第15話 途次襲撃

 呆然としているベマフラから車を借りた。四人乗りのセダンだ。

 出掛けに保栄茂が何度も雲水に非礼をわびた。当の雲水は「構わぬ構わぬ、こちらこそ良い方と出会わせて貰った」と機械のように繰り返した。隙あらば浄子の靴を舐めかねない勢いだ。

 二階堂の非礼など気にしても居ないようだった。それはそれで腹が立ったが、知り合いが自分のために頭を下げていることのほうが気になる。

 さっきまで大喜びだった浄子はマリアを膝の上に乗せて寝ていた。口を開けて大きな寝息を立てている。気がかりをはらすには今しかなさそうだ。

「なぁ、あの婆さんなんなんだよ」

 運転する保栄茂の横顔に質問をなげかける。

「お前と俺の命を救った特殊穿孔弾のブローカーだよ」

「まじかよ」

 とてもそうは見えない。

「宗教狂いのババアかとおもってた」

「ま、実態はそうなんだろうな。だけどあの人にしかあの穿孔弾をおろせない。客もかなり選ぶって話だ。ウチの防犯防ハイテク設備を整えてくれたのもあの人と純一郎、ベマフラだ。ベマフラが居なきゃ俺たちは今頃墓の中だ。詳しい奴にみせたら結構なオーバーテクノロジーなんだそうだ。ベマフラ様々さ」

 知らなかったとしても保栄茂の顔を潰すようなことをしてしまった。

 謝らないと気が収まらない。黙っていれば膜のようなものが体を包んでしまう。言い出すときめたことはさっさとやってしまわないとタイミングを失う。

 気まずさに窓に顔を向けた。ドリンクホルダーに頬杖をついたまま口を開いた。

「すまねぇ」

「今更謝るな。お前が馬鹿な奴だって事くらい分かった上で関わってんだ」

 道が綺麗になってきた。サスペンションのきしみが優しくなっる。砂利に尻を蹴り上げられなくなった。車を飛ばす。

 街がだんだんと蘇っていった。それと同時に人が溢れだす。勤め人や私服の人々が交差した。信号待ちは長くなり、車の量も増える。

 サングラスで変装した。保栄茂は黒い帽子を被る。

「どこいくんだ」

「空中都市だ。そこのお嬢さんが本物ならこれで一件落着ってとこだな」

「本当か」

「ああ、ベマフラが依頼主を突き止めてくれた。試験に合格すりゃそいつらが俺たちの味方になって守ってくれる。ただし、試験会場は空中都市。潜入ってとこだろうな」

「私の借金はどうなる」

「さぁな」

 車が曲がって渋滞の尻につく。先には長い坂が延びていた。高度百メートル。素晴らしい空中都市へ行くための道路だ。

 みっちりと車がならんでいた。関所があるせいだ。空中都市と地上都市とは別の国になる。

 ずば抜けた金持ちや権力者は空路から地上と空中都市を行き来する。それ以外の使用人や連絡社員はこの長い道を使う。

 本物の金持ちではないにしても高給は貰っている。高い年会費の老人ホームの介護職員ではなく、サービスにはちゃんとした対価が支払われるのだ。

 この行列にはそうした者のおこぼれを狙った業者が毎日通い詰めていた。

 勝手に洗車して金を請求する雑用系から立ちんぼや乞食までなんでもいる。稀に強盗もいた。車の中のものを奪って自分たちは自転車やスケートボードで坂道を下っていくのだ。

 いつまで経っても動かない車か窓が赤い車があるとそれが強盗された車だった。

「窓閉めるからタバコ消せ」

 言われたとおりタバコを外に投げ捨てた。窓閉めは強盗や業者避けにいい。車の外に歩いてくる者が居ると車内から護身用の銃を突きつける者もいるらしい、という保栄茂の与太話は、ニコチンなしに聞けるものではないので堪える。

 銃を分解して遊んだ。フィールドストリップというもので簡単な分解だった。

 窓ガラスを叩かれた拍子に撃針を取り落とす。

 貼り付けたような笑顔の男が二階堂たちを覗き込んでいた。

「あんたら上に行くんだら」

 坂道の中間にいて前にも後ろにも車が充ち満ちている。無視を決めこもうと保栄茂とうなずき合った。

 あまりにもしつこい。無視しても延々と窓を叩き続けている。落ちたパーツを探した。なかなか見つからなかった。撃ち殺して追っ払えない。

 一発殴って追い払うか。見たところ別段危なそうでも何でもない。線が細かった。顔にはストレスの影響か皺と色の悪い部分が目立つ。弱そうでとても強盗しそうには見えない。保栄茂に窓を開けさせた。

「なんだお前」

「お世話になっております」

「お世話したことねーよ」

 男が慇懃に頭を下げた。ワックスで整えられた髪に表情筋が固定されているかのような笑顔。紛れもない営業マンだった。

「私、途次というものでございます」

 名刺を差し出した。受け取らないで居るとミラーの隙間にねじ込む。

「今お時間よろしいでしょうか」

「ないっていってんだろ」

 拒否したのにもかかわらず途次は窓から車内へ入り込んでくる。窓を閉めさせた。事故防止のシステムが働く。ウィンドウが勝手に下がった。

 途次は保栄茂の上でえへへ、と笑っている。

「これぞほんとの飛び込み営業、なんちゃって」

「降りろよ」

 途次は貼り付けたような笑顔のままで口だけを機械的に動かした。

「指名手配されてますよ、ねぇ。知ってるんですよ」

 銃を突きつける。途次は平然としていた。

「おまえなんだ」

「名刺をお渡ししたとおりです。私は、途次。フリーの営業マンなんです。ここから先はもう私にドンとお任せ下さい。その銃で撃つよりお手軽でしょ。ドンってね。私は何でも屋で本当になんでもこなすんです」

