ウィークポイント(完全版)

カツオシD

ウィークポイント(完全版)

 大阪淀屋橋近くに直営店を構える御桂(おかつら)屋、は老舗の鬘(かつら)会社だ。

 明治四年に断髪令が出た時、当時染物屋をしていたご先祖さんが「これは商売になる」と思い立ち、開業した。


 以来149年間、地元で薄毛に悩む旦那衆から「おけーはん(さん)」と親しまれ、近年では年配の婦人向けウィッグを中心に営業を続けて来た。

ただ最近はア◯ランスやア―◯ネー◯ャーといった大手に押され、倒産の危機にある。


 コスプレ用のウィッグに軸足を移そうかと考えたこともあるが、先発メーカーも多く、何より趣味の物は極めて安価なため、少数のロットでは採算が取れない。

 これはもう、俺の代で(といっても婿養子だが)廃業かと腹をくくっていたら大学時代に同じ落研にいた櫻井が良い話を持って来てくれた。


 彼は俺と違って学業だけは優秀で、大学に残りヘッドギアによるパソコン入力法を研究していたのだが、高性能な薄型センサーを開発したとかで、これをウィッグに埋め込めないかと相談してきたのだ。


 例えば現在だと、手が不自由で、さらに話すことも出来ない人はパソコン入力を目で行っている。センサー・カメラがその人の視線を追い、五十音のどこを見ているのか、あるいはイエスかノーかといった感情を読み取る方法だ。


 しかしこのやり方では時間がかかり本人や補佐している介護者にもストレスがかかる。そこで櫻井は頭の中に思い描いた言葉を脳波で拾い出し、それを直接読み取って表示する研究をしていたのだ。


 櫻井から聞いた範囲で仕組みを要約すると、予めサーバーにデーター化した小説を入力しておき、被験者に対象小説を一度声に出して読んでもらった上で、今度は逐一目で追いながら頭の中で黙読してもらうという。


 その際、頭表上電極に現れる脳波を記録し、独特のアルゴリズムで単語と照合する事で頭に浮かんだ言葉が何なのか判断してディスプレイに表示するという仕組みらしい。確かにこれならば障害を持った人でも、容易に他の人とコミュニケーションを取ることができよう。 


 もちろん使用する小説にも著作権があって、勝手には使えないはずだが、それも櫻井はクリアーしていた。なんでも居酒屋で知り合ったカツオシという市井(しせい)の物書きが、吉◯家の株主優待券・一冊(3千円相当)を謝礼とすることで「不条理な弱点」とかいうショートショートの単行本を自由に使ってもいいと、快く承諾してくれたのだとか。


 実際に櫻井からその小説を手渡され、読んでみた処、極めてくだらない小説だったが、一応内容は理解できた。どうせなら誰もが知っていて著作権切れの古典の方が良いような気がしたのだが、桜井曰く、それまで誰一人として読んだこともないような、無名の小説の方が適しているらしい。


 櫻井はこの小説を数十人の学生アルバイトに読んでもらい、個人差を記録。現在は大学の実験室の装置ではあるが、学生の脳内に浮かんだ単語を、モニターに文字として映し出すところまで成功しているという。


「でな、将来は装置をさらに小型化しフレキシブルペーパーコンピューターに組み込んだ上で、そのセンサー部分を、お前の会社で製造しているウィッグに貼り付けられへんかと考えてるんや」と打ち明けてくれた。


 誠にありがたい誘いだが、一つ懸念があった。

「けど、こんなええ話をなんで大手に頼まんと、ウチに持ってきてくれたんや? なにか魂胆があるんと違うか?」

 俺は学生時代、櫻井の方から飲みに誘いながら、いざ支払いの段になって「スマンが、今日は持ち合わせがあらへんね」と開き直ったので呆れた経験がある。櫻井という男は、友情のために一肌脱ぐような義侠心は、端(はな)から持ち合わせていない人物なのだ。


