釣りガールと異世界のマグロ③

 ルカはヤワイ鉄でできた釣竿を担ぎ、村近くの浜辺にやってきた。

憔悴しきった顔の村長が、ルカに尋ねる。


「それで、餌はどうするんだ。芋じゃ魚は釣れないだろうし、芋はやらんぞ」


「餌はこの浜から獲る」


「海の生き物は毒魚を除いて死滅してしまったと言ったじゃないか」


「ううん、そんなはずない。海の生き物が他に全部死んでしまったなら、毒魚は、何を食べて生きているの? つまり、この海にはまだ餌となる生き物がいる」


「だからその生き物はどこにいるんだ」


ルカは砂浜を進み、満潮時には海の中になるのだろう黒く湿った地面の上に立つと、おもむろに素手でそれを掘り出した。


 掘ると、恐ろしいヘドロの悪臭が襲ってくる。

 掘った地面に、小指くらいの太さの穴が無数にあった。ルカはそれらの穴に、瓶に入った塩を振りかけていく。


 すると、穴という穴から何かが追い出されるように這い出てきて、ルカは子供のように目を輝かせた。

 這い出てきたのは、細長いミミズのような生物。胴体には無数の短い足のようなものがついていて、うねうねと身をよじらせている。


「イソメだ! やっぱりいた! イソメでしょう!? これ!」


「ああ、まだいたのか……そいつはな」


「イソメだよこれ!!」


 定番中の定番、釣り餌界のスタンダードオブスタンダードであるイソメに違いない。多少、知っているものとは色形が違うが。


 ルカはそれらを素早く穴から引き抜くと、ためらいなく指でぷちんと半分に千切った。千切られた箇所からは白い謎の体液が出てきて、しかもぬるぬるする。千切られたイソメは元気に体をくねらせてルカの指に絡みつく。ルカはそれに顔を近づけて臭いをかぐと、おっほぉ臭っせえと満足そうに呟いた。つんとしたパンチのきいた錆のような臭いと、圧倒的な生臭さ。これはやはりイソメに違いない。


 これだ、これなら釣りができる。あとは魚さえいれば。



 ベッドから起き上がると、台所にいた少女が声をかけてきた。


「ルカさん、おはようございます」


フランという名の少女だ。ルカよりも少し歳下だったが、十七歳のわりに大人びているというかしっかりしている。

五年前に海賊に拐われた少女なのだという。それが一年前に突然、村に返された。よほど酷い目に遭わされたのか、海賊の根城にいた頃の話をするのは断り続けているらしい。

だからなぜ村に帰ってこれたのかは誰も知らない。その海賊たちというのはよほどのロリコンなのか、大人びてきたこの少女は用済みとなったのだろう。

ルカはこの親のいない哀れな子の元に、昨日は泊めてもらったのだ。


「おはよう、フラン」


 ルカはフランがこっそり用意してくれた朝食に礼を言ってから食らいついた。ほとんど何も食べていなかったから。

 食事がすむと用意されていた着替えに身体を通す。全てフランの持ち物だった。麻のチェニックに、フランが小さいころ履いていたという短パン。スカートでは釣りがしにくいのでやむを得なかったのだが、サイズがちょうどよかったことは屈辱だった。それに第一東進丸にいたときから履いていたブーツという格好。髪を後ろで束ねて、釣竿を持つ。これで準備はオーケーだ。


「よし、じゃあ行ってくるね、フラン。色々ありがとう」


「本当に沖の海賊たちのところに行くんですか?」


「うん、沖には魚がたくさんいるんでしょう? フランは帰ってこれたんだから、きっと悪い海賊じゃないんだよ」


 そうとは言い切れないが、ここにいても食べるものがない。


「待ってルカさん、それに今日はーー」


 フランの呼び止めに手を振って応える。

 ルカはまるで釣りにでも出かけるような軽い足取りで、釣りに出かけた。


 港に放置されていた小舟を使って、沖の海賊島に向かった。波は穏やかだが、潮の流れがはっきりと見える。島に着いたら海賊たちに見つからないように、釣りを楽しむ。見つかりそうになったら舟で全力で逃げる。

