第12話


 右手に持った木製のハンマーで、ビブは景気良くテーブルのカニの爪をブッ叩きました。

 カニの殻が砕け、オレンジや白の破片はくるくる回りながら四散します。テーブルの外にも細かいかけらが盛大に飛び散りますが、気にすることはありません。なんと言ってもここはテラス席のテーブルなのですから。

「見ろよコレ、このふっくらとした肉。たまらんなぁ」

 そういいながら、ビブこと伊集院将成いじゅういん まさしげは専用のカニスプーンで茹でたワタリガニの身をほじくり出し、口に放り込んだのでした。ほどける繊維質の身と濃いカニ肉の味。付け合わせのチリ・パウダーをつけても良し、つけなくてもまた良し。カニは日本では忘新年会などのハレの日のメニューという感じが強いですが、ワシントンD.C.(実際はD.C.のとなりのメリーランド州ボルチモアでしたが)では、カジュアルに食べる愉快なシーフードです。

「叔父さん、もういい年なんですから、もう少し抑えられませんか?」差し向かいの席に座る甥っ子の水野勝が笑いながら言いました。

 ふたりはとある日曜日、ここメリーランド州ボルチモアのシーフード・レストランでランチをとっていたのでした。茹でカニをメインに、フライにされた海老、白ワインで蒸しあげたムール貝など、これでもかというくらいのシーフードが、ふたりの席に山盛りになっていました。運転を甥っ子に任せているので、喉ごしの良い冷たいビールもまた、たまりません。

 ワシントンD.C.の日本大使館勤務『何でも屋のビブ』こと伊集院は、久しぶりに甥っ子と彼の住むボルチモアで週末のランチを楽しんでいました。水野はビブの妹の次男坊であり、アメリカ東海岸に住む唯一の彼の親族でした。


 水野は日本の高校を卒業してからビブを頼って渡米し、そのまま当地の大学を卒業、就職してここに根を下ろしていました。互いにウマの合うふたりは、年齢で言えばふた回りほど離れていました。でも、時にこうしてテーブルを囲み、互いの近況を報告しあうのでした。

「仕事の方はどうだい? 上手くやってるのかい?」

「まぁそこそこってトコですね? 叔父さんこそ、スパイ稼業はいかがですか?」

「そりゃあ忙しいさ。先月はベネズエラの地下組織の秘密基地をぶっ壊して、先週は旧ソ連から持ち出されたプルトニウムをカザフスタンでテロリストから奪い返したんだぜ」

「そんなにデブっちょなのに、やってることはまるでジェームズ・ボンドじゃないですか」水野は叔父の壮大なホラ話を一笑に伏した。

「ジェームズは俺の叔父さんの又従兄弟の幼馴染さ。そんなに遠縁ってわけでもない」

「そんなこと言ったら我が祖国のエンペラーだって叔父さんの再従兄弟はとこ従兄弟いとこじゃないですか」

「おいおい、そいつはジョークにしては気が効いてないぞ。俺の上の62人が今日死ねば、俺は明日からあの国のエンペラーなんだからな」


 実際のところ日本国の皇位継承権は一桁台までしか認められていません。しかし皇室に連なる華族の出身である伊集院は、その血族だけに通ずる話として、自分が皇位継承権の第何位かを自慢し合うというジョークがありました。ふたりはそんな冗談を言い合って笑いながらカニを食べていたのでした。

「とはいえ叔父さん、現代のスパイ仕事はジェームズのような無法者には務まりません。あいつはコンプライアンスのなんたるかを知らず、インターネット・コンピューティングに無縁ですからね」

「そうやって合衆国政府が現場から人的資産あせっとを引き上げちまったから、見ろよ、奴らアフガニスタンの山の中にタリバーンがいるって電話を盗聴するだけで、あっという間に無人機の精密爆撃でバーンだ。現地情報にあたりもしない。全くナンセンスだよ」

