次の日。

 シャオランは破損したムーティエチンを修復するために楽器屋に来ていた。

 広いフロアにギターやドラム、ホロキーボード式のピアノなど様々な楽器が陳列されている。

 前地球時代から素材以外全く変化のない楽器もあれば、6本以上の指や2つ以上の口に対応した特殊な楽器もある。

 ボディに穴が開いただけだったので溶接と弦交換のみを行うことにした。3日で仕上がるということだ。

 前払いを行おうとした金井をシャオランが止めた。

「いちいち払わなくてもいいよ。あたしだって持ってんだからさ」

 新品を買うこともできたが、修理して使い続けることに意味があるのだと思った。だから、修理費用も自分で払うことに意義がある。

「む、そうか」

 金井はいつも通りの仏頂面だが、どことなく楽しそうだと感じるのは思い込みだろうか。

 平和だ。

 半生を海賊船で過ごしてきたシャオランにして、初めての平和らしい平和。

 ずっとこういう時間が続けばいいのにとは我儘に過ぎるか。

 金井は剣士で、休暇が終わればまた海賊船に戻ることになる。

 さらにその先は、金井の故郷アイズとやらを探すのに付き合うことになるだろう。

 そのときになって、やっと安寧が手に入る。

 だが世は戦乱の渦中だ。

 剣士である金井は否応なしに戦いに駆り出されるし、生きて戻れる保証はない。

 心配事が1つ消えればまた増える。

 せっかく自由の身になっても失いたくないものばかりが増えていく。不自由だ。

「次はあんたの用事だろう。図書館で故郷の手がかりを探すんじゃなかったのかい」

「そうだった。すまんな、シャオランさんの事しか頭になかった」

 感極まって下唇を色が変わるほど噛んでしまった。


 シャオランたちは楽器屋から出た。

 ここは下層の繁華街。図書館に行くには相乗りの仮想軌道車エアレールやタクシーを利用しなければならない。

 昼間だが、娼館のような店も普通に営業している。

 性歓奴隷セックススレイブの開発と認可は、このような店をごく身近な存在にした。

『MIKO JINJA』なる娼館から男が出てきた。

 ホークランド海軍のジャケットを羽織った幸の薄そうな男だった。

「あー、金がねえ。任期満了で海軍を除隊したはいいが、ロクな就職先なんてありゃしねえじゃねえか。商船会社も全滅。何が自由惑星だよ。競争社会じゃ俺みてえなボンクラに居場所はねえのか。はぁー、ここの狐耳巫女さんだけが俺の癒しだわー。金がねえけど」

