第12話 喧嘩襲撃

 地下に逃れてドローンの追跡を撒いた。道中大きめの袋を買い、そこに気絶している浄子を突っ込んだ。

 人目を気にせず行動した。大きな荷物を担いでいる人間はそこらにいる。建築資材を担いでいる施工業者はそこらにいた。見られてもこの後どうせ撒くのだ。

 ここ十数年の間に建築業界は空前のバブルを迎えている。尻に弾丸を食らっている人間が居てもどうせ誰も気にしない。死んでいれば写真は撮って貰える。

「いつかこんなことになるとは思ってたけどよ」

 昔使っていた避難所だった。面倒ごとがあるとここに飛び込む。ここに来るまでは複雑だった。

 駅伝いに移動し、地下を伝って移動し、移動し、さらに移動する。マンションからマンションを伝い、さらに地下に潜った。するとここに辿り着く。

 保栄茂はまだここを所有していて手入れもしているようだった。名義を借りた中国人はとっくの昔に本国で死んだらしい。部屋はきれいなものだった。

 浄子を下ろした保栄茂がズボンを脱いだ。

「危うく尻の穴が十文字になるところだった」

 弾丸は尻から横合いに入っていったらしい。

 あれをとってくれ、指示をされたとおりに部屋の救急箱を取ってきた。

「弾は抜けてるか」

「そのようだな」

 指を突っ込んで確かめていた。保栄茂が呻く。右の尻を貫通している。保栄茂から目を背けても軽口は忘れない。

「よかったな、脂肪ばっかのところで」

「俺の尻が緩んで戻らなかったらお前に介護させるからな」

 救急箱を開いた。

「それをとってくれ。その注射だ。そいつでその中身を吸い出せ」

「なんだこれ、リドカインか」

「縫合はしない」

 救急箱には針も糸もない。保栄茂は傷口に注射器をそのまま挿入し、押し込んだ。

「おおいてて」

 反対側までぶくぶくとでこぼこしたピンクのソーセージのような棒が溢れだした。傷口の中で膨張しているようだ。避けている部分からもそれが溢れだした。血がとまる。ハサミでソーセージの両端を切り、ハサミを使って細かく形を整えた。

 保栄茂が息をついてソファに座る。

「で、なんで山岸才蔵が出張ってきたんだ」

「誰なんだ」

「筋では有名な傭兵だよ。警察にまで情報があったんだから大したもんで、ギャング同士の抗争でも大分活躍した。兵隊を良く訓練してたな。山岸の部下は目隠しをしてても分かるって評判だったんだ。なぜだか分かるか」

「さぁ」

「いつも射撃の練習をしているから硝煙の臭いが酷いのさ。あいつ本人も大した奴で山岸が道を歩いていると新参のギャングでも道を譲ったもんだよ。五年前に尾田川ホールディングスの用心棒になってから消息を絶っていたんだが、相変わらず汚れ仕事をしてたみたいだな」

「戦い方の特徴とかないのかよ」

「今時珍しく人間を訓練して使うオールドスクールなやつってことぐらいだ。ドローンと元警官に好き放題されてたがな。本気を出せばホワイトハウスでも落とせるって評判だったんだぜ」くく、と保栄茂が笑った。「練度と装備が良くたって油断しちゃ最後だな。雇われの苦労があるとしても恥さらしには違いない」

「にしたってあの弾丸を弾いたのはどういうことなんだよ」

「さぁな、新兵器だろう。尾田川の兵器開発部は独創的だって各国の軍隊が褒めてる」

 命からがら持ってきた浄子は気持ちよさそうに寝息を立て床で寝ていた。

「そういえばマリア、あのガキは」

「マリアっていうのか。置いてきちまったな」

「死んじまったかもな」

「かもな」

 空調が回っていた。外の空気を取り込んでいる。ギアがいかれているのかきぃきぃ鳴いていた。

「よっこいしょ」

 保栄茂が立ちあがった。

「ちょっとツテを当たる」

「もう動いて良いのかよ。銃創だろ」

「最新商品だ。骨が折れてなければ一五分で完治する。こいつは高いんだ。お前に請求するぜ」

 聞こえないふりをした。

「合図を決めておくぞ。三三七拍子だ。それ以外のノックは絶対に開けるな。それと」念を押した。「電話は絶対するなよ」

「へいへい、どうせジャミングしてんだろ」

 タバコに火をつけた。胸の奥までいっぱい吸い込んだ。細い糸のような煙が換気扇に吸い込まれていった。

 最近は両切りタバコが増えている。ゴールデンバットが復活した、と保栄茂が喜んでいたので吸ってみたが美味くはなかった。幾ら吸ってもどうせ肺なんて取り替えがきく。喉はどうか知らない。タバコを吸えば落ち着いて時間が埋まる。二階堂はタバコについてそれくらしか知らない。

