Chapter 4 虚空に閃く
1
ホークランド出発より40日。
あれだけ閑散としていた管制室は、往時の賑わいを取り戻していた。
AIラインによる自動操縦とはいえ、人力によるモニターが無駄なわけではない。
総統が世話をしてくれた補充要因はいずれも優秀な船員だった。
赤いビロードの椅子に、金モールの髑髏刺繍が施されたコートを着用して座っているのはアオイだ。
後遺症のあった右目の移植手術をしてからはオッドアイとなっている。
隣に胡坐をかいて座っている金井・誠右衛門に話す。
「新しい仲間とはどうです?」
「む」
正直なところ、補充人員30名中名前と顔が一致するのは10人程度だった。
話しかけてもよそよそしい気がするのだ。
元来口下手な金井、それ以上関わろうともせず剣を振ったりシャオランと過ごしたり、あるいはこうしてぶらぶらと管制室に赴いたりして時間を潰している。
「まあ、剣士も王国だったら少佐からスタート、将官クラスへの出世も約束されている遠い存在ですからねえ」
アオイも船長として成長している。
元々根拠不明な自信と行動力の女だったが、王国の軍制など教養を学ぶことでリーダーとしての地盤が固まってきたように思う。
金井も今の世の常識を勉強しているものの、アオイは常に先を行く。
転生した当初からそれは変わらなかった。
「アオイさんは立派な人だ」
「褒めても給料は上がりませんが?」
「兄上のようだ」
「お兄さん」
兄は昔から真面目で卒がなく、子供のころは什長も勤め上げていた。『抜け』金井とは大違いだ。
剣だけは1度も負けたことがないが、それ以外はいつも兄の手を煩わせていた。
「朱子学も算術も俺は覚えが悪くてな。兄上に時折教えてもらっていた」
「仲がよろしかったんですね」
「ああ。俺は戦死してしまったが兄上は存命だ。……あ、いや、存命だった。少なくとも俺が死んだ時点では。生きて、明治の世を迎えてくれていればいいのだが」
四民平等、廃藩置県――あの後の歴史については少し調べてある。何もかもが新しい時代だ。異世界同然の宇宙時代よりも、金井は真新しさを感じた。
「ツォーマスやフェイイェンは、アオイさんにとって弟のようなものではないのか?」
「いやあ、そこら辺シャオランさんたちとは感覚違いますからねえ。フェイイェンとミッチは兄弟どころか恋仲になっちゃいましたし」
「確かにそうだ」
全ては移ろう。戦や政変などの激動も、1つ1つの小さい変化の積み重ねも歴史には違いない。
このささやかな1場面を、無かったことには絶対にさせない。
管制室から出た金井は、シャオランのところに向かうことにした。
シャオランの部屋は変わらず慰安室だ。金井が使っていた個室はシングルベッドだし、各種娯楽も生活用品も慰安室の方が充実しているので、あちらを新居とした。
エマやザマリンに付き合わされることも無くなったからか、昨今は1日最低3回は求められる。体力的には1日中でも剣を振ることのできる金井だが、シャオランには弱い。
慰安室の前でエマと鉢合わせた。
「ちゃーっすセーモン!」
狐耳のカチューシャと巫女服を着て、男にヘッドロックをしている。
「なじょしたらそんな状況になるんべさ」
素朴な疑問だった。
「いやー、こいつが『狐耳のじゃ巫女さんが恋しいよー! 早くホークランドに上陸させてくれー!』なんて騒ぐもんだから、コスプレしてやったらねー『そんな偽物認めませえええん! 狐耳巫女さんはそんなこと言わない』なんて知ったような口をねー」
「左様か」
男には見覚えがあった。数秒無言で考えこみ、サンガブリエラの楽器屋前の娼館から出てきたあの男だと思い出した。
「もう休憩時間も終わりだし放してくれよう。俺はやることやってスッキリしたし、エマちゃんの部屋の掃除だってしたじゃないか」
「にはは、いいよー」
男が解放された。相変わらず不景気な顔をした男だった。
