第16話 検問襲撃
後部座席で二階堂がマリアの顔を覗き込んだ。マリアは相変わらずの無表情だった。ちょっとは笑っているところを見てみたい。肩を叩いてこちらを向かせた。マリアの大きな目が小さな顔の中でうごめく。
はげ頭を晒して寝ている保栄茂の頭を扇いだ。さらなる加齢臭が浄子の鼻孔に向かっていった。扇げば扇ぐほどさらに多く漂っていく。
「うーん」
浄子が身じろぎをした。苦しそうに唸る。ラジオのように喋り続ける途次の声も聞こえないくらいおもしろい。笑いを我慢しないといけないのが余計にそそる。マリアにはそうでもないようだった。
長い縦ロールの髪を抱かせた。または足を組ませ、遊んだ。浄子の体を前傾に倒させた。もう目と鼻の距離に保栄茂の頭がある。えずきだした。おう、おう、と野太い声が浄子の喉からあふれ出る。
「ははっ」
声がでた。二人が鬱陶しげに寝相を正す。マリアは大きく開いた二階堂の口から喉彦を眺めていた。
ひとしきり笑って興が冷めた。火照った頬を扇ぐ。
「お前笑わないな」
マリアは初めから冷めていた。
「知ってますゥ。男女の寿命がついに一致したのですがね、それは一昔前に男女で雇用を平等にするって言う法律があったからなんですよ。あれのせいなんです。まぁ、人口が減った労働環境に人員を補充するためにカマした政府なりの召集令だったんでしょうけどね」
車はのろのろとだが着実に進んではいた。うんざりするほど遠かった入り口も今ではもうすぐそこだ。
自然元気が出てきた。背筋を伸ばして体をよじる。こりをほぐし次に備えた。体を伸ばしたせいで血の流れが変わり心地の良い目眩が頭を包んだ。
「全くもって男女の寿命が一致したのはそれのせいなんです。つまり仕事は命を削るんですなぁ、これが。本当は働きたくない理由はそれなわけなんです。家事は良いもんですよ。寿命が延びる。どうして健康法として推奨しないんでしょう。とにかく今は人口が増えたでしょう。労働環境に人が一杯になりましたから、今は主婦とサラリーマンという家庭が流行っていますね。男女平等や男女の平等を推し進めようとする運動はですね、あらゆるものが安定して、人口が減り続ける先進国特有のある種の病気なんですよ」
電子公告に丁度二階堂と保栄茂の顔が写っていた。途次の言うとおり一〇〇〇万の賞金がかかっている。有名になったものだ。
営業車に女が乗っていると余計に視線を浴びる。今では珍しいのだ。それが賞金首だとバレない方がおかしい。
「なぜ主婦が旦那を敵対視するのか。それは内心にある罪悪感を敵対心に変換して自分の尊厳を保とうとしているからなんですよねぇ。子供の反抗期なんかもこれに類する物で反抗期のある子供というのは非常に繊細で感受性の豊かな優秀な子供なんですよ。ウチの子は特にそうでね」
寝たままの浄子を後部座席の下の席に放り込んだ。その上に横になる。浄子がうう、と苦しげな声を上げた。腹の立つ女だ。起こさないように腹を重る。浄子の口から空気が抜けた。
自分の上にマリアを乗せる。
休憩はもうおしまいだ。
「おい」
保栄茂に呼びかけると、リクライニングが上がっていく。後部座席に敷いていたシートを手に取った。浄子の体温で生暖かい。
寝そべったままで体の上にシートをたぐり寄せ、シート越しに保栄茂に訊く。
「これわからないかな」
「大丈夫だろう、こっちからみてもわかりゃしねぇ」
「ちょっと直しといてくれ」
シートはベマフラが用意してくれたものだ。内蔵されたコンピューターであらかじめ記録された空間の映像をリアルタイムで修正し、映像を再現することで成立する擬似光学迷彩だった。フォトショップの技術が応用されている。これで外から見ても後部座は空っぽに見えるはずだ。
「まぁ、とにかくですよあと数十年もしたらまた女は長生きします。そして男は大戦争で早死にですよ。例え幾ら歴史を経験してもまた同じ事を繰り返しますねぇ、国家制度の変わり目に戦争あり、ですよ。ワハハハ」
途次の大笑いとともに車は検問所に入っていく。厳めしい顔が出迎えた。帽子のつばで出来た陰影に眼は隠れ、ぱりっと制服を着こなしている。様子は機械然としていた。
