第13話 オフィス襲撃

 頭の中で針で出来た玉が回っている。ひどい頭痛のせいで久々にはいたスカートの感覚が余計に忌まわしく感じられる。高校ぶりのスカートだ。

「フェミニンだなぁ」

 保栄茂がからかった。

「そういうからかい方をしてるからセクハラバーっていわれんだ」

 キツい服に身を包むのは苦しい。頭痛もあるというのにみるだけでもげんなりするスーツの群生する場所にいた。保栄茂がつまらない冗談を言わなくても気力はそがれていく。

 二階堂たちがいるのはオフィス街だった。二階堂は保栄茂が買ってきたスーツに身を包んでいる。サイズがやや小さく肩身が狭い。

 偉そうに保栄茂が前を歩く。

「俺が止めたときに殴り合うのをやめときゃよかったんだよ」

「そーですわそーですわ」

 二階堂と同じく殴られたはずの浄子がはしゃいでいる。その通りが分からない。馬鹿だからだろうか。

 二階堂が訊いた。

「なんでそんなに元気なんだ」

「殴られたらなんだか元気になりましたの」

 皮肉にも聞こえない。

 スーツを着た浄子が歩道の真ん中でくるくる回る。動きやすそうだ。サイズが分からなかった保栄茂が適当に見繕ったスーツだというのにサイズはこの上なくぴったりだった。

「運が良いってのはほんとらしいな」皮肉っぽい口調で二階堂は言ったが、それが皮肉になっていないのにも気付いていた。

 わけて欲しいという言葉は悔しいので呑み込んだ。

 道すがら見つけた上等の白いつば広帽子を浄子が被り、変装の効果も無駄になるのではないかという大声で喚く。

「変装なんだから帽子はやめろ」

 保栄茂が帽子を取り上げると髪をむしると脅迫してひったくる。

「いいじゃありませんの、たかが帽子くらい。貧乏ハゲにこそ帽子が必要だと思いますけれど?」

 黒いスーツに金色の縦ロールというだけでも目立ちすぎていた。にもかかわらず白い帽子まで被っているとなる。見つけて欲しいと叫んでいるようなものだ。二階堂たちの不安を無視して浄子は扇子を開き大笑しながら脳しんとうの痛みと嘔吐感を忘れて歩いている。

 それにくわえ、ゴシックなドレス姿のマリアもいた。見つかったら殺されてしまうと言うことを浄子は理解しているのだろうか。

 だが、二階堂や保栄茂が想定している以上にオフィス街の人間は無関心だ。オフィス街を行き来するスーツたちは浄子に一瞥もくれない。誰も彼もが次の予定に向かってせっせと足を前後させている。

 心配はいらなさそうだった。連中がこの様子なら、無理にやめさせるより放っておいた方が目立たないだろう。

 二階堂がスーツの一人を見送った。

「年中葬式みたいな街だな」

 騒がしさはある。それは人間が関わり合う上で自然に発生するもので、賑わいとはほど遠い。

 上等なビルに影を落とす天井都市がその印象を余計に強くしているのだろう。

 オフィス街の真の支配者たちの椅子がある天井都市。それを頭上に頂く勤め人たちの街がこのオフィス街だった。

 稀に天井都市から落下物がある。それに当たって死人が出るが補償はない。なにも難しい理由はない。社員だからだ。

「どこに歩いてるんだ?」

 しばらく歩いてから二階堂が保栄茂にたずねた。

「ツテだよ、ツテ。ここを通るのが一番早いし目立たないはずだ。皆同じ服装をしているからな」

 それだけに浄子が浮いて見える。

 このオフィス街には尾田川ホールディングスの街だ。尾田川ホールディングスが必要と判断した企業しかここにはいない。山岸の手の者や、スパイ社員がいないかが気がかりだ。かといって、浄子を殴って黙らせるには遅すぎる。

 標識がでた。街の出口が近い。

 保栄茂が「げ」と声を上げた。

「検問だ」

 道の筋を変える。検問がここにもあった。突破できる部分を探すために検問を観察する。

 検問はコンクリートの四角いバリケードで張られてある。尾田川商事の文字が書かれてあった。バレットプルーフと書いてる。耐弾仕様らしい。検問口以外の場所はフェンスで仕切られていた。フェンスには高圧電流も通っているらしい。有刺鉄線もついでにはられていた。