「なんという名前だったか」
「え、俺の名前?」
男は金井に気づくと一瞬身を震わせた。目の前の剣士に怖気づいたのだろう。
「俺はマーローだ。マーロー・カナイ。少し前までホークランド海軍で二等卒やってた」
「む」
「同じ名前だねー。親戚か何か?」
「……かも知んね」
金井は微笑した。
「金井・誠右衛門だ。以後よろしく」
握手をする。柔らかい手だ。昔はこのような女みたいな手をした男はいなかった。
「剣の稽古ならばいつでも付けよう。遠慮なく頼ってくれ」
「うへえ? へへへ、考えときます……」
などと言っていると、ザマリンとシャオランが出てきた。
マーローはすたこらと持ち場に戻っていった。
「あー、エマ姉がセーモンを連れ込もうとしてる!」
指をさしたのはザマリンだった。
「そうそう、セーモンが『最近は姉妹丼ができなくて寂しいでござるなー』なんて言うもんだからー」
エマとザマリンは引き続き船付き娼婦としてラインゴルド号に残り、新しく入った船員の相手をして過ごすことにした。当然ながらシャオランは金井以外相手にしないし、金井もシャオランとしか関係を持たない。
「んなこと言っとらんべよ!」
金井の反論。
「浮気したら私はあんたを殺すかもしれない……」
シャオランの目は座っている。
金井は、シャオランはホークランドに残るべきだと提案した。危険だからだ。
だが、シャオランは『100日もあんたを待てるわけないだろうが! あたしも一緒に行くに決まってんだろ!』と怒りをあらわにし、ラインゴルド号に再び乗船することになった。
「その心配は無用。まかり間違って不貞を働いた折は先に俺が腹を切る」
「完全に真顔だ……」
ザマリンが戦慄した。
「似たもの夫婦だー」
「夫婦だ、夫婦だ」
エマとザマリンが茶化す。
いい時間を過ごした。
姉妹に別れを告げ、金井とシャオランは2人の部屋に消えていった。
それから10日後、ラインゴルド号は『人類種の遺産』が眠っているとされる黄金海域に到達した。
黄金海域はガリアンとの国境、暗黒海域の最中にあり、海路図無しでは絶対にたどり着けないだろう。
また、国境は不可侵規定によりホークランド船籍の軍艦が通行するには都合が悪かった。
そこも加味し、ラインゴルド号に遺産の破壊が依頼されたという訳だ。
レーダーに感があった。戦艦1隻、巡洋艦1隻―――ウィリアム116世も、エドワード・クロムウェルも、首尾よくホークランドを脱出し、ここまで同着でたどり着いた。
剣士を出撃させ、制海権を奪取しなければならない。
金井は与圧区画の終点、ハッチの前に立ち、呼吸を整える。
負ける気はしない。だが万が一がある。
既に1度死んでいるのだ。誰であろうとも死ぬときは死ぬということを、誰よりも理解していた。
平服のシャオランが来た。無重力区画なので、手すりを伝っている。
「シャオランさん! スーツを着ないと危ないぞ!」
金井が嗜めるも、シャオランは壁を蹴ってこちらに来た。
抱き寄せる。
「ちょっとした用事だから大丈夫だよ」
シャオランは何か持っている。古い短筒のようだった。
「ザマリンがこれをくれたんだ。先代船長の形見だそうでさ。この火打石ってのを好いた相手の前で鳴らすと、無事に帰ってこれるんだと」
切り火だ。少し歪んで伝わっているが。
シャオランはフリントロックの短筒を2度鳴らすと、金井から離れようとした。
その身を、強く抱きしめた。
「ありがとう! これは絶対に安泰だ! 俺は宇宙一の果報者だ! 必ず戻るから待っていてくれ!」
笑う。人生で初めてではないかというくらい、気持ちのいい笑いだった。
「確かに約束したよ」
シャオランが離れ、金井は剣士へと姿を変える。
右手には刀があった。
侍の魂。時代を切り開き、愛しき世界を守るための剣が。
国王ウィリアム116世は己の近衛を見た。
