真夏のSNOW

第3話 心 〜真夏のSNOW〜

いつもそうだった。

 麻衣は待ち合わせ時間にいつも来ない恋人の清二に対して苦虫を潰したように額の皺を刻み込んだ。

 付き合い始めてもう二年。お互いそろそろ結婚適齢期と呼ばれる年頃でもある。始めの頃は毎日逢っても時間が足りないくらいだったが、今は週一でも逢うのが難しい。

 田舎の広島から大阪に出てきて、サラリーマンである清二に出会った。

 清二は和歌山生まれだが小さい頃に大阪に越してきたので殆ど大阪人といって差し支えない。その清二は二十五歳だが社会人一年生。つまり就職したてで、まだ仕事の前も後ろもわかってはいない。毎日、量産的に繰り出される見た事も聞いた事もない出来事に折り合いをつけ、他のパイプラインに口を聞くといった工場営業職であった。

 毎日が残業で、毎日が苦行の連続だった。

 楽しくはない。

 生きる為。

 そして自分が社会で生きているという実感が欲しかっただけだった。

 だから………

 その事によって波及する個人的な事柄は、全て日頃の仕事によるストレスから発生している。つまり極限まで張り詰めていた緊張は、プライベートでは伸びきったバネの如くダルダルになりきってしまっているのだ。

 仕事が終わった瞬間に清二は文字通り解放されるのだ。一人暮しの帰路は決まってローソンで発泡酒と週刊誌を買うのが日課だった。

 それを帰ってテレビを見ながら弱い酒をあおり深い眠りにつき、心ならずも明日の仕事を迎えるという不毛のローテーションに身を沈めているのだ。

 言い訳するわけではないが、麻衣と付き合うには体力が要る。いや、別にイヤらしい意味ではない。人付き合いには力が必要だ。その力の名は家族であったり愛であったり仕事であったり金であったり権力であったりだ。

 清二ははっきり言って疲れていた。

 この先の見えない社会という枠にはめ込まれた生存競争に絶望しか感じ取れないで居た。

 そしてそれは、自分だけではなく社会全体がそう感じているのではないか。

 果たしてこのまま生きていていいものか?

 漠然とした不安を抱えていたのだ。

 甘えているだけという事も分かっていた。

 ただ、

 束縛される時間が自分自身の存在意義を消し去ろうともがいていたのであった。

 多かれ少なかれ、それは誰でもそうだ。

 口には出さないだけだ。

 そんな忙殺される毎日から逢える時間も限定される。それが辛くもあるがこれが普通なんだろうとも思える。

 麻衣はもう一度時計を見てみる。約束時間よりも二分過ぎただけだ。

 太い息を一つ吐き出す。

 昔はこうではなかった。少しくらい遅れてきても自分も今来たばかり、などとおどけていたではないか。自分は何時の間に少しのズレも許せないセコイ人間になってしまったのだろうか?

 堕胎された自己嫌悪が頭の中で渦を巻く。

 しかし……………

 雪が降ってきた。

 だが季節は夏。

 半袖どころか水着並の格好で闊歩する女も居るほどの猛暑であった。

 麻衣は無意識に手を伸ばし雪をつかもうとしていた。

 柔らかく開いた五指が空中に触れる。

 しかしその雪が素肌の熱で溶ける事はなかった。

 空に向けられた視線が自然に頭上の歩道橋にかかった。

 するとそこには清二が立っていた。

「清二……………?」

 清二は手に持った〔空ペンシル〕で小さな雪を黙々と書いていた。その空から無数の雪があぶくのように生まれていた。そしてそこで初めて麻衣の視線に気付くと照れ臭そうに頭を掻いた。

 麻衣も思わず笑ってしまう。

 簡単な事だった。

 とにかく笑えればいいのだ。

 それだけで幸せなのだ。

 その笑顔につられ清二も笑った。

 そして、



THE END

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石田1967 @linxs1967

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