5-3

勉強も運動も得意。それに自分で言うのもなんだが、見た目もけっこう可愛い。


はずなのに――私は全てを持て余していた。


理由は単純明快で、極度の上がり症と口下手。


テストもかけっこも、成績が良ければ褒められる。しかし、そんな当たり前が恥ずかしくて、教壇の前で涙を零すのが常。

せっかく双子なのだからとお揃いにされた服装と髪型は、通学路やクラスで声を掛けられる確率が跳ね上がり、逆効果。

何かにつけて泣き出す私を、当然のように守ってくれたのは、賞賛を賞賛として受け取ることのできる、明るくて優しい妹。


太陽と月。似てるのに似てない。いや、似ても似つかない、光と影。

気が付けば間反対になった存在に抱く、強い憧れ。


苦節6年。小学校は怯えて過ごしたが、中学ではれいみたいになるんだ。


そう意気込み臨んだ最初の自己紹介で、大失敗。

名前を呼ばれた瞬間頭が真っ白になり、静寂に瞳を潤ませる始末。

紆余曲折の果てに流れ着いた先は、いわゆる目立たないグループだったけれど、一人で友達を作れたという結果に、家族は大喜びだった。


その後、ゲームや漫画といった娯楽にハマるも、通知表は狙い通り3と4をマーク。

極々稀に地味な男の子から告白されることもあったが、無駄な遺恨を残さぬよう丁重にお断り。日陰者同士の恋愛事情が教室で取り沙汰されることもなく、極力目立つことを避けた、それなりに楽しい生活に勤しむこと、二年。


初めて妹とクラスが一緒になった年の夏、状況は一変する。


「玲ちゃんまた断ったらしいよ」


「え、また? これで何人目?」


実は高校生の彼氏がいるだの、イケメンの先生と付き合っているだの、主役の不在をいいことに、尾びれ背びれを付けた噂が、移動中の廊下を飛び交う。


三年生になり、地元のお祭りはすっかり男女の催し物と化していて、終業式と重なるそれが数日後に迫っているとなれば、少し大人になった子供たちは、そりゃもう相手探しに必死なのだ。