これは検査官だ。例え制服を着た警察官でなかろうと銃を携帯しているのは当たり前だった。フランスの外国人部隊でも使用されている小銃FA―MASを首からスリングで提げている。時代遅れだが良い銃だ。
検問官は武装車両点検でパンパーやマフラーを撃つこともある。犯罪者がもっていて恐ろしいのは重火器ではなく防弾装備なのだ。防弾装甲の車に乗るような奴は恐ろしげな仕事を企んでいるし、許可がなければそんな装備をしてはいけない。十分逮捕する理由になる。
この検査を見越しているので二階堂たちのセダンに耐弾装備はない。つまり、賞金首だとバレれば一瞬で蜂の巣になってしまうということだ。
窓をノックされる前に途次がウィンドウを下げた。
怪しまれないためには何事も積極的に、だ。そこのところをよく弁えている。
途次は免許証を保栄茂はベマフラが偽装した免許証を渡した。車の回りを調べている検査官がいる。棒のようなもので車の下を調べていた。トランクを開けさせ、ガソリンタンクの中まで調べる。
銃声と共に軽い振動があった。きっとバンパーかどこかを撃たれたのだろう。なにも言われていないと言うことは検査を通過したようだ。
後部座席はちらっとみられるだけで済んだ。
検査が済んだはずなのにゲートが開かない。
一人の検査官が保栄茂をみていた。ただ見ているだけではない。裏を探ろうとするような目の色だ。顔を逸らすわけにもいかなかった。会釈しても視線が外れない。
途次に話しかける風を装って検査官には聞こえないように保栄茂は小声で二階堂に忠告した。
「銃を用意しておけ」
いわれたものの撃針は助手席で落としたきり見つかっていない。シートの下で身じろぎをした。時間はそうそう残っていないはずだ。
車の外では検査官たちが囁き合っていた。心なしか、銃のセーフティを外しているようにも見える。保栄茂の目がバックミラーやダッシュボードに照る太陽光に逃げた。五分もしないうちに扉が開いて引きずり出されそうだ。
ぺらぺらと喋っていた途次も口を閉じて沙汰を待っている。
その間、二階堂は助手席の下を手で探っていた。手に触ったものがある。息を止めて腕を伸ばした。
「なんですの」
浄子が身をよじった。目を覚ましてしまったらしい。
「重いですわ」
左手で口を抑えた。右手を助手席の奥に出来るだけ伸ばす。左手のひら越しにでも浄子の声が良く響いていた。焦りに右手も跳ねる。パーツがまた奥に行ってしまった。
「黙れっての」
怖気に背中が震えた。左手の平を浄子がべろべろ舐めている。これに負けたら死んでしまう。我慢した。
これでも敵わない。浄子は悟ったらしかった。今度は脚を激しく上下に蹴り上げる。
検査官が後部座席の前を横切った。
シートが浄子の足のせいで揺れる。偽装されてある空間が歪んだ。
やむを得ない。脚を絡ませ浄子の動きを止めた。
「黙ってろ」
思わず強い語気がでた。
「むむー」
保栄茂の背筋が伸びた。面白くないことが後部座席で起こっている。今女の声が聞こえたか、などと言われると誤魔化し通せる自信はない。口べたなのだ。同僚が道ばたで死んだとき、お前もそう思うだろう、と言われて気の利いたことも言えなかった。ああ、と相づちを打ってしまったことは今でも悔やむし、今でもなにが正解だったかをシミュレーションしてしまう。今のところの正解は、俺の小便でも酔えるかな、だった。これを出来ればすぐに言ってしまいたい。早く誰か死なないものだろうか。
一人の検査官が助手席の窓を叩く。前を向いたままウィンドウを下ろした。
「おい、お前」
言われて一拍おいてから顔を向けた。
「なんでしょうか」
保栄茂の歯が不自然に光る。
ウィンドウが下がる音が二階堂の耳に入った。浄子の声が聞こえてはおしまいだ。この際シートが動いても構わない。頭を上げ、浄子に頭突きをした。
「なにか音がしたな」
検査官が後部座席の方をみる。
浄子は酷い石頭だった。頭突きした二階堂も目眩がする。浄子は白目を剥いていた。
右手が銃のパーツを掴んだ。よだれで濡れた左手を浄子の服で拭いて、手早く銃をくみ上げた。音をたてないように遊底を引き、初弾を装填した。
「だが、それよりもだ」
検査官の視線が保栄茂の顔に戻った。やや赤らんだ顔。鼻は丸い。ぶさいくな顔だった。おまけに頭は禿げている。
