5
情報収集は、固まって動くよりも分かれていたほうが効率がいい。
歓楽街の目立たぬ小道。エマが歩いている。
半ば道に迷ったようにたどり着いたのが、この道だった。
歓楽街とはいえ、一日中ネオンサインが誘蛾灯のごとき怪しい光を放つわけではない。
ここは中枢区画に位置するので、人工太陽の日の出が7時、日の入りが18時となるよう調整されている。
天井の透過材は全面に施されているわけでもないので、実際光が射すのは9時から15時までの6時間程度だった。
人がようやくすれ違えるかという小道は、14時の昼間の時間ですらなお薄暗い。
やがて1枚のホロネオンサインが現れた。
『CAFFE&BAR
FLOATING OF DEEP SEA FISH』
『FLOATING』の文字は、データが破損して『FLOODING』のようにも見える。
深海魚の洪水。
扉は回転式のハンドルで半ば密閉されており、とても営業しているようには見えなかったが、エマは好奇心の赴くままにその扉を回してみた。
薄暗い店内には男が一人、突っ伏して酒を飲んでいるだけだった。
「隣座るよ」
男はケピ帽をかぶったカイゼル髭の中年で、王立海軍の紺色の制服を着用している。
「おじさん捕虜?」
「本官は――はい、捕虜である」
「マスター、コーヒーちょうだい。ミルク少なめ砂糖多めでー」
「クロムウェル……ネイピア卿……私の……私の部下たち……」
突っ伏した顔の下には水が溜まっている。強かに飲んで泣いているようだった。
「ネイピアってあんたの名前?」
「本官は――所属は王立海軍ニューブリスター艦隊――階級、中尉――所属はニューブリスター――違う、本官はトーマス・ハリスン中尉である」
ハリスンは前後不覚に陥っているようで、エマとてこれ以上の飲酒を止めざるを得なかった。
「それ以上飲んだらヤバいってトムくん」
ハリスンが右手に掴んでいるグラスはオンザロックのようだったが、その氷は既に麻の実ほどにまで溶けてしまっていた。
こうなるともはや飲めたものではない。
どれだけの時間、こうしていたのだろうか。
「トムくんヤサはどこー? 歩けるー?」
「……」
「そいつはここの4階で寝泊まりしてるよ。王国の貴族って言ってたが、そうなっちゃもうダメだわな。部下が全滅したのがよっぽどショックだったんだろう。一昨日ふらっと荷物持って現れたと思ったら、一日中飲んだくれてるよ」
無関心を決め込んでいた老マスターが口を開いた。
「そこの階段なんだが、足で上るほかない。何百年にもわたって意味不明な改装を繰り返してきたからな。こういう変な場所も唐突に現れるのさ。酔いを醒ましてから上ったほうが賢明だと思うね」
足元もおぼつかないような、暗く狭い階段だ。
確かに、酔ってここを上るのは危険だろう。
「……もういい。大丈夫だ」
ハリスンは急に立ち上がると、端末をかざし支払いを済ませ階段を上り始めた。
なんとなく心配なのでエマもそれについていく。
端末で足元を照らし、手すりをつかみながらだが、意外にもしっかりとした足取りで上って行った。
腐っても何とやらということだろう。
4階には、王立海軍支給のブランケットとトランク一つ分の荷物があるきりだった。
扉も照明も何もない。
ハリスンはブランケットにくるまると、ケピ帽をかぶったまま寝息を立て始めた。
王国貴族がいかなる経緯で捕虜となるに至ったか興味もあったので、エマは下でコーヒーを飲んで彼が目を覚ますのを待つことにした。
2時間後、目を覚ましたハリスンが水を求めて降りてきた。
意外と早いなとエマは思った。
「頭が痛い……」
後頭部をさすりながら、一口一口水を飲んでいく。
1杯飲み干したところで、やっとエマに気づいたようだった。
「昼間から客がいるとは珍しいな」
独り言のようにつぶやく。
基本的に誰とも関わり合いになりたくないようで、水をもう1杯注文するとカウンターの方を阿呆のように眺めながら押し黙ってしまった。
エマが肩を叩く。
無視。
肩を叩く。
無視。
肩を叩く。
「なんだね君―――」
「あたしエマって名前なんだー。ラインゴルド号って海賊船に乗っててねー」
ラインゴルド号、忘れるはずもない。
それは彼にとって最後の任務。
作戦目標は議会派に雇われた海賊船、ラインゴルド号の拿捕だった。
乗船は船長にして剣士ジャック・ザ・カトラスに大破に追い込まれ、生き残ったと思ったら
ニューブリスターの英雄アーサー・ネイピア卿はラインゴルド号に敗れ戦死。
副提督は逆臣クロムウェル特務大佐に殺された。