 島の海岸に舟をつけたとき、すでにルカは陽に焼けた男たちに取り囲まれていた。そうして今こうやって、その頭目の前に引きずり出されたというわけだ。


 連れられた先は島の洞窟の中。水の音が聞こえる。


「頭領、こいつです。えらく生臭えチビの女です。子供のようにも見えますが、俺にはわかりますぜ。こいつ、まあまあの歳だ」


 そうだ、まあまあの歳だ。あくどい女。魚臭え。海賊たちが口々に言った。昨日はお風呂に入れなかった。


 頭領と呼ばれた男は顎に髭を生やした筋肉質の男だった。


「何しにきた」


 頭領は鋭い眼光でルカを睨み、短く言った。


「釣りに……」


 頭領はそれを聞いて大きくため息を吐くと、


「十五分だけだ、俺たちは忙しい。そうしたらすぐに帰れ、いいな」


 と言って背を向けた。


 無いよりマシだ。ルカは立ち上がると先ほど魚の跳ねる音がした方へ駆け寄った。

 洞窟内に浜辺がある。海底と繋がっているのだろう。魚はその海底から洞窟内にやってきている。


 ルカはウエストポーチから釣り糸と釣り針を取り出し、慣れた手つきで竿に結び付けていく。

 このウエストポーチはルカが釣りを始めたころ、父に買ってもらった品。どんな釣りの時でも必ず身につけているお守りのようなものだ。このポーチは不思議な物で、都合の良い物は大体入っているし、都合の悪い物は滅多に入っていない。

