2
「剣士さーん」
会議が終わり、自室に戻る金井に声をかけたのはエマだった。
身長5尺4寸の金井より明らかに長身であるため、見上げるような状態になる。
「あんたは確か……」
「確かー?」
「いやすまん。名前を忘れてしまった」
「エマだよー! 2日も顔付き合わせてたのになー、ちょっとショックだぞー」
「すまん。エゲレス人の名前は覚えにくくてな」
その実、アオイ以外の名前を憶えているかどうかすら怪しい。
「にはは、まーゆっくり親交を深めていきましょうやー。でサーモンさんこの後なんだけどー」
「む」
確かに名前を忘れられるのは少し落ち込む、と学んだ誠右衛門であった。
「お酒でもどうかなー? 冷凍保存食も普通食より少し上等なのが確保してあるんだよねー」
「酒か」
酒と言われ、城下の生活を懐かしむ。
十人扶持とはいえ小さな屋敷には住んでいたが、独身者の男やもめでは食事も大したものが用意できるわけでもない。
兄夫婦や友人宅や寺に厄介になり、酒を呑むことも多かった。
なんということのないどぶろくなのだが、会津の米と水で造ると疲れも何もすぐに取れるような味になる。
「かたじけない。いただこう」
エマには個室が与えられている。慰安室という名目だが、
「何食べるー?」
「魚をもらおう」
エマがテンキーに番号を入力すると、空気の抜ける音とともに食事が来た。
食事は保管庫からエアシューターによって運ばれてくる。
積載性向上のためレンガ状に成型されおり、見た目では区別が付きづらいが、ある程度注文には忠実だ。
番号は紙にペン書きでメモしたものを使う。
艦が古いため、こういうところはアナクロだ。
セルロース膜をはぎ取り、セラミックの皿に乗せ、解凍器に入れると、
「ほい、魚の醤油だれ丼のマツでござーい」
「なんと」
大豆はどこの惑星でも広範囲に栽培されているし、水資源が豊富な星では魚やエビの養殖も盛んだ。
結果として、全くの偶然として、金井でも食べ慣れたようなものが提供されることになった。
「うな重にござる」
うな重である。
円卓に乗ったトレーから、香ばしい湯気が金井とエマの鼻腔をくすぐる。
「しかもマツだー」
「松にござるか」
この手の嗜好性の高いパックドフードの一部にはウメ、タケ、マツだのランク付けされていることが稀にある。エマは本来の意味も、元が日本語ということすら知らないが、マツが最上ということだけは知っていた。
食事がそろえば次は酒が欲しくなる。
エマの部屋にはラム酒のセラミック甕しかないものの。
「お待ちどー!」
半自動ドアを開けて入ってきたのはザマリン。
片手の吸着盆には、絵付けのされたコップが乗っている。
「ひひひ、待ってねーよー!」
エマがすでに酔っているのではないかと疑いたくなるような雰囲気で、盆からコップをもぎ取った。
「いくら性歓奴隷が定期的に性欲が強くなるよう遺伝子操作されているからといって、他の作業用
「む」
著しく勘の鈍い金井でもザマリンの言っていることは半分くらい理解できた。
つまるところ男女の。
二十歳を過ぎた男だが、金井は女を知らなかった。
何をどうしたものか、働きの悪い頭で考えてはみたものの何も思いつかなかったので、うな重を食べることにした。
ぴたりと手を合わせ、箸をつける。
柔らかく、細かい肉質と脂は鰻のそれである。
口に運びもぎゅぎゅと咀嚼すると香ばしくとろけるような感覚が首から上全域に広がる。
「平等に分けるとはいってもねー」
飯1、酒4くらいの割合で流し込みながら、エマが言う。
「チンポコは1本しかないわけだー」
「……」
金井は鯰のような虚無の表情で甘い酒を入れている。
「しかも艦内に1本じゃん」
ザマリンが箸で魚を切り割るならば、エマはナイフで細切れにして米と混ぜていくスタイルだ。
「1晩2人で相手してみる?」
金井の肩が痙攣し、酒が少し気管に入った。
盛大にむせる。
「あんたら何の相談だい」
入ってくるなり金井の背中をさすり、磁力固定式の椅子に腰かけて円卓の一員になったのはシャオラン。
「エマ姉と裸で乳繰り合うとか僕嫌なんだけどー」
「ひゃひゃひゃ、あたしも嫌だってー!」
互いの両掌を合わせて揉みながら爆笑するエマとザマリンを一瞥し、シャオランは苦笑した。
「世話かけたね、剣士さん。悪い奴らじゃないんだ」
