第15話


 安倍首相、IS国を「決して許さず」

 時事通信 201*年4月16日

 IS国による日本人会員の拉致・身代金映像について安倍晋三首相が会見。

『IS国の非道は到底許すことができない』と断罪。『日本国としては、このような非人道的行為に対し、いかなる交渉も行なわない』、と語った。一方で人質として捕らえられている日本精機工業社員、吉村耕三さんについては、『関係各国と協力の上、無事な帰国のために最善を尽くす。二度と犠牲者を出してはならない』と強く語った。



 無慈悲な語り部@sa… 午後7時04分 201*年4月16日

 身代金55億はいささか法外。総理の気持ちもわかる。これは仕方ない案件では? 見捨てても良いという人は、「いいね」を


 ヤマユリ@fh… 午後7時05分 201*年4月16日

 このオッさんは何故シリアになんかいたの? 拉致られることを想定しなかったの?


 白詐欺@yj… 午後7時05分 201*年4月16日

 仕事で行ってたんでしょ? 前の謎の億万長者の自称ジャーナリストとは訳が違う


 猿島猿助@jq… 午後7時05分 201*年4月16日

 つか、この会社には危機意識ないわけ? 何故こんな危険地帯に社員を派遣する? 身代金は会社負担でいいのでは?


 わいもば@nr… 午後7時05分 201*年4月16日

 55億w 会社負担w


 ルルルーリ@on… 午後7時05分 201*年4月16日

 Wikipediaによると、日本精機工業の年商は150億とのこと。一人の社員のトラブルで、年商の三割損失は、株主的にNG


 ミルナノ@gj… 午後7時05分 201*年4月16日

 ふつう保険入るっしょ。危険地帯に行くんだから


 俊介@ni… 午後7時05分 201*年4月16日

 じゃ、会社も負担なしじゃん。制裁なしってことでいいの? 腑に落ちんな


 正論兄弟@xr… 午後7時05分 201*年4月16日

 制裁すべきはテロ国家。彼も会社も悪くない。


 俊介@ff… 午後7時05分 201*年4月16日

 でもこいつあの映像の中で一言も謝罪がないね。いくら仕事上のトラブルとはいえ、ここまでの騒ぎになるなら、詫びの一言でもあってよくね?


 ソースしょ@jk… 午後7時05分 201*年4月16日

 仕事だから自分に非はなく、よって政府が救命するのは当然、という考え方


 ニセコ大使@md… 午後7時05分 201*年4月16日

 昭和世代ってこれだからな…。自己責任という概念がないのかもな


 直言男子@cj… 午後7時05分 201*年4月16日

 やはり気の毒だけど、自らの不注意だということで、身代金は払えないね



 安倍総理の談話を腕組みをしながら見ている人物が、ワシントンD.C.にもいました。祖父江一郎駐米大使です。前回この物語に彼が登場した時は、霞が関の外務省の女性大臣からの無茶振りに腕を組んでいる場面でした。そして今回も祖父江大使は悩ましげに腕を組んでいます。

 今回彼を悩ませているのは、先ほど部下の外交官が持ち帰ってきたあるメッセージでした。


「大使、よろしいですか?」

 控えめなノックの後に祖父江大使の執務室を訪れたのは、50代の経験豊富なベテラン外交官、矢作俊夫でした。祖父江に促されると、彼は言葉を選んで話し始めました。

「今日、国務省主催のランチョン・セミナーに参加した際に、ロビーで向こうの中東課の次官補に呼び止められましてね。例の邦人人質身代金ビデオの件、『憂慮している』と伝えられました」

「憂慮? それ、実際はなんと言われたのかね?」

「We are worried about it. と。そして彼らは我が国が適切に対処することを望む、とのことでした」


 フムン。

 と、腕組みして祖父江はその言葉を受け止めました。

「非公式な米国政府のメッセージと受け止めていいんだね?」

「…そう、思います」

「その真意は、私が考えていることと同じかね?」

 矢作は、祖父江大使とは外交畑での長い付き合いがありました。そして大使の考えが正確に把握できていました。それは外交の表舞台では、口に出して言葉にしてはいけないことです。だからこそ、この大使執務室でそれを言葉にし、齟齬なき正確な意図の把握をする必要がある、ということも分かっていました。

