「まあ、使ってくれるのは結構じゃがな」

 狐耳のウキグモ・ダユウが鼻口に手を当てている。

「そこな御仁、身くらい清めたらどうじゃ」

『MIKO FOX』のレセプションにいるのは、ケピ帽にカイゼル髭のトーマス・ハリスン元王立海軍中尉だ。あの場末も場末のバーでは不便なので引越しをしてもらうことにした。

「すまん、汗をかいたもので」

 エマが何か意味深にニヤニヤしている。

「服も洗濯しとらんように見ゆるがのう」

「これは士官用に天然羊毛で出来ているのだ。普通に洗うと縮んでしまうので……」

「小難しい御託を並べるでないわ。まずはシャワールームに案内いたす。付いて参られよ」

 ハリスンはウキグモと店の奥に消えていった。

「で、今夜は全員集合で『GYPSY』?」

 ザマリンだ。彼女は今のところ皆勤で『GYPSY』に通い情報収集をしている。

「まあ、他に予定もないしね」

 シャオランはラインゴルド号の区画と中枢を往復し、つい十数分前に戻ってきた。

 ワフクにストラップで楽器を吊るしていると、なかなか様になる。

 夜を待ち、3人は『GYPSY』へ向かった。



 金井は相変わらず身動きが取れないでいた。

 どうして何ができようか。

 こういうときに勝手に動いて碌なことになったためしがない。

 腹を切る羽目に陥らなかったのは、周囲の温情だ。

 剣以外まともに出来ん『抜け金井』。

 動いてはいけない。だがここでこうして安穏と動かぬことは金井にとって恥でしかない。

 恥をかいては武士は生きてはいけない。

 腹を切ろう、と、本気で思った。



 ムーティエチンという楽器がある。

 シャオランが得意とする弦楽器だ。

 原型は前地球時代、中国の月琴という楽器で、丸いギターのような形をしている。

 宇宙船の素材にも使用される合金製のボディは頑丈で、何百年経っても壊れることはないだろう。

 サウンドホールには音を共鳴させ大きくするリゾネーターという構造が採用されており、独特の伸びやかな音が特徴だ。

 ギアペグ巻きの3本の弦は合成繊維製で、抑えやすく劣化しにくい。

 開発された現地惑星の言語で『梦鉄琴』。

 梦氏の開発した金属の月琴という意味だ。

 滅多に無い上陸の日、どことも知れないコロニーの楽器屋で同伴した船員に買ってもらった。

 その時は弾きたいと思ったわけでもなく、ただ鏡の花のようなリゾネーターを美しいと思って見入ってしまったのだ。

 剣士ジャック・ザ・カトラスの海賊団は羽振りが良かったのであっさりと買ってもらった。

 今でこそ相手が金井1人になってしまったが、ラインゴルド号では担当する船員が性歓奴隷ごとに決まっているため、恋人のような扱いを受けることができる。

 手に入れて以来、ライン内のコンテンツアーカイブで聞ける曲で練習したり、上陸するたびに音楽データを手に入れてレパートリーを増やしていった。

 今では一端の芸にまで昇華したと思う。

 道具として作られ、狭い世界に閉じこもってきたシャオランの、唯一の自慢だ。

 ただ1つ、これだけが自分の自由だった。


「あー……ザマリン、テメエ、また来たのかよ。いいぜ自由だ。どこに来ようがテメエの自由だ」

 ルイビンはいつもの長椅子に座っていた。いつもの女はいない。

「あいつにゃあいつの自由があんだよ。俺にゃどうでもいいね」

 1人で、大音量の音楽の中、酒とドラッグを嗜んでいる。

「そこのテメエ、妙なもん持ってんじゃねえか。楽器かそりゃ。ちょっと弾いてみろよ」

 シャオランのムーティエチンは目立つ。嫌でも目に付くだろう。

「いいよ」

「せっかくだ――音止めろ! マイクこっちに寄こせや!」

「あいよ大将! 歌でも歌うのかい!? 似合わねえなあ!」

 ルイビンの部下がスタッフルームから無線マイクを持ってきた。

「ちげえよコラ! こいつがなんか弾くんだとよ!」

「へー、ギターみてえだけど変わった楽器だねえ」

「見た感じ月琴ぽいけどな」

 ルイビンが興味深げに楽器を見る。

「詳しいんだね」

「音楽はいい。特に前地球時代のものなら文句もねえ。さらに言うなら旧暦1960年代のロックなら最高だ。掘り出し物はかなり吹っ掛けられるがよ、俺は自由に集めるぜ」

 通信もままならぬ広大な宇宙。他文化圏の音楽はそれなりの貿易品として取引されている。特に前地球時代の音楽が新規で『発見』されると天文学的高値が付くこともある。

 いったん世に出てしまえば著作権などあったものではなく、コピーも保存もし放題だが。

「準備できたぜ姉ちゃん。俺の自由で基地内全域にライブ配信もしてやるよ」

「自由だなテメエ! いいぞもっと自由にやれ!」

 マイクがスタンドに固定された。無線接続ができるような楽器ならこのような手間もないのだが、これはアコースティックだからこそいいのだ。


 金井は1食だけだが絶食をした。

 身を清め、上半身をはだける。

 目を閉じ、精神を落ち着けた。

 金井・誠右衛門はここで腹を切る。