確か――六人目、とかだっけ。残念だったな、勇気ある者達よ。

しゃーない、君達の意思は私が継ごう。安心して逝くがいい。

……にしても玲はホントよくモテるな―、お姉ちゃんは鼻が高いぞー。


稼働したてのエアコンの下、ぼーっと遠くを見つめ、心で呟く。


容姿端麗学年主席、おまけに陸上部長距離のエース。我が妹ながら申し分ない肩書。申し分なさすぎて、もし自分が男だったら、会話はおろか、挨拶もままならなそう。


えみちゃんは、誰とお祭りいくの?」


空想にふける意識を連れ戻すのは、数少ない友人の質問。


「去年と一緒~」


背もたれに身を任せ、熱さにとろけたにへら顔を返す。


「ってことは――」


「そ。既に玲の隣は、埋まってるってこと~」


と言っても二人で行くわけではなく、毎年お母さんを含めた三人で参加している。

普段、長い前髪と野暮ったい眼鏡で表情を隠す私も、その日ばかりは逃げられず。

前日のヘアカットから、姉妹のらしさに合わせたお化粧に、浴衣の着付けまで。

二人分をそつなく熟す母の職人芸を味わい、街を闊歩するのが恒例行事。


人混みを連れまわされるのは好きじゃないけど、屋台の食べ物は好き。

あと、にぎやかな独特の空気も。たのしそうに笑う、玲もお母さんも。


「じゃあ私は咲ちゃんに会いにいこうかなー。アプデされた姿も拝みたいし」


「言い方……」


授業準備の片手間に、コソコソ話は続く。


「だってー、夏休み明けたらアプデ前に戻っちゃうんだもん。皮は一緒――んーん。

胸があるぶん咲ちゃんの方がパワーあるんだから、見た目もキープしたら、きっとすごいよ?」


「やだ」


後ろの席から身を乗り出してまで励ましてくれるのは嬉しいが、あまり羞恥心を焚き付けられると困ってしまう。

反射的に猫背になるのも必然で、顔もおそらくは真っ赤。目じりに水が溜まってくるのも時間の問題。たぶん、このメンタリティは死ななきゃ治らない。


「というか、それもう私じゃないってー」


「いーや、なにがあっても咲ちゃんは咲ちゃん」


――何があっても私は私。どうして今、こんな事を思い出すのだろうか。


「おい、咲」


高校デビューに成功し数か月。たまに素が出てしまうことはあれど、慣れないメイクに立ち居振る舞い、ラインやSNSのノリもだいぶ様になってきた。


もちろん、入学前も入学後も、日々の努力は必要経費。

ファッション雑誌や自己啓発本を読み漁り、あらゆる女子力アプリに教えを請う。

攻めた明るい髪は、生まれつき色素が薄いものだとうそぶくも、案の定三者面談行き。

待ち受けていた綺麗な担任の先生は新卒新任で、いきなりのトラブルに頭を抱えていたところ、これ見よがしにガン泣きと説得を畳みかけ、虚偽を押し通す。

もつれた口論の決め手になったのは、幼い頃、強制的に子供用染髪剤の実験台にされた、双子の写真。正直でっちあげも甚しかったが、母の機転に感謝である。


……私が人気者になって玲を守るんだ。もう、絶対にあんな顔はさせない。


そう胸に刻み、立場の確立を急ぐ傍ら、足しげく1-Aに通い様子を伺う。

いつも一人でいる妹を見るのは辛かったけど、近くに同じ様な男の子がいたせいか、

何故か独りの印象は受けなかった。


友達を紹介したり、購買や学食に連れ出したり、無理くり部活に入れさせたり。

順風満帆、とまではいかずとも、なんのかんの上手くいっていた、はず。


「おい、バカ」


「――え?」


だから調子に乗っていたのかもしれない。迂闊だったのかもしれない。


「焦げてねえか?」


「あ。……ぁあ!」


これはその甘さが招いた、罰なのかもしれない。



―― ―― ――



慌ててコンロのつまみを捻った時には、全てが遅し。

米粒たちが纏っていた黄金色の衣は、きつね色を通り越してコゲ茶色。

いや、場所によっては限りなく黒に近い色へと変貌を遂げていた。

そんな状態からの挽回が効く訳もなく、苦し紛れにお茶碗で型を採り、平皿へ移す。


だ……大事なのは、盛り付け……。

それに味だって、頑張れば、頑張れば食べれない程では、なくも、なくも……ない。

ちょ、ちょこっと苦みが強いだけ。流石ごま油と塩コショー。調味料は偉大だ。


しかし、それをベットへ運んだ私の心は、無粋な一言に容易く粉砕される。


「やー、炒飯じゃないだろ」


完全に虚を突いた先制口撃は、緩み切った涙腺を再刺激。

じわじわ滲む景色を悟られたくなくて、咄嗟にそっぽを向き呟く。


「炒飯だもん」


苛烈なカースト争いも落ち着き、一抹の余裕を持てた頃。

相も変わらず周りに馴染もうとしない彼が、目に付き始めた。


流れはとても単純で、席が妹の傍だから。遠目に覗くと、いつも視界に入るから。

机に伏せていたり、本を読んでいたり、会話を拒むような冷めた雰囲気が特徴的で、玲と、よく似ていたから。


「……いや、出来栄えうんぬんにとやかく言ってるんじゃなくて、だな――」


些細な取っ掛かりが埋めた興味の種は、知らず知らずに根を伸ばし、育っていく。

ノートの端に己が内省を記す、ここだけレポートに綴られた文字が、その最たる例。


1、休み時間は寝たふりが多い。


2、お昼はほとんどコンビニ。


3、放課後は読書。


初めは、こうなっちゃいけない反面教師として、生態を記しているつもりだった。

けれど、落書き感覚で取っていたメモの機会が増えていき、ふと、気付いてしまう。

