現代百物語 第7話 二十面相

河野章

現代百物語 第7話 二十面相

「林こそどうなんだ。いつ、新也のことを知った?」

「え、僕ですか?……僕はですねぇ」

 声を潜めて林基明は愉快そうに、けれど声は潜めた。

 いつものいっぱい飲み屋での一幕だった。

 酒の肴にされてたまるかと、新也は奥の女将さんに新しく酒を注文した。

 威勢の良い声とともに、すぐに焼酎の水割りを持ってきた奥さんの後ろ、カウンターに主の姿はない。やはり今日はいないのかと、いつもの禿頭姿を見れずに寂しく思いながら新也はグラスを受け取った。

 林は小柄な体を一層小さくして、酒に弱いせいの赤い顔で物々しく言った。

「僕が知ったのはですね、……あれですよ。二十面相!」

 最後は大きな声を上げて、意味のない密談を林はぶち壊す。周囲の客からくすくすした忍び笑いが上がった。

 2人の先輩である藤崎が、軽く林の足を蹴っては大声を止める。

「こら。……で、どういった話だ?」

 当の本人を置き去りに、向かい合わせの藤崎と林は顔を突き合わせる。何とも楽しそうだった。

「高校時代にですね、あ、先輩が卒業した年の夏ですよ。僕らにとっての最後の夏合宿をしようって話になって……最終日に記念撮影をすることになったんです」

 一息に林は語った。

「そこでね、顧問の先生も入れて、順番に入れ代わり立ち代わりで全員集合の写真を撮ってたわけなんですけど、新也くんがどうしても自分はシャッターを押したくないって言うんです」

 藤崎がニヤリと笑った。今日も意味もなく男前な男だった。

「へえ。……新也がシャッターを押すと、妙なものでも写るっていうのか」

「そのとおりです!よく分かりましたね、先輩」

 林が嬉しそうに笑む。新也は2人の横で杯を重ねていた。店の親父さんがいないことが今日は何だか妙に気にかかるな……と思いながら。

「そりゃ、この話の流れならな。それで?」

 藤崎が促す。

「それでですよ。新也くんが固辞したんでちょっとその、しらけた雰囲気になっちゃったんです。それで、僕と一緒なら良いじゃないかって僕が言って、無理やり、2人でカメラのシャッターを押しました。そしたら、新也が言うんですよ『知らないぞ』って。もう気になって気になって。無理やり聞き出したのが、二十面相です」

「ほう」

 このままでは話を大きくされそうだと警戒した新也は、2人の間に手を差し出した。その手を押しのけて、林は軽やかに話す。

「まあまあ。本当のことじゃないか。……詳しく聞くと、新也くんが写真を撮ると、そこに写った人物の顔が、変化するってことでした。どう変化するかって言うと、その人物の身近な、最近死んだ人の顔に変わるんだって」

「そうなのか?新也、今でも……?」

 初めて聞いたと、藤崎が体を向けてくる。不詳不精、新也は頷いた。

「そうです。勿論今もですよ……どうしたわけか、現像すると顔が変わるんです、死人の顔に。例えば、複数人で写真を撮れば、ランダムで顔が入れ替わります、20回。1人を撮れば、20人の顔に変わって……21人目は最初の人の顔に戻ります。スマホで撮っても、フレームの中では普通なのに、データフォルダで確認するともう別人の顔になってます。自撮りや親族で確認したんで、間違いないです」

 藤崎が合点がいったと手を叩いた。

「それで、二十面相」

 そうです、と新也は口へ酒を運んだ。なんとなく、人の死に直接触れているこの能力は、藤崎に知られたくなかったなあと漫然と思う。ちょっといじけた気分になっていた。

「じゃあ、この3人で撮っても顔は変わる……?」

 いたずらを思いついた顔で藤崎が提案した。きた、と思ったが、新也は不機嫌を隠さずに答えた。

「そうですね、絶対に誰かの顔が変わります」

 そこからは一瞬だった。

 3人でテーブルの上に顔を寄せ合い、新也がスマホのカメラを起動させてタップする。周囲には酔っぱらいの撮影大会に見えただろうが、新也以外の2人はちょっとした実験、新也には趣味の悪い撮影会だった。

 カシャ。

 フラッシュとともに、店内を背景に一枚撮る。

 新也は見なかった。どうせ、最近死んだ自分のおじの顔でも出てくるだろうと思っていた。

「あ……」

 藤崎と、林の声が重なって聞こえた。意外そうな、そして少し沈んだ声だった。

 死人の顔を見るというのは気持ちの良いものではない。思い知ったかと新也が振り返れば、2人は店の奥から女将さんを呼んでいるところだった。

「すみません、酒を一杯。……旦那さんに」

 藤崎が沈痛な顔で言った。

「あら、まあ……誰かから聞いたんですか?あまり話していないのに……」

 ありがとう、主人も喜びます、と盃を奥さんは受け取った。カウンターの上に置いて、手を合わす。

 あ、と新也も合点がいった。

「写真、見せてください。先輩」

 スマホを手に持っていた藤崎から奪うようにして取り戻し、画像フォルダを探る。

 あった。

 2人が笑顔で、新也だけがやや横を向いたアングルの一番奥に、カウンターで立ち働く女将さんがぼんやりと写っていた。その顔が、青白い、女将さんの旦那、この店の店主の顔になっている。

「先月、急に腹が痛いって言い出したんで病院に連れて行ったらそこからはもうあっという間でね。良い話でもないし、まだ現実味がなくて……。お客さんにはまだお伝えしてなかったんですよ」

 女将さんが寂しそうな笑顔で笑った。

 女将さんがカウンターへと戻り、3人とも沈痛な面持ちで杯を傾けた。

「……見えるってのは、そういうことですよ」

 わかりました?と新也は2人に言った。2人も妙におとなしくなった。

「そう言えばさ、」

 林が顔を上げた。

「合宿での写真はどうしたんだい?新也くんが撮った、皆の写真」

 ああ、と新也は頷いた。

「現像されてすぐに、皆にお披露目があっただろ?あのときにこっそり抜いて破って捨てたよ。……楽しい時間に、死人の顔が入ってたんじゃ誰も喜ばない。多分、死んだ本人もね」

 だから見ていないと、新也は告げた。

 こんな能力はないほうが良い。けどどうしようもないよなぁと、彼にしては珍しく物悲しい気持ちになりながら最後のひとくちを飲み干した。

 そんな新也を、2人は黙って見ていた。



【end】

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