第17話


 いつもなら、番組タイトルコールの前に『ツカミ』と呼ばれるオープニング・ニュースのダイジェスト映像が45秒流れ、その後軽快なオープニング映像が続きます。でも今朝の番組は神妙な面持ちの羽鳥とレギュラーメンバーがカメラ前に整列した挨拶から始まりました。


「みなさん、おはようございます」の第一声のあと、番組名を名乗りました。そして羽鳥は、タリーランプと呼ばれる現在放送中を示す赤いランプのついた正面カメラのレンズを見据えて喋ります。その向こうにいる、全国何千万人かの視聴者の目を見て。


「今日はIS国の日本人人質事件に関して、大きくふたつのニュースが入ってきました。非常に深刻な内容で、本来この番組で扱うべきか否かという議論もありましたが、一方は私自身が当事者として関わってしまったことで、他の番組でなくまずはここで放送させていただくことが筋ではないかと判断し、今に至っております。

 なお、この放送に関して政府を始めとした関係各所に様々なご示唆、ご助言をいただきましたことを予めお断りいたします。ただしこれは、我々報道機関がいわゆる『忖度』を行ったということではなく、あくまで人質となっている吉村耕三さんの生命の安全を第一とする為、最善を考慮した末の対応であることを、視聴者の皆様にもご理解いただければと思います。

 前置きが長くなりましたが、では今日のふたつのニュースについて、お知らせします。

 ひとつめは、『IS国広報担当者への私、羽鳥の直撃インタビュー』。そしてもうひとつは、前回犠牲者となられた佐藤芳雄さんご子息の、ネットに発表された手記について、です」


 在京民放テレビ局の幹部から菅官房長官のもとに連絡が来たのが昨日の夕方のことでした。

 その内容は驚くべきことに、官房長官も知っている有名TV司会者が、IS国の広報担当者から直接インタビューを申し入れられ、国外で既に収録が完了している、とのこと。しかも彼らの側から内容に関して干渉はないが、即刻放送しなけば人質に危害を加える、との条件付きだというではないですか。

 もはや政府にはそれに対してモノを言う段階は過ぎていました。『身代金を払わなければ、別の組織に人質を売却する』というインタビュー内容をとりまとめ放送を行う、と局は言ってきました。総理を攻撃する言葉は編集上カットする、と言ってきたので、菅は腹に据えかねました。そんな放送を流したら、総理と政府の面子は丸つぶれだし、逆にいま何か言おうものならそれは後から揚げ足取りの材料となり、政府による報道規制の証拠として攻撃にされるに決まっているのです。

 好きにすればいい、とぶっきらぼうに菅はメールを返しました。対策委員会には後で何とでも言い訳できます。そして彼は、いつもの熱い川根茶をゆっくりすすりました。レモンイエローの香り高い美しいお茶が心を鎮めてゆきます。

 これでまた、明らかに国内のムードは変わる。官房長官はそう思うのです。どんなに中立を装っても、メディアは彼らの広告塔になってしまいます。当代一の人気者の口から人質の苦境を伝えられれば、『身代金支払いも止むなし』は世論のムードとなるでしょう。事実菅は支払いに同意したものの、それはあくまで水面下の話。コトが表沙汰になってしまっては、日本はすぐにも身代金を払う軟弱国家というレッテルを貼られ、第二第三の誘拐事件を誘発してしまう可能性が高まるのです。

 けれども一方で、ネット世代を中心に一晩で巻き起こった『戦争論』。言うまでもなくそれは、あの斜視の少年が引き起こしたムーブメントです。そしてそれは、菅自身がかつて総理に諫言かんげんした言葉そのものでもありました。


 状況を『戦争』に見立てるならあらゆる平時の論理は基盤を失う。そう。戦時下ならば、平和時の理屈は通用しないのです。でも、菅が総理に言った意味での『戦争』はそうではありません。平和な日常をベースとながらも、最前線の惨事と痛みを脇腹に抱えつつ判断せよ、という意味なのです。総理がそれを戒めたのも、その言葉の持つ重みと狂気を嫌ったからであり、いままさにネット世代が口にしているのも、その言葉の荒ぶる一面のみを拡大解釈して狂乱しているようにしか見えないのでした。先日までの自己責任論は一気に鎮火し、いまはイスラミック・ステートへの攻撃一辺倒の主張が大勢を占めています。しかしこの国には他国に攻め入る戦略などありはしません。だからいきり立つ人々は米国の力をあてにするのです。しかし米国は身代金の支払いには反対し、かつまだ具体的に日本を支援する軍事行動の様子は見せていません。

 国の舵取りはますます複雑になるな、と官房長官は思いました。見え隠れする米国の指図と、なによりも安定を望む総理大臣。そして、必ず無事に救い出さなければならないあの人質。

 これは最早自分ひとりでコントロールできる範囲を超えてしまっているな、と彼は思うのです。時に官邸にいると、全能感に捕らわれて物事の実相を見失うことがあります。しかし、バランス感覚に優れた菅は、自らの力量の限界さえ、正確に把握していたのです。

 胸の中で彼は、リストを作りました。

 頼りになるのは、駐米大使の祖父江と、、そして自分の上司である安倍総理。腹の底では意見を相入れないことは多いものの、この混沌カオスそのものの永田町のなかで、未だに大志を抱き、その実現に邁進する夢想力は、自分に決定的に足りないものだ、と思うのです。そのポジティブさは国民に希望を与えるために必要不可欠なのだ、と彼は思います。リアリストでペシミストである自分とふたりでこの国が道を誤らぬよう、慎重に舵を切らねばならないな、と彼は心の中でひとりごちました。


