そして3日が過ぎ、その時は来た。


 可視光赤外線紫外線α線等各種電磁波にニュートリノやヒッグス粒子、重力子まで各種観測機を備えたレーダー室。

 監視衛星から転送された情報は目を疑うような代物だった。

 全長800mの爬虫類のような生物が、武装惑星ガンディに向かってきている。

「宇宙怪獣」

 と誰かが呟き、

「馬鹿な」

 と誰かが否定する。

 それは船乗りの与太話。

 宇宙オーディンの遣いとも宇宙ゼウスの雷霆で滅ぼされたとも、いずこにあるかも知れぬ黄金海域を守るとも伝えられる悪竜。

 宇宙怪獣ファフニール。



 けたたましいサイレンが鳴っている。

 最早憩いの巣のような『MIKO FOX』店内だが、この時ばかりは非常事態らしい有様だ。

「敵襲! 敵襲! 非戦闘員は惑星深部に避難せよ! 繰り返す! 非戦闘員は惑星深部に避難せよ! 敵は―――冗談じゃねえや―――宇宙怪獣だ!!!」

 暴力的な揺れが、レセプションに飾られていたフクスケを落とす。

 敵が質量弾とは名ばかりの巨大岩塊を投げつけた位置は、ラインゴルド号の係留されているドック周辺だった。

 岩塊はおおむね撃墜されたが、砕けた欠片が武装惑星に激突し、余波がここまで来ているのだ。

「行くのじゃな……名目上とはいえ、敵にこういうことを言うのはなんじゃが……達者でのう。死ぬでないぞ!」

 ウキグモ・ダユウは避難をする。別れは根無し草の宿命だ。彼女とは最早二度と会うこともないだろう。

「世話になった。本当にありがとう」

 ムーティエチンを背負ったシャオランたちはアオイのもとへと向かう。

 場所は分かっている。きっかけも得た。今日でこのガンディとはおさらばだ。

 適当なポーター車を強奪し、運転席に座ったハリスンがマニュアル運転に切り替える。

「トムくん、運転できんのー」

 エマが驚く。

「士官学校の実習でやった!」

「士官スゲー!」

「構内制限速度を破るのは今日が初めてだ! 教官に見つかったら殴られるな!」

 元より人口密度は低く、各区画の管制室はもっと頑丈な地下シェルターの中にあるために、連絡通路は貸し切りコースのような状態だった。

「うっひゃー、こんなときにアレだけどかなり気持ちいいねこれ!」

 開放型のポーター車の座席で、ザマリンが叫んだ。

 ホモ・サピエンスやその亜種はなぜ風を受けるとテンションが上がるのだろう。広大な大地を馬で駆け回り版図を広げていた時代の名残だろうか。

 そしておよそ15分後。

「この通路を経由すると正面の監視に引っかからずに侵入できるよ! ルイビンの隣の女の人が言ってた!」

 ここからは徒歩での移動になる。

 剥き出しの配線が走る狭い通路を、ハリスンを先頭にした1列になって進む。

 出口の光が見えた。

 ハリスンがわずかに顔を出し、クリアリングを行う。

 制止のハンドサインをすると、ベルトの間から何かを引き抜いた。

 クッキングナイフだ。

 音もなく、外側へと出ていく。

 数秒、何も聞こえない。

 シャオランがゆっくり顔を出すと、右手のナイフを黒い制服の喉に突き立てるハリスンの姿があった。

 左手は敵の口に当て、叫び声をあげられないようにしている。

 切り裂かれた喉を逆流した血がハリスンの左手を汚すと、黒い制服の男は動かなくなった。

 死体からスリングをはずし、通常戦闘用の反動制御式ライフルと拳銃を奪うと、こちらに手招きした。

 本物の士官、本物の貴族、本物の騎士は伊達ではないらしい。

 また、星が揺れた。

 3人は死体を一瞥もすることなくハリスンに付いていく。

 そして、情報が正しければアオイが軟禁されている場所に到着した。

 壁際から覗く。

 敵は3人。

 特務が1人、人造兵士ソルジャースレイブが2人。

 ライフルは実体弾だ。発砲すれば音が出るし周囲に気づかれる。

「スピードが肝心だ。頼むぞ」

 小声で指示を出す。

 シャオランが渡された拳銃の感触を確かめた。

 銃など撃ったこともない。

