第14話 カルト襲撃
街はもう遠い。空き地や住宅が目立つ。あとは歓楽街に歩いていくだけだ。
「さすがご令嬢だな、そんなことまでわかるのか」
保栄茂が目を丸くしていた。
「いいえ、なんだか分かりそうな気がして目を閉じたら分かった。ただそれだけのことですのよ」
こともなげだった。道も分からないくせに先頭を歩きたがる。
「そんなことはいいからさっさと案内しなさい」
保栄茂が教えるとラジコンのように素直に動く。
聞こえないように二階堂は舌打ちをした。
どうせ金と生まれだけのどうしようもない女のくせに。殴り合いのときにやり返してきたのは鮮やかだった。それだけなら尊敬できる。そのくせなにやら頭まで使っている。屁理屈をひり出す頭の回転まで持ち合わせやがって。
それに比べ大学出の自分はどうだ。銃を握ってあいつらを殺すことばかりを考えていた。四年もかけて親に金を使わせて大学を出たやつの決断がそれか。
内心では大学出を鼻にかけているのにそれがこの始末か。
再び舌打ちをした。これは浄子にではなかった。
手慰みにマリアの頭を撫でる。
マリアが首を傾げた。
歓楽街の喧噪さえも遠くなった。
昼間だ。水商売の女たちはメイクもせず、半尻で外をうろついていた。髪もボサボサで表情も険しい。
なかなかパンチきいた景色だった。浄子も流石にちょっかいをかけていない。
繁華街を抜けると空き地が目立つようになった。歩いていると今まで家で見えなかった場所に電車の高架が見える。
どんどんすさんでいった。暴力ですさんでいる、というよりは人が居なさすぎてすさんでいる。寂しさを覚える光景だった。
「ここは工場地帯だったんだが、汚染が酷くて誰も住んでない。汚染や公害も実際はライバル企業を潰すために尾田川重工業による捏造だったとも言われてるが、これを見るとな」
そう保栄茂が蘊蓄を披露した。そうだったのか、と聞き流した。興味なかったからだ。
廃墟についた。腐ったテーブルと破れてしおれたパラソルで辛うじてここが何かの店だったことが分かる。
看板にはカフェーとあった。カフェなのだろう。古風な書き方をしてあった。
どういうわけかガラス戸は健在だった。
客などは一人もおらず店内も荒れ果てていた。奥に大きな埴輪の置物がある。目がまん丸く穴になっている埴輪でかなり大きい。
「ここだ」
保栄茂が抵抗なくガラス戸を引いた。
浄子がごねる。
「こんなほこりっぽいところ入りたくありませんわ」
「だったら外で待ってろ」
言い捨てて保栄茂の後ろに従った。
「冷たいですわー」
後ろで怒っている。無視した。
カウンターは薄汚れていた。店内のテーブルや椅子も汚らしい。
とはいえ、店の中はほこりっぽくなかった。指で擦ったり、歩いたりしたあとにホコリの跡がつくということもない。誰かが掃除をしている。
保栄茂が店の奥の置物に近づいていった。埴輪の肩に手をかける。
「相変わらず下手な擬態だな」
「先輩も随分お元気ですね」
埴輪が動いた。埴輪の口らしき部分がにっと笑う。保栄茂が笑い返した。
埴輪の頭部パーツが取られる。その下にあったのは青年の顔だった。線が細く尖っていて、どことなくは虫類を思わせる顔つきだ。柔和に笑っているので愛嬌があった。
「こちらへどうぞ」
カフェの奥に案内された。そこはホールの具合とは正反対に綺麗に整頓されている。
広い空間にテーブルとソファが置かれてあった。開け放された扉から電子機器が光を放っている。固く閉ざされている扉もあった。こちらの奥にはなにがあるのかわからない。
「こいつは俺の後輩だ。ちょっとあって警察組織とは距離を置いてる。お前とはお初だな」
「よろしく」
握手に答えた。
「二階堂さんですね」
「知ってるのか」
「調べるのは得意ですから」
で、そこの子は。青年がマリアをみた。
「マリアだ」保栄茂が答えた。「二階堂、こいつは純一郎」
紹介したところで青年が首が頭を振った。長い髪が歌舞伎の毛振りのように舞った。
柔和に笑っていた顔はない。青年が真顔で保栄茂に詰め寄る。仮面を取り替えるよりも素早い表情の転換だった。
「違います、今は師匠からベマフラという真名を見つけて頂きました。純一郎は偽りの名前です」
冗談にも見えない。保栄茂が慌てて言い直した。
「そうだ、ベマフラだ」
「先輩、もう一〇年ですよ。まだ心の中で僕のことを純一郎ってよんでるんですね。僕のサルベーションを遠ざけようと妨害する人が僕に助けを求めているんですね」
「そういうわけじゃないが」
保栄茂が手を彷徨わせて言葉に迷っている。その情けなさに内心笑う。保栄茂が取り繕うために咳払いをした。
「二階堂、ベマフラだ」
「正式には、ベマフラ・ホイジンガ・ラフダ・祐二です」
