第21話


「大使…」、と言ったきり、チュージョCIA長官は口を閉ざしてしまいました。

 ラングレーと呼ばれるCIAの本拠地ビルの最上階にある長官室。そこに隣接した応接間の窓からは広い森とポトマック川が見えました。壁には19世紀の画家による南北戦争の北軍の将軍ユリシーズ・グラントの肖像画がかけられています。その肖像画の下に置かれたソファーに、チュージョCIA長官がかけていました。彼の目の前には、初老の日本の駐米大使と、その右腕と呼ばれる高級外交官が着座しています。

「……それは、本当ですか?」

「いかにも」

 と、答えた祖父江大使が渡したのは、A4サイズに拡大プリントされた一枚のカラー写真です。「これはそこから得られた写真です」

 そう言って大使が示したものは、イスラミック・ステートのリーダーと目される人物、バグデリーダ・イブン・サウードのようでした。左右に顔つきがそっくりなふたりの老人を従え、アラブ様式とは異なる意匠のテーブルについて、何かの料理を食べています。天井に近い位置から隠れて撮影されたようで、画面の一部には影になった柱や梁が写っていました。

「これは…どこなのですか?」チュージョ長官が尋ねます。

「シリア、ラッカのある店、と申しましょう」相手の目をまっすぐ見て、祖父江大使は答えます。

「店名は?」

 そう尋ねられた祖父江は、居住まいを正しました。

「それを答える前に、長官。私からも質問をよろしいでしょうか?」

 その言葉に、チュージョ長官の脇に控えていたアルベルト中東課長の顔が引き締まります。

「例の我が国のビジネスマンの人質奪還の件。あれは、その後どうなりましたでしょうか? 我が国は貴機関に対して経済的支援を行っています。我が国は本件に関し、あなたから進捗の報告を伺える立場にあると思います。ご存知かとは思いますが、我が同胞が彼らに突きつけられた残り時間は、あと5日しかないのです」

 祖父江の隣に座っている矢作は、大使がずいぶん大胆な物言いをするな、と思いました。普段でしたらこの人物は、もう少し外交辞令を加味した、奥歯にものの挟まった言い方をするものです。が、今日は単刀直入に、いきなり勝負カードを切りました。

「そうでしたね。大使、お詫びを申し上げます」チュージョ長官はそう言って、隣に座るアルベルト課長を見やりました。その合図にアルベルトはうなずいて、パソコンを開きます。二、三のキーをタイプすると、部屋の横にかけられた薄型の液晶テレビに映像が映し出されました。


 それはこの物語ではお馴染みの、アレックスこと“ベッカム”の暮らす、シリアの岩山にある捕虜収容所を真上から撮影した映像でした。おそらくスパイ機のビデオ映像なのでしょう。カメラの視点はゆっくり動いており、誰もが言葉を飲み込んだ瞬間、その庭にばらばらと人が現れてくるのが見えました。6人の、オレンジ色のツナギを着た人物たちと、暗い服を着た4人の人物。オレンジ色達はゆっくり体操をしたり、その場で寝転がったりしています。髪の色は黒(頭頂部に禿げが目立ちました)や茶色、金色など様々でした。

「これは、私の想像するものと同じですかね?」祖父江が口を開きました。

「デジタル技術の脅威ってやつですな。…分かりますか?」チュージョが答えます。

「あまり詳しくはありませんが」

「我々は3日前にこの場所を特定しました。そしてこの映像は2日前に撮影されたものです。これまでのベストショットですな。

 オレンジ色のツナギが、各国の人質。暗い服の連中がそれを警備する兵隊、というところでしょうな」

「すると、あの禿頭の黒髪が?」

「ええ、我々もそう踏んでいます。彼が、貴国の人質、でしょう」

 祖父江大使は口をつぐみました。

 この連中はここまで掴んでいた。それでもまだ行動を起こさず、自分たちに連絡すらしていなかったのだ。百戦錬磨のポーカーフェイスには、そんな感情は全く浮かんでいませんでした。しかし彼の“番頭”である矢作には、上司が烈火のごとく立腹していることが手に取るように分かりました。