移動教室や掃除中、妹とじゃれている時でさえ、事あるごとに彼を視界へ入れている自分に、気付いてしまう。


あれ? あれれ? なにしてるんだ、私。他人に構ってる暇なんてないのに。


幸か不幸か、怒涛の夏季休暇は雑念を忙殺させ、薄かった化粧を僅かに濃くさせた。


あ。


けれど二学期になり、体に染みついた習慣が全てを思い出させる。

休み時間は寝たふりが多い。お昼はほとんどコンビニ。放課後は読書。

髪が伸びてもっさりした以外、驚く程変わらない。変わってなさ過ぎて若干引いた。


ところがそれは、流行りの色恋遊びに辟易としていた私へ、妙案をもたらす。


んー。でも、問題はどう話しかけるか、だ。


受け攻め幾つか考えたその翌日、彼は一貫して様子がおかしく、心ここに在らず。

どうしたものかと行った、地道な聞き込み調査も空振りで、日を改めることに。


更にその翌日、彼はもっと様子がおかしくなっていて、あからさまな上の空。

たまたま見かけた背中は、どこか苦しんでいるような、どこか助けて欲しそうな。

大丈夫かな? そう思った瞬間、何もかもを忘れ、つい、声を掛けてしまった。


二言三言の会話に感じる、かつてない緊張。泣く泣く選んだ、戦略的撤退。

気を取り直してもう一度と踏み込んだ教室では、不運な事故に見舞われる。


「いやな、作ってもらった分際でアレなんだが、普通……おかゆとかじゃないか?」


「あ」


「あって、お前……」


予想だにしない再開は、行きつけのケーキ屋さん。

神様のいたずらにびっくりして、派手におしりを打つはめに。


「そ、そーゆーことならいーよ、食べなくて。私炒飯好きだし」


適当に強がってみたものの、キッチンには自分用も残っているのだから実質詰み。

とりあえず捨てるのは勿体ないので、ラップやタッパーを探しに踵を返した拍子。

上着に妙な突っ張りを覚え、静かに振り返る。


「あー、わりぃ、腹は減ってるんだ。あいにく昨日からまともに飯食ってなくてな。それに、俺も好きだぞ炒飯」


熱に火照ったぎこちない笑顔に、少し肌寒かったエアコンが丁度良くなった、途端。


「あと、あんま長居すっと移るぞ。バカは風邪ひかないってアレ、嘘だからな」


ぶち壊しである。


「そーだね、今こうして風邪ひいてるもんね。はい、どーぞ」


「あのなぁ、俺はけっこう成績良いんだぞ?」


「はいはい」


しってるしってるそんなこと。


呆れた私に食って掛かる彼の隣は、既に埋まっていたのだ。

おしとやかで朗らかな女の子。綺麗な黒髪で、くりっとした瞳の女の子。

悲しかったような、悔しかったような、良くわからない感情に包まれる。

なんだかんだ息の合った二人に、温めていた妙案は半壊、諦めもついた。


別に彼である必要はない。他を当たれば済むだけの話。

なのに、なのに気づけば、友達になっていた。なってしまっていた。


「……持ち方やばいよ?」


「今だけだ。なんか力が入らねんだよ、察しろ」


ゲーミングチェアに腰を落としたまま、溜息を一つ。床を蹴って距離を詰める。

強がる病人から食器を奪い、無理のない量を乗せたスプーンを口元へ運ぶ。


「医療行為なんで」


やさしさ半分、いじわるさ半分。


炎天下で待たされた、卸したてのワンピースを破った罰だ。せいぜい派手に恥じろ。


友達。


ちゃんと本人の口からそう聞いたのに、最初に許可を仰いだのは、彼女へだった。

どことなく、なんとなく、彼女のものって感じがして、聞かずにはいられなかった。以降、彼には不思議と強く当たってしまうし、もう何が何だかで踏んだり蹴ったり。


今日だって、本当は謝りに来たのに――


「見た目のわりに食えるな。ん」


ん? ――って、え。え!? まってまって。え? どうゆうこと? 

食べちゃったの? もう。 じ、じじじ、実は、こーゆーの慣れてるの……?


動揺に支配されながら、おずおずと二口目。


「つーか前も思ったけど、ジャージ似合うなお前。ん」


なんか口説いてきた!? いやいやいや、落ち着け。というか前っていつよ!?


「眼鏡もアイツのと違って、ちゃんとサイズぴったりだな。普段はコンタクトか?」


やっぱり口説かれてる!? いやいやいや、落ち着け。というかアイツって誰!? 


――あ、玲か!


目まぐるしい自問自答のあれこれを、咳払いに乗せ吐き出す。


「こ、ココ、コンタクトは、怖いから試してない。普段は裸眼で、授業中とか何かする時にかけるの」


その実、家ではいつもかけている。のだが、眼鏡はたまに掛けるのが効果覿面。

と、雑誌に載っていたので、学校ではその通りにしているだけ。

あれはあれで周りの顔がぼやけて緊張しなくていいし、一石二鳥である。


平静を繕い、三口目。


「それは、アイツも……なのか?」


アイツ? あ――玲か。


「そのはず? 中学まではコンタクトだったんだけど、買いに行くの怠いんだって。

でもあんな野暮ったいのかけなくてもいいのにね。可愛いのもいっぱいあるのにさ」


話の途中、彼の反応は鈍くなり、なにやら考え込むまま食べ続け、無事に完食。

私が洗い物をしている内に、のそのそベットから這い出て棚を物色、市販の解熱剤と痛み止めを持って水を汲みに近づいてきたタイミングで、やたら大きなインターホンが響き渡った。


ぼーっと喉を鳴らしている彼の代わりに仕方なく私が廊下を駆け、モニタを確認。

液晶が映すそわそわした、綺麗な黒髪のクリっとした瞳の少女に、思考が止まる。


なんで、ここになっちゃんが?


