第7話


 イスラム速報@islamic_news 午後7時04分 201*年4月1日

 NHK報道。日本人男性、IS国にて斬首処刑。YouTubeリンクはこちら(残虐映像閲覧注意)。

 https://youtu.be/********


 沢ヨシ@sa… 午後7時04分 201*年4月1日

 一番乗り。つかマジ? マジありえねー。


 ニシコジ@kj… 午後7時05分 201*年4月1日

 見た。吐きそう。何これ。


 名乗るも@32… 午後7時05分 201*年4月1日

 日本人なの? つか、合成臭パネぇ。


 吉村り@ri… 午後7時05分 201*年4月1日

 確認中だと。


 ミリみ@aj… 午後7時06分 201*年4月1日

 これガチな奴やん!あかんやん!


 三芳隆博は、斜視のギフテッドでした。

 いずれも先天的に、持って生まれたものでした。

 彼は同世代の誰よりも早く、論理的分析力と抽象的思考力とを身につけ、強い好奇心と鋭い直感力で周囲の大人を驚かせてきました。ギフテッドとはそういった、神からの贈り物ギフトである極めて高度な知能を持って、ごく稀に生まれてくる者たちのことをいいます。

 そして多くのギフテッドはその高度すぎる知性の分だけ、周囲の子どもからは疎まれたり、逆に自らの知性をあえて隠して生きようとしたりします。しかし彼の軽度の斜視は、健常人ならイジメの対象になるはずが、同級生は彼を欠陥もある普通の人間と見なし、おかげで彼の精神を歪ませずに成長させました。


 隆博は、市立船橋中央高校に通う高校二年生です。ギフテッドで斜視である、というだけでもかなり通常とは異なる存在の彼ですが、更に母子家庭で帰国子女という特異な境遇にありました。


 その日の学校が終わり、彼は駅前のファスト・フード店でかんたんな夕食をとると、アルバイト先の工場へ向かいました。彼が働いているのは港湾部にある寿司飯の炊飯工場。首都圏の持ち帰り寿司チェーンの酢飯を一手に生産する施設です。ここで彼はベルトコンベアで流れてくる米を規定量どおりに計り続けるような単純作業を、毎日3時間ほどしています。


 誰かと話すこともなく、目の前の作業に没頭するルーチンを繰り返すことを彼は好みました。その単純作業は、彼にある種のハイ状態をもたらします。その間に彼の脳は最近読んだ宇宙物理学の本の内容(巨大ブラックホールから出るクェーサーと呼ばれるジェット噴射の成り立ち)を反芻したり、古代生物の生態をその形態から推測(巨大な鎌のような顎を持つデボン紀の甲冑魚パラメテロラスピスはその顎をどう使って生活したのか)したりするのです。

 学校で級友たちと楽しく過ごしたり、家庭で母と何気ない会話をする以外に、そうやって自らの知能を運転することを彼は好みました。ひとりきりの思考を、誰にも邪魔されず深く行うこと。それは健常人にとって趣味とでも言えるような、でもギフテッドにとってはしばしば見受けられる奇妙な行いでした。


 その日の仕事が終わり、工場からのシャトルバスに乗りました。いつもの最後尾の座席に座ると、彼はポケットからスマホを取り出します。級友からのLINEが届いていました。


 ノグ:スゲえの回ってきた。ガチヤバめ。閲覧注意。

 https://youtu.be/**********


 隆博は、何気なくそのリンクをタップしました。アプリのYouTubeが立ち上がり、動画の再生が始まります。

 この物語の読者には既に馴染みとなった黒頭巾の“ベッカム”と、佐藤芳雄が映っていました。黒頭巾がナイフを持った右手を画面にかざし、英語で何かを叫んでいます。イギリス訛りがきつい英語は、所々意味が取りづらい箇所がありましたが、おおむねその内容は理解できました。

 が、そんなことより、そこにオレンジのつなぎを着て地面にひざまずかされている父に、彼は驚愕しました。


 ニシカ@ni… 午後7時23分 201*年4月1日

 コレ、前に俺がいた会社の社長かも


 吉村り@ri… 午後7時23分 201*年4月1日

 それどこよ?