「予定より一日早いわね。それもメールで伝えられないって、どういうこと?」

 グローバル・ビジュアル・アナリシス社の会議室に呼び出された、CIAの分析官、キャサリン・ターナーが言いました。

「よせよキャシー。彼らは君の無茶なオーダーを何日も残業してこなしてくれたんだぜ。まずはそいつに報いることから始めるのが礼儀ってもんだ」パートナーのマーカスが彼女をなだめます。

「ギャラはきちんと払うわ」そして彼女は人差し指でテーブルをトンと叩いて続けました。「それに120%のボーナスをつける。それがあたしができる精一杯の謝礼よ」

 そんなもの、課長に交渉さえしてないのに、よく約束するよと腹のなかで思いながら、この女ならそれくらいの金額は容易くもぎ取るだろうとマーカスは思ったのでした。

「じゃ、そのボーナスでウチの現場担当の若い奴に最高のシーフードとガッチリ冷えたビールを奢ってやりますよ」と、シニア・エンジニアのジョナサンは答えました。

 じゃ、さっそく報告に移りましょう、と言ってジョナサンは自分のPCを会議室の大型モニターに接続しました。そこには宇宙空間をゆっくりと回転する地球の映像が映っています。ジョナサンがPC側の操作ボタンをクリックすると、地球が急に回転速度をあげ、中東付近で回転を止めると、途中の砂漠地帯にどんどん近づいてゆきました。

「場所が直感的に分かりやすいように、Google Earthに割り出した箇所をマッピングしてます」

 視点は砂漠地帯のなかの、岩山のある地点をクローズアップしてゆきます。黒く見えるのは灌木などの粗末な草木でしょう。あとは吹きっさらしの乾いた黄土色の大地が、様々なグラデーションで広がっています。その草木もまびらな岩山に赤やピンクなどの点が見えてきました。視点がさらに地面に近づくと、それはカラフルな家々の屋根らしきものであることがわかってきます。そしてその視点は、ある一軒のオレンジ色の屋根の家で止まりました。

 その家はオレンジ色の屋根に母屋と同じ広さの庭を持っていました。庭の端は壁で仕切られています。彼らには知るよしもありませんでしたが、これがこの物語の一番最初に登場した、あの商人の屋敷なのです。


「まずはこれが一つ目の候補」

 とジョナサンが言いました。「そして、」といって彼がパソコンを操作すると、画面はまた航空機レベルの高度に戻り、改めて別の地面に接近します。今度も岩山のなかにある小さな村でした。いくつかのあばら屋と、ヤギか何かの家畜の背中があちらこちらに見えます。そしてほんの数軒だけある、パステル調の屋根を持った家々。その中の一軒。屋根の色はピンクで、砂の庭と一部下草が生えて、四方を壁に覆われています。そして家の外にはライフルを持った少年の姿が見えました。

 同じようにあと二軒の家を、ジョナサンはCIAの分析官に見せます。


 「つまりは、どれがビンゴか分からない、と?」皮肉げにキャサリンが感想を述べました。

「あなた方は衛星写真とコンピュータを信じすぎています。我々は業界でもトップの才能タレントと、同じくらい高性能のプログラムを揃えています。でも、所詮衛星写真で分かる事はこの程度なのです。むしろ、ここから先はあなた達、スパイ・マスターの仕事では?」

 ジョナサンの答えにキャサリンが食ってかかろうとするのを、マーカスが制します。

「確かに。それはあんたの言う通りだ。これだけの情報が揃えば俺たちの方で絞り込みはなんとかなる。あんた達が請求書を書いてる間に、ウチの会社カンパニーのジェームズ・ボンド達が、あっという間に本物のビンゴを見つけ出すさ」マーカスはジョナサンにウィンクすると、さっさと帰る支度をしました。


 CIAには現在、こんな世界の僻地で活動する工作員などほとんど擁していません。マーカスの言ったことは、丸っきりのブラフでした。しかし彼らはそれから24時間後には、『ビンゴ』を引き当ててしまうのでした。

 それは人間の手ヒューマン・リソースではなく、電子の目と電子の耳によってなされた作戦です。むしろキャサリンとマーカスにとっては、そのハイ・テクノロジーを駆使することより、上司と省内にその必要性を説き、納得させ、貴重なそのデジタル・リソースを利用させてもらうことの方がはるかに高い壁だったのですが。


 彼らはまず、電子の目を使いました。ジョナサンからもらった四軒の家屋の位置情報をもとに、シリア上空を周回する偵察衛星の定期モニターを開始しました。この地域には6時間ごとに一日4回の上空監視が可能となります。ふたりは省内のリアルタイム衛星モニタールームに詰め、四つの候補の家屋の生映像を食い入るように見つめました。雲がかかって視界が遮られるときには、高度なデジタル・フィルターによって可視化された温感映像で、当該家屋の人や家畜の動きを監視し続けました。

 その結果、最初の周回でひとつ目が、三度目の周回で二つ目が除外され、最後の集会で決定打を見つけたのです。そこには何人かのオレンジ色のつなぎを着た男たちが、銃を持った男達に監視されながら、庭でくつろぐ姿が映し出されていたのです。

「マーカス」モニターから目を離さず、キャサリンが言いました。

「分かってる。こいつは間違いようがないな。君の恫喝とインセンティブは正しく機能したみたいじゃないか」と、マーカスは答えました。

 その後、『電子の耳』を稼働させるに至って生まれるいざこざは、またのちほど。

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