VOL.8
警察が去った後、小さな空港の中はまた静寂が戻って来た。
一時の緊張から解放され彼女は膝を揃え、ソファに腰かけている。
俺の依頼人はその隣に寄り添うように座っていたが、疲れたのかもしれない。
何時の間にか、軽い寝息を立てていた。
ジョージは少し離れたところで窓の外を眺めながら、
『禁煙』という赤い文字を気にもせずに煙草を咥えている。
どれくらい時間が流れたろう。
(陳腐な表現だな。実はそれほど長い間じゃない)
沈黙を破ったのは彼女の方だった。
『私の事、話しましょうか?』
俺はシナモンスティックを口の端で
『それは息子さんにお話し下さい。私が彼から受けた依頼は貴方を探し出すこと。貴方がどこで何をしていたかについては、興味もありませんし、関係もありません・・・・大方の想像はつきますが』
と、答えを返す。
彼女は
『・・・・私、スパイなの。とはいっても、どこかの機関に所属しているわけではないわ。二重スパイ。ここと思えばまたあちらって訳よ。自分のために情報を売るの。国家のためとか、正義のためとかそんなもの関係ないわ。お金のため、よりよい暮らしを得るため・・・・』
彼は息子の頭をゆっくりと撫でた。
『そして、この子のためよ・・・・』
また、沈黙、俺は腕を組んで、シナモンスティックを
『あの連中は、私の顧客だったどこかの機関の連中よ。”裏切りは死で贖え”こんな仕事をしていれば、よくあることよ。私はこれから逃げるの。もう日本にはいられないわ。』
『どこへ行くんですか?』
俺の質問に彼女は答えなかった。そして再び息子の髪を撫でた。
『・・・・ここから別の空港に行って、そこで乗り換えて日本を出るわ・・・・この子には後から手紙を送るからと、そう伝えて頂戴。』
『探偵さん、だったわね。私からも依頼したいの。出来ないかしら?』
『金次第だね。ギャラさえ払って貰えれば異存はない』俺は素っ気ない口調で答えた。
数分後、彼女は双発の小型飛行機に乗り(”ああいう仕事”なんだからな。飛行機の操縦なんかお手のものだろう)、自分で操縦し、飛び去って行った。
息子はまだ眠っていた。
俺は黙って空に向かって飛び立ってゆく彼女を、ジョージと二人で見送った。
数日後、俺は息子・・・・和也を、頼まれた通り、彼女の遠縁の叔母の元に連れて行った。
叔母はとても気のいい人で、それまでも何度か和也の面倒を見ると申し出てくれたのだが、彼女がそれを
ええ?
(和也には母親のことを伝えたのか)って?
当り前だ。
俺の依頼人でもあったんだぜ。
彼は俺の話を黙って聞き、それ以上は何も訊ねなかった。
聞き終わった後、彼は前と同じように、静かな口調で俺に言った。
『僕は母を信じています』とね。
やはり彼は、思った以上に大人だった。
俺は彼から規定通りのギャラを受け取った。
それでこの一件は終わりだ。
いい気持ちも、悪い気持ちもない。
これが俺の仕事なんだからな。
終り
*)この物語はフィクションであり、登場人物その他は全て作者の想像の産物であります。
小さな依頼人 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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