 浄子が口を開けて寝ていた。煙を吹きかけた。気持ち悪そうに顔を歪める。面白くなって口を開けさせてそこに煙を吹き込んだ。

 ドアがノックされた。

 腰の銃に手をかける。三三七拍子。ドアを開けた。

「はえーな」

 誰もいなかった。脚を誰かが触った。体が硬直する。

 しまった。

 腰の銃に手を伸ばす。

 致命傷となる攻撃はない。そもそも脚に触った誰かも見えない。

 下を見た。マリアが居た。小さいので見えなかったのだ。

「いきなり現れやがって。どうやったんだ。税務署でさえ嗅ぎつけられないんだぞ」

 マリアは部屋の隅に座った。

「まぁ、生きてて何よりだけどな」

 相変わらずマリアの唇は一文字に閉じられていた。マリアの顔を覗き込んだ。目が合う。瞬きもせず黙ったままだ。

 どうせなにを言っても喋らない。道ばたのネコに話しかける感覚だった。

「お前と会ってから良いことが何にもない。お前、本当に貧乏神なのか」

 マリアの口が動いた。何かを食べているときの動きではない。言葉を発しようとしている動きだった。

「おい、もっとデカい声で言え」

 口に耳を近づけた。換気扇の音がうるさい。息を止めて神経を研ぎ澄ませた。マリアの薄い唇が何かを告げようとしている。

「アー疲れましたわ」

 無遠慮な浄子の声が換気扇の音を上回った。

「黙ってろ」

「床で寝たせいで体が重たいですわ」

 頭に重みを感じた。浄子が全体重をかけてもたれかかっている。

「私のクッションになりなさい」

「ふざけんな、どけ」

 肘打ちをした。顔に当たった。ふぎゃ。悲鳴と共に転がっていく。

 視線を戻す。マリアの唇はクスコ宮殿の石垣よろしくぴったりと閉じられていた。

「おい、もう一回何か言え」

 梨の礫だ。もどかしさを浄子にぶつけた。

「あーあー、だんまりお嬢ちゃんがせっかくなんか話してたのによ、この馬鹿女。お前のせいで聞こえなかったじゃねぇか」

「貧相だと口どころか耳も悪くなりますのね」

「あんまり苛立たせるなよ。ブチ殺すぞ」

「やれるもんなら好きにしなさい。私は死にませんの。生まれてこのかたずっと運がいいもんですから。この世界の主人公である私を殺せるわけなんてありませんの。分かります? 脇役さん」

「てめぇ」

 銃を額に突きつけた。

「脳みそ散らして死んだときのこと思い出させてやろうか」

「死んだことがありませんので思い出しようがありませんわ」

 マガジンが抜けた。指で押さえようと忙しく指を動かしたせいでセイフティがかかる。

 マガジンを拾って装填しなおす。コッキングし、トリガーを引く。カチとトリガーが止まる。

「なんかロックがかかってますわよ」

「うるせぇなぁ」

 セイフティを解除するとまた、マガジンが落ちる。反射的に遊底を引いたせいでせっかく装填した弾丸が間抜けに飛び出した。

「弾がなくても撃てますの」

 浄子は悪気もなくきいている。

 どっと疲れて銃を下ろした。

「なんでこんなことになってんだよ」

 壁にもたれ掛かって膝を抱いた。そうしていると落ち着いた。

「地元から出てきてもう五年。大学を出てあいつらをぎゃふんと言わせてる頃なのに」

「お馬鹿、大学信仰なんてものはもう一〇年も前に終わってますわよ。田舎者は情報に疎いですわね」

「田舎だと。確かに田舎かも知れないがうちの田舎はそれなりに進んでてな。都会コンプレックスでファッションだってそれなりだったんだぞ。みんなで遊ぶとなるとファンションショーするくらいのもんでな」

