5-4

土曜日は二転三転するデートの練習にてんてこ舞いで、日曜日は一人暮らしを始めて最初の大熱と、予期せぬ来訪者達に溶けた。


稀に見る凶悪な休日。

その数少ない救いは、今日、普通に登校できるくらいまで体調が回復した事。

けれどもそれは、こんな格好じゃ帰れないから暗くなるまでここにいる、と言い出したえみが甲斐甲斐しくお世話をしてくれたからでは一切なく、市販の薬と人の回復力がもたらした恩恵に他ならない。


むしろあのバカときたら、病人を炎天下に放り出したり、消化の悪そうな黒焦げ炒飯をこしらえたり、挙句の果てには、ジャージが脱げていると指摘したこちらを鋭いビンタで昏倒させ、目覚めたばかりの朦朧とした意識に、また新たな難題を押し付けてくる始末。


渋い顔をすれば、貸しがなんだの、夏川なつかわにセクハラを言いつけるだの、あることないことで揺さぶられ、呆れて首を縦に振ったが最後。詳しい行動内容を語りながら、他人のPCで好き勝手ゲームに興じ、数多のスコアを塗り替え尽くして満足したのか、そのままスマホ片手にしばらく駄弁り、太陽が沈むのを見届け、じゃまた学校で、と姿を消した。


じゃまた学校で、と。


「おはよっ!」


光まばゆい月曜の早朝。

地味に長いマンションの階段を下り終え、飾りに等しいオートロックを抜けた先。

敷地内の木陰で当然のように俺を出迎えた、リボンレスのブラウスを纏う栗毛女は、ボックスプリーツの襞を正した細腕を掲げ、景気の良い笑顔を振りまく。


「おはよっ! じゃねえだろ」


あざとくポニテを揺らす、可愛い子ぶった挨拶に苦言を呈したわけじゃない。

いきなり食い違った予定の、現状の説明を求めているのだ。

故に、語気は強く、不平不満を乗せて呟いてみた。

が、響いた様子もないので仕方なく言葉にする。


「……彼氏のフリを続けるってのは、学校でってお話では?」


「って、思ったんだけどね~。やっぱりカップルは一緒に登校するもんじゃないっ? その共通認識を利用しないのは、勿体ないんじゃないか思ったワケ」


星や音符の乗りそうな軽い口調。燃費の悪そうなハイテンション。

おそらくこれが、咲に感じていた形容しがたい引っかかりの原因だろう。

しかし、どうしてコイツがそんなことをしているか、なんてさほど重要ではなくて、今はただ、謀られている気分なのが癪なだけ。


「朝から元気だな」


こういった類の葛藤は、少し前なら、顔にも声にも表れなかったはず。

けれど、ここ最近でずいぶん感情のバルブが緩まったらしい。つい皮肉が零れた。


「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず、文句は場所を変えてからだ」


小首を傾げる疑問のサインを無視し、ため息交じりにそそくさ歩き出すのは、もうすぐヤツが徘徊する時間だから。極力エンカウントを避けたい、あの管理人が。


……咲をオバサンと合わせてはならない。


面倒臭いやつと面倒臭いやつが集まれば、どうなるかなんて自明の理。

バカとアホは混るな危険の代表例で、とてもポピュラーな事故の元。


あ。


お節介で構いたがりの金髪を警戒するあまり、足早な移動になってしまっていると、途中で気が付く。も――


「なに?」


呼吸一つ乱さないで真横をキープし続ける小柄な彼女の辞書には、体格差という文字があるのだろうか。


「いや、なんでも。メシ買わせてくれ」


淡白に断り、涼みがてら毎度御用達の穴場なコンビニへ。


入り口で取った籠に水とお茶を放り込み、朝ごはん代わりのカロリーメイトを追加。

薄く汗ばんだシャツを引っ張り、店内の冷たい空気に有難味を覚えつつ、種類豊富な総菜パンの棚に迷い込む。


まーた変なのが出てら。


博打じみた新商品の放つ異彩は、旬や流行りを伺えるので面白い。

けれど、コンサバに染まった自分の思考が危ない橋を渡らせるはずがない。

そりゃあ奇妙奇天烈な見た目や味に、一喜一憂してくれる友人がいれば、話題作りに買ってみるのも、まぁ、有り。一喜一憂してくれる友人がいれば、だけれども。


結局、なにが発売されようと――


「はい」


突如横から伸びた綺麗な手は、俺が探していた目当ての焼きそばパンをためらうことなく掴み、何食わぬ声と一緒にこちらへ差し出してきた。

まるで選ぶ物を知っていたかのような言動に虚を突かれ、呆気にとられること数秒。慌てて品物を持ち替えた咲が、コミカルに呟く。


「あっ、あー。もしかしてこっちの変なヤツだった!?」

 