 一瞬で済ませればおそらく自爆もしないだろう。

「……」

 目を閉じていると、音が聞こえる。

 ラジオの音だ。

 聞きなれない音楽ばかりだったが、人恋しさについ付けておきたくなる。

 この期に及んで付けておくこともあるまいと、埋め込み式の端末のところに歩み寄った。

 端末の操作はシャオランに教えてもらった。

 ポップしたホログラムの文字をタップし、目的の機能を起動させる。

 習いたての頃は何もしていないのにおかしくなることが度々あって、ラインと繋ぐ正常化の方法を教えてもらったりした。

「下等生物ですねえ。設定された動作しかしないものが、何もしないでバグるわけないじゃないですか」

 ラインの言葉は辛辣だが、とりあえず命令は忠実に遂行する。

 そんなこんなで、なんとか通話や簡単な機能は使えるようになった。

 今、ラジオからは音楽が聞こえている。

 いつもの騒々しい音楽ではない。

 今となっては遠い昔のように感じられる、ムーティエチンの音だ。

「―――シャオランさん?」


 イントロはベースラインから。

 自由自由とうるさいので自由にやらせてもらおう。

 徐々に音を増やしていく。

 どこぞの惑星の舟歌をアップテンポのジャズに即興でアレンジした曲だ。

 特徴的なトレモロを正確に、しかし感情的に刻み、アドリブは激しめのDドリアンスケールでグルーヴを高める。

 シャオランは音楽理論など学んだこともない。

 無論スケールが何なのかも知らないが、模倣と感覚だけで奏者として大成していた。

 ストレートに天才としか言いようがない。


 金井はラジオの前に釘付けになっていた。

 さながら鎮西八郎の強弓。今まで聞いたどんな音楽よりも、心を穿つ威力があった。

 なんという愚か者だ、金井・誠右衛門!

 時間的猶予はまだある。

 しかし自分がここで斃れればシャオランはどうなる。

 今ここで腹を切るのが潔いのか。否、卑怯だ。

『卑怯なふるまいをしてはなりませぬ』

 幼少の頃の教えを忘れたか。

 武士とは武を持たぬ者に代わり武を振るうもの。

 本分を忘れ自己の盲目的過小評価がため己にばかり都合の良い死を迎えようなど言語道断。

 だからお前は『抜け』なのだ。

 猛省せよ金井・誠右衛門!

 結果として奴隷の死を迎えようとも臥薪嘗胆の心持で機を待つのだ。

 愚昧な自分以外の誰かが見つける機を。


 演奏が終わった。

「……やるじゃねえか」

 ルイビンが素直に感心している。

「あんだけハードル上げりゃムキにもなるさ。なんだよライブ配信って」

「ははは、肝の小せえ女だな!」

 快笑。ヴェポライザーを一服する。

「テメエの懐のそいつも音楽か?」

 懐に入れてそのままだった記録装置を目ざとく見つけられた。

 剣士は目が命ということだろう。

「そうだけど」

「そいつも聞いてみてえ。ちょっと貸しな」

 貸した。

 値踏みをするようにイントロとサビだけ聞いて、気に入った曲だけフルで再生するという、音楽好きとしてどうかという聞き方だ。

 数曲再生した後、1つのファイルを見つける。

 あの偶然録音した雑音ファイルだ。

「あっそれは――」

 シャオランが制止する間もなく、タップされる。

「―――――――!!!!!!!」

 超大音量で、雑音が再生された。

「あんだこりゃ、ノイズミュージックかなんかか?」

 ルイビンも、他の客も耳をふさいでいる。



 その雑音の意味は誰も知らない。ただ1人を除いては。

 誰も理解できない。その声の主――宇宙怪獣を除いては。

 彼は聞いた。その声を。

 遠く離れた暗黒海域の内から、確かに聞いた。

 動く。

 声がした方向に向かって。



 今日は右足の爪を剥がされた。

 1日5枚。

 クロムウェルと立ち代わりに奴の部下が現れて、アオイに宇宙バラマンディのスシやローストチキンをふるまい優しく諭すため、身体を失うペースはゆっくりだ。

「もう意地張るのやめようよ」

「痛いよね。辛いよね。今までよく我慢したよ」

 小芝居だ。

 優しさを挟むことで、痛みに対する恐怖を麻痺させない。えげつない手口だ。素人目から見ても相当手馴れている。

 無論、今の今まで吐く素振りなど見せない。

 嘘も言わない。自分以外の船員に疑いが向くことは避けたかった。

 遺産とやらの責任を負うのはトップ1人で十分だ。

 ただ、脱走の隙を見つけることは、自分1人では難しそうだった。

 変態じみた拘束服を着させられ、排便の自由すらもない。

 タイムリミット間際になったら一か八かで情報を吐いてしまうほかはないだろうが、管理細胞セルマシンの自滅期限のことなどクロムウェルは知らないだろう。

 これはただのチキンレースだ。

 時間を待つほかないクロムウェルと違い、ただの一瞬の隙でも突ければ勝つのは自分。有利な勝負だ。何も問題はない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る