 そう突っ込まれると、やつは渋々本音を語った。特殊な医療用の場合、需要が限られているため、国からの補助でもない限り大手に頼んでも断られるのだという。

 それは単に櫻井の信用が無いせいではないかと思ったが、いずれにしても大手が採算を取れないと判断したものは、ウチでも当然赤字になる。単に、販売されているウイッグにセンサーを取り付けるだけと思うなかれ、0.1ミリ単位で個人差がある脳のポイントにしっかりセンサーを固着させるというのは至難の業なのだ。


 しかしこの機会を逃せば廃業は目に見えている。ならば一か八か、会社の存続をかけて櫻井の話に乗ってみてもよかろう。しかも、うまくいけばこれは特殊な医療用どころか、将来、世界のパソコン事情を根底から覆す、革命的な商品になるかもしれない。


 例えば櫻井のセンサーが付いたウィッグを、眼鏡やコンタクトレンズに組み込んだ小型モニターと連動させることができれば、人は歩きスマホから開放される。

 立ち止まってスマホに文字入力しなくても、思うだけで瞬時に必要な情報を得られるし、外国人と話す場合でも、通訳機を翳(かざ)すことなく、そのままコミニュケーションを取れる。


 もし開発に成功することができれば、御桂屋はパナ◯ニックやダイ◯ンと並ぶような大阪発の世界的な大企業になれるだろう。

そのためには妻の幸恵を含む全社員8名を説得しなければならない!


 妻はともかく、何故株主でもない社員まで説得しなければならないのか? と思われるかも知れないが、社員の中には俺がここに来る以前から働いていた者もいるし中には爺さんの代から三代続けて働いていた者までいる。御桂屋は上場していないのでその株は社員とその関係者が全株を保有している。つまり彼らは全員が株主だ。そのため新参者の俺が一存で重要な決定をすることはできないのだ。


 案の定……、


「何寝ぼけたことを言うてんや。あんたは人がええから騙されてるだけや! そんなアホな話に何万円もの開発費をかけられますかいな。えっ、違う? 騙されてるんでなかったら、どうせその何たらいう友達と会議や勉強会やとか言うて飲みに行きたいだけですやろ」

 と幸恵に反対された。


 だいたいこのウィッグの開発には安く見積もっても億単位の金がかかる。

 それを既存の技術を利用することで、自宅を担保に1千万位でやるからと説得しようとしていたのに数万円すら出さないというのでは話にならない。


 そこで俺はここ数年やったこともなかった土下座をして幸恵に嘆願。自宅を担保にする危ない賭けは止めて、経費を切り詰めることで開発費を捻出するということで納得してもらった。また、社員にはマイクロソフトが上場した時、掃除婦として雇われていたオバサンまで未公開株を手にしたことで億という大金を得たという伝説を語って説得した。


 社員としても、どうせ御桂屋は近々廃業とあきらめていたようで「社長がそこまで言うなら、やってみましょう」と乗り気になってくれたのだ。


 元々資金に乏しい中、さらに切り詰めるのは大変で、社員全員協力の下、予定していた社屋のリフォームを延期し、工房のクーラー取り換え工事も断念したことで、妻からは「毎日サウナに入ってるからダイエットせんでええわ」と悪態をつかれ、社員旅行も台湾から城崎に変える等、涙ぐましい努力で開発資金総額413万円を捻出した。


 さらに既製品の老婦人向けウィッグの開発を後回しにしたことで、取引先から「売れてまへんで! はよ、新製品出しなはれ」と嫌味を言われても、耐え忍んだ。

 こうして十ヶ月後、櫻井の大学から派遣されていた院生2名と、こちらの職人3名から編成されたプロジェクトチームは、ようやくベーター版(市場に出す前に試用する製品)の完成にこぎつけた。




 試作品ができたという連絡を受けて大学から駆けつけて来た櫻井が見守る中、俺は事務所の椅子に腰を下ろし「不条理な弱点」のプロローグ「静寂の中で」をまず一度音読して音と脳波を照合させた後で今度は黙読し始めた。