「え? あ、ぁあ。おう」


咄嗟の勢いに負けた条件反射を後悔しても遅い。腑抜けた返事の代償として、普段なら絶対選ばないデザートめいた甘いブツを購入する羽目に。


「あーしゃーしたー、つぎんかたどぞー」


「真似するな、あの店員はあれですごく良い人だ。必ずお手拭きを入れてくれる」


崩れに崩れた接客にお熱なバカを窘め、通学路へ戻るや否や、寒暖の差だろうか、

激しい鳥肌が立ち、釣り上がった双肩に病み上がりを自覚させられる。


ん? まて。本当に、そうか? これはいつもの、嫌な予感じゃないか?


脳裏を過る経験が、抑えきれないざわめきが、自らの挙動を不審にさせ歩行を阻む。急ぎ血走った視線を周囲へ振り撒かせるも、努力の甲斐もなく辺りは平和そのもの。


いいのか? 安堵して。いいのか? 信じて。

バカとセットになってること以外、特筆すべきことはないと。


「どしたの? へーき? 気持ち悪いよ?」


掌で口元を覆う悩みの所作を、吐き気か何かに誤認した憂い。

に、見せかけた煽りに向き直り言う。


「心配するなら最後までしろ。よが余分なんだ――と、いうかだな、お前も来るなら来るで連絡くらい入れられないのか? あの周りはお前が想像している5億倍危険なんだぞ」


「いれたよ? たきくんがマンションから出てくる直前だけど」


「それじゃあお前着いちゃってんじゃん! 意味ねんだってじゃんそれじゃ! 

せめて前日に、何時にどこどこ~くらいできたろ!?」


残暑を考慮しない渾身の身振り手振りに、咲はくっきりと大きな瞳を丸くさせ、ぱちくりぱちくり不思議な瞬きを繰り返す。


「んだよ」


「え……あ。えーっと、なんというか、私が見てたのは氷山の一角であって、世界は知らないことで満ちてるんだなーって、思っただけ」


「はぁ? んだそれ」


返ってきた要領を得ない答えは、それっぽいことを言おうとして失敗する典型。

歯がゆい消化不良に生ぬるく睨むと、彼女はしばし考え、しぶしぶ続きを紡ぐ。


「要は……そう! びっくりしたの。わかる? びっくり。大きな声ださないで。

普段そんなに騒がないでしょ、滝くん」


何故か叱られ、刹那に襲いくるデジャブ。


「は? あー……、いや、たしかにな。さっき、自分でも似たようなこと思ったわ」


情報社会において、受信に優れたアンテナは、光り輝く上位カーストの片鱗。

彼女の垣間見せる広い視野に、なんとなくで納得させれらてしまう。


「やっぱよく見てるんだな。お前も」


自身に不足している他者への関心意欲態度をお披露目され、微かな尊敬が芽生えた。途端、隣に居座っていた影は歩みを早め、こちらを置き去りに大股で進んで行く。


「お――おい」


短く静止を促すも、まさかの無視。

打って変わって周囲を顧みない様子に頭を抱え、やむを得ず小走りで背中を追う。


「待てって」


耳を貸す素振りもなく、スタスタ歩調を強めるバカを引き留めるのには、のっぴきならない理由がある。そう、それはもう少しで辿り着くY字路を抜けたあちら側。

青春の一コマに相応しい緑豊かな遊歩道は、うちの生徒が集約され始める分水嶺。

すなわち、誰かに目撃され初めて意味を成すカップルのフリが、まともに作用し出すポイントでもあるのだ。が、肝心の俺たちがこの様では、効果を発揮させるどころか逆効果にさえなりかねない。