 ポーチから昨日獲ったイソメを取り出すと、延竿の先の針に付けた。今度はイソメを千切らず一本丸ごとだ。

 リールの付いていない延竿では遠くに餌を投げるのが難しい。だからルカは砂浜の横にある岩場の上から、ほぼ足元に仕掛けを落とした。ある程度の水深がある。

 落とした仕掛けを、ぐっと上へ持ち上げ、そしてまた底付近へと落とす。時折ちょいちょいと小刻みに揺らしたり、ピタッと止める。誘いである。

 その様子を海賊たちは無表情に見つめているが、気にはなるようだ。頭領もじっとルカの姿を見つめている。

 釣れない。魚が餌に食いつく”アタリ”が無い。何がダメだ? 餌、針、誘い、深さ、色々考えられる。

 ルカは竿を引き上げると、仕掛けを作り直す。針を大きな物へ変え、イソメを三本丸ごと”房がけ”にする。

 再び仕掛けを海へ落としたとき、竿の先がぐんっと大きく曲がった。

 ルカは間髪入れずに竿を大きう上へ振り上げ、”アワセ”を入れる。確かな手応え、獲物は針に深く食いついた。


「きたっ!!」


 やはりここにいたのは小物じゃ無い。この感触、おそらく五十センチはある獲物に違いない。

 ぞくぞくする快感がルカを襲う。けれど。


 ルカは気づいた。延竿、つまりリールのない竿でどうやって糸を巻く。この獲物をどうやって陸上に釣り上げる。

 強引に吊り上げようとすれば糸が切れるか竿が折れる。

 ああ、玉網(タモ)、玉網がいる。こいつを水面に浮かばせたらすくい上げる網がいる。


「た、た、玉網ぉ! 玉網ぉー!」


 ルカが悲鳴の様に叫ぶ。すると頭領が怒鳴り上げた。


「玉網はねぇ! ぶち抜けぇ!」


 ルカは竿を掴んだまま、岩場から浜辺の陸に向かって走り出した。このまま、波に合わせて釣り上げるしかない。


「おらあぁあああああ!!」


 ルカは雄叫びを上げ、獣のように犬歯を剥き出しにして、渾身の力でぶっこ抜く。

そして砂浜に打ち上げられたのは、五十センチはありそうな魚だった。

おおおっ、と海賊たちから歓声が上がる。

 ルカはその場でへたり込む様に座って、釣り上げた魚を眺める。

至福のとき。ルカの脳内に快楽物質がじゅわぁっと放出され、ラリらせる。幸福、快感、充実ああたまらない。


「気持ちいい……」


 ルカは快楽に白目を剥きかけたが、慌てて我に返った。

なんだろうこの魚、ブリに似ているけど、微妙に違う。でも私にはわかる。”こういうの”は絶対食べられる。

 なら刺身でまずは食いたい。ああ急がなきゃ。


 ルカはポーチからナイフを取り出すと、この魚の腹を裂こうとした。釣った魚は血を抜いて、内臓はすぐに取り出さないと最大限に美味しさを味わえないから。

しかしそれを制止したのは、頭領だった。


「お嬢ちゃん、その魚はだめだ。食えねえ」


 ルカは猛然と反発する。


「嘘でしょう! 騙そうたってそうはいかないわ。この形、この顔、この色。絶対美味しい魚なのは間違いない!」


「そうじゃねえんだ」


 そう言うと頭領はルカから乱暴に魚を取り上げた。

ルカは奇声を上げたがそれを気にする素振りもなく、頭領は魚をそのまま釣り上げた海へ放り投げた。


「あああ……」


 ルカの落胆の声が洞窟に響き、逃された魚は海へ戻ると、ぬらりと泳ぎ始めた。

そのときだった。

 水面に巨大な口が現れた。その口は大きな水しぶきを上げたかと思うと、逃された魚を瞬時に丸呑みにした。

 そしてその口の主が水面にゆっくりと顔を出し、こちらを見てきた。

 鯨。白くて綺麗で、二本の生えかけの角を持った、美しい姿の鯨。鯨は人懐っこい目を、こちらへ向けている。


 頭領はルカの方を振り返ると言った。


「あの魚はな、こいつの餌なんだ」


「この鯨は、海の主……?」


「あいつの子供さ。十五年前に冒険者共に狩られたあいつのな」


 頭領は苦々しげに言った。


「まだ大人には程遠い。が、ようやく自分で狩りができるようになった」


 白い鯨の子は頭領の背中をずっと見つめている。彼に懐いていることはひと目でわかる。


「この子を守っているの……?」


 頭領は自分へ人懐っこい目線を送る鯨の子を見つめた。その顔に優しさが見えたので、ルカはそれを少し意外に思った。


「海の主であった大鯨が死んだとき、この海も死んじまった。海の主を恐れて近づいてこなかった生物がやってきてもそれを追い払ってた奴がいなくなったんだ、当たり前さ。そうなることはわかりきってた」


 そう言うと彼はルカを睨み付ける。


「だから俺はこの場所で大鯨の子を見つけたとき、ほっとしたのさ。海が元の姿に戻るには、再び海の主が現れるしかない。沖に出る漁師共に恐れられる化物。そしてこの近海の生態系の頂点にして、守り神だ。だから俺たちはせめてこいつが一人で餌を獲れるようになるまで面倒を見ることに決めたんだ」