「ええ。…『身代金支払いの拒絶』ですよね」

 と、彼はそれを言葉にし、二人は現実の重みを計りあったのです。


 米国は、前世紀から始まる中東諸国との様々な経緯から、テロリストに対する身代金交渉は一切行わないことを国是としてきました。そのせいで犠牲となった無辜の市民も存在します。ですが、犠牲者が出た場合、彼らは相応の軍事的報復で、先方に然るべきダメージを与えてきました。その意味でイスラミック・ステートにとって、米国市民を誘拐することは、相当の戦略的意義がなければ意味がない行為となっていたのです。


 その米国の立ち位置とある種の威厳は理解できるし、ある意味で尊敬に値する、と祖父江大使は思いました。

 が、それを日本にも強いるのは酷というものです。それはもはや、内政干渉と呼んでも差し支えないレベルの行為です。しかしそれを伝えてきたチャネルは、非公式の、しかも政府職員のレベルでいえば必ずしも最高位ではない人物、という点からも彼らの意図が見えてきます。つまり、強制はしないが、ゆるやかに恭順きょうじゅんを求めている、というレベルのオーダーなのでした。


 戦後70年。アメリカにとって日本はいまだに、顎の下で指図することができると思われている属国なのだ、という冷徹な事実を祖父江大使は噛みしめました。

 安倍首相は気丈にもイスラミック・ステートを糾弾し、身代金の支払いを拒否しました。しかし国際政治の上での二枚舌など、日常茶飯事です。何よりも支持率の低下を恐れ、彼が水面下で支払い金額の交渉をしていたとしても、驚くには値しません。


 祖父江大使の腕組みは深まります。

 米国のその意図を、例えばあの浮き足立つ女性大臣に率直に伝えたのなら、彼女は慌てて官邸に駆け込むでしょう。まるで宗主国の命令を受けた植民地の統治者のように。

 しかし日本はれっきとした独立国家なのです。その国民の命のかかる事案に、そんな風に易々と他国の干渉を許してはならないのです。

 しかしだからといって、総理に直接報告するのもいかがなものかの思われました。安倍総理がワシントンD.C.を訪問したり、あるいは国連会議に出席したりする際、祖父江大使はそのアテンドを勤めます。


 戦後最長の長期政権となった安倍政府において、祖父江大使の前職は外務事務次官であり、総理との接点も多くありました。その中で祖父江大使は決定的な場面で、安倍総理を信頼していなかったのです。順風満帆な状況における国政の舵取りには類い稀な才能を持つものの、危機的事態におけるリーダーシップには、期待するものがない。それが彼の内心での安倍評でした。特に国を離れてこうして外国にいると、そのことがよく分かります。彼の中で、総理に直接報告という線も消えました。


 残る選択肢は二つしかありません。

 一つは彼の中でこの事実を留め置く、ということです。どのような形にせよ事態が動き出す、あるいは進展するまで、米国の意向は官邸には伏せておく。そうすることによって、日本はあくまで自らの自由意志で事態を管理することができるようになります。

 しかしこの選択肢には大いなる問題があります。それは在アメリカ合衆国特命全権大使としての任を、自ら放棄するということです。駐米大使の役割は、行政機関の一員として法を執行することであり、政治的な判断をするという条項はそこには含まれません。したがって、理屈の上では、大臣や総理が信頼するに値するか否かは無関係に、大使として米国の意図を正確に日本政府に伝えるという義務があります。

 また義務とは別に、自らがその事実を伏せていたが故に事態が好ましくない方向に進んだ場合、これは彼自身の進退問題にも関わる重大瑕疵と見なされることは明白でした。


 しかし、祖父江大使は百戦錬磨の外交官でした。特に日本にとって最重要国家である米国の大使に任命されるということは、理屈や建前を超えて高度な政治的判断ができることが極めて重要な資質となります。その彼の中では、自らの進退問題など、瑣末な出来事でした。全ては国のために。日本国とその国民のために、そして日本国と友好関係を結ぶ世界の国々のために自らはこの地にいる、と祖父江大使は大真面目に考えていました。その点においては、旧長州藩の出身である首相と同郷の彼にも、日本国を憂いる 幕末の志士の血が流れているのでした。