こんなの良くて喧嘩中、悪けりゃストーカーじゃねえか。勘弁してくれ。


「なぁ」


力を込めて大地を蹴り、どうにか距離を詰めて、微かな逡巡の末、手首を掴む。


しかし、その判断は間違いだった。


恥じらいの薄い末端を選んだ結果、無理やり勢いを殺された慣性は咲の体幹を蝕み、彼女が持ち前の運動神経でバランスをとろうと、身をよじった流れのどこかで脱げたローファーが、タイミング悪く通り掛かった軽トラックの荷台へ消え、二人して茫然自失。最悪の連鎖反応にしばらく佇んだのち、ハイソックスが地面と接触しないよう片足でこちらを振り返った表情は、都内の暴漢よりも恐ろしい不気味極まった冷笑。

星や音符は何処へやらな笑いに、光をも凌駕せしめる速さで、自分の靴を差し出す。

ところがどっこい。あまりのサイズ差にまるきり役立たず。おぶれと一蹴され、奴隷さながらの従順さで、最寄りのバス停へ。


「……見てないし。全然、これっぽっちも、見てないし」


移動の過程。後頭部で度たび再生される謙遜は、控えめに言って、謎であった。



―― ―― ――



「お前さ、ここは一応俺の仕事場ってこと、わかってるかぁ?」


放課後。元第二歴史資料室で、勝手に広げたパイプ椅子を用い、勝手につけた冷房で涼んでいると、後から姿を現した髭眼鏡こと木庭こばに、さっそく領有権を主張された。


「また遊びに来いって言ってましたよね? 俺にはもう、ここしかないんですよ」


長テーブルに項垂れたまま、あくびを噛み殺し、ぼそぼそと呟く。


「あ? お前にゃ自分のクラスもあんだろ。というか、帰宅部は速やかに帰れ」


気だるげに告げるや否や、自分の席を組み立て、ノートパソコンを起動。

慣れた手つきでケトルの電源タップを弾き、インスタントコーヒーの封を切る。


「今日はやけに冷たいんですね、一緒にお昼を食べた仲なのに。あ、ブラックで」


大した抑揚もつけず放った、不躾な冗談と注文は軽いジャブ。

適当に取っ掛かりを作って、少しでも長くこの場に居座ろうという魂胆だ。


「夏川は一緒じゃないのか?」


「ええ、残念ながら」


オリガミを被った紙コップが増えているということは、長居を許されたみたいだが、

どうしてそっちに転がるのか、この担任は俺達をニコイチだと思っているらしい。

しかし直近の生活を鑑みれば、あながち間違ってもいないので素直に言葉を返す。


「ちょっと用事があるとかで、アイツは帰りましたよ」


背もたれに体重を預け、やるせなく天井を仰ぐ。


昨夜。ちょうど咲が帰宅した頃。明日は作戦お休みね、と夏川から連絡があった。

他に交わしたいくつかのやりとりは、当日玄関で話した内容とさして変わらず。

俺がぶっ倒れていた時の件や、管理人に誤解を与えているであろう件。


どちらにしても、緊急だったのだから咎めようがない。

むしろ、雑事の処理に尽力して頂き感謝である。


それはそれとして、正直こちらの気掛かりは記憶喪失の件。


lineでする話でもないだろうし、向こうから切り出されるのを待った方がいいのか?

本当に間の悪いヤツだ。なんだよ、用って。友達作りは最優先じゃないのか?


水が沸騰し湯に変わる音と、乾いたキーボードの音をバックにぼーっと心で毒づく。


「で、なにしに来たんだ? まさか、本当に遊びに来たわけじゃねえよなぁ」


作業に耽るまま発せられた深く渋い声が、呆けていた意識を呼び覚ます。


「しばらく時間を潰そうと机に伏せたら、突然教室を追い出されてしまいまして。まったく、あそこはみんな場所じゃないんですか? 俺はクラスメイトにカウントされてないんですか?」