 ニシカ@ri...午後7時23分 201*年4月1日

 ココ

 https://www.********.jp


 ルカ〜@lu… 午後7時24分 201*年4月1日

 ガセ決定。なんでベンチャー社長がシリアでジャーナリストを?


 いつも前向きで、明るかった父。未来だけを見て、決して後ろを振り向かなかった父。

 今の時代に生まれていたら彼もギフテッドと呼ばれたかもしれない、と隆博は一緒、思考をあらぬ方向へ飛ばしました。それは父がありえない格好で座らされている現実の映像から逃避しようとする心の働きだったのかもしれません。


 黒頭巾が声明を終えると、そのナイフを父の首に当て、滑らせました。疲弊しきった父は、わずかに顔をしかめると、首筋から真横に血飛沫を吹き出しました。父の血は、黒頭巾の黒いずぼんに飛び散りました。スマホの映像からは聞こえませんが、隆博の頭の中ではそのズボンにかかる血飛沫の、ぼどぼどぼどという音もはっきり聞こえていました。乾いた風も、髪や爪先に入る砂つぶも、暑い日差しの温度も、父が殺されたその場の全てが知覚されていました。ベッカムがスプライトを飲みたがっていることも、カメラの後ろ側にブッチャーたちが3人座っていることも、隆博には分かりました。


 隆博は右手でスマホを持ち、左手を口に当てました。それは本能的な行動でした。口から漏れようとする悲鳴と、同じようにせり上がってきた吐瀉物を抑えるための行動です。全身の血液が沸騰し、同時に身体中から血の気が引いてゆきます。目の前の映像にチカチカとした虹色の斑点が現れます。それが自分の脳内の信号の伝達不正であることも、隆博には分かっていました。だからパニックに飲み込まれぬよう、必死で自己を現実につなぎとめました。

 ここは炊飯工場のシャトルバスの中。もうすぐ船橋駅に着く。ここで嘔吐や失神してはいけない。彼の思考は超高速で回ります。


 イスラム速報@islamic_news 午後7時58分 201*年4月1日

 総理官邸から菅官房長官の談話。以下要旨。

 映像の内容について確認中。被害者には哀悼の意を表明する。被害者が日本人である確認は取れていないが、罪なき非戦闘員を無残に処刑するその映像に強い憤りを感じる。

 YouTube生中継映像はこちら。

 https://youtu.be/********



 そこからどうやって自宅に帰ったかはあまり記憶にありませんでした。

 気がついたら自宅の居間のソファーに座り、電気もつけず、ただぼんやりと隆博は虚空を見ていました。

 やがて玄関のドアが開く音がしました。隆博は必死に理性をかき集めました。

「ただいま」

 といって、母の美津子が帰ってきました。

「お夕飯、ガッツリ食べる?」明るい声でそう聞きながら、食料品のたっぷり入ったマイバッグを彼女はテーブルに置きました。毎晩残業続きの仕事をしている母は、いつも帰宅がこの時間、夜9時前後なのです。


 隆博は言葉にならず、母親を振り返りました。

 まだ日常の中にいる母を、非日常に連れ出す役目は自分なのか、残酷だな、と隆博は思いました。すると言葉が出ず、ただ右目から涙のしずくがこぼれました。彼は奥歯を噛み締めました。自分の中で何かが崩れてしまいそうに思えました。


「タカ…」と、美津子は息子のニックネームを呼びました。「どうし…」と言いかけたところで、美津子のバッグの中で携帯電話が震えました。

「なによもう」

 息子が何も言わずに涙をこぼしている時に、電話どころではないと思いましたが、彼女はスマホを取り出しました。画面を見ると、見知らぬ番号からの着信です。致し方ない。彼女は画面の通話ボタンをタップしました。