「……あれ、夏川? なんでうちわかんだ? そいや、お前もよくわかったな」


視界の隅から、ぬっとオートロックの解除キーへ伸びる指を、無意識に掴む。


「ちょ、ちょっとまって」


よくわかったなって、家を訪ねたら、住所と部屋番張り付けたのは自分だろうに。

丁寧に自転車のとこまで開けて――って、そんなことはどうでもよくて……。


なんで、ここになっちゃんが?



―― ―― ――



「起きてて平気なのー?」


「起きなきゃ開けらんねぇだろうが」


心配に満ちた声が玄関を超え、部屋へと届く。


――たきくんは手筈通りに、やってくれるだろうか。


「いい? ここに私がいるのは秘密、それだけ守ってくれればいいから!」


「は? なんで?」


「いいから!」


彼が状況を飲み込めていようとなかろうと、今は猶予がない。

サンダル、バッグ、目に付く限りの私物を素早く抱え、もしもに備え隠れ蓑を探す。


考えてもみろ、私。


ただの友達は、数時間の音信不通程度で、様子を見に来たりなんかしない。

こんな暑い中、両手にビニール袋引っ提げ、お見舞いになんか来ないはず。

だとすれば、答えは簡単。ただの友達じゃあない。そう考えるのが妥当。


日曜日の昼下がり、気になるあの人の家に、どぎまぎ足を運んだそんな折。

彼のジャージを纏った女がくつろいでいてたらどうだ? 絶対あらぬ誤解を生む。


せっかく仲良くなれた友達に、あんな優しい友達に嘘をつくのは心苦しい。

が、たぶんこれが一番丸い選択――


「あれ、咲ちゃんは? てっきり来てるかなーって思ったけど」


「たぁ」


いきなりの想定外で頭を打つも、誤魔化すように彼の咳払いが被さった。


な、ないすふぉろー。


「な、なんであいつが来るんだよ? というかなんでお前も来るんだよ?」


「いやぁ、外が閉まってたから――って、あれ、ごはん作っちゃったの?」


彼のぶっきら棒を綺麗に受け流す様は、やはりどこか手慣れた様子。

ヒミツに触れてしまった気分で、非常に忍びない。


「あ、薬あったんだ、一応買ってきたけどいらなかったね。調子は、どう?」


「え、あぁ――一応飯も食ったし、たぶん寝てりゃなんとか」


「よかったー、ほんと心配したんだから。なにかやっておいた方がいいことある?」


彼女かッ! 彼女じゃんもう。


少女の溢れる甲斐甲斐しさに良心を苛まれ、耳を塞ぐ。

話しの終りを伺い、たまに姿を確認しようするも、それさえどこか後ろめたい。

五里霧中、千日手、八方塞がりの状況に、諦めて瞳を閉ざす。


なにやってんだろ私。無駄に張り切って、怒って、泣いて、浮かれて。

玲の為にも重要な日だったのに、もっとやるべき事があるのに。


「――い」


なっちゃんはいい子。知り合ったばかりとは思えないくらい、打ち解けるのが早い。

それに、玲と友達になりたいと言ってくれてる。きっと、なってくれる。


「起き――」


滝くんはバカ。私の成績も知らないでバカ呼ばわりするからバカ。

玲と喧嘩するからバカ。風邪ひくからバカ。ペースを乱してくるからバカ。


「咲!」


「たあ」


意識の向こうで名前を呼ばれ、ビクッと身体がしなり、後頭部を強打。

瞬きに合わせ、ぱちぱちと明滅する世界が形になっていく。

どうやら半日の心労が祟り、急に襲いくる微睡みに呑み込まれていたようだ。


「なっちゃん、は?」


「とっくに帰ったぞ」


「……そっか」


細長く息を吐き深呼吸。頬を打ち付け気合を注入。腹を括れと己を鼓舞。

突っかかり引っかかりながらも狭所から抜け出し、何かにたじろぐ彼を見遣る。


「ねぇ、滝くん。お願いがあるの」


「その前に一旦、ズボンを上げてくれ」


数秒後。本日何度目かの絶叫が、305号室に木霊した。

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