 着飾っていた同級生を思い出す。結婚式に出たときも、自分一人がグレードの低いドレスを着ている気がしたし、靴だって違った。

 そもそものノリも変わっていて、どうやって会話していいかも分からず、はは、と愛想笑いをしていたのだけ覚えている。

 名前も忘れているような同級生と会話していた。適当に会話して、懐かしい、や、それそれ、と言う同意の言葉を引き出すのに腐心していたような気がする。

 高校生活は楽しかった。当たり前の生活と、なんとなく決まっていく人生の中でいつか大物になってやるという炎が燃えては消える。そんな毎日だ。

 進路を決める段になって急にまた心の炎が急激に燃えだし、火傷した。

 その挙げ句が、家が燃えてギャングもおそれる傭兵に追われている。おまけに借金は一億ある。さらに一日ごとにホテルに泊まっている馬鹿な連中の分だけ借金が増えていく。

 そういうことをいつの間にか浄子に話してしまっていた。

「あーたね」

「黙って聞いてろよ」

 夢は夢でしかない。自分の若さをひたすら消費している。一分一秒が経つごとに自分が老いていく。焦らず悟っている風や大人物に見せかけたい。

 だが、焦る。もう取り逃せないような気がする。他人より多くの物を置き去りにしてきた人生だ。取り返しなんて一発逆転以外につけようがない。

 蜘蛛の巣とゴミの山。そしてパソコンだけがある部屋。あの家は燃えてしまった方が良かったのかも知れない。このままではきっとダメだ。

 さすがにこれを浄子に言いたくはない。だが、言葉には仄めかすような言葉が溢れていた。

「こんなこと続けてても、大した奴にはなれない。地獄へ行くだけだよ」

「ヘラヘラせずにさっさと地獄へ行けばいいのですわ」

「誰が笑ってるってんだよ」

「メンヘラのヘラ、ですわ。あら、失礼。表現規制委員会の禁止用語でしたわね」

「殺すぞ」

「地獄にもいけない小物が天国に行けると思っていまして? いやなら人生をリセットして私みたいなのに生まれ変わりなさいまし。あーたなんて何兆回現世を回っても解脱できませんでしょうけど」

「地獄を見るにも資格がいるんだよ。産まれながら天国に行ける神様みてぇな、お前と違ってな」

 舌打ちをして壁により掛かった。

「すねないでくださいまし」

「すねてない。現実をみているだけだ」

「みてるだけですのね、物事は二つの事柄しかありませんのよ。やるか、やりたくなくてもやるか。そのちっぽけな貧乏脳でお分かりになる道理はありませんでしょうけど」

「人間金を持つと説教したくなるらしいな」

「私が今何をしているのか、教えて差し上げますわ。無知蒙昧と会話する、をやりたくなくてもやってますの。会話を止めるを誠心誠意やりたいところですけど、それはそれで暇ですわ」

「やめたいのか」

 どこからか取り出した扇子を開いて浄子が口元を隠した。扇子の広がる音が厭らしく聞こえる。自然と見下していて、こちらも自然と見下されていた。

 綺麗に整えられたまつげや、髪の生え際。浄子と二階堂との間にどこも違ったところはなかった。毛穴があいていて、どうしようもなく生臭い。どうせ二日も放っておけば鼻頭から産毛が生えて襟足にも汚い細い髪が伸びるくせに扇子を使って上品を気取っている。

 生まれが良いだけのお嬢様だ。どうせ一発殴れば黙るに決まっていた。

「なんで喋れる人間ほどお馬鹿なんでしょう。沈黙は金ですわ」

「会話したくないなら力尽くでとめてやるよ」

 浄子に飛びかかった。扇子越しに顔を殴りつける。

「やりましたわね」

 浄子は扇子を投げ捨て殴り返してきた。

 どうせ一発殴ったらよよとくずおれて保栄茂にでも言いつけるものとでも高をくくっていたが、意外なパンチを貰って急に面白くなった。

「いいじゃねぇか」

 互いの頬を千切らんばかりに握りあい、服を引っ張りそれはもう煙が出そうなほどのとっくみあいをやっていた。マリアはそれをただ目で追っている。

 三三七拍子があった。もう一度あった。マリアが立ち上がって扉まで歩き、鍵を開ける。紙袋を両手に提げた保栄茂が目を見張った。

「どうやってここまできた」

 保栄茂には答えず部屋の隅に移動しマリアは観戦に戻った。保栄茂も椅子を引っ張ってマリアの隣に座る。

 胸ぐらをつかみ合って素人っぽい喧嘩をしていた。まだアザや切り傷程度で済む喧嘩だ。

 だが、温まってきた二階堂が一方的に浄子の顔を殴って殴る。浄子は為す術もなく殴られているが倒れもしない。

 そろそろ止め時だった。顔の骨が折れるとさすがに今後に支障を来す。

 保栄茂が止めに入った。引き剥がそうとすると浄子が食い下がる。

「やめたくありませんわー」

「うるせぇ、死ね」

 怒鳴った二階堂の拳が保栄茂の頭を掠った。髪が散る。

「やりやがったな」

 冷静に保栄茂は距離を取る。殴る二階堂と殴られる浄子の二人の動きを見極め拳を入れた。

 避けられないタイミングだ。二階堂の顎に保栄茂の拳が吸い込まれる。

 鈍い音。うつろな目で二階堂が顔から倒れ、床を舐めた。

 二階堂の後頭部をスカートを上げた浄子が踏みつける。

「ざまーみさらしましたわね」

 足蹴に夢中になっている浄子の顎も冷静に狙う。しゅ、と無駄のない拳が放たれ浄子の顎を殴り貫く。浄子は膝からくずおれて二階堂に被さった。

 半目になって落ちている二人を競りを待っているマグロのように横に並べる。救急箱をもってきて顔の傷にシートを貼っていく。三十分もしないうちに傷が塞がって腫れも引くだろう。

 保栄茂が腕時計を顧みた。秒針は刻々と進んでいく。

「アー、出発が遅れやがる」



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