「はい」

 見知らぬ電話番号には、名前を名乗らない。これが21世紀の日本の初歩的な自衛手段です。

「私は警視庁刑事部捜査第二課の……」

 と相手は名乗り、この電話が三芳美津子であることを確認しました。そして相手が口にした言葉に、彼女は驚いたのです。

「佐藤芳雄さんは、あなたの内縁のご主人ということで間違いありませんか?」

「失礼ですけど、何のご用ですか?」

「申し訳ありません。ニュースはご覧になりましたか?」

「私はたったいま帰宅したところで、まだ何も見ておりません」

 警視庁を名乗る相手は、電話の向こうでしばらく沈黙しました。その沈黙に耐えられず、美津子は口を開きました。

「佐藤が…なにかやったのですか?」

「あ、いえ」と相手は言った。「落ち着いて聞いていただきたいのですが。佐藤さんは殺害された可能性があります」

「えぇ?」相手のあまりの物言いに、美津子は頓狂な声を出した。「それって…どういうことですか?」

 美津子の硬い声音に、隆博が顔を向けました。

 隆博のその視線を受け止めて、美津子の胃がするどくすぼまりました。頭より先に、身体がその受け入れがたい情報を事実と認めたのです。そして遅まきながら彼女の理性が、身体に追いつきました。息子の涙はそれなのか、と。

「中東のテロリストが佐藤芳雄さんを殺害…というか」と電話の相手は口ごもった。「処刑した、という映像をYouTubeで公開したのです」

 電話の相手は恐縮しながら、テレビやYouTubeの映像を見ることを求めました。そして写っているのが、佐藤本人かどうかの確認を求めました。彼女にはそれが受け入れられませんでした。

「佐藤かどうかを、何故私があなたに伝えなければならないのですか?」

「申し訳ありません。総理官邸からの依頼なのです」


 サンベ@th… 午後7時47分 201*年4月1日

 その人、ベンチャーやめてから雲隠れしてたらしいよ


 6969@up… 午後7時47分 201*年4月1日

 雲隠れしてジャーナリスト、怪しすぎ


 りさ@ri… 午後7時48分 201*年4月1日

 イスラエルの会社のプレスリリースに名前出てる

 http://www.********.il


 緑子@gl… 午後7時49分 201*年4月1日

 マジや。この人謎すぎね?


 北関東@09… 午後1時32分 201*年4月2日

 東大出身の学生ベンチャーってミヤネ屋で言ってる


 みつく@sh… 午後2時02分 201*年4月2日

 メディネットって医師向けSNSの創設者だって。ベンチャー売り抜け時の資産は4億ってマジか!


 umizumi@um… 午後2時05分 201*年4月2日

 なんでそんな金持ちが中東でジャーナリストやって殺されてるの? イミフ


 りさ理沙@ri… 午後2時07分 201*年4月2日

 金持ちの道楽?


 ミッチ@23… 午後2時11分 201*年4月2日

 道楽というより、承認欲求じゃね? ただの金持ちでなく、意識高い金持ちと思われたかったとか?


 優駿き@12… 午後7時02分 201*年4月2日

 そもそもシリアの渡航禁止令出てるのに、何でコイツここにいたの?


 俊寛@KI… 午後7時03分 201*年4月2日

 日本語通じない疑惑


 満@pe… 午後7時03分 201*年4月2日

 冒険家なのでは?w


 yoyoz@ri… 午後7時04分 201*年4月2日

 CIAのスパイってことでいいね?


 吉田流@58… 午後7時05分 201*年4月2日

 いわゆるひとつの自己責任てことでいいね? 


 お座敷@ko… 午後7時05分 201*年4月2日

 行くなっていってるのに行って、逝ったってことでいいね?


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