「複数の情報に当たってその正当性を担保してるはずですよ?」

「そんな悠長なこと言ってるウチにテロリストは消えて、憐れな羊飼いだけがスマート爆弾の餌食ってのが現代の戦争さ」

 ビブは面白くなさそうにカニの爪にむしゃぶりつきました。全く、デジタルという奴はロクでもない、と彼は腹の中で悪態をつきました。

「でも叔父さん、ぼくだってそういう所で世界の安全保障に貢献してます」

「そうだ。そうだったな。お前さんも21世紀の新型ジェームズなんだな」

 そう。水野はコンピュータ系技術者としてこのワシントンD.C.の中に職を得ていたのです。それも合衆国の安全保障の一端を担う、衛星画像解析のエンジニアなのでした。

「ま、でも合衆国永住権グリーンカードを持たないぼくには、セキュリティ・クリアランスの壁があるから、最重要な案件は回ってこないのですけどね」

 その言葉を聞いて、ビブの頭の中で閃くものがありました。昭和の人間であるビブの頭の中では、裸電球が灯る訳ですが。


 国務省中東科のショーゼンと会った三日後、ビブは彼からひとつのヒントを得ていました。

CIAラングレーだ」と、ショーゼンは言ったのです。

 その時彼らはポトマック川沿いの遊歩道を歩いていました。腹の大きく出たジャージ姿の初老の日系人ふたりが、仲良く朝のウォーキングをしている風景です。しかし実際は先日のオイスター・バァの借りをショーゼンがビブに返しているのでした。

「昨日、D.C.の情報関連機関の中東領域の実務者連携会議があったんだ。そこで聞いた話だ。ラングレーの中東課の課長から、あの処刑映像に関する何かを掴んだらしいほのめかしがあったんだ。もちろん政治の表舞台にいる俺たちには明かせない機密事項を踏んでるんだろう。けど何かがありそうなことは確かだ」


 処刑映像と衛星写真。

 もしかしたらラングレーのエンジニア達はあの映像と衛星写真をリンクさせ、場所を特定する方法を見つけ出したのかもしれない。カニをむさぼり食べながら、ビブは心の中のメモ帳にそこが掘り込む糸口になるかもしれない、と書き込みました。


 その後のビブの動きは素早く、かつ的確でした。この国の首都で40年近く、情報関連の仕事をしてきた嗅覚が、彼を正しい流れに導いたのです。

 週明けの月曜、CIAにいる知人に声をかけ、ビジネス・ディナーを一緒にとりました。その席で日本政府があの処刑事件に対して米国政府に貢献したい旨を伝えました。

「資金的な支援でも、技術的な貢献でも構わない。リクエストしてくれればどんなことでも大使館に掛け合う」とビブは言いました。「特にデジタル関連のサポートなら任せてくれ」と言い添えることも怠りなく。

 その担当者には意味が通じていませんでしたが、その言葉はすぐに効力を発揮しました。その担当者が局に戻り、その意向を局内の担当部署に伝えました。それは中東課のアルベルト課長の耳に入り、彼のデスクに積まれていた部下のキャサリン・ターナーのレポートが目に留まりました。タイトルはこう書かれていました。

『IS国の日本人処刑映像に関する衛星画像分析について』


 アルベルト課長は、たかが日本人と思いその案件のプライオリティを上げていませんでした。従ってそのレポートに書かれた映像解析と衛星画像照合による場所の特定に関しても、局のリソースを割くつもりはありませんでした。それでなくとも衛星画像解析班のオーバーワークは目に余るものがあり、局内の人事部から警告ワーニングを受けているのです。


 ですが、これは日本人達に協力させれば良い話です。もちろん異国人に合衆国の偵察衛星のオリジナル画像を見せるわけにはゆきません。それはセキュリティ・クリアランスの取れた局外の外注先にアウトソースすれば良いだけの話です。ただその予算を捻出できなかったのです。その費用を彼らが持ってくれれば、話は別でした。