 ハリスンからは、『かえって邪魔だから緊急時以外撃つな』と言われている。

 ハリスンがライフルを撃った。

 3点バーストが、正確に標的を打倒していく。

 1発撃ち返されたが、誰にも当たりはしなかった。

 これで次々と兵士が駆けつけることになるだろう。

 囲まれる前にアオイを助け出さねばならない。

 ロックを破壊し、無理矢理牢獄に押し入った。

 ハリスンがクリアリング。アオイ以外誰もいないことを確認して手招きをする。

「船長、大丈夫かい!」

 アオイは拘束具で椅子に縛り付けられていた。

 猿轡を咬ませられているので声を上げることもできない。

 ネイピアの強襲の後で散々嗅いだ血の匂いがする。

 指の爪が全て剥がされている。

 下手に死体を見るよりも気分が悪くなった。

 ハリスンが後方を警戒している間に、シャオランが猿轡と、目隠しを外す。

「その顔――!」

 アオイの顔は右半分がケロイド上になっている。歯も奥歯から数本引き抜かれていた。

「焼かれましは――とっととほどいてくださひ。急ぎましょふ」

 歯が抜けているおかげで舌が足りない感じだが、きっちり会話はできる。死んではいない。その点は安心した。

「右目の視力がいまいちですへ。ホークランドに着いたら新品に交換しないほ」

 あっけらかんと言う。

 これだけの所業、自分がされれば精神が壊れる。秘密も何もかも吐いてしまうだろう。

 種族とかそういう問題ではない。これが自分たちの船長なのだ。

 拘束服を着たままではまともに歩くことすらできない。

 全て脱がすことにした。

 体幹が発達しているせいか、肉付きのバランスの良い青い裸体が露になる。ところどころが内出血で斑になっていた。

「服がなくなっちまったね」

「いいでふ。このまま逃げますかは」

 そのまま駆けていこうとするのをエマが制止した。

「こんなこともあろうかと持ってきたからこれ着なよー」

 袂から取り出したのは『MIKO FOX』の制服だ。

 袴までは持ってきておらず、襦袢だけだが。

「エマ姉にしては冴えてるっしょ?」

 ザマリンは帯を取り出した。

「ご苦労様でふ」

 アオイは酸鼻な拷問を受けていたとは思えない軽やかさで、白い襦袢を羽織った。

 着用スピードの速いワフクが功を奏した。

 脱出する。


 延々と続くと思われる白い通路を、アオイは走る。

 シャオランたちが行きに使ったという通路は却下だ。あの狭さでは弾の的だ。

 少々遠回りをして、手薄なルートで収容エリアを抜け、モータープールからポーター車を奪取して逃げる。

 そういう計画だ。

 爪を剥がされた足が少々痛むが気にしてもいられない。治療ポッドに浸かれば数時間で塞がるような怪我だ。

 拳銃は、アオイが握っている。こんなこともあろうかと先代船長が使っていたフリントロック風デザインの無反動拳銃で訓練射撃を行っていたので、多少は通用するだろう。

 逃げる間にも、どこにいたのかと思うくらいの人造兵士が寄せてくる。

 彼らの足は速い。

 殿のハリスンが牽制しつつ、エマが脱走防止用の隔壁を閉鎖する。

 しかし、撒いたと思っても別の場所から数人がやってくる。

 ワン・ルイビンの支配するこの基地でクロムウェルが動員できる戦力は限定的なものだが、それでも多い。

 状況は悪い。

 次の曲がり角までが長く感じる。

 だが、走り抜ける以外にないのだ。

 走る。

 発砲音と、鈍い音。

 人の斃れる音だった。

「トム!!」

 エマが叫んだ。斃されたのはハリスンだ。

 胸の正中線を撃ち抜かれている。あれでは助からないだろう。

「メアリ…… ロナルド…… もうすぐ帰るぞ……」

 人生を軍務に捧げ、ほとんど会うことのなかった家族だが、それでも確かに彼の帰る場所だったのだ。

 彼にはラインゴルド号に乗る意思があった。

 キャプテン=アオイは初めて己の船員を、部下を失ったのだ。

(全ては私の責任です。許せとは言いません。ただ貴方の死出の旅路に幸多からんことを)