 祖父江大使は、熟考の末、二つ目の選択肢をとることにしました。彼はデスクの時計を見やります。ワシントンD.C.が存在する米国の東部標準時と、東京。ふたつの時を刻む時計がそこには置かれています。ワシントンD.C.での午後7時半は、東京における午前8時半です。悪い時間ではありません。

 彼はデスクにあるiPhoneを手に取りました。そしてLINEを立ち上げます。65歳の彼に、最新のスマートフォンの最新のアプリケーションはなかなかしんどい相手です。

 が、周囲のあらゆる相手とつながり、様々な一次情報を仕入れたがるその相手から、直接の連絡はLINEにしてくれと言われてしまったのです。彼もそのアプリに慣れるため、家族や職員とLINEでコミュニケーションが取れるようになっていました。

 彼は友だちリストから、その相手、菅義偉を選びました。


 祖父江:官房長官、いまよろしいでしょうか?


 彼は北米大陸を超え、更に太平洋を超えた先にいる相手にメッセージを送りました。そしてしばらくそのまま待ちました。見れば、窓の外には春の夜風に吹かれる、新芽をつけた緑の木々。あの砂漠の国で囚われの身となった同胞のことを、彼はすこし考えました。

 と、彼の送信したメッセージに、「既読」の表示がつきました。


 菅:大丈夫です

 祖父江:ご自宅ですか? 音声通話、よろしいでしょうか?

 菅:OK


 そして祖父江大使はデスクにある秘匿回線の電話機を取りました。そして政権中枢で彼がもっとも信頼する相手の携帯電話の番号を押しました。


 五分後。

 祖父江大使は簡潔に状況を説明しました。そして最後に、

「私としては、この件はまだ捨て置いて良いレベルだと判断いたします」と、駐米大使としての自らの所見を付け加えました。内政干渉を許さず、日本が自らの責任において判断することが肝心である、という言葉は口にしませんでした。それはこの相手には蛇足というものです。

 わずかな沈黙が電話のラインを伝わってきました。官房長官がその冷静な思考を高速で回している気配がしました。

「―――大使、」と、電話の向こうの官房長官が口を開きました。「連絡ありがとうございます。米国の意向、そして大使の助言、承知しました。私も大使のご意見に同意します」

 祖父江大使のなかで、菅官房長官との歯車がカチリと噛み合った音がしました。「ありがとうございます」

「そこでひとつ、祖父江さんを見込んでお願いがあります」

 官房長官は、肩書きでなく、苗字で彼を呼びました。

「何でしょうか?」

「この件、私とあなたのあいだで留めおいていただけますか? 総理のお耳に入れるのは、もう少し状況が進んでからで」

 祖父江大使は、官房長官が安倍総理に対して自分と同じ見立てをしていると確信しました。そしてやはりこの方は信頼に足ると思いました。

「承知しました」

「時にもうひとつ。米国情報機関に資金提供して犯人探しを支援されていると聞きました。その後の状況はいかがですか?」

 返す刀で課題の核心を見事に突いてくる。恐るべき切れ者だと、祖父江大使は思うのです。

「まだ答えは出ていないと聞いています。が、再度状況を確認しましょう。その件は、やはり官房長官に直接ご報告した方が?」

「国内状況をご存知かとは思いますが、道原外相の任期はさほど長くないかもしれません。それに総理直轄の人質解放特別チームが結成され、私がまとめ役になってます。連絡は随時、私にいただけますか?」


 スマホ画面を流れる無思慮で無遠慮な罵詈雑言を、三芳隆博は眺めていました。真夜中の自室。母親はすでに寝ていると思われます。

 父の殺害からこちら、テレビは彼ら母子のコメントを求め続けました。困惑し動揺する母を尻目に、彼は一切のコメントを拒否しました。それでも執拗に彼らを追い回し、過去をほじくり返すメディアに疲れ、隆博はあの日のことを思い出しました。

 首相官邸で総理と面談し、その後菅官房長官と個人的に言葉を交わした日。別れ際に官房長官は、一枚の名刺をくれました。その名刺には肩書きはなく、彼の名前とQRコードだけが印刷されていました。