 局と政府と日本大使館の間を誰がどう取り持つのか。問題はそこだけです。これはもはや、一課長の権限を超えています。アルベルトは内線電話をとり、秘書に告げました。

「副長官に面会したい。至急アポをとってくれ」


「ここなの」とキャサリンはモニター画面を指さしました。そこにはあの“ベッカム”の処刑映像の背景の壁と、その向こうにわずかに見える町並みが写っていました。

「解像度が悪いですね」とエンジニアは答えました。

「でも?」と、彼女は彼に尋ねました。

 相変わらず人使いが荒く、押し込みの強い女だな、と横で腕組みしながら話の経緯を黙って聞いていたマーカスは思ったのでした。

「でも、まぁ、やってみましょう」

「そうこなくっちゃ!」キャサリンは指を鳴らしました。そういうところに品がないんだよな、とマーカスは心の中で独りごちました。

 彼らはCIAの本部(ラングレー)からワシントンD.C.を挟んだ逆側、メリーランド州ボルチモアのデジタル・エージェンシーにいたのです。


 昨日のことでした。

 キャサリンの仮説に『リソースが足りない』と一蹴した課長が、上機嫌で彼女の元にやってくると、

「いいニュースだ。君のプラン、アウトソース先を確保したぞ」

 と言ったのでした。どこからどんな予算を捻出してあのボンクラ課長がそんなことをやったのかは知りませんが、とにかくキャサリンは席を立つと、課長と握手をしました。

「必ず、結果を出します」と、彼女は胸を張りました。

 また面倒なことになったな、とキャサリンのパートナーのマーカスは思ったのでした。


「いつまで?」そのエージェンシーでエンジニアにキャサリンが聞きます。

「二週間」とエンジニアは即答しました。

「三日」キャサリンも即答し返しました。

「無理ですよ」

「そこを何とかするのがあなたの仕事よ」

「無理ですよ。いいですか。コレは結構ややこしい案件なんです。家並みの位置関係を割り出し、それと衛星写真を照合して、場所を割り出す。いいでしょう、理屈は合ってます。そして原理的には不可能じゃない。多少解像度が悪くても、そこはなんとかなるでしょう。

 でも考えてみてください。各々の家の位置関係が把握できたからといって、それを照合する先はどこですか? D.C.みたいな狭い街とは違うんですよ。シリアですか? イラクですか? イランですか? そんな広範囲の家並みをひとつひとつ当たるのはあまりに時間がかかりすぎる。だから我々はおそらくひとつの論理回路(アルゴリズム)を組み上げることになります。ある程度ざっくりと衛星画像のなかのめぼしい地域をピックアップして、それから細かい照合作業を行います―――」

「五日」キャサリンはくどくどと説明するエンジニアの話を遮って言いました。

「あなた、私の話を聞いてましたか? あのですね、」

「まぁまぁ!」

 両手をヒラヒラさせながらふたりの間に入ったマーカスが言いました。猪突猛進で周囲の事情を考慮しないこのじゃじゃ馬の手綱を引けるのは、自分しかいないのです。

「キャシーも無理を言うな。相手もプロなんだ。そのプロが二週間と言ってるんだ。そこは事情を考慮しようじゃないか」

 そして彼はエンジニアに向きなおって言いました。「この黒頭巾の死刑執行人は、あっという間に行方をくらましちまう。煙が消えるようにな。こっちがボヤボヤしてたら、奴の居場所をせっかく見つけても、その頃にはもぬけの殻だってことになりかねない。それでなくともこの映像がインターネットにリリースされてすでに10日経ってるんだ。そしてこいつはもしかしたら、次はアメリカ市民の首を跳ねる為、今ごろナイフを研いでるかもしれない。頼むよ、君だけが頼りなんだ」

 エンジニアは腕を組み、モニタを見つめました。彼の横顔をふたりのCIA職員が黙って見つめます。

「分かりました。一週間。それが限界です」

乗ったディール」人差し指でエンジニアを指差して、とマーカスは言いました。キャサリンは不貞腐れて横を向いていました。


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