「き、貴様らが……」
手の震えは怒りか、恐怖か。
だが、震えは数秒で収まり、虚無感だけが男の心中を支配した。
「貴様に言っても仕方ない。敵手として堂々勝負し、結果として敗れるのならば武運がなかったと納得もしよう。だが、クロムウェルは――奴だけは――!」
「んー?」
相手の感情がジェットコースター過ぎて、エマにはどう相手をしたものかいまいちわからなかった。
わからなかったが、ともあれ気にせず知っていることを話すことにした。
「そのクロムウェルって奴にあたしらのボスも捕まってるみたいでさー。『人類種の遺産』ってお宝をしつこく狙ってるんだよー」
「『人類種の遺産』? 知らんなそんなもの。我々末端の将校が受けた指示は、ラインゴルド号の拿捕命令のみだ。それ以上の情報は最上位職の一部だけが知っていたはずだ」
訥々と、その身にあったことを語りだした。
「副提督を殺したクロムウェルは我々に3択を迫った。このまま議会派に寝返るか、捕虜としてガンディの労役に就くか、王国の兵として死ぬか。本官は最後を選んだ。巡洋艦1隻に有志が乗り込み、王国の基地まで帰還しようとした。剣士とて長距離の航行は不可能だ。逃げ切れると踏んでいた。だが、奴は追いついてきた。巡洋艦に乗り込んだ者の中にクロムウェルの手下がいて、機関の出力を意図的に落とされたのだ。ほとんど皆殺しだったよ。本官はまたしても運良く生き延びた」
「おおう――」
可哀そうだが因果応報だ。全く同じことを、エマたちに彼の上官がやったのだから。
因果応報だからこそ、復讐心も全く覚えることはなかった。
「部下の全てを失った将校など労役についてもさほど意味はない。故にこうして身を落としているというわけだ」
「うんうん成程ね。ところでトムくん、海賊になる気はないかなー?」
「海賊に?」
王国海軍の士官といえば高等な教育を受けた専門職だ。今のラインゴルド号にとっては垂涎の人材だろう。
エマはそこまで考えて勧誘を行ったわけではないが。
「すまないが惑星ニューブリスターに妻子がいる。議会派の輩共に一泡吹かせてはやりたいがな。務めゆえ最後に会ったのが1年前という始末だが、船乗りは帰る場所があってこそだ。海賊に身をやつせば彼女たちを捨てることになる」
「んー、別にそこらへんは、それこそ自由にすればいいんじゃないかなー。やりたいことやって、降りたいときに降りて――海賊なんてそんなもんだと思うなー」
ジャック・ザ・カトラスは無断で船を降りることは禁じていた。海賊とはいえ規律はある。
しかしアオイは特に止めたりはしないだろうという予感があった。
新生ラインゴルド号は脱走など言語道断だった奴隷出身者のみで構成されているからこそ、自由を重んじる気風がある。
「―――最後に残ったものと軍人の誇りを天秤にかけて、後者が勝ってしまうのだから度し難い。すまんメアリ、すまんロナルド、本当に私はいい夫ではなかったな」
奴隷の身分から脱して、最も変わったのは選択する自由だと思う。
金井を抱いたのは、エマの意思だ。金井が求めてきたわけではなく、あくまで自身の欲求に従ったまでである。
ラインゴルド号の乗員以外とは関係を持たないという不文律は姉妹3人全員が守っていることだったが、そのルールの範疇内で行動することはやましいことではない。
というわけで、
「じゃあ、通過儀礼といきますかー」
「?何が通過儀礼だ。―――なぜ服を脱ぐ!? 私には妻子がいるといったばかりだよな!? な!?」
「いい夫じゃないんでしょー?」
不器用なエマはワフクを再び着用するのに難儀した。
同日18時。
『MIKO FOX』に帰還した3人は中間報告を行っていた。
「中枢の概要図手に入れたよー!」
ザマリンは頭が回る。実用的な情報をかなりうまいことやって手に入れたようだ。
「仲間が増えたよ」
エマが味方に付けたハリスンは金井を除けば唯一の戦闘員だ。脱走の際にも大いに役に立つだろう。
「シャトルの路線図が手に入った。明日は日帰りで他の連中の様子を見てくるよ」
シャオランも成果を上げている。
そもそも情報管理がザルすぎるわけだが、同じ議会派内部で対立しているのだからやむを得ないか。
情報は順調に入手出来ている。
だが、実行力が今一つ欠けていた。
何かきっかけがあればいいのだが。
その夜、シャオランは朝が早いため早々に寝ることとし、エマとザマリンは再び『GYPSY』へ向かうことにした。
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