「お前に訊きたいことがある」
生唾を呑み込んだ。聞かれていないのか心配だった。
「なぜ禿げている」
どういう意図だ。戸惑った。答えずにいると検査官が付け足した。
「今では毛生え薬も山のようにある。そこにいる彼も元は禿げだったが治ったんだ。なぜだ。検疫に引っかかるような理由であれば入場は難しいが」
どうやら禿げを原因に病気を疑われていたらしかった。
「実はアレルギーでして」
事実だった。天辺にそれらの薬を塗ってただれたことは何度もあった。だが、ここは意を決するところだ。
「ですが、禿げは治るようなものじゃありません。個性として受け入れて」
検査官は興味を失ったらしい。
「目的は」
と運転席の途次に目線を移した。
「営業でございます。この身一つで幾星霜。やっと掴んだこの一仕事。誠心誠意取り組み、あー取り組んで参ります」
「なるほど」
ボードにペンを走らせた。
「余所者だな。入場記録がない。二人共にな。ここでは言葉遣いは正しく。キチガイ、ガイジは勿論、池沼等の隠語も禁止だ。ここではありとあらゆる差別用語は禁止だ。放送禁止用語も禁止で、表現規制委員会の基準に準拠した言葉遣いをするように。ソシュールを援用し言葉の恣意性の観点から自己弁護したりすることで言葉狩り、いや言論統制、いや道徳的、モラル的指導、いや常識的な注意に反抗することは禁止、また表現の自由だ、などといたずらに憲法を持ち出し議論しないことをこの契約書にサインしろ」
「それはもう」
渡された紙にさらさらとペンを走らせた。
「それから、物腰は柔らかく、柔和に微笑み上品に、そして標準語で常に敬語で話しなさい。江戸ッ子言葉はまぁ、認めるが関西弁、土佐弁のような西の薄汚い言語を使うことは禁止する。あのぼんくらで頭のおかしいやつらは刃傷とやらを大切にするらしい。恐ろしいことだ。サインを」
「はいはい、それはもちろん」
「それから協賛企業の悪口、軽口、冗談、その類いのことを言うと即座に皇族侮辱罪で逮捕、即排除だ。役員様が通りがかるときには地面に平伏すること。いいな」
「へい」
「人相は大分良くな」
露骨に保栄茂に釘を刺していた。良く出来る人相がないよ、と二階堂は言い返したかった。ここは我慢のしどころだ。
「むろん、禁煙だ。この車は少々ヤニ臭い。どちらが馬鹿で池沼ガイジなのかは分からないが、見逃してやろう。この雑言を聞き逃すサインを」
「あい」
「街の中ではウィンドウを下げてはいけない。車からでるときも素早くな。タバコを吸ったり、タバコは安全だ、などと喧伝すると禁煙協会から是正勧告がでる。裁判にもなるぞ。しかし、これはやりすぎだ。表現の自由を害している。サインを」
「はい」
「但し酒に限っては酔っ払って歩き回らなければどれだけ臭くても大丈夫だ。これは最近争議中だから逐次動向を追うこと。他には」
延々続いた。行列の長いのはこの新参のせいなのだ。営業職に就いて長いのか、途次に疲れはみられない。
「はいはい、それはもう心得ておりますとも、この素晴らしい天井都市に入ると言うだけでもう心ズキズキワクワクな東京ブギウギでございます」
と歌い出す余裕もあった。検査官が途次の顔に本を押しつける。
「ルールブックだ。不備があるといけないから重ねて読んでおけ。いってよし」
ゲートが開いた。車はゆっくりと天井都市への道を走り始める。
「もう大丈夫だぞ」
呼びかけにシートをはぐった。スーツの上着を脱ぎ、汗ばんだシャツを扇いだ。後部座席の下で群れていたせいで体が熱い。マリアを戻して浄子はそのままに足置きにした。
「ルールブックだとよ」
保栄茂から分厚い本を受け取った。百科事典ほどある。不信感がその紙の厚さと紙の質とに良く現れていた。この本を売るだけでも上等の飯が食えそうだった。
「あるところには金があるんだな」
と二階堂が漏らした。
無口な少女と馬鹿女 継ぎ接ぎ枢機卿 @rappezzomann
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。無口な少女と馬鹿女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます