第10話


 と、いうわけでお話は最初の砂漠の田舎の村に戻ってきます。もう一度、あの黒頭巾の処刑人、アレックスに登場いただきましょう。


 世界中の人々から『ベッカム』という通り名をもらった彼ですが、本人の出身はアイルランドであり、イギリスとは異なります。

 アレックス自身がいわゆる“エゴサーチ”をして自分自身が英国のサッカー選手の名で呼ばれていることを知り、彼はかなりの腹立ちを覚えました。アレックスは別にアイルランド国内で過激な独立を求める組織(いわゆるIRA、アイルランド共和軍)に属したりした訳ではなく、むしろアイルランド国内での疎外やいじめからイスラミック・ステートに加わった経緯がありました。が、それとは別にアイルランド人としてのアイデンティティが、自分をイギリス人と誤解されることに我慢できなかったのです。


「そんなことは今のお前には関係のないことだよ」

 そのことを愚痴ったアレックスの肩を軽く叩いて、髭面のマフムードが言いました。「アッラーの前では人は等しく神の子だ。人種や国籍などでアッラーは子どもたちを選りわけたりはしないんだよ」と、マフムードは続けます。


 マフムードは穏やかな表情をした、この捕虜収容所のリーダーでした。かつて聖なる戦士ムジャヒディンと呼ばれた武装ゲリラの一員であり、携帯型ロケットランチャーで何機ものソ連製戦闘ヘリを撃墜した歴戦の勇士でした。アメリカ製のその武器で名を挙げつつも、9.11後のアメリカのアフガニスタン掃討戦による米国の航空攻撃で故郷の村と家族と右手を失い、イスラミック・ステートに参加したのでした。


「分かっています」とアレックスは答えました。それに自分が英国人であると思われている方が欺瞞工作としては都合が良いのです。それも彼には分かっていました。ただ、心の片隅にあるアイルランド人としての矜持が、彼の気持ちを塞いでいたのでした。

「さ、新しい作戦を始めよう。お前の言葉が世界を動かし、地球規模の鎖を巻き上げてゆくんだよ」

 マフムードの言葉は、そんな腐った気持ちを振り払ってくれるようでした。


 ダブリンの街ではひとりぼっちの引きこもりだった俺が、今や世界を動かしている。あの時の俺をウスノロの童貞だと言った奴らは今ごろ、クソのような会社でクソの役にも立たない仕事をしているに違いない。世界の何に貢献しているかも知らず、貴重な人生の時間をそんなゴミ溜めにまみれて暮らす他ないんだ。それに対して俺はどうだ。俺の言葉に、フィンランドが、イタリアが、フランスが、スペイン政府がひざまずき、許しを乞うた。ざまを見ろだ、とアレックスは思い、木のドアを開けて陽光溢れる庭に出てゆきました。


 庭には、オレンジ色のつなぎを着た東洋人が地面にひざまずかされています。前の男と違うのは、今度の東洋人は少しも暴力を振るわれてはいない、という点です。多少衰弱し、そして恐怖に身を固めていましたが、今日彼は死を迎えるわけではないのです。しかし彼にはその事実は知らされていませんでした。だから彼はとても怯えた表情で、ひたすら地面を見つめるしかなかったのです。

 アレックスは彼の隣に立つと、「大丈夫だ」と英語で言いました。

「お前は今日、死なない」

 その瞬間、東洋人の捕虜は顔をアレックスの方に向けました。その目に光が灯り、表情が安堵に溶けてゆきます。


「ただ、ひと仕事してもらうことになる。あの前で」

 そう言うと、アレックスは顎をしゃくりました。そこにはいつもの、ソニー・ハンディカムが三脚に据え付けられていました。ふたりの部下たちはあれやこれやと機器のセッティングをしています。そしてアレックスは哀れな東洋人に今日の撮影内容の説明をしました。自分は今回は登場せず、こちらの示した紙の内容をお前が読み上げるだけで良い。今日の収録は日本語と英語で行うが、こちらの関係者には日本語のわかるものもいるので、適当な発言は許さない、といったようなことを、簡潔に伝えました。


 前回のヨーシュ・サドゥに比べると明らかに血色良い中年男性の東洋人、いえ、日本人の吉村耕三は、怯えた目をして首を小刻みに縦に振りました。

 やがて撮影の準備が整い、アレックスがカメラ脇に立ち、指先でヨシムラに開始のサインを出しました。ヨシムラは胸に『私を救ってください』と英語で書かれたプラカードを持たされ、英語と日本語で、ソニーハンディカムに向かい、このように話しました。


「私の名前は吉村耕三。日本精機工業の社員です。私はただいま、イスラム国の捕虜として捉えられています。私の生命には、五千万米ドルの値段がつけられています。それは日本政府に支払いを求められた金額です。支払期限は5月1日」そこで、彼は言葉を切りました。そして切羽詰まった表情で、早口でこう言ったのです。

「どうか私の命を救ってください。このような事態になって申し訳ありません」


 最後の謝罪の一言は、シナリオにはない言葉でした。最初に収録された英語版は、吉村はその言葉通りを読み上げました。でも二度目に収録された日本語版では、謝罪の一言が勝手に付け加えられました。そして日本人の癖として、謝罪の言葉に合わせてカメラに向かって頭が下げられました。


 その場にいる誰にも、何故日本語版の最後で東洋人が頭を下げたのか、理由がわかりませんでした。撮影チームは皆、処刑人でありスポークスマンであり、その場の撮影ディレクターであるアレックスの方を見やりました。しかし日本語など当然知る由もないアレックスも、最後の頭を下げるボディーランゲージの意味が分かりませんでした。やや引っかかるものはあるものの、アレックスは収録にOKを出し、撮影は終了しました。