「…救出作戦はいつ?」

 祖父江大使が尋ねます。

 その言葉に、チュージョ長官は微笑を返した。

「それは当国の軍事作戦の機密事項です。が、もちろん期日は承知しています。ご安心ください」

「チュージョ長官。あなたにはご理解いただけないかもしれませんが、これは我が国の政府にとっては高度に政治的な問題なのです。我が国ではこの件で国内を二分するような混乱が生じています。残念ながら我々はこれを自力解決できるような力を持ち合わせていない。よって貴国の実行力にお頼り申し上げる他ないのは情けない限りです。その代わり我々は我々にできる形での協力は惜しまなかったつもりです。どうか長官、これが我々にとっていま、最重要な課題であることをご理解ください。そして1日も早い解決に、どうかお力添えください」


「お言葉ですが大使、」と黙って事の成り行きを黙って見ていたアルベルト課長が口を挟みました。「あなたは我々がただ手をこまねいて見ているだけなのだと誤解されているようだ。だが我々は現地の部隊を動かすことになる。敵の思いもよらない方法で、圧倒的制圧を目論んではいます。が、そのために現地部隊はいま、突入訓練を重ねています。それこそ目をつぶってでもこの建物の内部を歩けるくらいまでね。同時に天気を読み、現地の通信、流通、人員、あらゆる情報を収集して、我が方に被害の出ぬよう細心の注意を払っている。その点に誤解があるなら、解いておいていただきたい」

 なるほど、と矢作は思うのです。彼らの言葉に嘘がないなら、彼らがこの施設をどうにか発見して3日のうちに必死にスタンバイをしたのです。残されたタイムリミットまでに彼らは確実に“仕事”をやってのけるでしょう。ここは彼らのモチベーションを上げるためにも、こちらの切り札を見せるタイミングでした。

 彼は上司に目配せします。祖父江はその矢作に対してうなずいてみせました。攻守交代の合図です。国家同士のシビアな交渉の場で、彼ら二人はこうして何度も、攻め手と受け手を入れ替わりながら、その場の最善手を打ってきたのです。


 矢作が口を開きます。

「長官、それにアルベルト課長。貴国の状況しかと承知いたしました。我が国のために最善を尽くしておられることも理解いたしました。

 では我々からのせめてものプレゼントです。

 この写真はラッカの『毛大飯店』なるチャイニーズレストランで撮影されたものです。ここでは申し上げられない手段で、我々はこの店の内部に資産アセットを持っています。そしてそのアセットからの報告では、彼の国のカリフが時折この店の奥の間で会議をしていることを突き止めました。

 我が国は貴国に対し、その店にバグデリーダが入ったタイミングで即時報告をする用意があります」

「なんと……」チュージョ長官は唸りました。国際諜報インテリジェンス業界では長く『盲目』だと言われてきた日本ですが、10年に一度ほど、こんな満塁ホームランを打つことがあります。1979年のイラン・アメリカ大使館襲撃事件、1984年のユーリー・アンドロポフソ連共産党書記長の死去。いずれもその事件の成否を動かす一報は、この極東の島国からもたらされたのでした。今回の情報はそれに匹敵するほどのインパクトを持つだろうと思われました。

「祖父江大使、そして矢作さん。彼は我々が何年も追い続けても尻尾を捕まえることが出来なかった人物です。この無益な戦争に終止符を打つためにも、その情報は限りなく有益です。

 分かりました。では我々は貴国に対し、今回の人質収容所奪還作戦の状況を逐次報告するようにしましょう。本作戦は天候の様子を見て、ここ2、3日の間に決行される予定です。もちろん外部への公開は一切控えていただきます。ご承知いただけますか?」

 両手の指を組んだチュージョ長官は、日本人達が満足する対価を約束しました。

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