「私個人の名刺です。このQRコードはLINEのアカウントです。なにか困ったことがあったら、ここにメッセージを下さい」

 自分の祖父といってもおかしくないくらいの老人から、LINEのアカウントという言葉がでたこと呆気にとられましたが、それは暗く沈んだ隆博の心にわずかな光をもたらしたのです。


 マスコミの追撃に疲弊した夜、隆博はそのQRコードをスマホのカメラで読み込み、友達登録した菅官房長官宛にいまの苦境を訴えました。それは夜の10時のことです。そのメッセージが既読になったのはそこから数分後のこと、そして翌日の夜にはマスコミが彼らに一切寄り付かなくなりました。隆博は、菅さんの対応に感謝し、その影響力の強さに驚いたものでした。


 それから彼は、二度、そのアカウント宛にメッセージを送りました。

 一度目はそのマスコミ攻勢から彼らを保護してくれたことの感謝(その時には官房長官からねぎらいの言葉が折帰ってきました)。二度目は第二の人質がインターネットに現れた時。隆博は官房長官に応援のメッセージを送信しました。

 本当は、彼に聞きたいことが山のようにありました。そして彼に伝えたいことは海のように果てしなくありました。その全てを飲み込んで、ごく簡素なメッセージを隆博は送信しました。折帰ってきたメッセージは、LINEデフォルトのサムズアップする指のイラストのスタンプでした。あのおじいさんはさすがにウサギのコニーやクマのブラウンは使わないのだな、と彼は苦笑しました。


 そして今夜、あまりに低俗なインターネットの言説にうんざりした隆博は、反射的に次のような文章を、スマホにタイプしました。


 ――――――


 私の父はIS国によって殺害されました。首を切断され、胴体の上に乗せられて、YouTubeによって世界中にその異様な姿を晒されました。


 しかし、今になってみればそれは、次の人質の交渉を容易にするための布石に過ぎませんでした。あの会社員の方は父と違い、仕事でシリアを訪れていたに過ぎないのに、全ての日本人の脳裏に、父と同じような姿になることを想像させられています。でもそれは、決してあってはならないことだと思っています。あんな目にあうのは、父ひとりでたくさんです。


 それなのに自己責任だの謝罪だのと勘違いな発言が多いことに驚きます。これはもう、戦争なのではないでしょうか? 私たち日本人は、好むと好まざるとにかかわらず、彼らの始めた戦争に巻き込まれてしまったのです。


 この戦争に勝ち目はないかもしれません。でも負けない戦争をすると言ってくれた方がいます。同胞の中で罪人を探して糾弾するのではなく、敵に負けない戦い方を考えなくてはいけない時がきていると思います。


 海の向こうの残酷な現実に目をそらし、国内でいがみ合っている場合ではないと思います。どうかまず、私たちが直面している戦争の痛みと苦しみにどうぞ向き合ってください。


 ――――――


 一気呵成に書いてしまった文章を、隆博はどうしようと思案しました。どこかのネットにアップすべきか。でも彼は、友だち同士でのやり取りのためのLINEと、同じく写真を見せ合うInstagramのアカウントしか、持っていませんでした。ギフテッドとはいえ、そこはごく普通の高校生なのです。そしてSNSの誤使用の恐ろしさは学校で嫌というほど指導されています。


 でも彼は、いま日本中で自分にしか言えないことがあることに気づいてしまいました。それはこの文章を書くことによって、気づかされたのです。そしてはてなブログのアカウントを取得しました。書いた文章を二度読み直し、誤字や言い回しの分かりづらいところを推敲しました。そして、この文章だけを掲載するためにブログをひとつ起こし、全文をアップロードしました。そして文章の末尾に自分の本名をフルネームで書き記しました。


 ネットの海の中で、誰が見るともしれない小さな文章。それも本人かなりすましなのか分からないような短文。それでも、その大海に小石をひとつ投げられればいい、と彼は思いました。わずかな波紋でもいい、と。

 彼はそのブログページの『公開』ボタンを押しました。そして布団に入りました。朝になってその小文が瞬く間にバズり、あらゆるネットにそれが拡散されることになるとは、思いもよりませんでした。

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