 男は早口で己の不遇を嘆くと、さらなる下層に向けて歩いて行った。

 自由惑星といえども一長一短なのだなとシャオランは思った。



 星立図書館は都市表部の行政区に建っている。

 表部とはいえ、下に2層貫く巨大な建造物だ。

 図書館と言っても実際に紙のハードコピーが置いてあるわけではない。

 古今――それこそ400万年前の前地球時代のものから宇宙中の文化資料を収集する巨大サーバー群が図書館の正体だ。

 クラッキング防止のため、建物全体が有線接続で運営されており、手持ちの端末からアーカイブにアクセスすることは不可能だ。

 利用者登録を外国人枠で行い、コクーン装置がすらりと並ぶアクセス室に入る。

 固定式の情報端末を作動させヘッドギアを被った。

 情報の検索をVR世界で行うのだ。

 シャオランが金井の代わりにスイッチを押すと、彼の意識はVR世界に落ちた。


 VR世界の図書館は赤い絨毯の敷き詰められた木造の建物で、本を傷めないようにうっすらと光が差し込むようになっている。

 吹き抜けの広大な室内。壁面は全て書架。

 VR世界ながら足で探せるようにもなっており、古めかしい階段で接続された階層が、天井が見えないほど高く続いている。

 前地球時代の本の虫ならば卒倒しかねないような、書物の大海がそこにあった。

「な、なんでべさ」

 金井は驚愕している。VR世界自体が初めてだったからだ。

 隣にはシャオランもいる。外の世界での姿を保って。

 基本的にアクセス者は空間内に可視化できるようになっている。

 上空を飛び交う本は、全てが黒い革の装丁だ。

 いわゆる図書館の自由に関する宣言という奴で、だれがどの情報を呼び出したのかはわからないようになっている。

「前地球時代からあらゆる言語をラーニングしてるため、利用や検索に言語は問わない、ってこの利用者案内には書いてあるね」

「うむ、日本語だ。日本語が書いてある」

 金井の目の前の書物型マニュアルには、必要な情報が崩し字の日本語で書いてある。

「『言語や時代、内容を指定することでより正確な検索が可能です』か。成程」

 オートで握られていた筆型の入力デバイスで、和紙のような入力フォームに書き連ねていく。

『時代:慶応 言語:日本語 内容:會津』

 候補の本が来た。

 黒い革状のハードカバーから、いくつもの文献が展開されていく。

 実体がないためにシャオランを貫通していたので、ズラして内容を確認する。

『会津戦争 慶応四年四月二十二日―明治元年九月二十二日』

「……やはり終わっていたか。しかも改元までしている」

 そして結果は、

「会津の負けか…… その後函館五稜郭の陥落で幕軍は完全に敗北――そこまで時が経っていたとは……」

 いったい金井が死の淵から目覚めて旅をしている間に何があったのか。

「ではいったい今は明治何年なのだ」

 調べる。

「明治元年から―――429万5千―――」

 そこから先は読む気にならなかった。

 400万年? それだけの年月眠りに落ちていた?

「どういうことだ? シャオランさん、俺はどうやら400万年前の人間らしい」

「いや、あたしに訊かれてもわからないよ。冷凍睡眠装置を使えばそんくらい保存できるかもね。わからんけど」

「む」

 無論、慶応4年に冷凍睡眠装置などあるわけがない。

「あるいは、よく映画なんかでタイムトラベルってのが題材になるけど、それかもね」

「たいむとらべる」

 耳慣れない単語だったが、VR空間のおかげでなんとなく理解できる。

「時間を過去や未来に行き来する。何百万年だろうと、何億年だろうと」

 まるで出来の悪い読本だ。そんな事象が己に起こったことが信じられない。

 信じられないが、そう考えると今までの違和感に辻褄が合う。

 自分はエゲレスだのに流されてきたわけではなく、遠未来の宇宙に転生してきたのだ。

「では、殿はどうなったのだ」

『松平容保 明治二十六年十二月五日没』

 生きているわけがない。それはそうだ。400万年も生きながらえる人間などいるわけがない。

「使えるべき殿も、藩も、俺は失った。そういうことか」

 侍など最早どこにもいない。

「……シャオランさん、俺はラインゴルド号を降りようと思う」

「……そうかい」

「別に思い詰めてそうするのではない。ただ、武士には筋目というものがあるのだ。仕えるべき主君、殉じるべき国――そういった筋目も無しに人を斬ることなど俺には出来ない」

「そうかい」

「―――村を焼いたことがある。主命だった。誰かを殺したりしたわけではないが、飢えで死ぬ者もいたことだろう。敵に糧秣を奪われないための苦渋の策だったが、俺は武士だからという理由で何のためらいもなく村を焼いた。そこに侍の筋目があると信じていたからだ」

「そうかい」

「だが俺には最早主も国もない。刀を振ったとてそれは凶刃の類だろう。故に、俺はもう戦から降りる」

「いいんだよ」

 シャオランに抱きしめられた。仮想世界だったが、確かな暖かさを感じた。

 身長差のせいで顔は見えない。



 図書館から出ると端末にコールが来た。

 アオイからだった。

 タイミングがいい。ラインゴルド号を辞すことをアオイに伝えなければならない。

「休暇中すいませんね。言ってあったとは思うんですが、明後日は購入した資材の現物確認なんかがありますので、護衛お願いしますね。言ってあったとは思うんですが」

「む」

 忘れてた。確認のコールがなければすっぽかしていたところだ。

「相手も大企業ですから何もないとは思うんですが、用心のためってことで一つよろしくお願いします。じゃ、明後日の9時に港で落ち合いましょう。シャオランさんもそこにいますよね? セーモンさんが忘れないように覚えておいてくださいね」

「む、なぜシャオランさんがここにいると―――」

 通話は切れた。

「なんでべさ……」

「あんた……」

 一陣のビル風が吹いた。

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