 心の中でひそやかに祈り、前へ向かう。

「うわ!」

 シャオランがつんのめった。撃たれたようだ。

 倒れそうになるが、なんとか持ちこたえ、走り続ける。

 命に別状はない。ムーティエチンが凶弾を防いだようだ。

「うわー! あー! あたしの楽器どうなってる!?」

「楽器の心配してる場合じゃないですほ」

「そんなもんわざわざ持ってくるほうが悪いよね」

 曲がり角を抜けた。ひとまずは弾が避けられる。

 しかし――前方、隔壁は閉鎖されていた。

「そんな!」

 ザマリンが悲痛な叫びをあげる。

 これで終わりなのか。

 対ミュータント弾を含む火器が破裂音を響かせる度、無機質な廊下に火花が散る。

 射撃に気を取られた隙に、背後から忍び寄るものがいた。

 黒い制服、拳銃を持っている。

 アオイがそれに気づいたのは奇跡に近い。

 振り返りざまに撃ち返す。

 相手は職業軍人。対するこちらは少し練習しただけの労働者。

 前地球時代の西部劇さながらの早撃ち勝負はアオイが勝った。ヘッドショットだ。即死だろう。

 敵に気づいたのが奇跡なら、勝てたことも奇跡。さらに――

「あの部屋に逃げ込みましょふ!」

 斃された特務の出てきた部屋。最早そこに立てこもるしか術はない。

 敷居をまたいで転がる死体を放り投げ、部屋のロックをかける。

 この部屋は士官用の詰め所のようだ。多少は丈夫に出来ているだろう。

 不幸中の幸いとはこのことだ。

 しかしいつまでも閉じこもってはいられない。

 ここで活路を見出さねばならない。

「他の仲間に通信を開きましょふ」

「ダメだよ! 向こうの端末は通信が遮断されてるよ!」

 叫びながらも、指の不自由なアオイに代わってザマリンが固定式端末を操作する。

「ラインゴルド経由で送ればいいですほ!」

「あ、そっか!」

 

 宇宙怪獣の攻撃の最中、全員がとりあえずツォーマスの部屋に集合している。

「こちらアオイでふ。そちらの感度良好ですは?」

「脱出できたのか船長! 通信はつながったが、揺れがひどい。天井も崩落が始まっている。だがラインゴルド号の方に向かおうにも、敵が徘徊していて―――」

「セーモンさんはまだ脱出していませんは?」

「していない! そもそもあいつが逃げると俺たちごと自爆されるんだよ!」

「今なら大丈夫かもしれまへん! ここのボスと遺産を狙ってる連中は仲がよろしくないので、外敵との交戦状態に陥っている現状でわざわざ武装ごと自爆することはないのかほ。さらに言うと監視役ごと避難していることすらあるかもしれまへん」

「かもかもって、全部憶測かよ!」

「とにかく、何とかしてセーモンさんを出してくださひ。多分セーモンさんも脱出してよいのか迷っているだけだと思いまふ」

 要点は金井に脱出指令を伝えるだけだ。

 だが手段がわからない。

 アエルが身を乗り出してきた。

「ローカルラジオとかオープンチャンネルの通信なら向こうでも受信できるかもしれない」

 即座にフェイイェンとミッチが否定する。

「せっかく敵の注意が向いていないってのに、わざわざ知らせてどうすんだ!」

「そもそも今全チャンネル警報モードだよ!」

 緊張から半ば怒鳴り合いのようになっている中、アカシュが挙手をした。

「今カリムが言ってたんだけど―――食堂のエアシューターを使えばいいんじゃない?」

 金井の監禁されている区画はここからそう離れていない。そして付近に食堂は1つきり。

 となれば、金井の食事はどのように供給されているか。

 いつも自分たちが使っている食堂で作っているに違いない。

「それだ!!」

 方針は決定した。

 全員で食堂へ向かう。

 今にも崩壊しそうな居住棟の扉を出ると、敵がいた。

 黒い制服の、クロムウェルの部下だった。

「危険を冒して監視に来てみれば、貴様ら、そろいもそろってどこへ行く気だ」

 相手はライフルを持っている。こちらは完全に無手だ。

 万事休すか。

 歯ぎしりをしたその直後、轟音とともに天井の一部が崩れた。

 剥き出しの岩肌の一部が剥がれ落ち、キャットウォークをへし折った。

 敵はすんでのところで避ける。

「クソッ! 危な――」

 危機を回避して安心してしまったのだろうか。

 そのまま崩れて傾いたキャットウォークから滑り落ちた。

 下を見ると、黒い制服が血だまりの中に沈んでいる。

「行くぞ、食堂だ!」

 臆してはいられない。崩れたキャットウォークを避け、階段と梯子を使って食堂へ向かう。


 食堂の中では、全身に宇宙ルーンのアクセサリーを付けた料理人の男が逃げもせずに祈りをささげていた。

「神聖なる宇宙オーディンの遣いよ。ファフニールよ」

 こちらを気にするそぶりはないので無視してエアシューターにメモを投げ込む。

『脱出しろ byツォーマス』

 届けと念じる。剣士という竜を捕らえた檻、奥の奥のヴィジタールームまで。

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