を削らないって。私達が光を見つけてその光の為に使うのは構わないけど、里の為に寿命を縮めない、って……約束したの……。」

 胸の内を吐き出していく最中に、私は才蔵にすがり付く様にもたれていた。そんな私を才蔵は優しく抱き締めて、ポンポンと頭を撫でてくれる。その手の温もりに、優しさに、両親が死んでから一度も零した事の無い涙が溢れ出した。止めようと思っても止められなくて、溢れ出す涙は才蔵の胸元を濡らしていく。

「……なら、俺とも約束をしよう」

「……才蔵……?」

「光を……お前が命を削ってまで守りたいと思うものを見つけたら、俺も、協力する。だけど、大きな決意をしたらでいいから俺にも相談して。俺はずっと紗加の味方でいるから、その為に相談は絶対する。……約束できる?」

 ずっとずっと私達は幼いままだと思ってた。でも私の気付かないところで才蔵はたった一人の家族であり妹である私を、守ってくれている。私が、たった一人の家族であり兄である才蔵を守っているのと同じ様に。

 顔を上げて才蔵の目を見る私の涙を、彼の手が優しく拭っていく。その瞳には仄白ほのじろい光が宿っていた。

「……約束、する。絶対に相談するから……」

 守る為なら、己の手が血濡れる事は構わない、そう思ってた。でもそれは私だけじゃなくて、才蔵も思っている事で、私達はお互いがお互いを守る為に、己の手を血に染めていく。

 そうして私達、霧隠の兄妹は日々を過ごして行く。この二日後に、上田に行けと言われるとは知らずに。

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忍だった少女が夢見るは。 愛乃桜 @sagirimasana

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