「銃も使うのか」

「それはもうクーデター政変革命なんでもこいです」

 ワハハハと途次が笑った。保栄茂が太い腕で途次の首を絞めた。首に完璧に腕が嵌まっている。途次の顔色はどんどん紅潮していった。

「冗談です」

 真っ赤な顔で弁明した。

「私はほんとうに営業マンで、あなた方を上の場所に通してお金を貰いたい、ただそれだけなんです」

 途次のボディチェックをする。途次の意識が落ちる寸前でチェックが終わった。武器らしきものはなにもなく、めぼしいのは自己啓発系の本が出てきたくらいだ。

「愛で勝ち取る営業術」の他は免許証やマイナンバーカードや健康保険証と一万二〇〇〇円の入った財布だけだった。

 ダッシュボードに取り上げた諸々を投げる。

「なんにもない」

 解放された途次が激しく咳き込んだ。膝の上にいる途次に保栄茂が問いかけた。

「ほんとうに営業なんだな」

「それはもう、それはもう」

 途次はぶんぶんと頭を縦に振って乱れた髪を整え激しく咳き込んだ。

「いくらだ」

「いえ、お代はもう頂いております」

「どういう意味だ」

「私、その貧乏でございまして車もない始末。とにかくこの上へいけるだけでよいのです。私のこの優れた営業力さえあれば、もうそれは上に行くだけで人生は安定するというもの。もう妻と娘たちも喜ぼうというものでして」

 てへへ、と頭の裏を掻く。

 保栄茂が運転席を譲った。後部座席に座る。後部座席の左には浄子が窓に寄りかかって寝ていた。右にはマリアが座席の先端にちょこんと座っている。都合、二人の間、運転席と助手席の間に顔をさらして座ることになった。

 保栄茂はぞっとした。この場所には良い思い出がない。同僚がここにシートベルトをささず座っていたことを思い出したのだ。追跡の途中に事故が起きた。同僚は吹き飛んでいってそのまま脳みそをぶちまけて死んだ。それはよかった。だが、他の同僚が仕事後に飲みに行けなくなる、とぼやいていたのだ。これには流石の保栄茂も戦慄した。酒よりも酔えることがあったのにまだ酔えるつもりだったのか。自分などはそうすると下戸である。

「結婚して娘がいるのかよ」

「ええ。最初は良かったのですが、妻が少々使ってしまいまして、車も売ったのです。いやはや、一度家族に暴力を振るったのですが、それでも出て行かず尽くしてくれるのでこれは男の甲斐性を、と一念発起致しました。妻が夜の仕事で稼いできた金でスーツを買い、あ、夜の仕事というのは一種の比喩でして妻は昼勤務でした。娘が家の前でレモネードを売ったお金で靴を買いました。ですがどうしても勝てる気がしたので隣の客に売ってしまいました。後日パチンコで勝ったのでちょっと安い靴をかいました。それまでは裸足だったのです」

 はっはっは、と笑った。

「亭主関白を一度でもみせたらそれはもう家族の奴隷として働かないとこの途次の名折れなのです。そういうわけで銃を突きつけられたとしても引き下がるわけにはいかない。なので」

 酒に酔った保栄茂並みに良く喋った。ハンドルを握らせているが車が横も前後も詰まっていた。事故の起こしようもない。

 途次は軽く変装した保栄茂と二階堂に気付いていた。

 どちらにせよ、運転席には話を通せそうな奴がいた方がいなければいけない。今更引き返せそうもなかった。こんな奴に面倒の手綱を握らせるのは癪だ。それしか手段がないのはもっと癪だった。

 それならば営業車らしく助手席に男が座っていた方がもっといい。

 保栄茂が二階堂と席を替わる。

 渋滞の中だった。だというのに途次は背中を真っ直ぐ伸ばしている。ハンドルに胸を貼り付けるようにしていた。腰は曲がり背筋は伸びている。

 保栄茂が会話の切れ目に質問を放り込んだ。

「なぁ、俺たちに賞金幾らかかってるんだ」

「それはですね、一〇〇〇万円ほどです」

「その金を家に持ち帰ろうとは思わないのか」

「それも確かに魅力的です。ですが、あぶく銭というものは人を狂わせる。ほら、みてくださいよこの国を。オリンピック前はなんだかんだで景気は悪かったものですが、バブルを過ぎて災難をいくつも経験した。税金を二〇%まで伸ばしてみた。半年で国会を解散してみた。とんでもない馬鹿を首相に添えてみた。どうでしょう、ボケた老人と同じく老成した良い国でした。今はどうですか、殺しが平然とそこら中で行われ、ニュースには動物が可愛かっただの、不倫が多いだのと言う下らない話題さえも流れなくなった。それはこの国があぶく銭に溺れているからなのです。資本主義の限界をこの国は精一杯体中で味わっている」

「なるほどな」

 適当な返事を返して保栄茂がリクライニングを倒す。頭皮の臭いが届いたのか浄子の寝顔が歪んだ。保栄茂はそのまま眠った。

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