青年の顔はまた柔和さを取り戻した。
「にしてもまたあの掲示板に書き込みがあるとは思わなかったです」
「今はここをねぐらにしているんだな」
「先輩と二階堂さんえらいことになってますよ」
「その話は後だ。とりあえず署長に電話繋いでくれ。バレないようにな」
「了解です」
ベマフラは敬礼をして電子機器の灯り眩しい部屋に入っていった。
「あいつなんなんだ」
「ああだが、仕事はちゃんとするやつだ。頼むから名前を呼ぶときはあいつの真名を尊重してやってくれ」
適当に流しておいた。
電話が繋がる。今は珍しい固定電話の受話器が保栄茂に渡った。
ほぼ同時だ。固く閉ざされていた扉が開いた。
「騒々しい」
「先生」
ベマフラが「ああ」と声を上げてその足下に傅いた。
初老の女だった。銀髪で顔に皺こそあれど凜々しい顔立ちをしている。
若いときは美人だっただろう。服も成りの良い物を着ていた。質素なデザインだ。それでも生地が良いためかえって顔の上品さが際立っていた。小皺も細く、肌つやもいい。上等な物を食べているようだ。
「結界をでられてよろしいのですか」
ベマフラの問いかけには答えなかった。半狂乱になって喚きだしたからだ。目を剥き、口は裂けんばかりに大きく開いていた。
「塩をもてい、塩を」
怒鳴り散らす。泡になった唾がシャボン玉のように飛んだ。
「まぁまぁ、先生」
青年が唾の泡を割りながら抱き留めた。
眉間に皺を残したまま女が冷静さを取り戻す。青年を払いのけ、腕組みをした。ぶつぶつと呪文を唱えている。
「ウンジャラウンジャラソワンコマラントシテケバジュイガブンラフンギヌ」
呼吸を整えた。
「その子供」腕を組んだままマリア指をさした。「そいつは呪具じゃ」
「ただの女の子じゃないですか」
「よくみんか」
「わからないです」
「お前にはやはり、素養がないか。それならばしかたあるまい」
「おい」と呼びかけて女がソファにどっかりと座った。ベマフラが女のために紅茶を淹れた。女がおちょぼ口で紅茶を啜った。
無遠慮に二階堂が訊く。
「こいつについてなにかわかるのか婆さん」
受話器に手を当てて保栄茂が首を振った。ベマフラの顔が険しい。しかたがないだろ、名前を知らないんだから、を呑み込んだ。いきなり女が話し始めたからだ。
「どうせ話しても分からぬ。それよりもそれよりもおぬし、なにかありがたい物を持っているな。そのおかげであの呪具大分んと効力が弱っておる。本来なら戦争じゃ」
「わけのわかんねぇこと言わずにさ、おしえてくれねぇか」
「この出来高。この方が邪蜘蛛雲水先生と知っての口の利き方か」
鬼気迫る表情のベマフラに気圧された。舐められてはいけない。反射的に凄み返した。
「ああ?」
普段下らない連中を狩り殺している習性がでた。
面倒なことになりそうだ。
状況の複雑さを察知した保栄茂が受話器を置こうとした。
邪蜘蛛雲水がゆっくり手で制する。
「まぁよい、こいつは凡人じゃ。関わっても碌な事がない」
「んだと」
「禄がなァい」
ベマフラの視線はそれでも険しい。雲水に従って土下座しているが今にも首元に噛みついてきそうな目がどう猛に二階堂を見つめている。
電話をしながらも保栄茂は気が気でない。何度も様子を伺っていた。話が佳境に入っている。抜け出そうにも抜けられなく気を揉んでいた。
二階堂も二階堂で引くつもりはない。視線で火花を散らした。
いざとなればこんなわけのわからないやつ撃ち殺してやる。インチキで威張り腐りやがって。なにが邪蜘蛛雲水だ。なにが真名だ馬鹿が。
腰の拳銃に手を伸ばしかけた。
「まちくだびれましたわ」
扉の向こうで声がした。
浄子が扉を蹴破る。内側に扉が倒れた。
「あら、ここはおトイレではなくて」
雲水が飛び上がるように立ち上がる。
鳥のような奇声に全員の体が硬直した。
声の主は雲水だ。よろよろ歩いていった。途中、地面に這いつくばる。出来るだけ頭と腰を低くし、なめくじのように進む。
浄子の足下に辿り着くやいなやその靴を舐め、頬ずりした。
「神じゃあ」
聴いたことのない甘い声だ。雲水の鼻から涙が眼から鼻汁が流れ出た。
「あら、礼儀の分かる人にようやく出会えましたわ」
尿意も忘れ、浄子は高笑いした。
「神様じゃあ、この上ないほどの神様じゃァ」
「ほら、年寄りもっとおなめなさい」
雲水の顔に浄子が靴を押しつける。
「ありがたやありがたや」
ベマフラが口をあんぐりと開けていた。蠅が飛んで口蓋垂に止まったが、咳き込むことも忘れている。どこを眺めているのかもわからない。
保栄茂が電話を置いた。
「話がついた、善は急げだ」
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