 その言葉がイスラミック・ステートの人達に理解されたのは、それから4日経ってからのことでした。

 まず撮影された映像データはzipファイルに圧縮されてレバノンの首都ベイルートに送られました。

 中東のパリと呼ばれるベイルートでは、家賃の高い高層マンションの一室にイスラミック・ステートのデジタル戦略室がありました。そこではインターネットを使った様々な作戦の実行指示が、世界中のデジタル・テロリストに対して出されていたのです。その一画に映像編集チームがおり、各種映像はそこで手際よく編集されていました。最近このチームに加わった、フィリピン出身の映像編集担当者のおかげで、彼らのコンテンツは格段にクオリティ・アップしたわけですが。


 そのフィリピン人が編集した映像には、IS国のロゴマークが左肩に挿入され、音声も整音され、捕虜の声も聞き取りやすくなっていました。そこで作成された編集済みの吉村の映像は、今度はシンガポールのチャイナタウンにある彼らの拠点に送られました。そこでは日本語に堪能な華僑のスタッフが映像の内容を確認しました。日本語の内容はアラビア語に翻訳され、テキスト文書とともにシリアのラッカにいるカリフ・バグデリーダのもとにメールされたのです。


 ラッカのあの広東料理店の奥の間。

 今日は博士の双子の老人は不在で、バグデリーダと華僑の毛、そしてまたスマホの画面の向こうにアリがいました。

 彼らは仕上がったビデオを黙って見ました。以前の無編集のビデオはリアルではあるものの見るに耐えない長さでした。が、バグデリーダの希望でコンパクトになった映像は、普通にテレビで見るものと何ら変わりのない品質となっていました。


「私の名前は吉村耕三。日本精機工業の社員です」から始まる、二人めの日本人の映像。その中で捕虜は五千米ドルの身代金について話していました。

 英語版では彼らが事前承認したシナリオ通りにストーリーが作られていましたが、日本語版の最後で捕虜はシナリオにない言葉を口走っていました。「このような事態になって申し訳ありません」、という添付の翻訳文を彼らは見ました。そして吉村は頭を垂れたのでした。

「これは、何だ?」と、バグデリーダが言いました。

「謝罪のようですね」と、毛。

「俺にもわけがわからない」と、テレビ電話の向こうでアリが言いました。「何故謝るのだ? 誰に対し? こいつは我々に捕らえられたのだろう? 何に対して謝罪しているのだ?」

「国家に保釈金を払わせることになった事態に対して、国に謝罪しているのだと思います」毛もそういいながら、違和感を感じざるを得なかった。ジャーナリストとして単身ここに乗り込んでくる無法者と違い、この日本人は仕事としてシリアに訪問し、彼にとって不幸なことに捕虜となったのだ。その彼が自由を得るための金を国家に要請することの、何がいけないのだろう? 何故彼は謝罪しているのだろう?

「どう考えても理屈に合わない」と、アリ。

「いや、これは我々が想像できないようなメンタリティなのではないか? 毛よ、同じ東洋人としてお前なら分かるのでは?」バグデリーダが毛に聞きました。


 しかし毛は問われれば問われるほど、自分がこの映像を見た当初に感じていた自然さが失われてゆくような気がしました。何かの暗号なのでは、という疑問が毛の心の中に広がってゆきました。

「皆さんは中国人も韓国人も日本人も同じ一括りの東洋人と思われているかもしれませんが、それぞれの心のあり方は全く異なります。彼ら極東の人間が、シリア人とヨルダン人とイスラエル人の区別がつかないのと同じです」

「いやそれは違う。ヨルダンのパレスチナ難民たちはまだしも、イスラエルは人種が違う。神のあり方からして全く違うではないか」アリはテレビ電話の向こうで大きな声を出しました。

「ではあなたは中国人と韓国人と日本人が、それぞれどのような神を信じているかご存知ですか?」毛はiPhoneに向かって冷静に言いました。

「皆、ブッダに帰依しているのだろう?」

「違います。中国で最大の宗教は様々な土着宗派です。韓国ではキリスト教が最大宗派となっており、日本人も彼ら独自の土着宗教の信者が多数です」毛はiPhoneの向こうでアリが不満そうな顔をしているのを機敏に察知しました。やり過ぎは身を滅ぼす、と脳裏で亡き父が囁く気がしました。

「分かったよ、毛」とバグデリーダが助け舟を出してくれました。「それほど我々は彼らのことを知らない。だからあの謝罪の真の意味も理解できない、ということだな?」

「ありがとう、バグデリーダ。おっしゃる通りです。私もあの無表情な日本人達が、腹の底で何を考えているかはよくわかりません。ただ皆さんの仰るとおり、あの場面で謝罪の言葉を口にするのはいかにも不自然です。もしかしたら日本人同士だけで通じ合う、なんらかの符丁が潜んでいるのかもしれません。ここはひとつ提案ですが、あの日本語映像の末尾の謝罪の部分をカットしてはいかがでしょうか?」

 それを聞いたアリもバグデリーダも、眉をあげて一瞬思案しました。そして「いいだろう。それが我々の考えをストレートに彼らに示す唯一の道だ」とiPhoneの向こうの男が言いました。

「賛成だ。余計なコミュニケーションはノイズだ。我々のメッセージだけを正確に伝えるのが作戦のポイントだ」と、バグデリーダも同意しました。

 その結果、肩を震わせて謝罪した吉村の気持ちはすっぱりとカットされました。それが日本にもたらした結果は意外な方向へ話を進めていったわけですが。

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