概ね自分のせいだと分かっていながらも、愚痴を漏らさずにはいられない。

荷物事放り出すなんて、道徳の教育課程で、きっと惰眠を貪っていたのだろう。


普段は透明扱いのくせに。思いやりが足りなのだ、思いやりが。


「人目と暑さを凌げて、落ち着ける可能性を考慮してたら、ここになったわけです。

お願いします、邪魔はしないので、しばらく置いてください」


カタコトで頭を下げ、上目遣いに様子を見る。

けれど、大してこちらに興味はないのか、顎髭を摘み真面目にモニタを睨んでいた。


「ずいぶんお疲れだな。体育あったっけか今日」


続く沈黙を終わらせたのは、意外にもあちら側。

睡魔との格闘に、敗北寸前であった瞼が見開く。


気付けば、部屋には香ばしい香りが満ちていて、案の定テーブルにはコーヒが。

こういうなんだかんだ面倒見いいところは、人気教師たる秘訣なのかもしれない。


「いや、ないですけど――」


そう。別に体育くらいなんこたないのだ。

二人一組を作れと命じられても、団体競技をやらされても、所詮は授業で一時間弱。

気まずい瞬間はあれど、割り切っていれば、あっさり過ぎ去ってしまう。


一方、絶賛俺を苦しめ中の難題、彼氏のフリは、そんな簡単ではなかった。


ローファーを拉致られてからバス停まで区間。バスを降りてから下駄箱までの区間。

咲を背負って運ぶのは、彼女の小柄も手伝い、意外と余裕があったはず。

ところがそれは、体力面での話。精神面がごりごり削られるのは必至。


何故か? 原因は言うまでもなく、羞恥心。


俺だって男子高校生、多少見知った顔とて、物理的距離が縮まれば緊張する。

女子をおぶるのは初めてではないが、威張れる回数を熟しちゃあいない。

しかも、当時乗せていたのは色気の欠片もない小娘。

反して、あのバカはある部類に含まれるのだ。

当然、平静を繕うがやっとだった。


デートの練習で履修すべきだったのか? いや夏川で練習になるのか?


なんて煩悩と戦いながらの運搬中。行く手を阻むように咲の友達が現れ辺りを囲う。


おんぶ登校などパッと見異様の光景、もちろん人目を引く。

故に、なにか策があるのだと、他人任せにしたのが大きな過ち。


頼みの綱は微塵も呂律が回っておらず、道中のあれやこれやを説明したのは俺。

人が人を呼び、繰り返される同じ工程。ノイローゼにならなかったのは奇跡だ。

ぼろぼろのメンタルで自分の席に着き、いつものHRにほっとしたのも束の間。

現実味を帯び始めた噂は、休み時間の度、四方八方から怒涛の質問攻めを生む。


昼だけは、昼だけは……。


昇降口に集合ね。


懇願虚しく、スマホに浮かぶ悪魔の誘い。

陽気な輪に交じり、裏庭の端で甘いパンを齧る。


なんでわざわざ外で食うのか、意味がわからん。

木陰は涼しいね? エアコンの方が涼しいんだが!?

一口ちょうだい? あんま旨くないから全部やるが!?


疲労がそうとう表に出ていたのだろう。

あとちょっとの辛抱、我慢よ我慢、と何度も耳打ちがあった。


初日が山だと聞かされてはいるものの、一向に峠を越えた気配は訪れず。

見かねた夏川の気遣いは肉壁に阻まれ、容赦ない苦行の数々に俺は満身創痍。

咲の部活終了までが、憔悴しきった心と身体に与えられた、ささやかな休息なのだ。


「――寝てたかったです。ずっと」


尋常ならざる答えに髭眼鏡も頬を引きつらせ、唸りながらお茶を濁す。


「……まぁ、なんだ。ゆっくりしてけ」


多くを探らぬスタンスから覗く、大人の風格。人生経験が成せる、年上の余裕。

弱った時に優しくされコロッといくヒロインに、今なら共感できるかもしれない。


「あざます」


温かいカップに口を付けると、ほど良い苦みが、じんわり口内へ広がっていく。

それがまたとても好みの味で、どこで購入できるか尋ねようとした矢先。

ノックもなく、背後で響いた扉の開閉音に釣られ、視線を向ける。


「あ、やっぱりここにいた」


息を切らして微笑む栗毛少女に、俺はただただ無慈悲を感じるのだった。


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友達の作り方、知っていますか? かなめ @Kaname_P

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