 検問には役職持ちらしい社員が二人いるが、目を引くのは肉の壁だ。ソルジャー採用の雑兵社員たちが高圧電流の前に並んで鋭い視線を飛ばしている。さらにこの見張りを見張る見張りたちの目も危うい。

 なぜここまでするのかは明白だった。

 この先に歓楽街があるのだ。二階堂たちの目的地もそこにあった。

「どうするよ」

 怪しまれないように路肩でとまり保栄茂に訊いた。場合によっては引き返して街ごと迂回するのもありだ。

「ここはお膝元だから意表を突いた形になってまだ襲撃はない。だが、外に出ればうようよ敵がいるだろう」

「なるほどな」

「どういう類いの検問かはわからないがとりあえず大人しくだ。あのお嬢様はうるさいからどっかで待っていて貰わないと」

「でもあれよ」

 二階堂が指さす。浄子がいつの間にか先行して検問所のスーツに話しかけている。

「あーたたちなにしてますの」

 慌てて後ろに追いすがる。

「検問だ。みて分からないか。不届き者の社員を見張っている。お前たちのような、な」

 じろじろ役職スーツが浄子を疑る。誰かは分かっていないようだ。一介の社員にとっては創業者のひいひいひ孫の顔よりも直属の上司の顔の方が大切らしい。

「ちょっとお前」

 浄子に伸ばした手がはねのけられた。

「私にお任せなさい。バレなきゃいいのですわよねすわよ?」

 咳払いをして浄子が一歩前に出る。

「わたくしたちは今からこの街の外にある企業の成果を視察しに行く代表団ですわ」

「この先には歓楽街しかないぞ。それにお前のよう奴が重役席に座っているのも見たことがない」

 ちら、と二階堂たちをみた。

「それにお供の連中も冴えない奴ばかりだ」

「そこを経営しているのもウチだということくらいご存知でしょう。この冴えない連中も目立たないための欺瞞ですわ。警察を買収しているとはいえども用心は必要でしょう?」

 社員が言葉を詰まらせたが、盛り返した。

「成果とはなんだ」

「残業させて給料を渡していると即座に指導いたしますわ。抜き打ちでしてよ。あなた方、残業代を貰っては居ませんでしょうね。そんな社員そっこく首でしてよ」

 気まずそうに社員が咳払いをした。首とは単に解雇されることを言うことではない。

 首は私刑を意味する。仲間の社員たちによって叩きのめされるのだ。力を持った企業にはその程度の意図して起こされた不祥事を有耶無耶にするのは簡単だ。

「では、通りますわ」

「ちょっと待て」

 傍で見ていた女社員が立ちふさがった。気丈なもので、パツパツのスカートをピンと伸ばして両手を広げ遮っている。

「確かに立派そうだが、物事には証拠がないといけない。証拠を出せるか。例えば、デカいロールスロイスとか、腕のない社員で作った肘欠け椅子だとか」

「秘密で視察するというのに身元が確認できる物を持っていく者がいると思いますの?」

 そういう屁理屈が出てくるタイプだとは思わなかったので、二階堂は素直に浄子の基点に感心した。

 だが、でしゃばった社員はその限りではない。眦を決して端末に手を伸ばしかけている。オフィス街だけで作動する専用の端末だ。これをちょっと弄れば治安維持監視エンジニア部隊が駆けつけてくる。

 女社員が詰め寄った。

「持ち物を見せて貰いましょうか、どうせなにもないでしょうが」

 持ち物をみられると終わりだ。拳銃が見つかるとそれだけで怪しまれる。

 ソルジャー社員たちの目つきはさらにどう猛になった。うなり声さえも上げている。彼らは飢えた犬よりも凶暴だ。自らの出自を知っていて、どんな末路を辿るかも知っている。Fランク大学卒、高卒の社員たちは昇進のただしいしかたはしらない。だが、命令に逆らえば使い潰されることは理解している。夢もなく明日もない連中だった。

 それだけに降って湧く昇進のチャンスは決して見逃さない。もし、尻尾を少しでも見せたら最後、彼らに食い殺されてしまうだろう。ここにいるソルジャ社員たちは食い殺せないような軟弱社員たちを食ってここまでのし上がってきたのだ。