「あなた達は本当に海賊なの?」


 ルカが口にした疑問に、周囲の男達が顔を見せ合い、豪快に笑った。


「大方、あの村長にそう言われたんだろう?」


「えっ……」


 頭領、のように見える男はルカが手に持つ延竿を指差して言った。


「それは俺のだ。もうだいぶ昔に捨てちまったもんだけどな」


 ルカは延竿を見る。この竿はかつてこの村にいた漁師の物。海の主を討伐することに反対し、村を追放された人の……。


「つまり、あなたは」


 そう、この人はその漁師、確かその名はーー。


「なんだっけ」


「オルネルだ。まあいい。それで、もう気もすんだろう? さっさと村に戻れ」


 この人が漁師オルネル。たしかに言われてみれば熟練の漁師に見えなくもない。少なくとも海で生きている人間特有の雰囲気を、この人はまとっている。

 追放されてからずっとこの島で仲間の漁師達と共に生きていたのだとすると、海の主が討たれたときはまだ若かったに違いない。

 ただ、腑に落ちないことあある。ルカはそれを、咎めるような口調で尋ねた。


「ならどうしてあの子を、フランを拐っていったりなんかしたの? どうしてあの子にひどいことを。まだ十歳になったばかりの子に」


 このロリコン野郎。


 するとオルネルは吹き出す様に笑うと、言った。


「フランは俺の娘だ」


「は?」




 沖の海賊島を出て、ルカは”海賊船”の上にいる。


「つまりフランを攫ったんじゃなくて、ただ会いたかっただけ?」


 オルネルは少し気恥ずかしそうに口元を歪ませる。


「娘は追放の対象外だったからな。村長の野郎を脅して連れてこさせたんだよ。だがこんな男だらけの狭い島にいつまでもいさせるわけにはいけない。だからしばらくしたら村に返したんだよ」


「それで、今日が約束の日なのね」


「ああ、海が生き返る目処が立った日に迎えに行く。俺はそう約束したんだ。今日が、その日だ」


 フランが拐われた時の事を誰にも語らなかったのは、それが理由だったんだ。


 ”海賊船”ーーハーバー丸というらしいその船の船首から風景を見ると、あの寂れた漁村が見えてきた。


 その村の桟橋に大勢の人が集まっていたが、オルネル達の姿を見て一目散に逃げ出していく姿が見えた。

 そんな中、一人笑顔で手を振り返してくる少女がいた。フランだ。


 桟橋にハーバー丸が横付けされると、フランは村では見た事ないような笑みを浮かべてオルネルに抱きついた。

 そしてルカの方を見ると、嬉しそうに言った。


「ルカさん! あなたも一緒に」


「いやぁ、こんな漁村にいても食べる物ないし。毎日オヤシロ食べて生きるわけにもいかないし、フランを男だらけのところに一人でいさせるわけにもいかないし、ね」


 そう苦笑いするルカの表情を、オルネルはじっと見つめる。

 俺にはわかる、わかるぞ。お前の本性、その本音がな。

 船釣り、やりてえ。そう顔に書いてある。

 オルネルはルカの魂胆を正確に見抜いていた。


 イカリを引き上げ出航しようとした時、物陰から現れてオルネルを呼び止めた人物がいた。

 村長だった。


「……もう二度と、この村にはくるまいな」


 するとオルネルは笑って言った。


「喜べ、村長。海の主は蘇る。あんたが生きているうちには間に合わんだろうがな。だがその日がやってきた時、俺たちは過ちを償えるんだ」


「そう、か……」


 村長はどこかほっとしたような顔を浮かべた。ルカにはそれが、少し微笑ましく思えた。



 寂れた漁村を後にしたハーバー丸は、海原を行く。行き先は聞いたこともない国の港だそうだ。

 沖の海賊島を通り過ぎるとき、あの海の主の子が顔を見せた。その子供はついていく素振りを何度か見せたが、ついにゆっくりと海の奥深くへと姿を消した。

 オルネルはそれを満足そうに見て、言った。


「いずれあいつも俺を忘れる。そして獲物を狩り、邪魔する奴を容赦無く排除する”化物”になる。それで、いいんだ」


 ルカは白鯨が消えた海の波紋を見ながら、微笑んだ。そして太陽の眩しい光に目を細めながら、思った。

 ここは私がいた世界じゃない。馬鹿げた話だけどそれが現実。あの北極海で釣り逃した大物、”新種”のシロマグロのヒントは、おそらくこの世界にある。

 繋がっているのだ、きっと。あのオーロラと、この世界のどこかは。

 なら、それならーー。

 ルカは身体の奥底からこみ上げてくる衝動に身を委ねる。なんて気持ちの良い衝動。ほころぶ口元。

 釣って釣って釣りまくる。帰るのはそれから。ここは未知の魚に溢れたパラダイス。そしていつかきっとあの青い目のシロマグロをぶっこ抜いて、海鮮丼にして食ってやる。

 カマ焼きもいいな。


「はぁ……ロマンよ……」


 百九里流花は、そうやって目の前に広がる異世界をとろける様な顔で見つめている。


おわり



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釣りガールと異世界のマグロ 安川某 @hakubishin

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