「わかる」
「あたしらにとっちゃ馴染みの弔いみたいなものなんだ。悪いようにはしないから付き合ってくれよ」
「……む、いや、こちらこそ。エマさんが誘ってくれてよかった。飯は誰かと囲むほうがやはり美味い」
「あんた」
「何か」
「可愛いとこあんだね」
「……可愛い……」
蒸留酒を果汁で割ったと思しき酒はごまかすような勢いで一気に煽ることができた。
1時間後。
「そーれ、2個同時!」
エマがアンダースローで炒った豆を投げる。
金井は鞘から刀を抜き放ち、2個の豆を同時に一息に両断した。
「ほんのささやかな手妻にて」
「ヒュー! カックイー!」
ザマリンが黄色い声で囃し立て、指笛を吹く。
宴もたけなわ。馬鹿騒ぎも頂にさしかかり。
ザマリンは賑やかしに、シャオランは2名の馬鹿をわざわざ止める気もなく。
「お前ら通路で何やってんだ」
金井が振り向くと、ひきつった顔で両手に4片の豆を握ったツォーマスと目が合った。
「あい申し訳ない」
4人、そそくさと部屋に戻り100年少し前に惑星ニューブリスターで流行したとかいう映画を観始めた。
睡魔の極みに達したものから続々と脱落していき、最後の1人が眠りに落ちてから11時間経過するまで誰も起きなかったという。
14時間後、目覚めたエマが目にしたものは酒と食料の匂いが充満し、主を除いた全員が無情にも出ていった自室だった。
金井は目を覚ます。
強烈に喉が渇き、ひどい頭痛がする。
新鮮な水の入ったコップが顔の横に差し出されたので、とりあえず身を起こし、ぼんやりとした頭で飲み干した。
「……かたじけない、シャオランさん」
「ちっとは加減して飲みなよ」
「いつも気を付けてはいるが、なぜかいつもこうなる」
「ワンダーランド系のドラッグとかやらせたら戻ってこれなくなりそうなタイプだね」
今や身体的にはさほどの影響もない嗜好ドラッグが宇宙に広く出回っているが、ヒトというものは
金井は喉の奥から息を吐きだし、鼻の内側で確認する。
今回は幸運にも吐いてはいないようだ。
「ここは?」
「私の部屋さね」
壁に折りたたむことのできるダブルベッドの他はテーブルと2脚のイス、それからよくわからない弦楽器しかない。
「では、すぐに退散しよう。礼はいずれ」
ベッドから降りて自動扉を目指す。女の部屋に長居するのも礼を欠くのではと考えた結果だった。
「ちょっと待ちなよ」
「む」
「何も着ていないのにどこへ行く気だい?」
気づく。自分はどうやら服を着ていないようだ。
「なんでべさ?」
なぜ自分は裸なのか?
問いに対する答えは迅速かつ簡潔。
「味見」
簡潔だからと言って、それが理解しうるとは限らない。
まして金井の働きの悪い頭では全く何のアイデアも思い浮かばない。
「味見」
半開きの口はシャオランの言葉を繰り返すことしかできなかった。
「服は?」
「まあ、もう少しゆっくりしていきなよ」
そして4時間ほどゆっくりした。
「その楽器」
「ん?」
やっと返してもらった服を着た、金井が尋ねる。
シャオランの部屋に飾ってあった謎の楽器の事だ。
「弾けるのか?」
「お、喧嘩売ってるか」
「いやそういうつもりはないのだが」
口下手はもはや改善不能だ。言葉が足りず、他人を怒らせてしまうことは日常茶飯事だった。
「買ってやるよ。高くつくけどいいよね」
言っていることと裏腹に、シャオランの口調は穏やかだ。
その楽器がよほど好きなのだろう。
「こいつはムーティエチンとかいう名前でね、どっかのコロニーに寄った時に買ったのさ。宇宙船体用の軽合金ボディで人をぶん殴っても大丈夫だよ」
「殴るのか」
「殴らないよ」
シャオランが弦をはじくと、なんともいえない伸びやかな音が出た。
「この共鳴体が独特の音を出しているらしい。今時ピックアップも何も付いてないアナログな楽器さ。弦は合成繊維なんだけど、切れる気配はないね」
さらに左指を踊るように動かし素早くアルペジオを弾いていく。
「……」
思わず聞き入る。
シャオランの演奏は素晴らしく上手い。
無機質な宇宙船内、斬り合い、死体掃除などで疲弊していた金井は、感じ入るあまりしばらく動くことができなかった。
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