 言い逃れできなければ撃ち殺すしかない。そうするとすぐに騒動があって山岸たちがやってくる。

 逃げたとしても怪しいために山岸たちに連絡が行く。保栄茂のはげ頭に汗が光った。二階堂の銃を握ろうとする手もじっとり濡れる。

「でしたら証拠、見せてあげますわ。これは極秘ですのよ。あなた方の会社と階級そして役職さえ全部いってのけますわ」

「なに」

 社員の体が固くなる。表情こそ強ばっていたものの、携帯から手は離れていた。もし、浄子がそれらを言えれば間違いなくここを通れる。

 問題は一つだけだった。

 保栄茂が小声で言う。

「あいつそんなこといえんのか」

「わからん」

 浄子はどうみても少々思慮が足りない。記憶力もなさそうだ。それらしいデータを見たことがあっても社員の名前さえも言えるはずがない。

 二階堂が銃に手を伸ばす。

「殺しちまうか」

 銃は腰に挟んでいる。マガジンも抜け落ちていない。予備の弾薬ももってきている。保栄茂が首を振った。

「いや、こうなった以上見届けよう。ドンパチは後からでもいい」

 浄子の耳元に「お前の正体だけは明かすなよ」とだけ耳打ちした。浄子は目を閉じてうんうん、唸っている。

 浄子が目を見開く。

 まず、女社員に指をさした。

「あーた、安崎コーポレーションの井河さつきですわね。まだ係長で総務部」

「ほんとうか」

 隣の社員が尋ねると女社員は頷いた。彼らは隣で働いている人間の名前も階級も知らされていないのだ。

「隣のあーたは久茂崎重工業の安崎一良ですわね、同じく係長で総務部」

 男の社員は口を噤んだ。女社員が浄子に噛みつく。

「そんなこと調べれば分かることだ。こんな雑用をするのも総務部で平だというのも決まり切っている。おかしいではないか、内密な視察であるのに堂々とこんなところを通るなんて」

 ぐうの音もでないような反論にも浄子はたじろがない。

 男社員は女社員の言うことに納得したのか、もう連絡ボタンをプッシュしかけている。

「さぁ、持ち物を見せて貰いましょうか」

 女社員は顎を高い。すでに勝ち誇っていた。

 脳内では賊を摘発したことで昇給し、一人部屋に帰っているのだ。買ってきたストロングでささやかな祝杯を上げている。バリバリのキャリアウーマン生活の緒戦、これからの生活に胸が躍っているのだ。

 見せられるものなら見せてみろ。挑発的な視線を投げかけた。できなければ通報するだけだ。

「見せませんわ」

「だったら通報するだけ」

「だって、あなた方の残業時間もしっかりと把握していますもの」

 二人の社員がさっと青くなった。正体不明の連中を前に平静を保とうとする。だが、表情や手の震えは隠せない。表情筋が細かく動いていた。

 残業時間は超がつく社外秘だ。それを知れるのは本人と役員や社長だけ。株主もしらんぷりをする最高峰の機密だ。

 もしそれが漏れれば労働基準法によって吊し上げられてしまう。労働基準局もどこかから情報が漏れなければ動かないことになっている。

 それだけに役員たちは残業時間の秘匿を厳密に定めていた。もし漏らせば、私刑は間違いない。朝礼で皆の前に立たされる。その場で暴行を加えられ、昇進できないことを苦に自殺したことになる。

 社有ビルの高層階の吹き抜け突き落とされるため、内々に処理されてしまう。死んだ者は最初からいなかったことになる。生きた証は家族の思い出の中にしか残らない。

 社内携帯をぐっと握りしめた。時間を取らせてしまったことで首になってしまうのでは。男の社員の方はすでに家庭を心配していた。

 女社員も泥を踏んだのでは、と頬の内側の肉をかんだ。これからの晴れ舞台に靴底の汚い靴で歩いてしまうとさすがに目立ちすぎる。

「残業時間は月平均二五〇時間、そちらのあーたは二〇〇時間。励んでますわね」

 二人はその成否を答えなかった。代わりに道をあけ、検問のバーを開いた。様子を察したソルジャー社員たちが深々と頭を下げる。

「お疑いして申し訳ありませんでした。このたびのことは是非とも穏便に」

 二人の社員は荒いコンクリートの地面に額をこすりつけていた。

 浄子が顎を上げ、二階堂たちに得意げに先導する。

「さ、行きましてよ、犬、猿、雉」

 土下座する二人を間を浄子が颯爽と歩き去った。

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