 すると、少し離れた場所にいた櫻井のタブレットと、それまで実験に使っていた幸恵のスマホに同時に「空を覆い尽くすほど密生した巨大な針葉樹の森の中で、僅かばかり開いた泉の畔にその家はあった」という、小説冒頭部分の文字が表示されたのだ。

 仮名・テレパシーウィッグの開発は大成功だった。


 これには、今回の開発に渋い顔をしていた幸恵も「もしかしたら、これは逆転の発想で、売れるかもしれんなあ……」とまで言い出した。


 彼女の読みでは、男の人は薄毛に悩んでいてもウィッグをつけると、周りから笑われるのではと思って、あまり美容器具に手を出さない。わざと坊主頭にして自分は髪の毛など全く気にしないという態度を装うものだ。しかし脳波でパソコンを操るのに必要不可欠だからという、自他共に納得できる理由があれば、堂々と御桂屋の製品を身につけてくれるかもしれない。

 しかも、一般のウィッグと違って付加価値が高い分、割高なので御桂屋は相当な利益を上げられるに違いないと言うのだ。


 ここまで来れば製品化も間近。まずは医療用。そして一般向けに大量生産にかかるのみ。櫻井も大喜びで、今日は久しぶりに二人で飲もうと誘ってきた。

 勿論、櫻井が飲み代を払わないことは百も承知だが、今日ばかりは俺も、やつの誘いに乗ることにした。今までずっと倹約していたのだ。少しだけ羽目を外しても良かろうと、安キャバレーと、行きつけのスナック・美智代を梯子した。


「あれ久しぶり。しばらく見えへん間に、ちょっと若なりはったんと違う?」

 スナックに入るなり、ママの美智代がそう言った。実は櫻井も俺も試用品のウィッグを付けたままだったので、5歳位は若く見えたようなのだ。

 中年男がこのウィッグを着用した場合、女性からどう見られるか?

 これも非常に重要な開発テーマだった。


 俺は実験の成功に加えて、見栄えについてもクリアーできたことがうれしくて、当初は幸恵に「10時頃には帰る」と言っていたのが、櫻井との間で、これからの雄大な計画について大いに盛り上がり、社屋から少し離れた場所にある自宅に帰ったのは夜中の2時を過ぎていた。(ちなみに櫻井は今日も酒代を俺に奢らせた)



 予想通り、パジャマ姿で起きてきた幸恵の機嫌は悪かった。しかし俺は泰然とネクタイを解きながら、これも仕事のうちで大衆酒場の女店員にも違和感なく見られたと話した。


 それにしても、この商品の開発のために1年近く酒も飲まんとがんばってきたんや。せやのに何でこんな言い訳をくどくどせにゃあかんねん。さっきのキャバレーの若い子のみたいに抱きついて、ほっぺにチューせえとは言わんわい。幸恵なんかにそんなんされたら気色悪いだけやからな。けど、せめてスナック美智代のママさんみたいに、帰ったらオシボリの一つくらい出してくれたらええのに。だいたいそんな仏頂面してるから、飲みに行きたなるんやないか。


 そう思いながら、俺はハッとした。

 ウィッグを頭に付けたままだったのだ。

 妻はじっと手元のスマホを見ていた。


「いやあ、これ便利やねえ。あんた、そんなこと思うてはったんかいな」

 マズイ! 思うたことが全部モニターに出てくるんかいな……、こらあ、少し制御せなあかん。せやないとトラブルの原因になってまう。けどこの場は、とにかくなんか繕わんとあかん!


 と、思って……、 


 なるほど。ウィッグだけにウィックポイントがあった……、なんちゃって と落研時代を思い出してシャレを頭に描いてみたが、妻はモニターに現れた文字に「フンッ」と反応しただけで、その目は全然笑っていなかった。


       

             ( おしまい )

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