4人、全員剣士だ。
ホークランドに潜伏していたときから侍従として支えてくれたローマン。
彼は赤いタータンチェックのケープに赤い詰襟、近衛の制服だ。
その横に3人一糸乱れず整列しているのは、同じく赤い制服の近衛。
彼らは黄色いタータンチェックのケープを羽織っている。
3人1組の王国最強剣士、クロケアモルス。
集団戦に向いた同じ剣を発現した者達を、冷凍睡眠で保存し同時期に解凍。同い年に見えるが、3人が3人、数千年単位で生まれた時代が違う。
亜光速の突進を基礎とする剣士の戦闘では、多対一の状況というのはまず起こりえない。2人がかりで突っ込んだところで速度はズレるし、剣はうまく振れなくなるし、かえって隙が大きくなる。
だがこの3人は別物だ。
わざわざ同じ剣を発現した者を集め、子供の頃から一纏めで集団戦の訓練を施してある。
長い時間と手間をかけて作られた、人工の最強。理論的には無敵であり、事実、波乱の時代に解凍されては無傷で30人もの剣士を屠ってきた。
褐色の男がスキピオ。長髪の男がカエサル。唯一の女剣士がトラヤヌス。
前地球時代、古代ローマの英雄から名付けられた。時代時代のの国王から賜った名だ。
「まず」
王が口を開くと、全員の気がまた1段引き締まる。
「まず、諸君らには労いの言葉が言いたい。この亡国の王に、今までよく付いてきてくれた」
「滅相もございません」
ローマンだ。
「我ら皆陛下の剣。陛下の為に生き、陛下の為に死にます」
「違う、ローマン」
国王は臣下の言葉を否定した。
「王国の為に生き、王国の為に死ぬのだ。我ら皆、この私とて例外でなく」
遺産にかける目的は、臣下にも話してある。自分が消えた世界で、姉である女王アンに仕えてくれとも。
「はっ! 陛下の御心のままに!」
ローマンが深々と例をした。クロケアモルスの3人もそれに続く。
「では、我が心、今こそ汲むが良い」
国王の命とともに、全員が剣士に転じる。
黒いブレストアーマーにレイピアとマンゴーシュの剣士はローマン。
クロケアモルスは揃いの古代ローマ風、屈強な人体を模した鎧と、中世騎士のようなフルフェイスヘルムだ。白銀の輝きは王国最強剣士にふさわしい。
その片手にはグラディウスという諸刃の剣。もう片手には大ぶりなタワーシールドを構えている。
エドワード・クロムウェルがこの期に及んで思い出すのは両親のことだった。
身売りに近い状態で王国に亡命させられたものの、両親のことは憎んでいるわけではない。自身の身を守るのは正しいことであるし、クロムウェルの命もそれによって救われた。
ただ、王国に背いたことが知れれば大本星にいる両親も、その一族も処刑されることになるだろう。
王国から議会派に転じた剣士は、皆覚悟の上だ。あのワン・ルイビンも裏切りの直後に両親を失っている。
既に両親とも老齢だ。この辺境から大本星に報が伝わるまでに8年はかかる。その間に病死でもしてくれれば幸福だろう。
と、そこまで考えたところでふと思い出した。この世界、10万年の歴史を自分はこれから消去してしまうのだ。
両親は当然、自分も存在から消え去るだろう。あまりの現実味の無さに肝心なことを失念していた。
特務から引き抜いた子飼いの部下や、王国からの離反者には目的を伏せてある。世界を滅ぼすと聞いて協力するものなどいない。
いまだ遺産の正体は初代国王の埋蔵トークンというカバー情報を信じている。そして、現状の王国よりも議会派の未来に理想を託している。
申し訳ないことをしている自覚はあるが、正しいことなのだから仕方ない。
これは正しいことだ。過ちを正す。それだけだ。
クロムウェルの傍らには、白銅のネックレスがあった。
名も知らぬ花のあしらわれたネックレスが。
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